少女の正体 復活の古塔
 甲板に出たノアたちの前に、かつて剣を交えた骸骨の騎士が姿を現した。
 真っすぐにパティが騎士へ駆け寄っていく。

「サイファー! うちじゃ! わかるか……!?」

 ノアを含め仲間たちは逡巡した。サイファー。アイフリードの参謀を務めていた人物の名前だ。叫び、駆け寄るパティを、骸骨の騎士は、無機質なその姿にふさわしい印象――善も悪もない化け物の本能的な薙ぎ払い――で吹き飛ばした。
 慌てて狼に転身したノアがカバーに入る。甲板に叩きつけられずに狼の毛に庇われたパティ。怪我はない。「ありがとなのじゃ」言いながらパティは素早く立ち上がる。

「サイファー……。今、決着をつけるのじゃ!」

 先に武器を構えていたユーリらと共に、パティ、ノアもまた、騎士との戦いに身を投じた。
 一度戦ったこともあり、骸骨の騎士との戦いはさほど苦ではなかった。旅で一同が成長したこともある。ただ、ただ――ノアは、決意を固めた眼差しのパティが気になって仕方なかった。
 騎士が大きくのけぞり、後退した。とどめを放とうと此方が迫るより先に、ふわりと宙に浮いて飛んで行ってしまう。
「まだ生きてるよッ!」カロルが叫んだ。
 素早くパティは動いた。マストを登り、上空の騎士を追いかける。思わず続こうとしたエステルを、ユーリが静かに止めた。
 ――今がパティの、最後の決着の時なのだ。
 ノアは万が一パティが落ちてこようとも受け止められるように身構えていた。
 ヤードの先に騎士が浮かぶ。その姿を見つめながら、パティはゆっくりと口を開いた。

「サイファー、長いこと待たせてすまなかった。記憶を失って時間がかかったが、ようやく、辿り着いたのじゃ」

 ――やっぱり……記憶が戻ってやがったか……。ユーリは以前より抱いていた推測が当たっていたと知る。ここのところ元気がなかったり空返事だったりしたのは、記憶が戻り混乱していたためなのだろう。
 騎士はゆっくりとパティを振り返る。そして、

「アイ……フリード……」

 呼びかけに答えるように、その武骨な体から、一人の男の姿が浮かび上がった。海賊帽をかぶり、海賊のコートに身を包んだ壮年の男性。幻のように透けた姿。ノアはそれが、霊体であることを察した。

「アイフリード、か……久しいな……」

 男性の幽霊は、パティを見つめてそう呟いた。

「ア、アイフリードって、え? まさか……」
「ど、どういうことです……?」

 戸惑うカロル、エステルの呟き。
 その疑問を晴らすように、パティは、叫んだ。

「アイフリードは……。うちのことじゃ!」

 ノアも驚かなかったわけではない。しかし、同時に納得していた。納得しては解決しない問題が数あれど、一番しっくりくるのは、パティがアイフリードである、ということだった。世の中には喋る鳥、喋る狼がいるのだ。何が起きても不思議なことはない。獣姿のままひとりノアは解釈を完結させる。
 パティはサイファーに呼びかける。

「サイファー、うちがわかるのか!?」
「ああ……だが、再び自我を失い、お前に刃を向ける前にここを去れ」
「……そういうわけにはいかないのじゃ。うちはおまえを解放しに来たのじゃ。その魔物の姿とブラックホープ号の因縁から」
「俺はあの事件で多くの人を手にかけ、罪を犯した……」

 思わぬ形でブラックホープ号の名を聞くに至る。何かが起きた船の中で殺人を犯したのはアイフリードではなくサイファーだった。

「ああしなければ、彼らは苦しみ続けたのじゃ。今のおまえのように。あの事故で魔物化した人たちをサイファーは救ったのじゃ」

 しかし、それは悲痛な決断だったのだと、二人の言葉から伝わってくる。そうしなければ悲劇はもっと深く拡がっていた。事件として収まることすらなかった。
 魔物化した人たち、という言葉にノアはどきりとする。自分は意識して姿形を変えることが出来る。しかし、無理やり姿をいじくられるというのは想像を絶する苦しみだったろう。ノアとて、制御できずに狼へ転じた時があった。

