友の危機 団結する心
「ようやくつかまえましたよ! どこほっつき歩いてたんですか」

 と、随分なウィチルの怒声が、宿屋につくなり一行を出迎えてくれた。「私らの勝手では……」とぼそりとノアが呟いたのが聞こえたのか、少年の鋭い視線が向けられる。肩を竦めてノアは大人しく仲間と共に、ウィチルと、いやに大人しいソディアの話を聞いた。
 怪物――星喰みが空を覆ってから、大勢の人々が別の大陸へと避難している。その中でギルドの船団があり、帝国の護衛を拒否する者がいた。放っておけなかったフレンは隊を率いて護衛にあたった。魔物に襲われた船団はヒピオニアに漂着し、それでもフレン隊は戦い続けたものの次第に押されていく。
 救援を求めるために、フレンは、ソディアとウィチルを脱出させた。しかし騎士団は各地に散っており、力になってくれそうにない。
 そこでウィチルたちは、ユーリらに頼むしかないと捜索していたらしかった。

「しかし……時が経ちすぎた……隊長はもう……」

 弱気なソディアに、ふんとユーリは鼻を鳴らした。

「相変わらずつまんねぇ事しか言えないヤツだな」
「な、なに!」
「諦めちまったのか? おまえ、何のために今までやってきたんだよ?」

 ユーリの淡々とした反論に、それでもソディアは“隊長の為に”とこぼす。するとユーリはますます不機嫌そうになった。

「めそめそしててめえの覚悟忘れて諦めちまうやつに、フレンのためとか言わせねぇ」

 ユーリはウィチルを振り返り、改めて場所を確認した。そしてそのまま何故かひとり宿屋を出て行こうとするので、扉口にいたノアは慌てて彼の腕を掴んだ。

「ちょっとちょっと、何ひとりでフラッと行こうとしてるの」
「え?」
「え、って……。わたしたちも行きますよ?」
「そうだよ、悪いクセだよ、ユーリ」

 エステル、カロルが続く。「割とヤバそうな感じだぜ?」とユーリが言い含める。そんなのは聞いていて分かっていることだと、ノアは無言でユーリを睨み、訴えた。滅多にないノアの凄みに、ユーリは軽く身を引く。
 ジュディスも微笑みながら呟いた。

「なおさらあなたひとりで行かせる訳にいかないわね。それにバウルが言うこと聞かないと思うけど?」

「ひとりはギルドのために、ギルドはひとりのために、なんでしょ」とリタ。
 レイヴンが「時間ないならちゃっちゃと行って片つけようじゃないの」笑う。
 パティはにんまりとしている。「うちはかみついたウツボ以上の勢いで、死ぬまでユーリについて回るぞ」
 どうしてか、この期に及んでもユーリはひとりで抱えきれると思っていたらしい。皆の「ほっとけない病」を思い出し、笑った。

「ったく付き合い良いな。そんじゃ行くか!」
「おー! 〈凛々の明星〉出撃ィ!」
「ワンッ!」

 カロルを先頭に一行は飛び出していく。ウィチルたちは救援部隊の再編を試みるらしい。顔色の悪いソディアがユーリを引き留めて何やら会話していたが、ノアは、盗み聞きは良くないなとラピードに続いて走っていったのだった。


 ――ヒピオニア大陸。かつて始祖の隷長アスタルが統制していた地。主を失った魔物たちは今まで潜めていた凶暴性を吐き出すように暴れ、大きな土煙を起こしていた。ビリビリと痺れるような魔物の感情が伝わってくるようで、ノアは頭が痛くなった。
 あのどこかにフレンがいる、らしいが。
 ノアは仲間たちが相談しているのを半分、シャットダウンしきれない魔物たちの氾濫を半分に聞いていた。
 宙の戒典の名前が出てきたところで、ユーリとエステルがリタに何やら頼み、リタが船室へと入っていく。

