禁句の代償
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 銀色の髪の毛。同じ色の睫。そこに散らばる水……。

 彼そのものを好きだと思ったことなど一度だってない。けれど、いつだって美しい形をしていると思っていた。陶器のように滑らかな肌の上には、どこかから盗んできたような、とっておきの色が乗せられ、口の中には恐ろしいくらいに揃った歯がぞろりと生えている。
 舌の艶やかさも、足の甲の骨も、背中のうねりも、腹の長さも完璧に整っていて、しかもそれが生きて動いて涙を流す。それも、ただ僕のために彼はほろほろと、放って置けば何時間だって泣く。
 僕はそれが怖くて、愉快でたまらなかった。この僕が、これほどまでに美しい光景を独占している、という子供じみた優越感におぼれていたのだ。
 しかし、そんな少年も口を開けばただのガキだ。何も知らないその口で、嘘とも思っていない嘘を吐き出す。例えば、僕の事を好きだとか、愛しているだとか、全て知っているとか……。
 彼はその美しさを自覚しないためか、思ったより周りから構われていないのだろう。唯一関わりを持った僕に執着して、恋をしたいがために利用しようとしているのが見え見えだった。よくある思春期の、自己中心的行為である。
 彼の幼さが許せないのではなかった。それを、よりにもよって僕に向けてくるのが我慢ならないのだ。彼の趣味の悪さ、めくら、愚かさ、全てが彼の美しさへの裏切りだった。
君は、きっと脳みそなんかないほうが美しく、すばらしい存在になれる。
 そう、本人に伝えたことがあった。少年は笑ってはぐらかしてしまって、まるで取り合わなかった。僕も分からないならそれでいいとすぐに諦めたが、頭の中ではある計画がコトコト煮立ち始めていた。
 後ひとつ、欲しいのは言い訳で、それはある日突然手に転がり込んだ。

「あなたはどうやったら俺の言葉を信じてくれるんですか? 腕でも切りましょうか? 目でも抉りましょうか!?」
 いつもどおり、彼の口から流れる空言を聞き流していたときのことだった。
 少年はいつもなら諦めて泣くか笑うかするところを、目を赤くして、震える掌にすらりとした刀を持ちながら喚いた。そしてその刀を自身の腕へ向け、引こうとしたのだ。
 ――彼の白い腕が、こんなくだらないことで駄目になってしまう!
 その光景を見た瞬間、心臓がびくりと跳ね上がり、体全体を振るわせた。そこから先は、まるで映画でも見ているようだった。
 自分の体が信じられない速さで動き、少年に抱きついていた。正確に言うならば、首に。
 僕の手は知らず知らずのうちに少年の首に巻きついて、ギリギリと締め上げた。彼の驚いたような顔、苦しそうな顔、意識を失う直前の顔、全て夢のようだった。それほど、美しかった。
 映画が終わったとき、少年は床に倒れて鼻血を出していた。首にははっきりと僕の手形が残っていたが、それすら絵になるのだからこの少年の美しさは本物である。
 僕は言い訳が手に入ったことに、知らず知らずのうちに泣いていた。


