(4話)
週明けの月曜日。昇降口に差し掛かったところで月島君の姿を見つけた。
……どうしよう。
いくら苦手な人だからって無視するのはさすがに大人気ないのではないか。
あまり気乗りはしないが、とりあえず声をかけることにした。
「おはよう」
月島君は不機嫌そうな顔でチラリと私を見て、すぐに視線を外した。
ハイ無視! 分かってた分かってた。挨拶なんてするわけないよねー。分かってたよ。分かってたけどムカつく。別に挨拶くらい返してくれても良くない!?
そう心の中で毒づきながら視線を下駄箱へと移す。すると横から小さく「おはよ」と聞こえた。
しまった。心の声が漏れていたのだろうか。
内心ギクリとしながら恐る恐る振り返ると、月島君はムッとした顔で私を見返した。
「……何。僕だって挨拶くらいするけど」
「いや、そんなつもりで見たわけでは……ないですけど……」
気まずい雰囲気の中、小さく首を振って答えると、月島君は興味なさげに「ふーん。あっそ」と呟いた。
「じゃあお先。……山口遅い。置いてくよ」
「あ! 待ってツッキー!」
そう言いながら慌てた様子で月島君の後を追うそばかす君、もとい山口君の後ろ姿を見送る。
……何か忘れている気がする。
「あ! 土曜日の試合!」
慌てて上靴を引っ掛け、昇降口を後にした。
隣の一年三組の教室を覗くが、飛雄の姿は無かった。なんでアイツはいつも居ないんだろう。この間からとことんタイミングが合わない。
ギリギリまで待つも虚しく、予鈴が鳴ってしまった。とりあえず自分のクラスへ引き返すと、背の高い月島君の姿と、その近くに山口君の姿が見えた。
……ふと思う。いっそのこと彼らに聞いてみようか。同じバレー部なんだし、一部始終状況は把握しているはずだ。
……いや。あの人が素直に教えてくれるとは思えない。
なら山口君に聞いてみようか。彼なら良い人そうだし、きっと答えてくれるだろう。
……いや、山口君は常に月島君のそばにいる。山口君と話すということは、月島君のそばに行かなければならない。正直、一秒たりともあの人の嫌味を聞きたくない。あの人と居ると、自分がいかにダメな人間か思い知らされるような気がする。辛い。朝っぱらからあのゴミを見るような目で見られるのは耐えられない。
そんなことをつらつらと考えていたら心が折れてしまった。嫌な思いをしてまで無理に今聞く必要もないか。そのうち飛雄には会えるだろうし、会った時に聞くか、今日あたり放課後にでも部活を覗きに行けばいい。
飛雄が部活に参加していれば、問題は無かった、ということなんだから。
……そう自分を納得させたはずなのに、やっぱりどうしても気になる。自分の堪え性のなさに嫌気が差すが、とても放課後まで待てそうに無かった。
一応三組の教室は覗いた。やっぱり飛雄は居なかった。ならば、残された手段は一つしかない。
「ねぇ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
そう切り出すと、月島君はあからさまに嫌そうな顔を向けた。
「それが人にものを尋ねる態度なわけ?」
「土曜日の試合、どうだったの?」
「無視しないでくれる」
「いいじゃない。ねえ、どうだったの?」
不快感を露わにする月島君を無視して自分の用件だけを告げると、月島君はわざとらしくため息をついた。
「なんで僕がわざわざ教えてあげなきゃいけないわけ? 仲良しの『王様』にでも聞きなよ、女王様」
そう言って、月島君は首に引っ掛けていたヘッドフォンを手に取った。
出たな。話聞かないぞ攻撃。朝の挨拶で少しだけ油断していたが、こいつはこういう奴だった。素直に答えるわけがない。しかもまた『女王様』って言われた。
まあいい。それならばもう一人の方に聞くまでだ。
「山口君! どうだったの、試合」
「あー……うん。負けちゃったよ」
言いづらそうに月島君をチラチラ見ながら、山口君は答えた。
「負けた? どっちが?」
