- ナノ -


(6話)



 試合が終わり、及川先輩と会うため体育館を出ると、月島君の姿が目に入った。

「お疲れ様」

 声をかけると、月島君は怪訝そうな顔で私を見つめた。

「なんで居るの。……っていうか何、その格好」
「借りたの。似合う?」

 そう言いながら薄茶色のスカートをつまんでみせると、月島君は無表情でポツリと呟いた。

「似合わない」
「あっそう!」

 聞いた私が馬鹿でした。やっぱりこの人嫌い。

「っていうか練習試合のこと何で知って……ああ、王様から聞いたのか」
「えっとね、ちょっと違う。中学の先輩が青葉城西なの。この制服もその人が貸してくれた。最後にピンチサーバーで出てきた人居たでしょ? あの人」
「ふーん」

 興味なさそうに呟く月島君を見ていると、ふと、最後のレシーブが頭に浮かんだ。

「最後、よく拾えたね」

 ポツリと呟くと、月島君は少しだけ眉を寄せて視線だけをこちらへ向けた。

「あ……えっと、及川先輩のサーブ」
「……コース狙いで勢いなかったからデショ。結局向こうのチャンスボールになったし、あんなの拾えたうちに入らないよ」
「でも、上がるだけでもすごいと思うけどな。上がらなければそこで終わりでしょ? ……私にはあんなサーブ、もう取れないと思うし」

「へぇ、君もバレーやるんだ。見る専かと思ってたけど」
「昔少しね。今はやらないよ」
「なんで?」

 問いかけにどこまで答えるべきだろうか。込み入った話をするべきで無いのは分かる。その証拠に、月島君の表情に少しだけ後悔の色が浮かんでいた。きっと反射的に口をついて出ただけで、私がバレーを辞めた理由を知りたい訳ではないのだろう。
 考えた結果、詳しい説明は要らないだろうと判断して、「足が、ちょっとね」とだけ短く答えた。頭の良い月島君ならこれだけですぐに察するだろう。
 案の定、月島君は「ふーん」と興味なさげに呟いて、そのまま口を噤んだ。

 そろそろこの場を離れるべきだと思いながらも、なんとなく彼から目が離せなかった。

「……月島君は、レシーブ嫌い?」

 その質問に、月島君はバツが悪そうに目をそらした。

「……好きじゃないだけ」

 その顔はまるで拗ねた子供のようだった。

 いつも見る意地の悪い人を小馬鹿にした皮肉った顔では無い。こんな顔もするのか。初めて見る彼の子供っぽい一面に、自分の口元が緩むのを感じた。そういえば、飛雄達とした三対三の試合結果を聞いた時も、月島君はこんな顔をしていた気がする。

 やっぱり月島君は負けず嫌いだ。

「そっか。でも、大丈夫だよ」
「何が?」
「月島君、悔しそうだったから。最初取れなかった時、悔しそうだった。だからきっと上手くなるね」

 そんな私の一言に、月島君は気分を害したようで、ムッとしたような顔で私を睨むと、無言で目を逸らした。


「ナマエちゃん」

 ふいに声をかけられ、視線を向けると、及川先輩が立っていた。

「あ、私行くね。お疲れさま。良かったよ、試合」

 パタパタと手を振るが、月島君は特になんの反応も返さなかった。所謂『無視』というやつだ。

 だが、不思議と腹は立たなかった。



***



「人に見に来いって言ったのに、ピンチサーバーってどういうことですか?」

 ジロリと睨みながらそう言ってやると、及川先輩はハハハと笑いながら言った。

「ごめんごめん。病院が思いの外長引いちゃってさ」
「病院? 怪我してたんですか? ひょっとして昨日も!? 言ってくれたら制服くらい私が取りに行ったのに! わざわざ歩かなくったって――」
「軽い捻挫だし大丈夫だよ。今日病院行って問題ないって言われたし」

 ごめんね。そう言いながら、及川先輩は私の頭を撫でた。

「……なら、いいんですけど……」

 怪我と聞いただけで、自分が怪我をした時のことが思い出される。飛雄もそうだが、及川先輩やはじめ君だって負けず劣らずバレー馬鹿だ。この人達があんな思いをするなんて耐えられない。

