再会の花畑
 ユーリが見つかった時から感じていた力の残滓。間違いなく彼女は此処に来たのだという勘が働いた。それからラピードはずっともどかしさを抱えていた。きっと深い傷を負ったであろう仲間が、自分の怪我を他所にユーリを助けようともがいたであろう様を容易に想像できた。彼女は生存本能をなげうち他者を助ける、困り者である。ラピードは気が気ではなかった。
 ……花畑を掻き分けて走ると、綿毛がふわふわと空へ舞っていった。いつかブラックホープ号の犠牲者の墓の前で彼女が歌ったとき、舞った光によく似ている。人よりもエアルへ敏感なラピードは、この黄色と真白の一面が驚くほどのエアルに満ちていることを感じ取っていた。

「ら、ラピードさん、それにみんな……」
「ワンワンッ!」

 狼姿のノアに半ば突進する勢いでラピードは駆け寄った。戸惑いながらそれを受け止めるノアの体が少し揺れる。まだ本調子ではなさそうだ。「ワンッ!」咎めるようにラピードは吠える。白狼はその鋭い声に、瞳を潤ませて腰を引いた。
 ラピードの先導により続々と辿り着く仲間たちを見て、ノアは瞬きする。

「どうして? 精霊を生むために世界を巡るんじゃなかったの?」
「おまえ、精霊のこと知ってるのか」
「あっ……」

 口を滑らせたと言いたげに息を呑むノア。ユーリは据わった目で一瞥をくれて、暗に説明を求めた。もちろん、いくら鈍感なノアといえど、その要求に気づかないはずがない。おずおずと狼は口を開く。

「エステルに預けた欠片と……多分カロルが持ってくれてる私のペンダントから……たまにみんなと繋がって、様子がわかったから。あと、精霊については水を伝ってウンディーネが伝えに来てくれたよ。すごいね」
「自分の力を分け与えてるものと、ネットワークを作ってたってこと?」

 ノアの言葉に、リタが目を丸めた。そういうことかも、とへらへら力なく笑う狼の様子に呆気にとられつつ、ノアが無意識のうちに組み上げた術式ネットワークを確認するため、リタはカロルを見た。「ノアのペンダント、あんたが持ってるわよね」「う、うん」カロルはペンダントをリタに渡す。その時少年は、ゾフェル氷刃海でバイトジョーと戦ったことを思い出していた。あの時鞄から飛び出してきたこのペンダントが、バイトジョーの動きを一瞬拘束したこと。あれはもしかすると、偶然ではなかったのだろうか……。
 リタはペンダントと、ノアの義眼の術式を確認しながら、納得したように頷く。

「なるほどね。これなら離れててもあたしたちの様子がわかる。ウンディーネが手伝ってたなら尚更だわ」
「始祖の隷長は離れていても互いの存在をおおよそ確認することが出来る。ノアの祖先はそんな始祖の隷長の力の一部を託されていたから、同じ芸当が出来ても不思議ではないわね」

 ジュディスにそう話を振られたノアが、うんうんとわかっているのかいないのか曖昧な様子で頷く。何だかいつにもまして彼女は不安そうで、落ち着きがなくて、視線が泳いでいた。……怪しさが隠しきれていない。
 ラピードがフンと鼻を鳴らし、問い詰めるような鋭い眼差しでノアを見つめている。気づいたレイヴンもまた、困ったように眉尻を下げて狼に視線を投げる。

「ワウッ」
「ノアちゃん、何かまだ隠してることとかあるんでないの?」
「隠しているというか……」

 ノアは言い淀んだ。仲間たちの視線を受けながらも、それでも、どう切り出すかを渋っているような。話しにくいことを抱えているのは間違いない。そんな狼は、ゆっくりと歩き出した。花畑の更に奥へと向かって。ちらりと仲間たちを振り返り、ついてきて、と言った。
 静かにユーリたちは、ノアの後へ続いた。
 歩きながらノアは語りだす。

「この花たちは、私がこの辺りのエアルを使って作った魔物避けの一種なんだ。最近エアルにあてられることも多かったし、世界もエアルが増えてるから、それを使って結界を作るのも楽だった。こういうことをするのは私の一族では少なくとも変わったことじゃなかった……と思う」
「それで魔物が寄ってこないわけだ。楽だしエステルもはしゃいでたし良いじゃねえか」
「ゆ、ユーリ……わたしそんなにはしゃいでません。綺麗だなって思いましたけれど」
「綺麗かぁ、そりゃよかったぁ。ちょっと頑張ってこの辺り埋めたからね」

