「朝ごはん」

 金色の朝靄の中、その朝ごはんとやらが頭にコツンと落ちてきた。眠い目を擦って見上げれば、背の外套を風呂敷代わりにして摘んできた実を抱えながら、至近距離で顔を覗くルーと目が合った。その姿は…ちんまりしている。残念なのか安堵なのか、とりあえずユーリの口から長い息が吐かれていた。


「…」
「ユー?」
「…なんだ夢か」
「ま、夢にしたい気持ちもわかる」


 その言葉を聞いて再び溜め息が吐かれたのは言うまでもない。


「安心しろ。ただ夜になるとちょっとばかり成長するだけだ」
「ちょっとじゃないだろどーみても」
「そう気にするな、朝になれば元に戻る。実際不便なことは何もないぞ」
「利便性について言ってんじゃねえっての」


 じんわりと絡まるまどろみから逃れてようやく眠気が取り払われる半面、未だに夢見の感覚に囚われていた。じめりと伝わる草露の冷たさに、ぼんやりと状況を考える。目を合わせれば、大して気にも留めてないのか当の本人はあっけらかんとしていて、落とされた実を拾ってガリッと齧ったなら、嫌でも完全に近い覚醒が起こった。


「にがっ!」
「そうか?未発達な舌だな…」
「例え舌が進化してもこの味に慣れる自信はないけどな。…。そういやエステルとレオは?」


 ルーは視線だけを森に注いだ。


「すぐに戻る。朝食採りに森に行って私だけ先に戻ってきた」


 ルーの言葉をなるほどと頷いてユーリは口を開いた。


「で、昨日のことか? 別に口止めしなくったって話しゃしねえよ」
「そういう心配ではない」


 声色は変わらない、けれど俯いて言いにくそうに言葉を探す。再度見上げた濃茶の瞳が光り、口元が凛と引き結ばれていた。ざわざわと草原が唄う音が強調されるほど、一時の静かな静寂だった。


「隠すつもりも隠す必要性もない。私にしてみれば取るに足らないことなのだ。ただまさか初日で知られるとは思ってなかっただけの話で。まあ、その、…なんだ?」
「不都合なことなんざ何もねえぞ。ルーが嫌なら止めやしねえけどな」
「いいのか?」
「いいも悪いも。お前だって今言ったろ、取るに足らないことだって。しかもまだ始まったばっかだろ。いちいち気にすんなよ」
「…ユーの理解力には感服する」
「誉められてんのか?」


 疾しいことも矛盾することもない、柔らかに自分を見つめるダークブラウンの双眸。なんだかこそばゆくなってユーリは唸るように鼻の頭を掻いた。


「旅の目的なんだな。元の姿に戻るのが」
「…。ああ」


 ルーは少しだけ考えるように頷いた。風が吹いて、紅い頭巾から流れる茶髪がそよそよと凪いでいた。


「にしても遅いな」
「そうだな…レオがいるから大事はないだろうが、一旦森に戻るか」


 座り込んだユーリにルーが手を差し伸べる。殆ど自力で立ち上がったものの、きゅっと握り返した手のひらは驚くほど小さいものだった。なんとなく、自分が起こす全ての音が明瞭だと感じた。今なら瞬きの音も聞こえそうだ。その感覚を打破しようとしたのかはさておき、ユーリはその手を引いた。地を蹴る音が粗野に響く。2人はクオイの森へと駆けだした。


…ところでラピード、2人共行ったぞ。
 

「…わふー」


 ぐーっと伸びをして、ラピードは少し気だるそうに2人の後を追った。


* * *


「エッグベアめ、か、覚悟!」

 驚いた。森に入った早々、頭上を大剣が振るわれたなら。2人と1匹は咄嗟に避けて間合いを取った。ルーはいつものように相棒の名を呼ぶ。


「レオ!…って今いないんだった!」
「落ち着けルー」


 ユーリが空振りした反動でくるくるとよろめく大剣を折って制止をかけた。


「う、いたたた…」


 弾かれて尻もちをついた少年が頭を抱えてうずくまる。


「ん? こやつ、どっかで見たぞ」
「…あ! ビーストテイマーのルー!? なんでここにいるの!?」
「ああ思い出した。お主、魔狩りの剣…なのかよくわからんくらい隅っこにいた奴、そうそうキャロルだったか?」
「カロルだよ! しかも隅っこって!」
「魔狩りの…って砦で会った連中か。鬱憤晴らしにしめとくか?」
「そうだな、随分世話になったし」


 単調な口調だったが、強い語気で言われ少年はぐっと喉を詰まらせた。見計らったようにラピードがひょっこりとキャロ…カロルに近寄って、ふんふんと鼻を震わせたなら声高らかに悲鳴が上がる。


「ひいいっ!ボ、ボクなんか食べてもおいしくないんだから!」
「ガウッ!」
「ほ、ほほほんとに、たたたすけて。ぎゃあああー!」
「なんか忙しいガキだな」
「本当だ、うるさくてかなわん」


 気を取り直して。


「ボクはカロル・カペル! 魔物を狩って世界を渡り歩く、ギルド魔狩りの剣の一員さ!」
「オレはユーリ。んじゃ、そういうことで」
「じゃあの。もうレオ追いかけてくるなとあのでっかい奴にも言うておけ」
「へ?…って、待って待って待って!2人は森に入りたくてここに来たんでしょ? 2人だけじゃ心配だから、魔狩りの剣のエースであるボクが街まで一緒に行ってあげるよ」


 憤然と言って退けるカロルの表情をルーは面白そうに、少しだけ意地悪く微笑んで見下ろした(と言っても背丈はあまり変わらないので気持ち的な面で)。


「ほう、エースか。よかったな、レオがいたら間違いなく噛みつかれてるところだ」
「え!? あ…そういえばあの狼いないね…ほ、よかった…」
「それじゃあの」
「え、ちょ待って…」


 その時。カロルの言葉に構う前に、ルーはピクリと反応した。
 声を潜めて、耳を澄ます。猫が何もない空を見上げる時のように、ただじっと背筋を伸ばして目を見開いた。じぃとルーの視線が森の暗がりを見つめている。


「え?なになになに?」
「キャロル、静かに」


 異様な雰囲気に名前の訂正すら飲み込んでカロルは息を殺した。ユーリが抜刀した音が聞こえる。ラピードも同じく気配を感じたらしい、低い唸りが上がった。


「後ろだ」


 へ、と素っ頓狂な声に被さって、爪先の鋭い熊が茂みから顔を出した。カロルが振り向き様に上げた悲鳴は既に声でない。辛うじて出た魔物の名前が密閉された箱中のようにぐわんぐわんと反響した。


「エッグベアー!!」


魔狩の少年
(とりあえず驚くか叫ぶかどっちかにしてくれキャロル)
(驚いたから叫んでるんだよ!)

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