世は瑞光より目映し
 私の呪詛師としての生涯の始まりは至極単純です。
 幼い頃に私が目を合わせてしまった所為で呪霊に襲われ両親を亡くし、唯一生き残った姉と共に親族の家を転々としてきました。
 家を渡り歩く中で、最終的に私達を引き受けたのが遠縁の呪詛師の男だったのです。
 男は私に呪術の才があったのを見抜いていたらしく、呪術のみならず人の殺め方を叩き込んできました。従順であれば男は私達……特に姉には一切干渉してこなかったので、私はすぐに理解したのです。私の術式こそ、姉妹が生きる為に必要なのだと。私が人を殺せば、血を分けたたった一人の家族の絆は守られるのだと。そう信じて何人も屠ってきたのです。

 そうして暗殺に小慣れた折に、あの人……甚爾さんに出会い、私の内で新しい感情が生まれました。
 出会った、と言うよりあれは双方間遠に睨み合っていただけですが。
 兎も角、禪院家を出ていない頃の甚爾さんの姿を初めて見た時、これまで身内に無かった何かが弾けるように芽吹いた気がしたのです。

 それから月日が経ち、彼が裏側の世界にやって来てしまった事を知りました。
 私は彼にすぐさま会いに行き、この仕事に手を染めないよう呼び掛け、それでも聞き入れてもらえず次には半ば強引に仕事を奪ったりと具に働きかけていました。
 結局私の矮小な力ではどうにも出来なかったのですが、一時期、唐突に界隈から彼は姿を消しました。
 聞けばとある女性のお陰で彼は依頼を一切引き受けなくなったそうで、喜びと複雑な感情に、ひどく胸が締め付けられたのをよく覚えています。

 しかし、その嬉しさも束の間。数年を経て再び彼はこちら側に戻って来てしまいました。
 それだけではありません。彼を穢らわしい世界から引き離してくれた女性との間に授かった、何より大切な筈の実子さえ捨て置いた彼の身は、完全に地に堕ちたのだと覚りました。
 もうどうする事もできませんでした。かつてのように私が減らず口で捲し立てても、もう彼の瞳の中にすら映してもらうことさえ叶わなかったのです。

――…………そして。甚爾さんは身を滅ぼした。

 生前を想起しながら私は新たな住処の畳の上に寝転がり、天井の木目を眺めていました。
 本当にこれが過去の世界ならば、先程も言ったように私は何の為に来たのか。誰かが敢えて呪霊に襲われる甚爾さんの側に現れるよう仕向けたのだとしたら、私は彼の未来を変える為にいるのでしょうか。例えば、甚爾さんが死を迎えずに済むきっかけを作る為だとか……。
 しかし、仮にそれが目的だとしても、手段が全く見えてきません。この時代で私は何をどうしたら正解なのでしょうか。

――今の内に禪院家を壊してしまう、とか?……いやいや、私の術式は潜入や潜伏なら特化していますが、一級術師と真っ向から殺し合いをすれば犬死は確実。だからと言って、闇討ちするには対象が多すぎる。現当主や次期当主候補を数名手に掛けたとて、後釜は何人でも湧いて出てくる。御三家として機能しなくなる程の損害を与えるのは至難の業でしょう。

――それに、もしも天に味方され御家が崩壊したとて。彼が今よりも恵まれた生活を享受出来る保証は何処にも無い。崩壊の折に私も命を再び落とせば見届けることも出来ない。

――…………。私は、どうしたいのだろう。

……そう思った途端に横溢したのは「甚爾さんにその命を大切にしていて欲しい。彼自身だけではなく、彼の命を繋ぐ存在も含めて、尊ぶべきものを手放さないで欲しい」という願いでした。
 ただ、果たして私がそんな風に彼の内面を変えられるかどうかは怪しいです。
 今の時点で方法さえ思い付かないのですから。けれども一縷の望みに賭けてみたい。それだけは強く胸懐に溢れていました。

 どうせ私は亡者に過ぎず、本来ならば何も出来ずに死んだ愚か者です。
 これが仮に夢幻であったとしても、未来に繋がる真の過去だったとしても、そこに大いなる意味など無いのかも知れません。
 私如きが好き勝手足掻いたとて現実にさして影響など無いのかも知れません。終わりを迎えても、私一人が虚無に沈むだけでしょう。難しく考えても無意味に思えてきました。

「とりあえず、手探りながらもやりたい事を何でもやってみますか」
 怪我の功名とも言えましょう。死んで開き直った所以か、いつになく私は前向きになっていたのです。

 甚爾さんは呪術界の名家に生まれながら、術式どころか呪力さえ全く持ち得ません。ですから、禪院家に於いての扱いは大層悪かっただろうと想像はしていました。
 しかし、こんなにも御家からの処遇が悪質で下卑ているとは思いませんでした。呪力がないのだから、いつ死んでくれても構わないと言われているようなものです。きっと連日の如く、稚い思考に昏い洗脳が刻み込まれていったのでしょう。
 こんな状況で自分を強く持て、己を大事にしろと言われても返って残酷な言葉となるに違いない。
 ともすれば今の彼には説法など不要。大切に扱われるとは如何なものかを身を持って体験してもらうのが先決でしょう。

 この小屋を拠点として、長期潜伏の基盤が整い次第、また彼に会いに行くとしましょうか。
 明確に死に準じる体験をした人間は、何事にも恐れない心を得る事があるなどと聞いた事がありましたが、まさか自分がその心境に心から共感出来る日が来るとは思いもしませんでした。

 敷地の外れとはいえ、数ヶ月や数年の滞在はいつ禪院家の隊に発見されて残虐な刑に処されてもおかしくはありません。
 下手をすれば今日の内に呆気なく発見され、二度と甚爾さんに会えない可能性だってあります。それでも私はここに留まる意思を曲げようとは微塵も考えてはいません。

……断じて幼少の甚爾さんが可愛くて仕方がないので兎に角構いたいとかそういう邪念めいた思惑ではないのですよ。断じて。

邂逅と思惟に惑えば
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