黙っていれば見た目はいいし、学業に関してはどの科目においてもほぼトップクラス。運動はあまり好きでは無いらしいがやればそれなりに動けている。同級生との付き合いは悪いわけでは無さそうだが、女子特有の集団行動は肌に合わないらしい。両親は生物学者でその影響か放課後は図書室の片隅でその手の学術誌を読んでいることが多い。趣味は人間観察で嫌いなものは変化のない事象。チェシャ猫のような笑みを浮かべ俺の事を御影と呼び、俺の持つコネには一切の興味が無く、それどころか初対面で「キミはとても退屈だ」と言い放つ。
ミョウジナマエとはそんな女だった。
▽
「よぉ」
「やぁ、御影」
顧問への提出物を出したついでに図書室へ足を伸ばすと、相も変わらず同じ席にナマエは居た。声を掛けるとお顔を上げていつもと同じように俺を呼ぶ。他の女子のように黄色い声も上げなければ猫撫で声で擦り寄ってくることもない。巧言令色な生徒が多い中でナマエは対極の存在だった。
「今日はキミの宝物と一緒じゃないのかい?」
「これから誘いに行くんだよ。俺はちょっと顧問と話があったからな」
そう言いつつナマエの向かいの席へ腰を下ろす。いつも誰も居ない俺だけの席──とはたまに現れる凪のせいで言えなくなったがそれでもやっぱりここは俺の場所だと言う思いは強かった。大きな大会も無いし、少しくらい話をする時間を取っても俺のプランに影響は出ないはず。
直ぐに立ち去らないと分かったのか、ナマエも学術誌を捲ろうとしていた手を止めてその手に頬を置いた。そして俺がいつものように同じ問いかけをするのを待っている。
「最近の俺の観察結果は?」
「この前の大会も凪と一緒に勝ったらしいね。サッカーは楽しい?」
「当たり前だろ、俺の夢に近付いてんだから」
「夢に向かって一歩ずつ進んで行くのはなんとも人間らしくて良いんじゃないかな」
凪とサッカーをするようになってから、以前のように「退屈だ」と言われることはなくなった。愉快そうに笑うナマエはやはり猫のようだと思う。ともすれば小馬鹿にされているようにも聞こえるその物言いが嫌だと感じないのは、きっとそれが俺自身に向けられた嘘偽りのない言葉だからなんだろう。
普段、俺の周囲には建前や世辞の言葉が溢れている。それは俺に気にいられたいとか、俺のコネが目的だったりするためのもの。そんな世界で生きてきて俺自身もそれが当たり前だと思っていた中、ナマエだけは出会った時からそんな言動が一切無かったから新鮮だった。興味があるのは地位でもコネでもなくて俺自身なのだとなんの躊躇もなく言い切ってくる。だからここで出会ったあの日から、俺は同じ質問を投げ続けているのだ。俺を、俺自身をもっと見ていて欲しいとそう思うから。
「ふぅん。つーか退屈じゃ無くなってんならいい加減、玲王って呼べって」
「まだたかだか半年くらいだろう?これからどうなるか分からないからね。いつ投げ出すかもしれないし」
「俺の座右の銘は『欲しいものは全部手に入れろ』。だから投げ出すなんてするかよ」
「その意気だ。停滞は衰退だからね、御影」
私が興味を失わないように頑張って。
俺を応援しているのか自分のためなのか分からない、なんなら後者の比率の方が大きいだろう言葉も都合良く受け取っておく。今日も名前を呼ばすことには失敗したが、まぁそれも俺の夢を叶える過程でどうにかなるだろう。停滞なんて自分を高めることが趣味のような俺の辞書には無い。そう思って時計を見るとそろそろタイムリミットが近付いていた。そろそろ凪を捕まえてサッカー部に行かねぇと。
「時に御影」
じゃあそろそろ行くわ。
そう言って立ち上がる俺をナマエが呼び止める。こいつが能動的に話しかけてくるのは珍しいな。ナマエとの会話は俺が話を振って始まるのが常だった。
「キミはまだ、凪と組んだ試合で負けてないんだっけ」
「全勝だな。アイツと俺が居て負けるはずがねぇよ」
俺が組み立てて凪がゴールを決める。もちろん俺も決めるけどな。そう伝えるとナマエはただ、そうか、と呟いた。
「なんだよ、含みのある言い方しやがって」
「いや別に?人間、負けた時から学ぶことだってあるんじゃないかと思っただけさ」
「はぁ?ンなもん経験しなくていいならそれに越したことはねーだろ。挫折から這い上がるっつーの?はっ、そんなもん俺たちには要らねぇ」
夢を叶えるためにはこんなレベルは全勝がマストだし、なにしろ挫折から這い上がるなんて弱いやつがやることだ。それになんか負けたり負けそうになったりした時に必死になるのってダサいだろ。俺と凪が組んでる時点でそんなことは有り得ない。
「ナマエも見に来いよ」
「気が向いたらね」
「お前なぁ。いつもそればっかりで一回も来たことねーじゃん」
「そうだったかな?」
とぼけるようなナマエの返しに溜息をついて今度こそその場を後にする。勝ち続けてれば俺から興味を失うことなんて無いだろ。流石に代表レベルになればさすがのこいつも試合に興味が出て見に来るだろうし。俺のプレーを見せるのはそれからでも遅くは無いか。
そんな呑気なことを俺は本気でそう思っていた。あの場へ招集されるまでは。
▽
俺と凪の元に青い監獄への招待状が届くまであと二日。
その白い封筒を手にはやる気持ちを抑えてあの場所に戻ってきた俺にナマエがいつものチェシャ猫顔ではなく「……おめでとう。きっとそれは御影にとって大きな糧になるだろうね」と曖昧に笑うまであと三日。
『敗北から学ぶ』
『挫折から這い上がる』
この二つを思い知らされるまではあと──
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