呼び出された幽霊船
 デュークは、全ての人間の命を引き換えに世界を救おうとしているのだと、この地の始祖の隷長……クロームは教えてくれた。かつてカドスの喉笛でエアルを鎮め、砂漠で行き倒れた一行を救ってくれたクロームは、デュークが同族に仇なそうとするのを止めて欲しいと願い、その力がユーリらにあるかを確かめるために戦い、そして精霊へと転生した。
 レレウィーゼの中腹で合流したノアは、仲間たちから経緯を聞き、納得する。クロームという始祖の隷長が以前自分に呼びかけてくれた優しさを思い出し、彼女らしい選択だと感じた。
 話し込んでいるとエアルの風が小さな渦を起こした。そこに、ノアが見知らぬ小さな精霊の姿が現れる。クロームが転生した風の精霊であることは間違いなかった。

「知覚が……これが精霊になるということ……。これは……こんなにも多くのことが隠されていたとは……」

 ウンディーネやイフリートがそうだったように、精霊になることはノアたちが思っている以上に大きな変化らしい。
 生まれ変わったクロームは、エステルの提案により、風を紡ぐ者――シルフという名を得た。そしてシルフは、ユーリに乞われ、デュークが人間を嫌う理由を語り始めた。

 始祖の隷長のなかには、人間を拒むものと、人間と共に生きる道を選ぶものがいた。
 人魔戦争は、魔導器に関わる古代の禁を破った人間と、人間を拒む始祖の隷長との戦い。それを終結させたのは、帝国が隠していた英雄・デュークの活躍によるものだった。
 この時、人間のデュークに協力したのが、共存を唱える始祖の隷長の長・エルシフルだった。エルシフルはデュークの友であり、デュークはこの友と共に人を拒む始祖の隷長の長を倒した。
 ……しかし、戦争が終結すると、帝国はエルシフルの力を恐れた。デュークと“静観する”と約束したにも関わらず、帝国は傷ついたエルシフルを襲い、命を奪ったのだと。

 ――また帝国。ノアは落胆した。この世界には、もう少し帝国に相対する力が必要なのかもしれない。ギルドがそうなれれば良いのかもしれないが、まだ難しい。
 時間の流れとは残酷だ。かつて手を取り合い災厄を封印した者同士であれど、約束を忘れ、また同じ過ちに手を染めてしまうのだから。

「あいつがどんなにキツイ裏切りにあってたとしても、すべての人間の命を犠牲にする権利なんてねえよ」

 暗く重たい思考に沈みかけたノアの耳に、ユーリの低く静かな声が響く。……彼の言う通りだ。
 デュークの気持ちは痛いほどわかったが、だからといって全ての人間を死なせるわけにはいかない。人間を滅ぼすというデュークを許せば、今ここにいる大切な仲間たちを失うことになる。仲間たちが大切にしている人たちも失われてしまう。それは、自分が死ぬよりもずっと耐え難いことだ。

「デュークより先に星喰みを滅ぼさなければ、結局人間は滅びることになるでしょう。急ぎなさい」

 今この世界にいる誰よりもデュークを知るシルフの言葉の重み。辺りに吹く風が弱まる。

「気流を抑えました、バウルもここまで来ることが出来るでしょう」

 そう言ってシルフは姿を消した。
 順調に精霊化を進めてきてはいるが、デュークの動向も気になる。
 それに……デュークが言った通り、自分たちのしていることは世界の根底を覆すようなものだった。
 フィエルティア号に乗り込んだ一同の話も、自然とそのことについてになった。
 四属性の精霊が揃い、次は、世界中の魔導器の魔核を精霊に転生させる。世界の為とはいえ、精霊の誕生は今までのテルカ・リュミレースの在り方を変えてしまっているし、世界中の魔導器に関わるとはつまり世界中の人々の生活に関わることだった。
 このまま自分たちの判断だけで行うのは問題なのではないか――、エステルの呟きに、ユーリは毅然と返す。

「オレたちがやろうとしてることを理解してもらわなきゃ、やってることはアレクセイと変わらねぇのかもしれねぇ。けど、理解を求めてる時間もねぇ」

 全ての人々に事情を説明しているうちに、星喰みが世界を滅ぼすか、デュークが人間を滅ぼしてしまうだろう。ノアはレレウィーゼで別れたデュークの、ただならぬ決意と気迫を思い返していた。
 ――デュークさんは一体どうやって星喰みに挑むつもりなんだろう……?
 追求したとて、彼がその方法を語るとも思えなかった。それでも、聞くだけ聞いてみるべきだったかもしれない。
 考え込むノアを置いて、話は進む。

「でも帝国騎士団やギルドのみんなにちゃんと話しておくことはできるんじゃないかな」
「それで私たちのやり方を否定されてしまったら、私たちはホントに世界に仇なす大悪党よ?」

