噛む行為による男性心理
 がり、と軟骨が擦れるような音が耳元に響きわたしは思わず顔を顰めた。耳輪に歯を立てられたのだろう、強めの痛みを感じたわたしは背後の彼に抗議の声を上げた。
「痛いですよ」
 咎めの言葉を投げかけるも、彼はなぜか行為を止めようとしない。噛んだばかりのそこに舌を這わせ、それから少し下に移動して今度は耳たぶに噛みついた。

 アルハイゼンさんはこうして私の身体の何処かを噛むことがある。鼻を摘まんだり頬をつねったりは割と日常茶飯事だったのだけれど、まさか噛み癖まで発生するとは思わなかった。彼の加虐衝動に関しては、以前それとなく話をしたこともある。キュートアグレッションが行動に現れるのを我慢できない時が多々あるのはもう受け入れていて、わたしも嫌ではなかったから特に抵抗していなかった。でも、この噛み癖に関してはそれとは何か違う感情が乗せられているのではないかと、わたしは少しだけ疑っている。可愛すぎるものに接したときの脳の防御反応でも、制御できなくなったものへの反応でもない、なにかがそこにあるような気がするのだ。
「わたしのこと食べたいんですか?」
「いや……」
「ならどうしてそんなに噛むんですか。自覚、あります?」
「……あるにはある」
 自覚、あるんだ。もはや定位置と化しているソファの上、彼は先ほどまでわたしを膝の間に座らせていたはずなんだけど、流れるような動作で私は押し倒されてしまった。これは少し恥ずかしいかもしれない。木製の天井と、どことなく困ったような表情を浮かべる彼の顔だけが視界に映る。手を伸ばして頬を撫でれば、彼は揺らぐ瞳を隠すように瞼を閉じた。
「わたしに何か言いたいことでもあります?」
「……」
「うーん、ならマーキングとか?」
「……違う」
「じゃあ、構ってほしい?」
 噛む行為による男性心理でわたしが思いつくものを順番に上げていけば、構ってほしいのかと聞いたところで彼は少しだけ反応を示した。
 それはおそらく、わたしの気を引くための行動だ。これは「ストローク」という幸せの感情が枯渇している表れで、わざと相手に不快な思いをさせることで相手の気を引き「負のストローク」を得ようとする行動だと思われる。わたしに構ってほしくて、わたしに怒られるのを覚悟の上で、彼はわたしのことを噛んでいる。まあそんなことをしても怒ったりはしないのだけれど、つまり今アルハイゼンさんは愛情不足を感じている、ということ?
「ご、ごめんなさい」
「何故謝る」
「たぶん、わたしのせいだから」
 頬に添えていた腕をそのまま首に回し、わたしは思いっきり彼を引っ張った。大柄な彼に押しつぶされれば苦しいのは承知の上だ。それでもわたしは今すぐ彼を構い倒さないといけない。さすがにわたしに体重をかけるのはまずいと思ったのか、彼は肘をついてわたしに体重を預けないよう身体を支えている。でもそんなのお構いなしだ。わたしはぎゅうと彼に抱き着き、それから広い背中を撫でた。確かにわたしは最近がんばって彼と触れ合おうとしているけれど、それでも彼がしてくる頻度に比べればほんのささやかなものだ。彼が喜ぶことはわかっているのに、どうしても恥ずかしさが勝ってしまい、抵抗感がある。それがこんな風に、彼を欲求不満にさせてしまっているとは思わなかった。反省しないといけない。
「自分からスキンシップを図るのが照れ臭いなんて、思っちゃダメでしたね」
「……欲を悟られたくはなかったんだが」
「それはちゃんと言ってほしいかな、きみの求めてることはもっと知りたいですよ」
「なら、もっと構ってくれ」
 素直にそう告げる彼は、なんて可愛い人なのだろうか。アルハイゼンさんは決して無口ではないけれど、自分の本心を上手く隠して冷静で理性的な態度を装う人だ。こうしてストレートな要求を引き出してみると、彼の本心の柔らかな部分を感じられてなんだかときめいてしまう。好きだなあ、この人のこと。
 抱き着いていた腕を緩めて彼の表情を伺えば視線が合う。いつ見ても綺麗な、緑に朱が差す不思議な色だ。わたしはもう一度彼の頬を撫で、それからゆっくりとくちびるを寄せた。不足なんて感じさせないほど、もっとわたしも愛情を押し付けないとなあ。
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