「えっと……俺たち」
「……そう」
その答えに、ホッと胸を撫で下ろした。あの飛雄が負けるとは思っていなかったが、日向君のあのレシーブを見てしまうと、結果を聞くまではやはり心配だったのだ。無事に勝てたなら良かった。
そんな私の態度にムッとしたような顔をして月島君が口を開く。
「ちょっと。今嬉しそうにしただろ」
心を読まれたように言い当てられて、心臓がドキッと跳ねた。
「しっ、してないよ!」
「どうだか。……ま、エリート校の『王様』相手に勝てるとも思ってなかったけどね」
そう言うと、今度こそヘッドフォンを耳に当てる。
そんな彼の態度に、なんとなく違和感を覚えた。
彼の態度からは、試合に負けた悔しさなどは伝わってこなかったが、負けて当然だと思ってるようにも聞こえなかったからだ。冷めたように見えて意外と負けず嫌いなのだろうか。
実はバレー大好きだったりして……。
そんなことを思いながらぼんやりと彼の顔を見つめていると、視線を感じたのか、月島君が私へと視線を向け、ヘッドフォンを片耳からずらす。
「なに。まだ何かあんの?」
「いや、別に……」
「なら席戻りなよ。聞きたいことは聞けただろ」
嫌そうな顔でそう言うと、再びヘッドフォンを装着し、机へ突っ伏してしまった。
***
昼休みになり、飲み物を買うべく中庭へと向かうと、飛雄が自販機と睨めっこをしているのが見えた。
飛雄は自販機をじっと見つめると、指を二本突き出し、勢いよく二つのボタンを同時に押した。
ドスッという音が聞こえる。
なぜ、バレーボールのために指先の手入れを徹底しているはずの彼が、自販機のボタンを押すときだけはあんなに指先をぞんざいに扱うのだろう。思わずフッと吹き出した。
そんな気配を察知したのか、飛雄は購入した飲み物を取り出し、怪訝そうな顔をしながら振り返った。
「ねえ、その押し方何とかならないの? 大事な指、突き指したらどうするの」
「うるせぇな。するわけねーだろ」
「そうかなぁ」
拗ねた子供のような顔をして飛雄が言う。飛雄は私に小言を言われるとすぐにこんな顔をする。私はクスクスと笑いながら飛雄の側へと歩み寄った。
「試合、勝ったんだって? おめでとう」
「何で知ってんだよ」
「さあ、どうしてでしょう? あ、日向君どうだった?」
「ああ……まあ」
認めたい気持ちと、認めるのが悔しい気持ちが入り混じったような、そんな複雑そうな表情だ。この顔を見る限り、きっと満足のいくプレーができたのだろう。飛雄のこういう顔を見るのは久しぶりで、なんだか嬉しくなった。
「あ、そうだ。練習試合するんだって? 青葉城西と」
「は? 何で知ってんだよ」
「日曜日に、はじめ君の家に届け物に行ったから」
「はじめ? ……あぁ、岩泉さんか。イトコだったな」
「『影山は元気か』って言ってたよ。元気だと思うって言っておいた」
飛雄は「思うって何だよ」と興味なさそうに呟くと、買った飲み物のパックにストローをさした。
「だって、高校入ってからそんなに飛雄と話してないから分かんないもん。でも元気そうだったから、『思う』。あ、でね、及川先輩も居てね、なんか練習試合のこととか色々教えてくれた。飛雄がセッターで試合に出れるんでしょ? 入っていきなりレギュラーとは、流石ですねぇ」
「……別に。向こうからの条件だろ。俺の実力じゃねぇ」
「そうかな。飛雄に敵うセッターって、県内にそうそういないと思うけどな。……あ! それでねそれでね、及川先輩に試合観に来ないかって言われたから、観に行くからね」
日曜の会話を思い出しながらそう言うと、飛雄は怪訝そうに眉をひそめた。
「は? 部外者のお前がどうやって他校に入んだよ」
「制服貸してくれるんだって。今日届けてくれるって」
「ふーん」
再び飛雄は興味なさそうに相槌を打つ。
「というわけなので、勝ってね。期待してる」
「……あたりめーだ」
***
学校が終わり、待ち合わせ場所まで行くと、すでに及川先輩は待っていた。