 棺桶のような、巨大な長方形の水槽はプラスチックで作った底のない囲いだが、充分だった。熱々の寒天を流し入れる。水槽の中には少年が仰向けに横たえられていて、その顔に寒天がかかり、しずくのまま固まるたび少年はいっそう美しさを増した。
 本物の少年を見るのも、これが最後になるかもしれない。
 僕はその姿を目に焼き付けようと、湯気の立つ寒天の池に沈んでいく少年を見つめた。
 鼻血を綺麗にふき取った後、僕はしばらく正座したまま彼の顔を眺めていた。一生見ていられそうな、間延びした時間の中、小さなころの記憶を掘り起こす。
 蝋燭の作り方だ。牛乳パックを横に切り長方形の入れ物にしたものに、例えばピーマンをどことも接触しないように糸で吊るす。そこに寒天を流しいれ、固まるのを待つ。固まったら牛乳パックを解体し、真四角の寒天を取り出す。それを半分に切って、ピーマンを取り出せば型の出来上がりだ。そこに蝋燭を流し込んで固めれば、ピーマン型の蝋燭が出来るというわけだ。
 しかし僕が作りたいのは蝋燭ではなかった。僕は、少年の形をした石鹸が欲しかった。
 あの白さ、香り、どうしようもなく儚い、削りかすのような存在感。撫でれば溶け出し、汚れてどこかへ流れていく、あのイメージ。少年の形をした石鹸を抱いて風呂で眠ってみたい。僕は、そういう計画を随分前から考えていた。
 何も難しい作業はない。大きさがあるというだけだ。現に、寒天を溶かすのだけでも風呂を使ったりなかなか手間取ったが、出来ないわけではない。この調子でやっていけばいいだけである。
 少年を糸で釣るのは難しかったため、何点かに支えを作った。鋳型は後で再形成できるし、削り取ってしまえばたいした問題ではない。難しかったのはいかに自然に横たえるか、というところで、これにはかなりの時間を割いた。しかし決して厭わしい時間ではなく、むしろそれは、始めて訪れた僕と少年との蜜月であった。
「綺麗だよ」
 何度もそう呟いて、彼の体の角度を整え、首の位置を直してやり、たまに家の中で一番柔らかいタオルで表面を拭いてやった。睫の角度や前髪の具合はどうせ乱れてしまうと分かっていたのだが、どうしても気にかかり何度も調整した。
 寒天を注いでいる今、それは無駄な努力ではなかったと思える。寒天に沈んでいく少年の美しいことといったらなかった。光の屈折が、彼の不安定な部分を際立たせ、飛沫で濡れた体はまるで発光しているかのように輝く。
 これが僕のものなのだ、と思うとめまいさえ覚えた。もちろん本来は彼の祖父母――いや、彼の歳ならもう一代上の可能性もある――とともに墓の下に収められるべきものである。それを掠め取ってやった、という恍惚感。悲しんでいるだろう彼の親戚のことを考えると、息が上がった。

 やがて少年の顔が寒天の中へ沈んでしまうと、肩がふっと軽くなる。熱っぽい顔を汗ばんだ手のひらで擦ると、ぺたぺたと張り付いた。
「**くん。君は、泡になるんだよ。不思議な気がしない?」
 熱い息を吐いて寒天に沈んだ少年にそう囁くと、まるでそれに答えるかのように、体内に残った少年の息がポコポコと弾けた。最後までけなげな少年のことを思うと、また少し泣けそうだった。あくまで泣けそうだっただけで、僕の瞳はからからに乾いていたし、むしろ笑ってしまったのだがしょうがない。もうそろそろ、もうそろそろで、少年が手に入るのだ。そう思うと僕は嬉しくってたまらなかった。
 クスクス笑う声が風呂場で何重にもエコーして、少年まで笑ってくれているようだ。僕は寒天を突っついて、そろそろいいだろうとプラスチックの囲い四辺を解体した後、彼の持ってきた日本刀を手にした。随分重い。
 こんなものを毎日振り回していた、あの腕の滑らかさ。走りなれた足の膨らみ。そんなものを夢想しながら、僕は両手で持った刀で、少年の足元のほうから寒天を真横に切断していく。中のものもまとめて切ってしまわなくてはいけないので、かなりの集中力と力が要る。はずだったのだが、刀の切れ味が異常なのか、それとも少年が元々柔らかいのか、滑らせた刀には何の抵抗もなかった。手ごたえはなかったが、切れ目からとろとろと少年の真っ赤な血が流れてくるので、中に少年がいることは間違いない。その光景がまた幻想的で、僕はふうふう肩で息をする。
 興奮で手がぶれないように、慎重に慎重に、こっそりこっそり。寒天を崩さないように刃を抜くと、最後の花火のように切れ目からピュウッと血が噴出した。
「あっ」
 声を上げ腰を抜かすが、そのあとすぐにおかしくなって笑い出す。巨大な四角い寒天。真横に走る切れ目と、そこから垂れているジャムのような赤い血。もう一踏ん張りだ。
 だいぶ余裕が出て、鼻歌を歌いながら僕は寒天の上パーツに手をかける。硬くなった寒天はなかなか丈夫なようで、一思いにひっくり返しながら下に降ろしても、まるで崩れることがなかった。殆ど物理法則を無視した完璧さだ。僕は楽しくなって、少年の断面図もすばらしい気持ちで見下ろせた。
 内臓も骨も何もかも丸見えだ。その一つ一つも、まるで教科書に載ったような美しさで整っている。妬ましい。本体は後で食べてもいいかもしれないし、カラスにくれてやってもいい。
 好きだ。

