かんじょうせんせん
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月の光を雲が覆い隠していた。道に積もった雪は固く凍って、あの優しそうな雰囲気はそこにはない。ただ人を拒むように冷たく張り詰めていた。
俺は開かない踏切を目の前に呆然と立っている。遮断機の向こう側には無表情な足立さんがいた。彼の顔の上、警報機の赤い光が何度も瞬く。ランプと同じテンポで鳴り響くカンカンという音はやむ気配なく、しかし電車のくる気配は一向にない。違和感ばかりを感じる。
この町に開かずの踏切があるなんて聞いたこともなかった。電車が来る方向を示すはずの矢印は何故か上と下を指示しているし、これじゃあ何が来るのかわかりやしない。
心が毛羽立つような感触がした。それなのに警報機のランプで照らされる足立さんの顔が、ふいに笑みを作る。

「ふんふふんふんふんふーん」

そうして馬鹿みたいに歌いだしたのだ。俺はいよいよ混乱した。変な顔の俺を差し置いて、足立さんは鼻歌を続けた。これ以上嬉しいことはないといった満面の笑みで、何度も何度も同じフレーズを繰り返す。
ふんふふんふんふんふーん。ふんふふんふんふんふーん。
そのメロディは多分、足立さんが歌うべきものではなかった。今日という日だけは、足立さんが歌われるべきものだった。
遮断機の一定のリズムでテンポを取りながら、足立さんはもう何度ふんふふんふんふんふーんを繰り返したろう。ふんふふんふんふんふーん。いつまでも進まないメロディと遮断機の音と俺たちの世界に、呼吸や心音まで止まってしまいそうな狂おしい息苦しさを感じた。肌寒いとすら感じない俺の体への不信感や、そういったものに気が狂いそうになって、だから、狂う前に歌詞を教えてあげたのだ。

「はっぴばーすでーとぅーゆー」

彼の歌うメロディに合わせてそう歌ってやると、足立さんはいよいよ幸せそうな表情をする。

「はっぴばーすでーとぅーゆー」

そうして、歌を次に進めた。それがいけなかったのだ。

「はっぴばーすでーでぃーあ、」

どがあん、と。
突然、目の前に電車が、生えてきた。爆発するような音の後は警報機も止まってしまい、静けさとその不可解なものだけがそこに残る。赤い光のかわりに電車から漏れる黄色い光があたりを照らした。その電車は縦になっていて、空へ向かっていくようだった。半分ほどの長さのところで停車して、プシュウと音を立てながら俺の目の前のドアを開ける。当然扉は横になっている上に、その扉に乗るには遮断機を越えなければいけないのだから、俺は乗る気なんてなかった。まるでなかったのだ、本当は。
わあっという歓声が、電車の向こう側から聞こえた。

「これに乗れば、君に教えてあげられるかな!」

足立さんの声だ。さきほど歌っていたのと同じような嬉しそうな声で、俺にそう言った。
足立さんは電車に乗る気なんだ!思い至るとともにサアっと血の気が引く。

「足立さん、乗らないで、行かないでください」

怖くなった俺は情けない声でそう哀訴した。俺の精神は足立さんに癒着していて、この電車はそれを引き裂くつもりなのだろうとわかっているからだ。それなのに足立さんは、これで僕も、とだけ答える。その声と答えで、乗ったな、と。俺にはそれが分かった。
引きずり出さなければいけないと思い、俺は大急ぎで遮断機を乗り越えて、横になった扉に体をねじ込む。幸い扉は俺の胸のあたりにあったので頭や腕を入れるのは大して難しくなかった。
乗り込んだ後はきっと車両の端まで落ちていくとばかり思ったが、電車の中に上半身をいれると世界はぐるりと回転をして、俺はいつの間にかきちんと電車に立っているのだから不思議だ。後ろを振り向くと、今度は今まで立っていた風景が真横になって見えた。そんな異常な場所なのに、電車内は別段変わったことも物もない。長椅子も優先席も吊り広告も普通の電車と変わりやしなかった。しかしそのかわり、足立さんもいない。
どうして、と泣きそうになりながら足立さんが乗ってきたであろう反対側のドアへ駆け寄ると、そちらはしっかりと閉まっていて、俺はそのドアから覗き見た景色ですべてを悟ったのだった。

「あ」

足立さんがいた。俺とおんなじように、世間的に見れば横向きになりながら手を振っていた。俺と足立さんの間には二枚のドアがあって、つまり彼は俺の乗った電車の向かいにある、もう一つの電車に乗っていたのだ。足立さんが口を動かして何かを言っているのに、何も聞こえない。そのかわりに俺の後ろでプシュウという音がするのが聞こえて、足立さんの背後のドアが閉まるのが見えた。手遅れだった。
ガッタンゴットン音を立てて俺たちは引き裂かれるみたいに反対方向へと引き摺られてゆく。俺の電車が空へ、足立さんの電車は地面へ向かって進み、遠ざかって、そうしてお互いに見えなくなった。バカみたいに呆けた顔をしている俺に対して、足立さんは最後まで笑っていた。だから、諦める。
長椅子に座り込むと、一人で『ハッピーバースデー』を歌った。ちゃんとディアの後には足立さんの名前を入れて、いつまでもいつまでも、歌っていた。そうやって歌いながら釣り広告にケーキを見つけて、食べさせてあげたかった、と思った。




※  ※  ※

(しかし俺は知らなかった。足立さんは俺に何を教えたかったのか。それは、実は宇宙は円になっているということだ。そしてこの電車は直進しながらその円をなぞる環状線なのだった。だから俺は、ちょうど半分進んだところで足立さんと二枚扉越しの再会をした。しかし俺は自分の乗ってきた電車を下りなかった。息で曇らせた窓に字を書いて、いつかケーキを買ってあげると約束しただけだ。俺たちはここで降りなくたって、同じように進まなくたってまた会えると分かったからだ。しかし俺は目が覚めたなら、このことを忘れてしまっているだろう。それは悲しいことだけど仕方ない。とりあえずその時は、ケーキを買ってあげることだけ思い出せれば、それでいいんだ)











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