幼い君に手を差し伸べよう
「君の部屋には他国の家具がいくつもあるな」
「ふふふ、国際的でしょう」
 ソファでくつろいでいるアルハイゼンさんが、低い本棚の上に置かれた花瓶に視線を向けている。実は今挙げた家具は全てスメール様式のものではない。ソファと本棚はフォンテーヌから取り寄せた品で、花瓶は稲妻産の陶器だ。フォンテーヌの家具たちはわたしがたまたま気に入って注文したものだけど、花瓶は違う。
「稲妻の父からの贈り物なんです、その花瓶」
「……君の出自を聞いても?」
「構いませんよ。母はここの出身ですが、父は稲妻の商人なんです」
 それからわたしは、身の上話を聞きたいという彼に自分の家のことをかいつまんで話し始めた。由緒正しい商家の長男として生まれた父と、知論派の学者だった母が知り合って結婚した話。家業の後継ぎになる息子を望まれていたのに生まれてきたのがわたしだった話。それから、祖父母にいないもの扱いされていたわたしのために、離婚した母と二人でスメールに移り住んだ話。学生時代に母が他界してしまい、その後は父からこっそりと仕送りをされている話まで。
 あんまり気持ちのいい話じゃないけど、アルハイゼンさんになら話してもいいと思ったからひと通り吐き出してしまった。案の定アルハイゼンさんは渋い顔をしていて、わたしが思わず笑い声を上げると彼はわたしを掬い上げるように抱きかかえた。
「君の低い自己肯定感の原因はそこか」
「え?」
「無意識かもしれないが、君は時折自分が必要な存在なのかを回りくどい言動で確認することがある。自覚は?」
「な、ないです」
 彼の指摘には覚えがなくて、首を傾げてしまった。でも確かに、わたしは彼に飽きられることを怖いと思ったことが何度かある。今はずっとわたしに目を向けてくれているけど、その視線がいつ外されるかなんて、未来のことは何もわからないのだ。永遠にこの関係が続くことを願っているけれど、夢にまで見てしまったあの潜在的恐怖はきっと抜けないのかもしれない。
「幼少期に親族に不要扱いされた事が人格形成の歪みの原因だろう。今になってそれを治そうとして、一朝一夕でどうにかなるものではない。まあ、俺は治すつもりでいるが」
「む……」
「心配はいらない、俺が一生かけて君を構い倒すだけだ」
「すごいこと言ってる!」
 有言実行する気満々なのだろう、彼は得意げな表情を浮かべている。

 それにしても、身に覚えがあるような、ないような。わたしが心理学者として様々なテーマに着手している理由は、もちろん精神医療に役立ててもらいたいからだ。人々の営みに発生する様々な心の悩みに対し、支える手助けができるように言語化していくことがわたしの生涯の役目だと思っている。単純に人の感情の動きに興味があるのは当然だけれど、それらを言語化する事によって誰かの助けになりたかった。そうして自分の発信したものが必要とされていけば、わたしは世界の人々に貢献できた事になる。なるはずだと、そう思って生きてきた。
 この考え方は変えるつもりはないしこれから先も続けていくけれど、言われてみれば確かに。わたしは自分が世界に必要な存在であることを強く願いすぎているのかもしれない。思考を、歩みを止めたら見放される気がしていたからだ。誰からなのか、何からなのか、漠然としているけれど。
 
 実をいうとわたしは昔、神の目というものに憧れを抱いたことがあった。神様に視線を向けられた証、まるで神様に必要とされた人材のようで、なんと羨ましいと思ったことか。でも、わたしのような凡人には決して手に入れられない高嶺の花のようなもの。だから憧れの感情そのものをなかったことにして、今自分にできることを一生懸命頑張ろうと、アムリタ学院の門を叩いたのだ。
 
 アルハイゼンさんの外套に取り付けられた神の目に手を伸ばしてみる。宝石のようにきらきらとしたそれは、思っていたよりも小さく感じた。神の目に触れた人が、神に見てもらえないわたしを捕まえて離さない。それって、意外とすごいことなのかも。
「わたしがきみのような人に必要とされてるのって、やっぱりなんか変ですね」
「ふむ、また説教が必要か?」
「やですよ!」
 彼に怒られてしまう前に「幸せを噛み締めてるんです」と告げれば、何故か無言でくちづけの雨が降ってきた。一体なんのスイッチが入ったんだ、助けて! 彼の猛攻をなんとかいなし、彼の両頬を包み込むようにして制止した。まだ物足りなさそうな、なんとなく不服そうなアルハイゼンさんはわたしをじっと見つめている。怒ってはいないみたいだけど、機嫌は良くないらしい。参ったな。
「今が一番幸せだ〜って、思ってるんですよ」
「ならいい」
「そうだ、アルハイゼンさんの子供の頃の話も聞きたいな」
「特に面白みはないが……」
「面白くない話をしたわたしにそれ言います? わたしだってきみのことはもっと知りたいんだから」
 意外ともちもちしている彼の頬を撫でる。抵抗はされない。ほとんど何もかもを彼に許されていることが、彼に必要とされていることが、とてつもなくうれしいとわたしは改めて感じていた。
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