 寒天に手を入れて、まずは血塗れの彼の後ろ半分を引っぺがす。にゅるん。とかわいく寒天が揺れて、彼の体は意外な重さで僕に持たれる。抱きかかえると、脳ミソやらなんやらがぼたぼたと滴ってしまった。感触が気持ち悪かったので、僕はその体を浴槽に投げ込んだ。粘着質な音がして、その体は見るも無残にバラけたが、どうということはない。僕の造った型は、少年の美しい後姿を完璧に模っている。
 興奮に震える指先を叱咤するように頬を引き締め、もう半分も、同じように寒天から引っ張り出す。にょん。と、弾力を持って少年の体を追いすがる寒天が堪らない。待ちきれなくて、もっと乱暴に少年の前半分を浴槽へ捨てる。
 ああ! これで!
 半狂乱だった。僕は嬉しくて、一度その場にしゃがみこみ、ぼろぼろと涙を零す。やった! **君が、美しい**君が僕のものだ! 何個でも! 何人でも!
「**君、好き。愛してる。ほんとだよ、好きだったんだ。君の手が! 肌が! 足が! 顔が!」
 涙目で、前半分の寒天を覗き込む。
 と、落下するような感じがした。
 ぐわん、と脳ミソがそのまま揺さぶられるような、あの、全て駄目になった夜みたいな。
「かお、が」
 肺の中が、ぐりぐりと内側から踏みにじられている。
 半分に切っても楽しくない胃が、ぽこぽこ音を立てている。
 かつて彼に甚振られた腸が、ねじれている。
「かお」
 寒天の中に、吐瀉物が落ちて初めて、僕は自分が吐いていることに気付いた。
 ちょうど少年の胃の辺りにそれが溜まって、僕は信じられない気持ちで一度それを笑う。
「なんだよこれ」
 寒天に映し取られた彼の顔が、酷く醜く歪んでいた。僕の見たことがない、汚い顔で叫んでいた。それは多分、断末魔の叫びだった。
 目も鼻も口も、ありえない方向に捻じ曲がっている。人の顔じゃない。これは、そうだ。真由美の顔だ!!

 僕は吐き気を堪えて、よろよろと浴槽の中を覗き込む。バラバラになった彼の体がぎっしり詰め込まれていた。慌てて前半分のほうを手に取り、顔を確認する。が、既に希望は潰えていた。
 そちらも完膚なきまでに歪みきって、醜いとしか形容できない無様な表情を晒している。
 一体、彼はいつ死んだのだろうか。
 僕は汚らわしいその顔を呆然と見つめたまま、少し考える。
 恐らく首を絞めた時ではない。寒天を注いだ時なら暴れるはずだ。窒息死なら、もう少し寒天に乱れがあるだろう。きっと、彼は体を生きたまま横に開かれている時、あの時に、目が覚めたのだろう。叫ぼうにも息をしようにもほとんど固まった寒天が邪魔をし、足元から鋭い刀でまっぷたつに裂かれながら、苦痛の中で死んだのだ。こんな醜い顔をしながら。
 ずるり、と彼の右目が断面からこぼれた。開いてしまった眼孔からは、味気ないタイルの壁が覗いている。僕はついに、もう一度吐いた。吐き続けた。どこにもやめ時がなくて、胃液を吐いて、何も吐くものがなくなってしまったら寒天の中のそれを飲んではまた吐いた。吐いた。飲んで。吐いた。涙が出ればここぞとばかりにそれを飲んで、吐いた。それも尽きると、しまいには寒天を齧っては吐いた。
 果てしなかった。けれど、分かっていた。これは既に果てているのだと。

「うぇ、げ、ひっく。うえぇ、ん、ギュ、ええん。ケ、かぽ、けェッ、あ、あっ。うええん。ひっく、う、えーん」

 僕はもう、彼の生きていたときの顔を思い出せなかった。
 こうして、美しい少年は永遠に失われてしまった。












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