星喰み覚醒、そして
エアルクレーネに着くと、リタの手順通りにわたしたちは行動しました。
失敗すれば全員エアルの激流に呑まれて全滅してしまう、本当に大きな賭け。
でもわたしは怖くありませんでした。みんなが、いてくれるから。
リタのアドバイス通り、水の属性が強いこの場所に合わせて、流れる水を思い描きながらエアルに力で働きかけます。力が作用したエアルを、ザウデで見つけた術式でみんなの生命力を使いながら、リタが蒼穹の水玉へと導いていました。みんなのお陰でわたしは安定して術式のイメージが出来て、そして――。
聖核に、エアルが満ちたとき、
「きゃあ!?」
わたしの体と聖核が急に強く輝きだしました。表現のしようがない衝撃が走って、でも、それはただただ強く、つよく、決して体を病むようなものではなくて……。
光の向こうでリタが必死に確認しているのを見ました。「ちゃんと制御できてる、でもこれは……!? 聖核を形作る術式!? 勝手に組み上がって再構成してる……?」そして、聖核の周囲に、大きな水のうねりが生まれるのも。
水流が発生したかと思ったのも束の間、水は霧散し、代わりに人らしき何かの姿が浮かんでいました。青い肌と髪の女性。まるで水が人の姿を形どったかのような、けれど人とは全く異なる存在でした。
「……わらわは……」
どこか聞き覚えあるその声に、ジュディスは目を丸めました。
「その声……ベリウス!?」
「ジュディスか。ベリウス、そうわらわは……いや違う。かつてベリウスであった。しかしもはや違う」
ベリウスだったその存在は、以前より穏やかさを増した声音で嬉しそうに続けます。
「すべての水がわらわに従うのが分かる。わらわは水を統べる者」
彼女の周りで水たちが踊るようにざわめくのを見ながら、「なんかわからんけど、これ成功なの?」レイヴンがリタに尋ねました。
「せ、成功っていうかそれ以上の結果……。まさか意思を宿すなんて」
「驚け! 自然の神秘は常に人の想像をはるかに超越するものなのじゃ!」
「そうね……どうやら、それは認めざるを得ないみたい」
パティの歓声に頷くリタ。
わたしたちの驚きを他所に、ゆっくりとベリウスだったひとが首を小さく傾げました。
「人間よ、わらわは何であろう? もはや始祖の隷長でもなければベリウスでもないわらわは。そなたらがわらわを生み出した。どうか名を与えて欲しい」
その言葉に一番に答えたのは、意外にもユーリで。
「物質の精髄を司る存在……精霊ってのはどうだ」
「して我が名は」
「古代の言葉で水を統べる者……ウンディーネ、なんてどうです?」
ユーリの言葉、ベリウスの再度の問いに、わたしは続きました。
ウンディーネ。その言葉を、彼女は微笑みながら繰り返してくれました。
「ではわらわは今より精霊ウンディーネ」
名前が決まると、ユーリは早速本題を切り出します。
「ウンディーネ! オレたちは世界のエアルを抑えたい。力を貸して欲しい」
「承知しよう、だがわらわだけでは足りぬ」
晴れない表情で彼女は告げます。自分が司る属性は水のみ、他の属性でも同じようにそれらの元素を司る存在が必要だということ。リタの言葉を借りれば、物質の基本元素である『地・水・火・風』の全部で四体の精霊の存在が必須。
「それってやっぱり始祖の隷長をなんとかするしかないってこと?」
「素直に精霊になってくれるといいんじゃがの」
現存する始祖の隷長も、フェロー、グシオス、バウルしかわたしたちは知りません。それにバウルは聖核を生成するほどのエアルを処理していないと同時に、「それに、私が認められそうにない」何よりジュディス自身の心がそれを否定していました。
ユーリがウンディーネに始祖の隷長の居場所について問うと、ウンディーネはすぐに教えてくれました。
「輝ける森エレアルーミン、世界の根たるレレウィーゼ。場所はそなたの友バウルが知っておろう」
そのあと、すうっと溶けるようにウンディーネの姿は消えてしまいました。それでもわたしには彼女の存在を感じることが出来ました。そういえばわたしの力を抑えていないのに、ここのエアルクレーネは落ち着いていました。不思議がったジュディスやリタが、慌ててわたしの力を確認します。
「え! これって……ウンディーネがエステルの力を制御してくれてる……?」
「じゃあ、エステルは本当に自由になったの?」
「ええ……ええ!」
涙ぐむリタに、「エステル。良かったな」微笑むユーリ。仲間たちに、わたしはいっぱいの笑顔で頷き返しました。
もうわたし、自由なんです。ノアにも早く知らせたいです。わたしの力を抑えるために、自分の力を必要以上に引っ張り出して体を張ってくれたあなたに。大事な仲間の一人のあなたに……。
「なんだか不思議な成り行きになってきたねぇ」
「確かに想像もしてなかったことばかりだ。けど光が見えてきたじゃねえか」
「わずかな光じゃ。でも、深海から見える太陽くらいに嬉しい光なのじゃ」
みんなの会話を聞きながら、わたしは心の奥でウンディーネにそっと尋ねました。
(ウンディーネの力で、ノアのいる場所はわかりませんか?)