 明らかに本題をはぐらかしているのは知れたが、褒められて喜んでいるのも事実のようだ。
 ユーリは嘆息した。ノアが口下手なのは出会ったときから承知している。今はだいぶ良くなってきたことも。

「ノア、おまえもデュークに助けられたのか?」
「そうだよ」
「……そっか。ならやっぱりありゃおまえか……」
「え?」
「何でもねぇよ」

 自室で聞いたノアの声は本物だったのだろう。思えば、デュークも完全に否定はしていなかった。
 素直にデュークに救われたことを認めたノアに、ユーリはそれ以上言及しなかった。あれこれ続けては、口下手なノアの口を更に重たくさせてしまうだけだ。
 ノアの足がふと止まった。どうやら目的地に着いたようだ。

「起きられますか?」

 ノアは誰かに呼び掛けていた。その誰かはノアの正面にいるようで、すっかり影になって見えない。

「……ああ」

 ユーリは耳を疑った。まさか、と無意識のうちに紡ぐ口。ユーリだけではない、他の仲間たちも聞き覚えがあった相手の声。そして彼と同じように、信じられないと表情で物語る。
 狼の影からいよいよその声の主が姿を現した。

「まさか再び会うことになろうとはな」

 毛先の跳ねた銀髪、鋭い赤色の眼差し。少しやつれ、頬がこけてはいたが、間違いない。
 ――アレクセイ。
 ザウデ不落宮で命を落としたはずの宿敵。
 ユーリたちが武器を構えることはなかった。かつての敵に今や戦えるだけの覇気はなく、ノアの様子からしても少なくとも戦う必要はないことが知れた。

「アレクセイがどうして生きているのじゃ……」
「私がデュークさんに頼んで助けてもらって、ずっと治療していたの」

 パティの呟きに、ノアは淡々と答える。

「私もこの人を殺すつもりでザウデまで行った。ケリをつけると決めてた。けれどね、星喰みが解放されてしまったときに、この人が泣いていたのを見て、私……わからなくなっちゃった。この人はこの人なりに世界を守りたかったって知ってぐちゃぐちゃになったの」

 アレクセイは何も言わずにノアを見つめていた。彼と仲間、両方からの視線を受け止めながら、ノアは――かつてアレクセイに利用され人生を踏みにじられた少女は――語る。

「歪んでしまって、周りが見えなくなっていた。けれどアレクセイは、ずっと世界と人々を救うつもりで進んできていたの、知ってしまった。その間違いに気づいたなら、泣いて命を棄てるほど落胆した人なら、正しいやり方を根っこから染み込ませたら、何とかなるんじゃないかなって思ったの」
「随分と甘い考えだな、ノア」

 剣呑なユーリに、ノアは瞬きした。確かに自分の考えは甘いのかもしれない。仲間たちがアレクセイによってどれほど苦しめられたのか、共に過ごしてきて十二分に思い知った。ノアとてその犠牲者のひとりであり、アレクセイの手によって家族を失ったも同然だった。エステルやレイヴン、フレンらを道具と切り捨て、非情と非道の限りを尽くしてきた男を、どうしてこんなにも穏やかな気持ちで見つめることが出来るのか、自分でも不思議だった。
 ノアは、ユーリの目を見つめ返した。

「そう甘くもないよ。この人は死んで逃げることが出来なくなったんだから。生きて、死んだほうがマシだってぐらいに現実に直面してるんだもの。生きてるせいで、償いきれないぐらいの全てを背負って、贖わなきゃいけないんだから」
「易々と死なせて楽させてたまるか。そういうことかね」
「はい、そういうところです」

 レイヴンの助け舟に、ノアは何度も頷いた。それを見ていたアレクセイが、やつれた顔で嘆息する。立っているのも辛いのか、ふらりとその場に頽れるように座り込んだ。

「恐ろしい狼だ。私はとんでもない相手を敵に回していたらしい。諸君らも含めてな」
「今更すぎるのじゃ」

 パティはアレクセイを睨んだままだ。

「おまえはあまりにも悪事に手を染め過ぎたのじゃ。本当に全てを生きて償えると思っておるのか」
「思っていないからこそあの時、彼の剣を受けた。この身を海へ委ねた。しかし……それらは許されなかったのだ」
「ノアに救われたから、ですね」