 カロルの提案、ジュディスの指摘。訪れたのは……しばらくの沈黙。
 みんな真剣に考えていた。世界を、人々を守るために。
 世間一般から見れば自分たちの行いは許されないのかもしれない。それでもこの方法に懸けるしかない。世界だけでもなく、人間だけでもなく、両方を守ると決めた自分たちの選択。ユーリが口を開いた。

「……オレはこのまま世界が破滅しちまうのは我慢できねぇ。デュークがやろうとしてることで世界が救われても、普通に暮らしてる奴らが消えちまっちゃ意味がねえ。だからオレは大悪党と言われても魔導器を捨てて星喰みを倒したい。みんな、どうする? 降りるなら今だぜ」

 まさか、と一番に答えたのはノアだった。

「降りないよ。私の大切なもの、世界も人も、最後まで護る」
「俺様もついてくぜ。なんせ、俺の命は〈凛々の明星〉のもんだしな」

 そこにレイヴンが続く。体の一部に魔導器を抱える者同士の賛同。ユーリが笑う。
 ジュディスもまた、とっくに固めた決意を表明する。

「私も。フェローやベリウスが託してくれた気持ちがあるもの。それに……中途半端は好きじゃないわ」
「やらないと後悔するってのを知っちゃったし。ここでやめても後悔するし」
「うん。ボクも後悔したくない」

 リタとカロルの選択。そして、エステルも。

「はい。自分で選択したことならどんな結果になっても受け入れられる……。この旅で学んだことです」

 旅の始まり、出会った頃のエステルとは見違えるような姿だった。自分が言えたことではないが、彼女はこの旅で大きく成長したとノアは思っている。力を持つが故の在り方。優しい心のまま行く道。花の皇女に秘められた可能性は自分なんかとは大違いで、エステルは現に可能性の限り成長し、美しく、逞しくなっている。

「それに……世界のみんなもわかってくれる。変わっていく世界を受け入れられないほど弱くないよ!」
「そうだな。明日笑って暮らすためのことだ。そう信じたい」

 カロルの希望にユーリも乗った。そして、その間、不自然なほど静かに突っ立っていたパティへも、彼は決断を問うた。

「……パティはどうする?」
「うちも……当然、ついていくのじゃ!」
「わかった。みんな、最後まで一緒に行こう」

 これまた不自然なほどに元気に力強く答えるパティに、問いただしはしないもののユーリが何も感じないわけはなかった。ノアも僅かながら、異変を感じ取っていた。ここのところパティの口数が少なく、思いつめたような表情をしていることが多い。
 ノアらの心配を他所に、仲間たちは話を進める。まず準備が済んだらヨーデル、ユニオンの人々へ話をしにいく。そしてその準備のためにリタが街へ寄りたいと言い、カロルの提案でノール港へ向かうことが決まった。
 世界を守る希望を改めて抱きしめながら語り合う仲間たちに、パティはそっと背を向ける。俯く彼女が何を思い、考えているのか。……ノアは何となく、察しがついていた。


 カプワ・ノールは閑散としていた。人の姿がないに等しく、しんと静まり返っていた。
 街に着いてすぐリタとエステルは買い出しに向かい、ユーリたちは宿屋に向かった。
 ノアはというと、最初ユーリたちと共に行きかけて、足を止めていた。

「ノア?」
「私、ちょっと街の周りの様子見てくる。明日にはちゃんと合流するから」
「そっか、あんまり遠く行くなよ」

 ユーリに笑って返し、ノアは仲間たちから離れた。人気のなさも気になったが、街の周りに住む動物たちの様子も気になった。星喰みという災厄の異変を察知して、何か影響が及んでいるかもしれない。たとえば、自分の体のように。
 街を出て、近くの森に入ってみる。相変わらず空には星喰みがひしめいていて、陰鬱とした。
 気を取り直して周囲を探る。気配が複数あるにはあるが、活発とは言い難い。明らかにノアを認識している魔物もいたが、襲い掛かってくる様子もない。星喰みの影響を受けているのだろうか? それとも、ノアの体が人外へと傾きつつあるためだろうか?
 過去にノアは、魔物をエアルに還した記憶がある。エアルを吸い上げる要領で、魔物を構成するエアルを刺激し、分解し、吸収した。義眼の技師が生きていた頃の話だから随分と前になる。