「だが、彼らを手にかけた俺はこんな姿で今ものうのうと生きている……」
「おまえはうちを助け逃してくれた。だから……今度はうちがおまえを助ける番なのじゃ、サイファー」
「アイフリード……俺をこの苦しみから解放してくれるというのか」

 パティとサイファーの会話は、常に悲愴に満ちていた。ただ見守るしかない歯痒さに拍車をかけ、しかし、だからこそ手出ししてはならないのだと空気が張りつめる。
 ゆっくりとパティは銃口をサイファーに向けた。

「おまえには随分世話になった。荒くれ者の集まりだった〈海精の牙〉をよく見守ってくれた。そして……うちをよく支えてくれたのじゃ。でも……ここで……終りなのじゃ」

 だが、その碧眼は伏せられ、銃を構える腕は小さく震えていた。……魔物化したとは言え、かつての同胞を手にかけなくてはならない。どんなに辛いことか。苦しいことか。耐えがたいことか。

「サイファーだけは……うちが……」
「辛い想いをさせて、すまぬな、アイフリード」

 サイファーにはアイフリード……パティの心などお見通しらしい。彼女を心底労わる言葉だった。
 だが、その労わりに食い気味にパティは反論した。

「辛いのはうちだけではない。サイファーはうちよりずっと辛い想いをしてきたのじゃ。うちらは仲間じゃ。だから、うちはおまえの辛さの分も背負うのじゃ」

 顔を上げ、サイファーを見つめ、少女は――首領は、改めて銃口をかつての仲間へ合わせる。

「お前を苦しみから解放するため、お前を……殺す」

 今から殺されるというのに、サイファーは穏やかであった。魔物と言う檻から解放されるから、というより、パティ……アイフリードが辛く苦しくとも決意を固めた理由を好ましく思ってのようだった。

「その決意を支えているのはそこにいる者たちか? そうか……記憶もなくし、一人で頼りない想いをしていないか、それだけが気がかりだったが。良い仲間に巡り会えたのだな、アイフリード」

 ノアは何だか嬉しくなった。サイファーに褒められているような気分がした。少し躊躇ったが、素直にサイファーの「良い仲間」に自分も含まれていると思うことにした。
 サイファーもまた決意を固めたようだった。パティに向き直り、何かを差し出す。

「受け取れ、これを……」
「これは……麗しの珊瑚……」

 それは、麗しの星と対になる宝であった。先ほどアーセルム号を呼び出した際、共鳴していたものである。
 輝きながらサイファーの手を離れた麗しの珊瑚は、ゆっくりとパティの手元へと吸い込まれていく。
 サイファーは大きく空を仰いだ。こんなに晴れやかな気分はいつぶりだろう? これから大切な仲間の胸を痛めてしまうことになろうとも、解放、そして友が新たな友と絆を結んだのは、とても喜ばしかった。

「これで安心して死にゆける。さあ……やれ」

 最後の最期に、パティの小さな声がする。

「バイバイ……」

 鉛色の空に、ひとつの銃声が響いた――。


*****


 一行はまだ波止場にいた。
 アーセルム号が去った海をぼんやり見つめながら、パティは唇を噛み締めていた。

「……サイファー……」
「我慢しなくてもいい。泣きたければ泣いた方がいい」
「辛くても泣かないのじゃ。それがうちのモットーなのじゃ……!」

 ノアは狼姿のまま、パティにそっと寄り添った。何も言わず、顔を彼女の背に押し付けるようにする。
 エステルもまたパティを案じ、「パティ……」優しく彼女の肩に手を置いた。

「うちは泣かないのじゃ、涙を見せたら、死んでいった大切な仲間に申し訳ないのじゃ。うちは〈海精の牙〉の首領、アイフリードなのじゃ。だから……泣かない……」

 小さな少女の胸には抱えきれない感情が溢れる。決意の言葉は次第に涙交じりになり、震え、か細くなっていく。

「絶対、泣かない、泣きたく、ない……」

 エステルはノアを見、ノアが頷いた。そっとエステルがパティを抱き寄せる。二人を包むように狼も身を寄せた。
 パティはエステルの胸の中で、声を上げて泣き出した。
 その涙は、声は、ノアの胸をも引き裂くような深い悲しみに満ちていた。
 ……自分自身の手で、大切な仲間と二度目の別れを済ませた、小さくも勇ましいギルドの首領。
 その強さを仲間として誇りに思う。だが。

