わたしたちに遺されたもの
 ノア、聞こえてますか? わたしです、エステルです。
 ずっと探していたユーリが見つかりました。ザウデから落ちた時に酷い怪我をしたみたいですけれど、わたしが何とか治せる範囲でした。すぐにでもみんなに会いに行こうとするユーリを止めるのはちょっと申し訳ない気持ちがしました。けれど、ノアも同じふうにするんじゃないかなって思います。あなたがくれたペンダントを握り締めると、不思議と心が落ち着きます。治癒術を使うときに“頑張れ”って言ってくれるように光るこの結晶が、ノアとは今会えないだけで無事だよって、知らせてくれているんだと思います。
 だから、ノア。わたしたち、ノアを探すのを諦めていませんよ?

『いやでもね、私よりまずはほら、空の上のモンについて考えなくちゃあ』

 ……なんて、きっとノアは言いますね。ノアはそういう困った人ですから。仲間としてしっかり言いたいです。ノアは無茶しすぎです! でも、どんな無茶をしてもけろっとした顔でわたしたちの前に出てくるのがノアですよね?
 ラピードもたぶんそう思ってます。だって今、わたし、ラピードと話してますから。わたしが一人で話しかけているって言ったほうが正しいのかもしれません。でもラピードは、静かにわたしの言葉に耳を傾けてくれていますし、「ワン」って返事もしてくれました。ノア、ラピードからも“無茶な奴だ”って言われてますよ。
 ――ユーリを見つけたわたしとラピードは、翌朝、帝都にやってきたパティとジュディスに合流しました。ザウデの調査について家でまとめているというリタを迎えに、わたしたちはアスピオへと向かいました。
 リタはいつものツンツンとした口調でユーリに話しかけていましたけど、わたし、しっかりと見ました。ユーリを見た瞬間のリタのほっとした笑顔。とっても可愛かったです。
 そんなリタはすぐに真面目な魔導士の顔になって言いました。

「エステルに大事な話があるの。……エアルを抑制する方法が見つかったかもしれないわ」
「本当!? すごいです、リタ!」

 思わず興奮するわたしに、リタは少し苦い顔で続けました。
 ザウデで使われていた技術を応用すればエアルの抑制が可能で、けれどその為にはわたしの力――エアルに干渉して自在に術式を組み換える満月の子の力を使わなければならない。
 ――失敗すれば、エアルの乱れは一層強くなり、星喰みに世界は滅ぼされてしまう……。
 ……リタは、最後には一切の迷いない瞳でわたしを見つめてきました。

「きっとうまくいく。だからエステル、あたしを信じて力を貸して」

 息を呑みました。ペンダントを握り締めるのはすっかり癖になっていて、つい、力を使うとき以外でも頼りにしてしまいます。

「……怖いのかしら?」

 ジュディスの問いに、わたしは首を振って答えました。

「嬉しいんです。まだ自分の力が役立つかもしれないなんて。……リタ、わたしに出来ることなら何でもいってください」

 リタが具体的な案を練る間、わたしたちはカロルとレイヴンを迎えに行くことになりました。移動しながら考えられるから、とリタも一緒に。
 ダングレストに着いてすぐ、無事にカロルたちと会えました。カロルは涙ぐんでユーリの無事を喜んでいたし、レイヴンも安心したように目元を和ませていました。
 レイヴンたちがドン不在のユニオンの情勢に悩んでいる話を聞いている最中、不意にリタは、「そうか!」と目を輝かせました。

「聖核よ! あれ使えばうまくいくわ」

 エアル抑制のために、聖核を使うことを思いついたんです。でもドンに渡したべリウスの聖核、蒼穹の水玉の所在はわかりません。そこで、わたしたちとすれ違いで街はずれに出ていったハリーを連れ戻しにレイヴンが追いかけ、わたしたちは先にユニオンの中で待つことになりました。
 ほどなくしてハリーと共にレイヴンは本部へ戻ってきました。けれど、それでも、どんよりとした重い空気が漂うのは変わりません。ドン亡き今、ユニオンは先導を失っていました。孫のハリーも、ドンを亡くす切っ掛けを作った張本人だからとすっかりふさぎ込んでしまっていて……。

「ったくしょうがねえな。ユニオンがしっかりしなきゃ誰がこの街を守るってんだよ」

 呆れたユーリの言葉は、重い空気を動かしはしましたが、たくさんのギルドの人々の言い合いが始まってしまい、どんどん剣呑なものへと変わってしまいました。ぴりぴりとした緊張感に包まれ、この現状を打破しようと動いたのは……まだ少年のカロルでした。

「仲間に助けてもらえばいい、仲間を守れば応えてくれる。ドンが最後にボクに言ったんだ」

 カロルは刺々しい空気も視線もものともせず語ります。

「ボクはひとりじゃなんにもできないけど仲間がいてくれる。仲間が支えてくれるからなんだってできる。今だってちゃんと支えてくれてる。なんでユニオンがそれじゃ駄目なのさ!?」
「……少年の言う通り、ギルドってのは互いに助け合うってのが身上だったよなあ。無理に偉大な頭を戴かなくとも、やりようはあるんでないの?」
「これからはてめぇらの足で歩けとドンは言った。歩き方ぐらいわかんだろ? それこそガキじゃねえんだ」