「もしかして始祖の隷長が魔物を統率できてたみたいに、私の力で魔物をけん制できるのかな……」

 意識を集中すると、茂みの向こうにいる魔物の存在をより明確に認識できた。更に魔物から、感情のようなものが伝わってくる。緊張、恐れ、警戒。それらの意識は空の災厄と目前のノアに分散していた。
 ――魔物からしても、私の力は異質なのがわかるんだ。
 使わねば旅は続けられない。しかし使えば異質さは更に増す。その現実を受け止めたうえでノアは力の行使をより意識した。
 魔物除けもなしに、彼女はのんびりと街の周囲、近くの森を散策した。ラピードのように動物のなかでも鋭い感性を持つものと意思を疎通するのは日常的に行ってきたが、まさか魔物や他の動物に対しても能力が通じるようになるとは。ぼんやりとながらも魔物たちに敵意がないことを送れば、魔物たちはそっとノアから視線を外した。
 ノアにとって、人間も魔物もあまり差がなくなりつつあった。寧ろ本能に正直なぶん、魔物たちへの対処の方が容易い。
 意思の疎通について試行錯誤しているうちに、すっかり日が暮れていた。ノール港に戻ったのは、かろうじて街灯がぼんやり光っている夜。遅くなると判断し、合流を明日と告げておいたのは正しかった。
 街に戻るとノアは早速宿屋を目指すつもりで歩いていた。眠くはないが合流するに越したことは無い。しかし、その宿屋から見慣れた少女の姿が出ていくのに気づいて立ち止まる。

「パティ?」

 淡い月明かりと街灯のみの薄暗い街中でも、パティの姿はよく目立った。思いつめた様子のパティは、ノアに気付かぬまま波止場のほうへと歩いていく。
 ノアはすぐさまパティを追いかけた。

「パティ、こんな夜中に危ないよ」
「ノア……!?」

 波止場に現れたノアに、パティは驚いていた。パティの手元にザウデで見つけた麗しの星があるのを見て、ノアは首を傾げる。この子は何をするつもりなのだろう?

「何をするのかわからないけれど、ひとりでは行かせられないな。私も行くよ」
「けれどこれは、うちの問題なのじゃ。精霊も揃って、この先は命を懸けた大仕事が待っておる。でも、その大仕事の前に、自分の中の決着をつけようと思ったのじゃ。これは、誰にも任せられない、うちの……」
「アイフリードのことだね?」

 言い淀むパティを遮り、ノアは真剣な面持ちで訴える。

「今のパティ、記憶を取り戻して身の振り方迷ってた自分に重なるの。ほっとけない」
「……わかったのじゃ」

 穏やかながらも一切引こうとしないノアの様子に、観念したようにパティは頷く。記憶を取り戻していたことをノアが知っていたのも影響しただろう。出会った頃は内向的そのものだったノアが、こんな風に誰かの心へ近づこうとする積極性を身につけるとは思いもしなかった。
 大きく息を吐いてから、彼女は麗しの星を海へ向けて掲げた。麗しの星が青白く輝き、それに反応するように海の向こうで赤い輝きが生まれる。強烈な両者の発光に思わず目を閉じた一瞬の間に、波止場には幽霊船――アーセルム号が現れていた。

「これは……麗しの星が呼んだの?」
「うむ。あの船にある、こいつの片割れと引き合っておるのじゃ」
「えっと、アーセルム号にある片割れとその麗しの星が揃えば、パティのおじいちゃんに会えるんだよね?」
「アイフリードに会える、それは間違いではない」
「だったら、尚更、ひとりでは行かせられないね」

 ノアがそう言ってパティの顔を覗き込んだ時、背後からいくつかの足音が近づいてくるのに気づいた。

「パティ、ノア、待ってください」

 第一に聞こえたのはエステルの声だった。
 振り返ると、ユーリたち全員が揃って波止場にやって来ていた。パティ自身はこっそり宿屋を抜け出してきたつもりだったが、ユーリたちはパティの様子がおかしいのを察していたのだろう。多分今夜にでもパティが何か行動に移すと見て、見守っていたに違いない。
 パティは狼狽えながらも、ノアに説明したように「これは自分の問題」だと主張した。しかし、ユーリは、

「じゃあ行こうぜ。オレたちと一緒にいて、一人で行かせてもらえないのはわかってるだろ?」
「私、ついて行くことになってたんだけど〜……一人で行かせないつもりだったんだけど〜……」
「あいにく、こちとら、記憶喪失コンビを黙って送り出すバカじゃねえから」

 ノアの抗議はあっさりユーリに切られ、それをカロルたちが笑う。確かに自分だけでは心許ないだろうとノアは思いなおし、それ以上何か言おうとはしなかった。
 ユーリの言葉は仲間全員の意思でもあった。ここまで来て仲間をひとりにはさせない。最後まで運命共同体だ、と言わんばかりの頼もしい笑みたちに、パティは目頭が熱くなるのを堪えた。

「……ありがとうなのじゃ。だが、最後の決着だけはうちがつけるのじゃ」
「ああ、わかってるさ」

 真夜中の波止場で合流した一行は、アイフリードとパティの因縁と決着のため、アーセルム号へと乗り込んでいったのだった。
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