「魔物たち、怒ってる……」

 どうしてかノアはデュークのことを思い出した。彼ならばどうやってこの事態を収めるだろうか? きっと彼ならば容易いのだろうと思う。人と相容れないと決めた彼がそんなことをするはずは無いのだが。
 ノアが魔物の群れを睨んでいるうちに、リタが小さな魔導器を持って甲板に戻ってきた。リタ製の宙の戒典らしい。これを使って魔物の群れを一掃するという案で決まりの様だった。仕組みはともかく、魔物が一番集まっているところでこれを起動させればいいらしい。シンプルであるが、なかなか骨が折れそうだ。
 ――このぐらい出来なければ空を覆う星喰みになど敵うはずもないか!
 ノアはそう考えて、実に簡単な作戦であると思い込むことにした。
 リタ製宙の戒典は、カロルによって“明星壱号”と名付けられた。この明星壱号を任されたのは勿論ユーリ。ユーリを魔物の群れの中心まで守り切ればこちらの勝ちだ。
 下手に近づくと危険である、というジュディスの判断により、一行は少し離れた場所に着地し、駆け足で魔物の群れへと近づいて行った。
 土煙の中では、逃げ惑う人々と騎士、魔物が入り乱れている。酷い状況だ。
 一瞬土煙が晴れる。
 そこに「見て、あそこ!」エステルは何かを発見したようだった。一同揃って彼女が指した方向を見る。
 ――フレンの姿が見えた。が、しかしすぐに掻き消えて見えなくなってしまう。

「おいおい、相当追い込まれてるぜ」
「急いだほうが良さそうね。思い切って突っ切りましょう」

 レイヴンとジュディスの言う通りだ。ユーリは剣を構えると叫んだ。

「行くぞ! はぐれるなよ!」

 ノアも本気で狼に転じた。より一層魔物たちの怒りが肌に触れる。今にも目前に倒れ伏す女性へ襲い掛かろうとする熊型の魔物を見て、ノアは考えるより先に体が動いていた。

「ごめん、先に行くわ!」
「言った先からしゃーねーのぉ!」

 レイヴンの叫びを背に、ノアは魔物への突進を成功させていた。
 ノアが抜けたところでユーリらに不足はない。ここまで来ると改めてノアは思うのだ。

(私がいなくてもみんなはきっとやってこれた。でも私は、みんながいなくちゃやってこれなかった)

 武器よりもこの牙や爪が馴染みつつある体で、疾駆する。時折、魔物と間違われて――仕方ないことだ――武器を向けられることもあったが、魔物を倒して素早く身を引けば事足りた。かすろうとも気にしない。怪我にはいろいろな意味で慣れている。エアル満ちた大気を吸収すれば多少の疲労、傷は回復していく。
 遠くで感じ慣れた魔導器や術式の反応を感じて、皆の無事を知る。ぐんぐんと群れの中心に向かっているようだ。
 ――ほら、私がいなくても大丈夫。
 先ほど婦人を襲っていた熊型の魔物が目の前に二匹。一瞬のうちに間合いを詰めると、一匹の顔を爪で引き裂き、一匹の喉笛に噛みついた。狼化したノアにとっては、普段巨大な熊も小柄に思えてくる。喉笛を裂いた魔物はそのまま絶命したが、視界を潰されたほうは錯乱して両手の鉤爪を振り回していた。ノアは詠唱代わりの咆哮で風の刃を生み出すと、錯乱する魔物を切り裂いた。
 ――こんな戦い方、みんなには見せられないな……。
 しばらく魔物と戦っていると、不意に土煙の向こうから閃光が見えた。明星壱号の起動である。
 ノアはこれでようやく一息つける、と安堵した。
 しかし。
 閃光に飲まれた瞬間、ノアの体は異変をきたした。
 体の芯から揺さぶられて崩されるようなおぞましい感覚。ザウデで義眼をいじられたときのような、耐え難い衝撃。
 ――まさか明星壱号の対象としている魔物の基準に触れている!?
 慌ててノアは変身を解いて倒れ込んだ。すると体を襲っていた苦痛は嘘のように消え去り、周囲の魔物もまた、明星壱号から発せられる閃光により消滅していったのだった。

「あぶなかった……」

 “消えかけた”ノアの体に残った疲労は凄まじく、彼女は、くたりと目を閉じた。
 ……目を覚ました頃には夕方になっていた。襲われていた人々の混乱が収まり、フレンやユーリたちが無事を喜びあっている。怪我人の手当てをカロルやエステルがしている。周囲の警戒を騎士たちが怠らずにいる。
 ノアははっとして身を起こした。草の上に転がっているにしては温かかったのだ。

「起きた?」
「れ、レイヴンさん……すみません、ありがとうございました」
「いーのよ。枕ぐらいにしかならないんだから」

 膝を貸してくれていたレイヴンに改めてノアは頭を下げる。

「助かりました、ほんとに」

 そう言って頭を上げた時にまたくらりとして、ノアは草原に倒れ込んだ。当然のようにレイヴンが慌てて抱き起こす。

「まだ休んでたほうが良いでしょ、ノアちゃん。見つけた時なんの外傷もないのにぶっ倒れてたのよ? ジュディスちゃんが起こさない方が良いって言ってたから、きっと何かあったんだと思って」
「ジュディス……」