 勇気あるカロルの言葉に、レイヴンとユーリも、もちろんわたしたちみんな頷きました。
 言い淀む幹部の人たちの横を、ユーリは通り過ぎました。これ以上ここにいてもなにもない、と。聖核を譲ってもらうつもりだったリタは大慌てで追いかけ、わたしたちもごく自然に続いていました。わたしたちにとってユーリに続くのは、もう、反射みたいなものなのかもしれません。

「どうすんのよ、聖核は!」
「あんな連中に付き合ってる暇あったら他の手考えた方がマシだ」
「他にって、そんな簡単なもんじゃないでしょうに……」

 ユーリとリタが言い合っていると、誰かが後ろから近づいてくるのに気づきました。わたしだけでなくみんな気づいていたようで、振り返ってみると、

「ほらよ」

 ハリーが立っていました。わたしたちが見るや否や、彼はユーリに向かって何かを投げて寄越します。それが蒼穹の水玉だとわかるまでそう時間はかかりませんでした。

「くれんのか?」
「馬鹿言え、こいつは盗まれるんだ」
「え?」

 ユーリとハリーのやりとりに、きょとんとするカロル。「恩に着るぜ」とユーリが笑うので、わたしも戸惑いました。
「他の連中に気取られる前に、さっさと行っちまいな」ハリーの言動に、レイヴンも思わず口を開きます。

「どういう風の吹き回しよ?」
「さあな。けど、子どもに説教されっぱなしってのも、何だかシャクだからな」

 そう言うと、踵を返したハリーはまたユニオン本部へと戻っていきました。
 カロルの勇気がハリーを動かしたのだと、わたしは思います。とっても嬉しいことじゃないです?
 次にリタは、ゾフェル氷刃海へ向かうと告げました。あそこのエアルクレーネと手に入れた聖核、そして満月の子の力でエアル抑制を試みるために。レイヴンはゾフェルの寒さを思い出して震えていました。きっととても冷たく厳しい土地なのだろうとわたしも思いました。けれど、わたしの力が星喰みへ対抗する一助となるかもしれないと思うと、心はびっくりするほど奮えて、熱くなるんです。
 ノアがくれたペンダントも、仄かに輝きを増したように見えました。


 ゾフェル氷刃海。肌に吹きつける風は鋭く冷たく、流氷の上にはかつてこの海を通ったであろう冒険者たちの武器が突き立てられ、刃の名を冠する理由は否が応でも知ることになりました。
 歩みを止め、ユーリはリタを振り返ります。

「んで、エアルクレーネでどうしようってんだ?」
「エネルギー体で構成されたエアル変換機を作るの」
「変換……機?」

 わたしが首を傾げると、リタは説明を始めました。

「エアルを効率よく物質化することで総量を減らすのが狙いなんだけど、そのためには変換機自体がエアルと物質の両方に近いエネルギーなのが理想なの。属性分化したエアルは段階的に物質に移行して安定する。その途中の段階で固定してそれで変換機術式を構築しようってわけ」
「エアルでも物質でもないってこと?」
「エアルより物質に近い、でも物質にはなってない状態。あたしらはマナって呼んでる」
「マナ……」

 カロルたちと一緒に、わたしはマナという言葉を噛み締めるように呟きました。
 このマナは安定しているとはいっても、物質よりとても不安定なため、核になるものが必要だそうです。その核にリタが選んだのが、蒼穹の水玉……つまり聖核。そして十分なエアルと、術式を組み換えるわたしの力。聞きながらわたしは、ノアがいたらもっと心強かったろうなって思いました。だって、ノアはエアルを組み換えて、このペンダントを作ってくれたんですよね。聖核とも魔導器とも違う、不思議で優しいクリスタル。
 ノアが一緒だったら……ノアが無事なら……。リタの話を聞きながら、みんなも思ったに違いありません。それでもわたしは、勿論諦めたわけじゃありませんでした。

「わたしが抑制術式なしで力を使うとエアルが乱れ、あふれ出してしまうけれど……」
「けど、何もしないであいつをほっとくなんでできない。それに――」

 ユーリはちらりと星喰みを一瞥した後、にっと笑いました。

「こういう賭けは嫌いじゃない」

 カロルたちの顔が輝きます。そしてわたしは、ふとジュディスを見ました。少し複雑そうな眼差しでしたけれど、心配はなさそうです。

「私は立場上、止めるべきなんだけど……。私も乗ってみたくなったわ。この賭けに」
「うちはその賭けに10億ガルド乗るのじゃ」
「大丈夫よ。理論に間違いはないんだから。その10億、何百倍にもして返してやるわ」

 リタの意気込みに、賭けたパティは目を真ん丸にして驚きました。楽しそうな笑顔で。
 エアル変換機の理論をリタが思いついた手掛かりは、アレクセイと戦ったあのザウデ不落宮にあったそうです。巨大な結界魔導器を動かしていたのはエアルではなく、満月の子たちから分離した力。エアルの暴走、星喰みに対抗するため、巨大な魔核に命を賭して力を託した満月の子たちは、千年もの間、世界を守り続けてくれていた……。
 ――満月の子らは命燃え果つ。
 世界を救うために、犠牲になって、わたしたちと、この世界を、ずっと守ってくれていたんです。
 ならわたしも、その力を持った者として、できることをやらなくては。
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