「心配かけてゴメンね」
「……別に心配してないです」
「酷いな! まったくナマエちゃんは素直じゃないんだから……。それにしても……やっぱり似合うね」

 上から下まで、まるで値踏みするように眺められ、段々と恥ずかしさが込み上げてくる。

「ちょっと。あんま見ないでくれます? ……なんか視線がやらしいんですけど」
「ちょっと! やらしいって何さ! ……うん、でもやっぱり思った通り、よく似合ってるね。昨日見た烏野の制服も良かったけど、うちの制服の方が絶対似合うよ」

 自分の事でもないのに、うんうんと頷きながら自慢げに話す及川先輩が可笑しくて、思わずクスリと笑った。こうやって素直に褒められると、さすがに悪い気はしない。こういうことが自然とできるから、この人はモテるのだろう。

「うちに来れば良かったのに。なんで烏野なのさ」
「近かったので。それに親からできれば公立行けって言われてたし」
「それだけ?」
「それだけ、って?」
「飛雄ちゃんがいるからじゃないの?」

 不貞腐れた子供のような顔をして、及川先輩が言う。昔からこの人は、やたらと私と飛雄の仲を勘ぐってくる。

「違いますよ。私、推薦だったから先に決まってたし。飛雄が受けたことも入学してから知ったくらいだもん」
「でも付き合ってたよね? 中学の時」

 心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 ハッとして及川先輩を見ると、ニッコリと笑ってこちらを見ていた。まるで全てを見透かすように笑う。

 この人のこの顔が、昔から苦手だった。

「……やだなぁ。知ってたんですか?」

 動揺を隠しながら問いかけると、及川先輩は面白くなさそうにため息をついた。

「そりゃね。嫌でも耳に入るよ。……ねえ、ヨリ戻さないの?」
「戻さないです」
「どうして? 嫌いになったわけじゃないんでしょ? 岩ちゃんの話聞く限りだと別れた後も飛雄と仲良いみたいだったし、さっき試合見てる時だって真剣に飛――」
「やめてください。この話したくないです」

 思ったよりも語気が強くなってしまい、慌てて顔を上げる。驚いたような表情の及川先輩と目が合った。

「あ……ごめんなさい。でもとっくの昔に終わったことだし、今更話すことでもないかなって。せっかくなんだから、違う話しません?」

 ニッコリと笑ってそう言うと、及川先輩も同じように笑った。

「そうだね。じゃあナマエちゃん、今彼氏は?」

 恋愛話から離れてよ。心の中で呟くと、心を鎮め、笑顔のまま答えた。

「いません」
「じゃあ及川先輩と付き合わない?」
「……は? なんでそうなるの」

 思わずタメ口が口をついて出た。だが、及川先輩は特に気にした様子もなく続けた。

「だってナマエちゃん、今フリーなんでしょ? ならいいじゃん。試しに付き合ってみようよ」
「絶対やだ」
「なんでさ!」
「及川先輩、自分の女子人気分かってます? 付き合ったりなんかしたら妬まれたり嫌がらせされるに決まってるじゃない。そんな人と軽々しくお試しで付き合ったりなんか出来ません」

 及川先輩は驚いたような顔をした後、少しだけ嬉しそうな顔をして、私の顔を至近距離から覗き込んだ。

「じゃあ本気ならいいんだ?」
「残念ながら、私は今のところ恋愛に本気になる予定はありませんので」
「そんなの分かんないじゃん。付き合ったらきっと及川先輩に夢中に――」

 その時、言いかけた及川先輩の後頭部めがけてボールが勢いよく飛んできた。

「ちょっと! 誰!?」
「おいクソ及川。人のイトコに何してやがる」

 見れば、従兄のはじめ君が怖い顔をして立っていた。

「なんだ岩ちゃんか。もー、邪魔しないでよ。せっかく今いい感じだったのに――」
「よう、ナマエ。元気か?」
「日曜に会ったばっかじゃん。相変わらずいいスパイク打つね、はじめ君。カッコよかったよ」
「ありがとな」
「ちょっと! 二人とも無視しないでくれる!?」