 恐らくナギーグにより鋭敏な感覚を持つジュディスは、ノアに何が起きたのかをだいたい知ってしまったのだ。そのうえで黙ってくれているのは、有難いことだった。
 ノアは理由を隠したまま、レイヴンに苦笑してみせる。

「ちょっと狼姿で爆走しすぎたんです。やっぱりこの体が一番ですね」
「本当にそれだけ?」
「それだけです。何なら元気な証拠を見せますよ」

 レイヴンの腕から抜け出ると、ノアはすうと息を吸った。彼女の行為に呼応して、エアルが立ち上り、輝き始める。かつてこの世界で使われていた、しかし今は失われた言語の唄を、ノアは優しく紡ぎ始めた。それは緩やかな癒しを齎す歌。歌の届く範囲にいる人々に、ノアは癒しを届ける。ゆっくりと傷を塞ぎ、心をなだめる歌を。
 その歌を過去に知っていたレイヴンは、仕方なしに納得し、微笑む。
 この歌に聞き覚えあるラピードはぴんと耳を立てていた。気を失っていたノアが起きたのだと知って安堵した。

「あれ、この歌……不思議です」

 怪我人の手当てをしていたエステルも、その歌の効果に気づいて目を丸める。
 いつの間にか辺りにはエアルの輝きが満ちていた。結界のように人々を守るようにともる仄かな輝き。
 エステルは目をきらきらとさせながら、輝きを追っている。

「リタ、ウンディーネたちが言ってるんですけれど、これは……ノアの治癒術みたいです」
「あの子、まだこんな力隠してたの」

 リタが嘆息した。確かに聞こえてくるささやかな歌声はノアのものだった。詠唱自体に治癒の力を宿した一種の古代魔術、といったところだろうか。
 壊れた明星壱号を手に、漂う光を目で追う。
 ノアとレイヴンがユーリらのもとへやって来ると、ちょうど駆け付けたらしいウィチルとソディアがいた。

「フレン隊長、無事で良かった!」
「ウィチル! ……なにかあったのか」
「はい、例のアスピオの側に出現した塔ですが、妙な術式を周囲に展開し始めました。紋章から推測するに、何か力を吸収しているようです。それに合わせてイリキア全土で住民が体調に異変を感じ始めています」

 ウィチルの報告を聞いて、リタが青ざめた。

「吸引……体調……それって、人間の生命力を吸収してるってことじゃあ……」
「……デューク」
「デュークさん、本気で……」

 ユーリの剣呑な声に、ノアの悲痛なものが続く。

「生命は純度の高いマナ。……それを攻撃に使うつもり?」
「人間すべての命と引き換えに星喰みを倒すってのはこういうことだったのね」

 リタが推察し、レイヴンはその結論に納得した。
 ウィチルはまた、術式が段階的に拡大していること、このままではいずれ全世界に効力が及ぶ可能性を示唆した。
 ここで踏み止まっているわけにはいかないらしい。しかし、

「思った通りこのままだと精霊の力が足りないわ。明星壱号を修理してもそれだけじゃ駄目ね」

 壊れた明星壱号を見つめながら、リタは苦々しく呟いた。
 ノアもその見解には同意だった。もし星喰みを吹き飛ばせるほどのものが完成していたら、無警戒だったノアの体はとっくに吹き飛んでいる。

「星喰みの大きさからすると、あれの何百倍もの力が必要になるわね」
「何百倍〜? そりゃまた……」
「やっぱり災厄相手ともなると途方もない力がいるんじゃの」
「……やっぱ魔核を精霊に変えるしかないか」

 ユーリたちが話し込むと、それについていけないフレンが割って入ってきた。

「待ってくれ。僕らにも分かるよう説明してくれないか」

 そういえば、とノアは思い出す。フレンたちには星喰みだ精霊だと言っても分からないのだ。
 ユーリは、そうだな、と頷いた。

「ちゃんと話そうと思ってた事だ。なあ、フレン。ヨーデル殿下やギルドの人間たちにも聞いてもらいたいんだ。ここに呼べねぇか?」

 すると途端にフレンは笑い出した。ユーリが首を傾げる。その後ろでノアも首を傾げる。
「も〜、ユーリ。皇帝をこんなところに呼びつけようって言うの?」というカロルの言葉を聞いて、ノアは納得し、ひとりで赤くなった。確かにこんな何もない場所に皇帝を連れてくるのは難しいだろう。