相変わらず、彼の周りには女の子が数人居て、彼は愛想よくその取り巻きの女の子たちに応対していた。
どうしたものか。中途半端に話しかけると、女の子たちから睨まれてしまう。そのあたりは中学時代に学習済みだ。様子を伺いながら声をかけるタイミングを見計らっていると、及川先輩が私に気づいたらしく、女の子たちに声をかけその場を離れてこちらへ向かってきた。
「ごめんごめん。声かけてくれたらいいのに」
「声かけたら女の子たちから睨まれるじゃない。無駄に恨みは買いたくありません」
じろりと睨みながらそう言うと、及川先輩はハハハ、と笑って手に持った紙袋を差し出した。
「はいこれ」
「うわ……本当に用意したんだ」
「うわって何さ! 当たり前だよ。ナマエちゃんに見に来て欲しいからさっ」
「っていうか、こんなのどうやって手に入れたんですか? ……まさか元カノとかじゃないでしょうね」
ジロリと及川先輩を見つめる。相変わらず整った顔立ちをしている。及川先輩は綺麗な顔を少しだけ崩しながら小さく笑った。
「卒業したお姉さんがいる子から借りたから大丈夫。……ひょっとして妬いてる?」
悪戯っ子のような顔で笑いながら、及川先輩は至近距離から私の顔を覗き込むように身を屈めた。
「……後から変なゴタゴタに巻き込まれたくないだけです」
ジロリと睨みつけながら制服の入った紙袋を受け取り、チラリと中を見る。烏野とは対照的な、白を基調とした制服だった。
あ、思ったより可愛い……。
そんな事を思って少しだけワクワクしながら袋の中身に手を伸ばす。そんな私の心を見透かしたように、及川先輩が微笑む。
「うちの制服可愛いでしょ? ナマエちゃん色白いからきっと似合うと思うんだよねぇ。本当は今すぐにでも着てみて欲しいけど、それは明日のお楽しみに取っておくよ」
そう言うと及川先輩は私の頭をポンポンと撫でた。
「……及川先輩ってこういうこと当たり前のようにしますけど、やめた方がいいですよ」
「えっ! なんでさ!」
「された女の子は期待するんじゃないんですか?」
ため息混じりにそう言えば、先輩は一瞬驚いたように目を見開いてから、うっすらと笑みを浮かべた。
「へぇ……。期待してくれるんだ?」
ゆっくりと近づいて少し低めの声で囁く。相変わらずだ。どうすれば女の子がドキドキするか、手に取るように分かるのだろう。この人は自分の魅せ方をよく分かっている。そして女の子の扱い方も。
そんな及川先輩に内心ため息をつきながら、真っ直ぐに見つめる。
「残念でした! 私はしません!」
キッパリと言いながら及川先輩の額を指でパチンと弾く。
「痛いな! 何すんのさ!」
「及川先輩の悪ふざけには、もうとーっくに耐性できてますから。私には効きませんよ。残念でしたね」
「悪ふざけじゃないよ! ちょっとナマエちゃん、俺への扱いが雑だよ! 岩ちゃんじゃないんだからさぁ……」
「はじめ君の方が酷いでしょ。及川先輩良く鼻血出してたもんね」
ケラケラ笑いながらそう言うと、及川先輩はむくれたような顔で私に叩かれた額を撫でた。
「従兄妹だからってそんな所まで似なくていいんだよ。ナマエちゃんは女の子なんだから、岩ちゃんみたいなゴリラになったらどうすんのさ」
「あ、はじめ君に言ってやろ」
「ちょっと! やめて!」
慌てた様子でそう言うと、及川先輩は、ふう、とため息を一つついた。
及川先輩とはじめ君は、所謂幼馴染というやつで、私がバレーを始めたきっかけになった人だった。泣きながら二人の後を追いかけていた頃が懐かしい。
「じゃあこれ、お借りしますね」
「飛雄ちゃんじゃなくて及川先輩を見るんだよ? わかった?」
「はいはい。分かった分かった」
「雑っ!」
やや投げやりにそう言うと、及川先輩は憤慨したような声を上げた。
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