 はじめ君はジッと及川先輩を見てから、くるりと私の方へ向き直った。

「こいつに変なことされなかったか?」
「ちょっと岩ちゃん! 人を変質者みたいに言わないでくれるかな!」
「制服姿を上から下まで舐めるようにジロジロ見られたよ」
「ちょっとナマエちゃん!」
「ガチの変態じゃねぇか。そういう奴には蹴りでもくれてやれよ。正当防衛だ」
「それって過剰防衛!」

 ぎゃあぎゃあと横で喚き散らす及川先輩のお尻を、「うるせぇ」と言いながら、はじめ君が蹴り上げる。相変わらずだ。仲が良い。


 ふと、はじめ君が真剣な顔をして私を見つめた。

「大丈夫か」

 短いが、彼の意図することはすぐにわかった。

「うん、大丈夫。試合見てるの、楽しかったよ。二人のプレーを見れなかったのはちょっぴり残念だけど」
「……そうか」

 そう言うと、はじめ君は私の頭をポンポンと撫でた。

「また見にくればいいじゃん。これから予選始まるし、公式戦ならいくらでも俺と岩ちゃんのコンビプレー見れるよ?」
「おい。無理強いすんな」
「ナマエちゃんはバレーが好きなんだから、別に無理ってことないでしょ」
「お前だって知ってんだろーが! ナマエは――」
「知ってるよ? 手術すれば前みたいにバレーができるようになることもね。バレーが好きなら選べばいいだけだよ」
「簡単に言うなや!」
「ちょっと! やめてよ。喧嘩しないでくれる? 私まだ何も言ってないんですけど」

 若干ヒートアップし始めた二人を睨みながら、私はため息をつきながら割って入った。

 はじめ君は昔から私に甘い。むしろ厳しいのは及川先輩の方だ。普段の見た目からは逆のように思えるが、昔からそうだった。壁にぶつかった時も、まずは慰めて気持ちに寄り添ってくれるはじめ君とは対照的に、及川先輩は決して逃げることを許さなかった。
 そのおかげでできるようになったことも多い。

「及川先輩、ありがとう。でもバレーはもうやらない。それはもう決めた。手術は受けない。
 ……ただ、やっぱりバレーは好き。それが今日分かった。怪我してから、なんとなく避けてたんだよね、バレーのこと。楽しめるのか分からなかったから。でも、今日試合を見てたら、やっぱり私はバレーが好きだし、前みたいに見ながらワクワクしたりしたいって思った。……すぐには無理かもしれないけど、また試合見に来たいなって思う」

 そうだ。私はバレーが好き。それは逃れようのない事実なんだ。そのことがストンと胸に落ちてきた。
 昔みたいに心の底から楽しむには、時間は必要かもしれない。それでも、今日の試合は見ていて楽しかった。楽しそうにバレーをしている彼らを見て、羨ましいと思うこともあった。でも、『楽しかった』という気持ちにも、嘘は無かった。


「じゃあ、私帰るね」
「あ、送ってくよ!」
「いいよ。及川先輩と二人で歩いてたら何言われるか分かんない」
「大丈夫だよ、岩ちゃんも一緒なんだから」
「勝手に決めんな。これからミーティングだ。お前が勝手に居なくなるから呼びに来たんだろーが」

 そんな二人のやり取りを見ながら、私は小さく笑った。

「大丈夫。ちょっとのんびり散歩したい気分だし。一人で帰れる。はじめ君、制服今度はじめ君の家に届けるから、及川先輩に渡しといてね」
「おう、分かった」
「なんでさ! 直接俺に手渡してくれればいいじゃん!」
「えー、さっき及川先輩がイヤラシイ目でジロジロ見たからダメ」

 クスクスと笑いながら言うと、及川先輩はむくれたように口を尖らせた。

「おい、ワガママ言うんじゃねぇよ。ほら、戻るぞ。ナマエ、気をつけて帰れよ」
「うん」

 しぶしぶといったふうにはじめ君に背中を押されながら、及川先輩は体育館へと向かう。

「及川先輩」

 声をかけると、先輩は立ち止まって私を振り返った。

「今日は誘ってくれてありがとう」
「どういたしまして。今度は二人っきりでデートしようね」
「しません」

 そう答えると、及川先輩はいつものように笑った。


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