「君はホントに君のままだね」
「それでこそ、ユーリなのじゃ」
「なんだってんだ?」

 フレンとパティ、金髪ふたりに微笑まし気に見つめられるも、ユーリはよく分からないようだった。ノアも、ユーリにはそのままであってほしいと思ったのだった。
 笑いながらも、フレンは頷いてくれた。

「わかった。何とかしてみるよ。その代わり、ユニオンや〈戦士の殿堂〉の人たちには君が話をつけてくれ」
「わかった」

 黙っていたジュディスが口を開く。

「なら、ダングレストとノードポリカね?」
「ああ。またひとっ飛び頼む」

 一行が出発しようとすると、ソディアがいつかのようにまたユーリを引き留め、仲間たちはユーリを残して先にバウルの元へと向かったのだった。
 ノアはまだ少しふらつく足に力を込めながら、フィエルティア号へのタラップを駆けのぼる。
 甲板で意識を集中させると、確かに、タルカロンの方角から怪しい気配を探知することができた。じわじわと侵食してくるような術式の中に仕組まれたおぞましい「命を吸い上げる」力。古代の遺産ということは、かつて人類はあの塔を同じように利用したことがあるのだろうか。
 自分の探知能力の向上を感じつつ、過去に思いを馳せる。
 ほどなくしてユーリがやって来ると、バウルは空に羽ばたいたのだった。

「……それで、その片田舎まででていけってのか」
「ああ。ザーフィアスもここもだめだ」

 ダングレスト。ギルドユニオン本部で、幹部たちにユーリが言う。
 ハリーは思案した。

「重要な話らしいな。帝国、ギルド関係ない……」
「はん。そんなお使いみたいなマネ、オレはごめんだぜ」
「私も今ダングレストを離れたくない。ハリー、お前に任せよう」
「わかった。オレが行く」

 適当な決め方すぎる、とカロルは憤慨したが、「ハリーがそこで判断したことに文句をいうつもりはない」と皆が口をそろえるので、幹部たちの代表としてハリーが赴くことに決まった。
 ドンを失った影響はまだ大きいが、それでも何とかまとまろうとしているユニオン全体の意識をノアはひしひしと感じた。
 ノードポリカでは、ナッツが代表となった。あっさりと了承してくれたナッツの囚われない心ならば、きっと話し合いになっても分かってくれるような気がした。
 ……バウルのお陰とは言え、大陸をあちらからこちらへと渡り続けて日にちが経った。
 そろそろフレンたちのいる場所へ戻ろうということになり、一行は再びヒピオニア大陸を目指した。
 戻ってみると、野原だったはずの場所に、いくつもの建物が建っている。
 あちらには疲れ果てて眠る作業員の姿、そちらにはくたびれ切った騎士団の姿。
 どうやら両者は協力のもと、この小さな街を作り上げてしまったようだ。ノアは感嘆する。
 ユーリたちの前に、カウフマンとフレンがやってきた。

「どう? お気に召して?」
「正直、脱帽だ」

 カウフマンにそう返すユーリに、フレンが尋ねた。

「ユーリ、どうだい? そっちの方は」
「ああ。話つけてきた。あとは殿下の都合がついたら迎えに行くと伝えてある」
「わかった。殿下にも連絡がついたよ。来ていただける事になった。船でこちらに向かわれている」

 話を聞いていたジュディスが、まあ、と声を上げる。

「のんびり屋さんね。バウルにお願いして連れてくるわ。ハリーもナッツも、ね」
「いいのか? バウル怒るんじゃないか?」
「一刻を争うんでしょう? バウルもわかってくれるわ、ユーリ」
「そうしてもらえると助かる」

 フレンの言葉にジュディスは頷き、バウルの元へと向かう。
 ……ジュディスを見送ったあと、フレンはぽつりと呟いた。

「もう時間は残されていない」

 エステルはそんなフレンに眼差しを向けながら言う。

「ついに世界の首脳陣が集まるのですね」

 ついでカロルが「あとはわかってもらえるかどうかだね」と口を開く。パティは「とことん話し合ってそれでもダメなら、殴り合いなのじゃ」と勇ましいことを言った。
 エステルは微笑む。

「みんな色んなことを乗り越えてきた人たちです。大丈夫、きっと分かってくれます」

 ああ、とユーリは彼女の言葉に頷いた。
 ノアは一行を見守りながら、小さく祈る。エステルの言うように皆と協力し合えるように、と。
 ヨーデルらを乗せたバウルとジュディスが戻ってくるのは、それから程なくしてのことだった。
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