アンハッピー//ハッピーバースデー
 彼は確かにいつも通り悠々と過ごしている、はずだった。祝い事がある時は決まって酒場に集まり、早いうちから宴の席を楽しむのが彼らの過ごし方で間違いはない。今日はその祝い事の発生源が「アルハイゼンの誕生日」だっただけ。他の誰かの誕生日でも同じように過ごしているし、その他の祝い事だって酒場に足を運んでいる。要するに宴会をする口実で、祝い事を利用しているだけだった。
 旅人たちがたまたま酒場に立ち寄ったことについては、確かに今年初めてのことではあったけれど、それで「いつも通り」が劇的に変化したというわけでもない。つまりこの状況は本当にお馴染みなのだ、アルハイゼンという男の人間関係が今まで通りであれば。

「ところで、せっかくの誕生日なのに彼女さんはいないの?」
 思い出したかのように旅人の少年が口にした言葉に、アルハイゼンの向かいの席に座っていたカーヴェは思わず手に持ったグラスを落としかけた。幸いにも酒をぶちまけるという惨事には至らなかったが、咄嗟にグラスをキャッチしようと飛びかかったパイモンがテーブルに顔面を強打してしまい、小気味のいい音が酒場に響いてしまう。カーヴェの動揺から察するに、件の彼女について今日は話題に出すべきではないものなのかもしれない。だがしかし、言ってしまったものはもう遅い。旅人の言葉に対し表情を僅かに曇らせたアルハイゼンは、手にしていたグラスをそっとテーブルに置いた。
「彼女はここには来ない」
「どうしてだ?」
「アビディアの森にいるよ。残念だけど、終わらないってさ」
「ティナリ!」
 アルハイゼンが理由を答える代わりに、旅人たちの背後から聞き慣れた声。二人が振り向くと、到着したばかりのティナリとセノが席へとやってきた。
「長引いているのか」
「そうみたいだよ。来る前にキャンプを覗いてきたけど、学生たちが手こずってたね。あれは夜までかかると思う」
「ええと、どういうこと?」
「いわゆるチーム研究ってやつだな。あの人は学生たちの課題の付き添いだから、途中で抜け出せるものじゃない」
 ティナリとセノから説明を受けた二人は、そのまま申し訳なさそうな表情を浮かべながらアルハイゼンに向き直る。彼はいつも通りの無表情だったけれど、今の話を聞いてから改めて見るとやはりどこか曇った表情のように思えた。せっかく自分の誕生日というめでたい日なのに、大切な人は他人に奪われ自分のそばにいてくれない。そんな状況を考えるだけで、旅人とパイモンは自分のことのように落ち込みそうになっていた。
「君たちが気にすることじゃない」
「うう、でもさみしいだろ……せっかく誕生日なのに……」
「二十年以上前の今日に俺が生まれたというだけだ。いつも通りの日常である事に変わりはないよ」
「そ、そんなこと言うなよ! あいつはお祝いしたかったかもしれないだろ!」
「……ふむ、そう考えるか。いや、彼女からは既に祝ってもらっているんだ。本当に気にしなくていい」
「そうなのか?」
 パイモンが首を傾げている横で、旅人はアルハイゼンの恋人である小さな女性のことを思い浮かべる。以前セノと七聖召喚で遊んでいた際に出会った彼女は、明るくて人懐っこい小動物のような女性だった。あれでアルハイゼンやカーヴェよりも年上なのだと聞いたから、旅人は驚いてしまった覚えがある。そういえば、パイモンが彼女にアルハイゼンのカードを見せびらかした時はとても羨ましそうに嘆いていた。彼女はきっと、恋人のことがとても大好きなのだろう。確かに彼女のような人ならば、恋人であるアルハイゼンの誕生日は誰よりも先に祝っているはず。でも今はまだ昼下がりではないだろうか。
「二人とも、聞き流していいぞ。今のは惚気だから」
 先程まで狼狽えていたはずのカーヴェが、呆れたような声色で吐き捨てた。その言葉にアルハイゼンが彼を睨みつけていたけれど、ティナリとセノもカーヴェに同調していたため、惚気という言葉の意味に気付いた旅人は思わず吹き出してしまった。
「そういうことか」
「どういうことだ?」
「パイモンは気にしなくていいよ」
「ず、ずるいぞお前だけ!」
 自分だけが理解できない事に暴れるパイモンの口に、ティナリがジャムをたっぷり付けたデーツナンを放り込む。その様子を眺めながら、旅人はおかしそうに笑った。
 要するに、彼らは朝から共にいたのだ。もっと具体的に言うと、昨晩の時点でだろうか。なんせ恋人同士なのだ、前日から一緒に過ごしていてもおかしくはない。
「祝いの言葉はいつごろもらったの?」
「……日付が変わった時に」
「やっぱりか。良かったね、アルハイゼン」
「ああ」
 先程まで表情が曇っていたのは気のせいだったのかと思うほど、昨晩の事に想い馳せる彼は穏やかな笑みを浮かべていた。

***

 まさかこんな遅くまで、学生たちに付き合う羽目になるなんて。

 生論派の学生たちが野外研究のチームを組み、その講師としてわたしがたまたま捕まってしまったのが先日のこと。どうしても学生たちのスケジュールが今日明日しか空いていなくて、レンジャーたちの協力のもとわたしたちはアビディアの森でキャンプを立て、植物研究の課題に取り組んでいた。わたしは次の日まで残ることはしたくなかったから、なんとか帰宅するように予定を調整してもらった。
 そんなこんなでもうそろそろ日付が変わってしまうような時間帯だ。キャンプの護衛に付いてくれていたレンジャーのひとりにシティまで送ってもらい、ようやく帰路につく。今日は大切な日だったのにな。
「あかり、ついてる……」
 家の前に到着したところで、居間の照明がついている事に気づく。ということは、彼がうちにいるのだ。わたしは大急ぎで玄関の扉に駆け寄り、慌てふためく手つきで鍵穴に金色の小さな鍵を差した。
「アルハイゼンさん!」
「おかえり」
「わぷ」
 扉を開けて彼を見つけるより前に、わたしは彼の胸元に顔面をぶつけてしまう。どうやらわたしが帰宅した事に早くも気付いたらしい、彼は玄関で待ち構えていたのだ。かちゃりと鍵を閉める音が背後に聞こえ、それからぎゅっと抱きしめられる。
「ごめんなさい、ギリギリになっちゃいました」
「構わない、お疲れ様」
「今日は楽しい一日をすごせましたか?」
「いつも通り……いや、君がいないのは寂しいと感じたよ」
「わお……」
 せっかく彼の誕生日なのに寂しい気持ちにさせてしまった。やっぱり講師は断っておけば良かったかな。でも学生たちに声をかけられた際、わたしに行くように促してきたのは一緒にいたアルハイゼンさんなのだ。あの時の彼は本当に、今日という日をただの日常と思っていたのかもしれない。
「来年は絶対に予定空けますね」
「気にしなくていいよ」
「やですよ! ただの日常じゃなくて、わたしにたっぷり祝われる日だと思ってください」
「……好きにするといい」
 素直じゃない言葉を口にしながら、アルハイゼンさんはどことなく嬉しそうに微笑んでいた。
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