どうか、答えて。
(――かつてヘラクレスが穿った地に、よく似た力が満ちているのを感じる)
「ほんとです……?」
(嘘は言わぬよ)
思わずわたしは聞き返していて、ウンディーネはくすくす笑いながらまた水の中へと存在を馴染ませて消えていきました。
わたしがすぐにみんなへノアの手がかりを伝えようとしたとき。
大きな音が轟き、激しい光が空から迸りました。
「な、なに、今の!?」
「あの方角は確か……」
「ザウデの方角ね」
海の遠く、ザウデがある場所から幾筋もの光が空へ放たれ、透明な壁にぶつかったかのように爆発しました。蜂の巣に似た模様が光って浮かんだかと思うと、それは音を立てながら崩れて落ちていきます。そして、破られた壁の向こうから、黒くどろりとした骨のない肉の生き物のような、おぞましいものがぬるりと垂れ下がってきました。その黒い肉から小さな魔物のようなものが――砂漠の果てで見た生き物と全く同じそれでした――いくつも、いくつも飛んできました。
ザウデ頂上の魔核は力を失い落下し、大きな爆発を起こしました。
……完全にザウデは、星喰みに対する力を失ってしまったのだと、わたしたちは知りました。
「星喰みが……まさかザウデが停止した……?」
「あちゃー、どっか下手なとこいじりでもしたのかね」
「あれが本当の災厄……」
呆然と空を見上げるしかないわたしたち。
そんな中でも、一切臆することなく空を睨んでいたユーリが口を開きました。
「なあリタ、あの星喰みってのはエアルから生まれたってデュークが言ってたんだが」
「え?」
「精霊はエアルを物質に変えるってんなら。もし十分な精霊がいたら、星喰みもどうにかできないか?」
ユーリの提案に、リタは首をふります。「分からない。そんなの分からない」でもそれは決して諦めからきたものではありません。わからない“けれど”。そういう意味でした。リタの表情にも活気が漲っていきます。
「でも……やってみる価値はあると思う」
「やりましょう、ユーリ!」
「決まりだな」
わたしが頷くと、ユーリもニッと微笑んで頷き返してくれました。
でもその前に、どうしても伝えなければいけないことがありましたね。
ノアのことです。
「……ユーリ、みんな。ウンディーネがわたしに、ひとつ教えてくれたことがあるんです」
「なんだ?」
きっとみんなも気にしているから。絶望的な今でも、諦めずにいてくれているはずだから。
わたしは、笑顔で伝えました。
「ノアが生きている、って」
驚くみんなの顔にすぐ笑みが浮かぶのを見て、わたしはとても嬉しくなりました。
*****
かつてヘラクレスが穿った穴。エフミドの丘の向こう。
以前上空を過ぎたときは大きな穴を掘ったようにそこだけ生き物の影が消えてしまっていました。
バウルに乗ってゾフェルからすぐここへ来たわたしたちは、その穴が様変わりしていることにすぐ気づきました。
空の上からでもわかるんです。土の色ではなく、草花の色にそこが染まっているのが。
地上に降りたわたしたちは早速その場所へ向かいました。
近くで見ると、黄色い花と、綿のような白い花がまじって咲いているのがわかります。
「わあ……すごいです!」
「うそでしょ、あんな熱線直撃したばっかでこれって……」
思わず花畑に座り込むわたしと違って、リタは現状に瞬きしていました。
「綺麗ね。でも本当にここにノアがいるの?」
「そもそもどうしてハゲた山肌がこんな花畑になっとるのじゃ?」
ジュディスもパティも不思議そうでした。でもわたしはウンディーネが嘘を吐くとは思えません。
慌てて立ち上がって、花畑をぐるりと見渡しました。
そんなわたしより先に、レイヴンが異変のひとつに気づきます。
「そういや、魔物が見当たらないわな」
「どうりで静かだと思ったんだ。この花、魔物避けか何かか?」
「ボクの知る限りでは、魔物避けに使われる花ってこんなのじゃなかったと思うよ」
ユーリとカロルの横で、ラピードがじっと花畑の遠くを見つめていました。
「ワンッ!」
不意にラピードは一鳴きすると、走り出しました。「ラピード!?」ユーリが呼んでも止まらず、ラピードはぐんぐん花畑を突っ切っていきます。仕方なく追いかけ始めたユーリに、自然とわたしたちは続きました。
「ワンワンッ!」何かを見つけたのか、あるいは呼びかけているのか。しきりにラピードは吠えていました。花の匂いの中から探し物をするように鼻を引くつかせては走り、吠え、また走ります。
そんなラピードの俊足を追いかけるのはとても大変でした。けれど、
「ワオーンッ!!」
追いかけた甲斐は、ありました。
「……え?」
――優しい眼差しの大きくて白い狼。
花畑の奥で、ノアを見つけたからです。