流転無窮


最初にして最も単純な感情  





 私には生物学者の両親が居て、多忙な二人とは幼い頃から普通の家族のように遊んだ記憶はあまりない。それでも私がそんな日々を寂しいとも、退屈だとも思わなかったのは二人の研究室にあった図鑑や映像資料のおかげだろう。生き物は面白い。
 中でもとりわけ私が興味を持ったのは同じ種なのに環境が変わるとそれに適応して多様な分化をしていくという【適応放散】と哺乳類であるイルカと魚類であるサメのように違う系統でも同じ環境に置かれると似たような特徴を持つものになるという【収斂進化】の二つ。

「前者で有名なのはダーヴィン・フィンチ、後者は魚類のサメと哺乳類のイルカのフォルムが似ていると言うものだね」
「へぇー」
「清々しいくらいに理解していないのが丸分かりな反応をありがとう」

 棒読みな白い生き物こと凪誠士郎は私の前でくぐっと伸びをして欠伸を一つ。

「例えば凪。キミの知っているペンギンはどんなやつかな」
「なにそれ。……こいつのことでしょ」

 手元のスマホを操作して「検索ワード:ペンギン」で調べた結果の画像を私に見せる凪。そこには可愛らしいコウテイペンギンのヒナが映し出されていた。

「そうだね。それが私たちの一般認識のペンギンで間違いはない。だけど本当のペンギンは北極に居たんだよ」
「ペンギンって南極にしか居ないんじゃないの」
「おや、よく知ってるね。そう、北極にペンギンは居ないんだよ。もうだいぶ前に絶滅してしまったから。その北極に居たペンギン、正しくはオオウミガラスと言うんだけどね」

 オオウミガラスの学名はラテン語でペンギンの語源になった名を冠していて、あとから南極で見つかったオオウミガラスに似た形のものを『南極のペンギン』と呼ぶようになった。その後、暫くしてオオウミガラスは絶滅。その結果、ペンギンと言えば凪が見せてくれたものを指すようになったと言うわけだ。

「こんな風に北極と南極と言う全く違う場所で別の種が似たような形になっていることを収斂進化と言うんだよ」
「……お前、ペンギンモドキだったの」

 私の説明を聞き終えた後、眉間に皺を寄せながらスマホの画面にそう話しかける凪が面白くてもう一つの情報を提示する。

「ペンギンモドキと言う生き物も存在したんだ。ペリカンの仲間と言われてたんだけどね」
「は」
「でも最近の研究だと実はペンギンモドキはペンギンの仲間だったんじゃないかって言う報告もある」
「なにそれもう意味不明」





「よぉ」

 凪との会話も一旦落ち着き、いつものように私が学術誌を読み耽り凪がゲームをしている空間に聞き慣れた声が響く。私と凪はそれぞれの手元から顔を上げ、ほぼ同時に現れた彼の名を呼んだ。

「やぁ、御影」
「玲王だ」
「俺が用事済ませてる間にまーた消えやがったと思ったらやっぱりここか」

 やれやれと言った表情の御影は凪の横にどさりと腰掛ける。どうやら今日はすぐに連れて行かないらしい。

「俺がゲームしててもほっといてくれるし。他の人も来ないし。難しい話はよく分からんけど、たまに面白い気もする」
「あぁそう。で?何の話してたんだよ」
「んー、ペンギン?」

 首を傾げながら答える凪に、御影も同じように首を傾げる。背の高い男二人が並んで首を傾げる様子はなかなかに面白い光景だ。そこで思い出したように凪が声を上げる。
 
「なんで玲王を観察してるのか聞いたらペンギンの話になってた」
「そりゃまたすげー脱線の仕方してんな」

 大事故じゃん。
 呆れる御影はそこから何かに思い至ったようで、あぁ……と呟く。
  
「そこからペンギンってことは収斂進化の話か」
「ええ、玲王なんでわかるの。こわ……」

 信じられないとでも言いたげに凪が顔を顰める。正直私も意外だった。まさか御影からその言葉が出てくるとは思わなかったから。

「俺も前にナマエから聞いてんだわ」
「まさか覚えてるとは思わなかったけどね」
「ナマエに言われた言葉は全部覚えてるな」
「それはそれは」

 普段大したことは言っていないつもりなのに、御影の記憶力は私の予想を超えているらしい。そんな私に御影はちらりと視線を寄越したと思うと頬杖をついたままで口を開いた。

「『私の趣味は人間観察でね。この学校ならいろいろな人間模様を見れるとだろう思っていたら、まさかあの大企業の御曹司と同級生になれるとは僥倖。でも意外と想像の範囲内の毎日でキミはとても……退屈だね』」