 すっと歩み出たエステルが、アレクセイへと問いかける。

「あなたは本当にこの世界を救うつもりだったのですか」
「腐りきった帝国を、エアルと始祖の隷長の支配に怯える人々を、変えてみせる。解放してみせる。そうザウデでも言ったはずです」
「今もその気持ちは変わらないのですか」
「変わりませんとも。罪人だ咎人だとなじられようとも、世界の解放を求めましょう。ただ私には、もう、そのための知恵も力も無いでしょうが」
「そんなことはありません」

 かつてアレクセイに力を弄ばれた花の少女は、ふっと微笑んでみせた。

「わたしもあの時言ったはずです。あなたほどの人ならば他の方法で人々を救えたはずだと」
「……そうでしたな」
「ですからわたしは、ノアの“生きて償う”という提案に賛成です」

 ね、ノア。首を傾げるエステルに、狼は穏やかな表情で頷いて返した。それから一変して、アレクセイに対して鋭い眼差しを向けたかと思うと、大袈裟に牙を剥いて、低く唸りながら言った。

「私はユーリのように生易しくはありません。エステルのように心が広くもありません。あなたが再び道を踏み外したら、その時は袈裟斬りなんかじゃ済まさない。出来うる限り残虐にあなたの体を真っ二つに両断してみせます」

 虚勢でも何でもない、冷酷な宣言。次こそは仲間の手を汚させず、自分の手で仕留めるのだという強い意志を持った断言であった。
 アレクセイは想像した。その瞬間のことを。この真白な狼が、その毛並みを赤く染めながらこの身を引き裂かんとする様を。容易く思い浮かんだ凄惨な情景は、それほど彼の心を削りはしなかった。もともとアレクセイの中には、ノアにはそれだけのことをする理由があるという意識があった。間違いなく彼女なら実行する。それに対して今更怯えも恐れもない。……そのつもりだ。
 唸り続けるノアに、ジュディスがそっと声をかけた。

「ノア。つまりあなたはアレクセイを生かすと決めたのよね。でもどうして、こんな花畑の中で?」
「私の力で満たした場所の方が、治癒術もしっかり効くと思ったから」

 唸るのを止めて狼は答えた。

「あと、私自身もそれなりに傷ついてたからね。この姿の方が落ち着くぐらいに摩耗していたし、重罪人を連れて人里に行ったら大混乱を起こしちゃうと思って、この場所でゆったりひっそり体を癒そうとしてたの」

 合点がいったように頷いたジュディスは何故かノアの頭を撫でた。目を丸める狼に「お疲れさま」とクリティアの美女は淡く笑む。ふわりと白狼の尾が揺れた。それを見てジュディスは更に笑みを深める。
 実にノアらしい決断と行動だと思った。褒めるべきか否かの判断は出来ない。ただノアの無事は嬉しかったし、この花畑は美しく、ジュディスの心にも暖かなものをくれていた。アレクセイの生存は意外としか言えなかったが、ノアの理由を聞いているうちに、納得は出来ずとも理解は出来た。ノアらしい。そう笑ってやれるぐらいには。
 ふたりの様子を見守りつつ、カロルが口を開いた。

「ここを選んだ理由って、それだけ?」
「ヘラクレスが抉って可哀相な姿になってたから、私の力で少しは隠せたらいいかなって」
「そっか……。ノアらしいね!」

 カロルもまた、彼女らしさを受け入れつつあった。死ぬよりも生きることのほうが辛いというのは彼が理解するには難しかったけれど、少年は誰かの死を喜ぶような人間ではなかった。たとえそれが敵だとしても。

「エステルもノアも、もうちょっと自分を傷つけた相手に対して厳しくて良いと思うんだけど……」
「リタ、わたしはじゅうぶん厳しくしてるつもりですよ?」
「私も。駄目なことしたらぶっ倒すし」
「どこがよ、もう……。あんたら楽観的すぎよ」