(どうして、こんな小さい子がこんなに辛い涙を溢さなくちゃならないのかな)

 そんな悶々とした苦悩に、ノアの思考は大きく捕らわれていた。
 人々が皆、過去の約束を守っていれば。始祖の隷長の監視にもっと慎重になっていれば。
 全てを“遺産”として有難がって掘り返して文明を進めようと急がなければ。
 負の思考のスケールはどんどん広がっていく。

(もしかしたら、デュークさんみたいな人たちだけだったら、こんなことにならなかったのかな)

 ……これ以上考えるのはよそう。
 パティたちに対しても失礼だと、ノアは思考を振り払った。
 そして、エステルと共に、パティが泣き止むまで、その涙を受け止めていた。
 ――宿屋に戻った一行は、僅かながら休息をとった。
 ひとしきり泣いたパティの目は若干赤かったが、記憶も戻り、会うべき人に会い、決着をつけた彼女は、改めてユーリたちへの同行を誓う。パティがアイフリードであることについて、特にカロルは聞きたいことが山ほどあるようだったが今は時間が無い。パティも「気が向いたら話すのじゃ」とはぐらかしていた。その表情はすっかり以前同様の明るいパティのそれ。ノアはほっと胸を撫で下ろした。
 しかし。
 ラピードが何かを察知して起き上がる。途端、大きな地鳴りが聞こえ始めた。ノアも同時に、とてつもないエネルギーを感じ、凭れていた壁から背中を離す。

「な、なに!?」

 カロルの動揺した声。真っ先にジュディス、ノアが外へと飛び出した。他の仲間も続く。

「ジュディ、ノア! 何があった?」
「ちょっと! あっちってアスピオの方じゃない!」
「な、何が始まるの!?」

 アスピオの方角の空が、異常な赤い光で点滅していた。毒々しい紫紺の雲の隙間から漏れる赤色は、アスピオの地に呼びかけているようでもある。地鳴りが酷くなった。アスピオの下からゆっくりと伸びてくるもの。……塔だ。塔は巨大だった。アスピオを滅茶苦茶に砕きながら、塔は浮上していく。あれはアスピオはもう――。リタの震え声が鼓膜を突いた。
 ――タルカロン。ノアの脳内で、どこか懐かしい声がそう囁く。
 四大精霊とも違う、始祖の隷長とも違う。しかしノアが知る神々しい何かの声。はっとした。それはかつてノアの一族に力をもたらした、かの始祖の隷長の声なのだと直感した。つまりこの世界のどこかに、デュークの言う「加護」をもたらす存在はまだ生きているのだ……。そしてその古代の存在は、この折に存在を明確にし、ノアへとコンタクトしていきた。今までよりもずっと、強烈に。
 タルカロンの塔、という単語をエステルもまた口にした。精霊たちが教えてくれたのだという。
 古代の塔をじろりと睨みながら、ユーリは呟く。

「デュークだな。それしか考えられねぇ。あれで星喰みをどうにかしようってんだろ」

 タルカロンを見据える一行に、一人の男が近づいてきた。身なりから察するに街の役人らしい。

「黒くて長い髪のあんた、ちょっと良いか!?」
「なんだよ」

 役人は慌てて走ってきたのだろう、息も切れ切れにユーリに話しかける。

「あんたみたいな風貌の人を見かけたら教えて欲しいって騎士団の人に言われててな。なんでも新しい騎士団長フレン殿について話したいことがあるとか」
「なんだと?」
「人違いじゃなさそうか?」

 役人が確認すると、ユーリは頷いた。

「ああ。なぁ、オレを探してたヤツって、猫みたいなつり目の姉さんとリンゴみたいな頭したガキか?」
「あ? ああ、そうだが」

 ソディアとウィチルだ。しかし、わざわざユーリを探して、しかもフレンの話をしたいとは何事だろう。
 少なくともノアは、ソディアがユーリと話したがるとは思えないし、よりにもよってフレンを話題に選ぶとは思えない。……話題にせざるを得ない何かが起きた、と考えるのが妥当だろう。
 とすれば、あまり明るいニュースではなさそうだ。
 タルカロンの塔への懸念を抱えながら、一行は宿屋に引き返した。ソディアとウィチルから話を聞くために。
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