 その言葉に私は思わず目を丸くする。それは一年の頃、この場所から同級生に囲まれる御影を観察していた時に初めて声を掛けてきた彼に対して私が返したものと一言一句違えない言葉。
 
 彼の言葉通り、私の趣味は人間観察である。前述のように生物の進化に心奪われた私はまず最初に身近なものを観察するようになった。自宅のベランダで植物を観察してみたり、公園で虫や鳥を観察してみたり。そんな中でも一番身近でサンプル数が多いのは当たり前だけれど人間で、進化とまで大それたものでは無いにせよ、なかなかに興味深いものだった。白宝を選んだのもさらに面白い人間模様を観察できるかと思ってのことだったけれど、そこで御影に出会うことになるなんて私の選択に狂いはなかったと自分を称えたほどだ。
 容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能、総資産七千五十八億円の御影コーポレーションの御曹司。幼い頃から望むもの全てを与えられてきた彼の完璧さには一切の隙がなく、彼の周りには彼本人もしくは彼のコネ目当ての人間がひしめいていた。そんな彼を眺めるのはとても──退屈だった。人間観察は好きだけれど、予想の範疇を超えてこないものを観察する日々は退屈してしまう。

 それをそのまま正直に御影に伝えたのが先程の台詞だった。

「あんなこと言われて忘れられるかっての」
「……成果を尋ねられて虚偽の報告は出来ないからね」
 
 どうだと聞かれたから本心を述べたまで。
 そのスタンスはいつでも変わらない。現に私はそれ以降も同じ回答を何度も繰り返していた。御影が凪と出会うまでは。

「まぁインパクトはあったにせよ、過去はどうでもいいんだよ。今は退屈じゃねーんだろ」
「そうだね。キミが私の想像を超えてくれるかもしれないと思って楽しいよ」
「ならいい」

 私の台詞に満足したらしい御影は明らかに上機嫌だ。彼は感情が出やすいので何を考えているのか分かりやすい。スポーツをする上でそれはどうなのだろうかと余計なお世話なことを思っていると、御影が思い出したように私の名前を呼んだ。

「なにかな」
「なんか欲しいもんあるか?」
「欲しいもの?」

 別にキミになにか貰う理由は無いけれど。
 そう続けると、その問い掛けの真意を話し出す。どうやら私を買収する対価として御影の名前を呼ばそうと言う魂胆だったらしい。なんとも御曹司様らしいチープな解決手段はある意味私の予想を超えて来るから面白い。

「……っく、本当にキミは面白いね。じゃあ例えば国が1つ欲しいって言ったらどうするのかな」
「国……小さい島ならコネで何とか」
「あっはは、それは君じゃなくお父上の力だろう?」
「!」

 そこはコネも自分の力だと言い切ればいいだろうに、そこで押し黙ってしまうからきっと本人もこの提案には思うところがあったんだろう。

「あのね御影。私が興味あるのはキミの地位でもコネでもなくて、キミ本人だ。だからそうだね。これからも御影自身が私を退屈させないで居てくれるのなら、その時はちゃんと名前を呼ばせて貰うよ」 
「……その言葉忘れんなよ」

 真剣な眼差しで私を射抜く御影に、もちろんだと頷くと彼はようやく納得したようで席を立つ。立ち上がり際に凪のスマホを人質に取り、行ってくると早足に図書室を後にする御影。その背中へいってらっしゃいと声を掛けると、一動作遅れてやる気無さそうに凪がのそりと立ち上がった。そんな彼にも声を掛けると、だいぶ高い位置から見下ろす凪が、ねぇ、と言葉を投げてくる。
 
「さっきの名前の話、俺にも適応されるの?」
「おや。そうだね、凪は確かに退屈しないけれど……どうして?」
「別に。なんとなくアンタが玲王の名前だけ呼ばない理由、他にもありそうだなって思っただけ」

 やっぱり凪は私の想像を簡単に超えてくるから興味深い。私はそんなに人付き合いが良い方では無いし、元々そんなに呼び方にこだわりがあるわけでもない。だから大抵の人物は名字で呼ぶけれど、名前で呼べと言われればそう呼ぶことに抵抗はない。なのに頑なに私が御影の名前を呼ばない理由。それは──

「みんながそう呼ぶ中で私だけ呼ばないと、なんだか特別感があるだろう?」

 さっきみたいな面白い提案も見れるしね。
 なんてニンマリと笑って返すと凪はペンギンモドキの話をしていた時のように顔を顰めて、玲王よりめんどくさいね、と言い残した。

 


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