 聞き役に徹していたリタが呆れ返って溜息を吐く。まだ困惑と動揺の滲む瞳ではあったが、親友である皇女の笑顔を見てそれらは次第に霧散していく。それほどリタはエステルを大切に想っていたし、意思を尊重したいと考えていたから、アレクセイを責めようにも責められなくなりつつあった。もちろん必要とあれば実行するつもりだが、その点に関してはアレクセイのそばにいる狼の方が強力だ。
 ――リタもエステルも、恨んだり責めたりしなくていいんだよ。そういう疲れるのは私がするから。
 そう言いたげな狼の姿に、リタは再び溜息を吐いた。お人よしなのか恐ろしいのか。記憶を取り戻したノアの奔放さには驚くばかりだ。
 アレクセイの生存を受け入れつつある仲間たちの様子に、レイヴンは頬を掻いた。

「おっさんとしては、まあ、ノアちゃんたちの残酷なぐらいの優しさもある意味アリなのかなと思うけど……青年はどうよ」

 レイヴンは、彼がさぞ複雑な心境でいるであろうと思って気を遣ったのだが、意外なことにユーリの表情はさっぱりとしていた。

「次しでかしたら、オレがノアより先に両断すりゃいいだけだろ。もうこうなっちまったもんは仕方ねぇさ。おっさんこそ良いのかよ」
「おっさんはまぁ、結構これでもドライよ。もしかするとノアちゃんや青年よりおっさんのがその時は早いだろうね」
「そうか」

 納得したのかはわからないが、それ以上ユーリは何も言わない。
 次にレイヴンは、渋い顔のパティを見た。

「パティちゃんも良いの?」
「ノアは嘘を言わなかったのじゃ。ユーリも受け入れたのじゃ。そしたらうちも……同じくするだけじゃ」

 ぷいとアレクセイらから顔を逸らしたパティは、自分に言い聞かせるように続ける。

「それに今はアレクセイなんぞに構ってる余裕はないのじゃ。星喰みを何とかしなくてはならんからの」
「だな」

 ユーリも短く頷いた。
 ノアの勝手な行動が仲間たちに動揺を引き起こし、そこからひと悶着起きるかと思ったが。レイヴンは安心した。ノアが奔放で気ままで予測不能なことを、ユーリたちは十分なほど思い知って来ている。今回は少しばかり事が大きかったが、そんなノアの気紛れとして、彼らはすんなり越えてみせた。何より今はすべきことがある。

「ノア、オレたちは始祖の隷長が精霊になってくれねえかこれから頼みに行くところだ。おまえはどうする?」
「もう少し、体を癒してから合流したいな。まだ安定して動くのが厳しくて……」
「それじゃあ、ノアが休んでいる間に私たちは始祖の隷長のもとを訪ねましょう」
「うん、ジュディスのその案で頼みたい」

 人の姿でいるより狼の姿を取るほうが楽だというのはいささか気にかかったが、言及する余裕はなかった。
 バウルから急の知らせを受けたジュディスが、血相を変えて皆に告げる。

「星喰みの眷属が街を襲っているらしいわ。場所はノードポリカ」
「やれやれ聞いちまったら放っとくわけにいかねえな。急ぐぞ!」

 ユーリの言葉に、エステルたちは頷く。歩みだしかけてふと、ユーリは立ち止まり、ノアを振り返った。

「んじゃあ、一段落したらまた来るわ。それまでじっとしてろよ」
「うん。何かあったらウンディーネにお願いしてエステルに伝えるよ」
「何か起こさないでじっとしてろって言ってんだろが」

 聞き分けのねえ奴だな、と呆れたように再び歩を進めるユーリと仲間たちの姿を、ノアは微笑みながら見送った。
 ……アレクセイとまた二人きりに戻ると、ノアは彼に向き直る。何も言わずにアレクセイへ治癒術を施し、それから一息ついて地に伏せる。
 そんなノアを、アレクセイは心底不思議そうに見つめていた。

「お前は私が憎いのだろう。どうしてそこまで出来る?」
「あなたみたいに賢い人は、やり方さえ間違えなきゃみんなの役に立つこといっぱいできるはずだから。私と違って」
「……昔から君は自己評価が低すぎるな」

 どこか自虐的な狼の呟きに、アレクセイはたまらず笑みを零した。命を奪う敵同士だった相手に向けるにしてはあまりにも優しく穏やかなものだった。しかし、その表情を見たノアは、やはり敵同士だったとは思えないほど呑気に和やかに言った。

「ああ、アレクセイさんの本当の顔って、それなんですねぇ」

 次こそは両断する、と宣言した相手に向けるにしては、あまりにも優しい姿だった。
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