僕と一緒にいよう
結婚しよう。
そういわれたときは、一体なんだと呆けたような顔をしてしまった。いや、本当に突然だったのだ。彼がそう口にしたのは。
私は書類を纏めていた手を止めて、一時停止する。ゆっくりと彼が言った言葉を咀嚼して飲み込むころには、私はとても泣きそうになっていた。
「どうして」
とてもプロポーズされたとは思えない言葉だと思っただろう。だが私が一番そう思った。しかしながら私は、彼とは結婚しないものだと思っていた。私はいわゆる異世界の人間なのだから、いつかは元居た場所に帰りたいのだ。結婚なんてしてしまったら、ここから離れられなくなってしまうだろう。
彼もそれはわかっているはずだ。なのにどうして?
付き合い始めた当初は、私が元の世界へ戻れるようにと動いてくれていたのを知っているし、がむしゃらにこの世界で生き残ろうとしている私を彼はサポートしてくれていた。彼はとてもやさしい。「帰ることが出来るといいな」と何度も慰めてくれたことだってある。
でもプロポーズをしたということは、遠回しに私にこの世界に残ってほしいと言っているのだ。
彼の顔を恐る恐る見ると、パッチリと視線が合った。
「わたし、元の世界にかえりたい」
震える唇でそう呟いた。まるで独り言のようだったが、彼はしっかりとその耳で私の言葉を拾ったようだ。
ダイニングの椅子に座っていた彼は立ち上がり、私の目の前へと移動する。そしてソファに座っている私のもとにしゃがみこんで、私の左手を取った。少し引っ張ってみたが、彼が私の手を離すことはなかった。
「俺のことは嫌いか」
「そんなこと、ない。とても好きだよ。助けてもらった恩だってあるし、離れがたいのもあるけれど、」
「俺はお前を愛してる」
「・・・・・・ノア?」
「手放せないんだ。何度も悩んだが、やはりななしを元の世界へ戻すわけにはいかない」
「な、なんで?帰してくれるって、最初は言ってた!」
強く言い返すと、彼は眉間にシワを寄せて辛そうに私の頬へと手を伸ばした。振り払おうとしても力が強すぎてできない。固定された顔に困惑していると、彼からとんでもない言葉が出てくる。
「最初だけだろう?今俺はお前を離すつもりはない。お前から離れようものなら足を削ぎ落したっていい。すまない、本当にななしのことを愛しているんだ・・・お前だけはいなくならないでくれ」
そういいながら私の足をなでるものだから、ぞわぞわと恐怖が体中を駆け巡った。彼ならやりかねない。彼のことをよく知っているし、彼のジャッジマスターとしての立場も、知っているから、余計に。
ヒッ、と小さく悲鳴をあげた私に気を良くしたのか、少しだけ彼の眉間のシワがなくなっている。
「す、すきだよ、好きだけどそれは・・・」
涙が出る。あまりの恐怖とショックに、私に危害を加えようとしているノアになぜか縋り付こうとする辺り、本当にこの世界での私の救いは彼しかいないのだと思い知らされる。
「ノア・・・」
彼の名前を呼ぶ。でも、彼は私の意思にはこたえてくれない。
どうしたらいいのかわからなくなって混乱を極める私に、彼はただ最後に一言、今の私の現状を突き付けるのだった。
「お前が帰る手段は探していた。だがそれはすべてななしを帰すためじゃない」
ななしが帰ってしまわないように、その手段を探して、潰していたにすぎないのだ。
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