流転無窮


挫折は成功の前兆  






『俺が日本をU-20W杯で優勝させます』

 つい先程まで行われていた試合の決勝ゴールを決めた選手のインタビューが流れるテレビの電源を消す。興奮する解説者やアナウンサーの声が無くなった途端に部屋へ訪れる静寂。テーブルの上に置いたままのマグカップを口元に運べば、すっかり冷えきっているコーヒーに自分が思ったよりも試合に集中していたことを思い知らされた。
 
 サッカーに大して興味は無かった。嫌いなわけでは無いが、特別好んで見るほどでもない。それならば学術誌を読む方が私にとっては遥かに有意義だ。そしてそれは別にサッカーに限った話ではなく、スポーツ全般に対してそう思っている。きっと今日の試合も普段なら見ることもなかったのに、コーヒーが冷めるほど見入ってしまったのはひとえにそう――御影が出ていたからに他ならない。

 後半途中から交代出場した御影はストライカー育成プロジェクトとやらに参加する前とは表情も雰囲気も違っていた。退屈は停滞。それは御影がプロジェクトに参加することを伝えてきた時に私が言った言葉。あの時点では御影と凪のコンビに勝てるチームはこの辺りにはないと本人たちは思っていたし、現にそうだったのかもしれない。だけどそれでは停滞してしまう。順風満帆が悪い訳では無いし、御影が努力をしていないとも思わない。事実、彼は与えられているものに胡座をかく訳でも無く自己研鑽を惜しんではいなかった。

 その中で、私が御影に足りていないと思っていたものは挫折。コネでも金でも解決出来ない壁に向き合った時、そこで諦めるのかそれともその壁をどうにかしようともがき思考するか。そしてその答えは今日の試合でしっかりと示された。元々聞いていたものとは違うポジション。アナウンサーがちらりと言っていた、プロジェクト参加者は全員FWだったとという言葉が正しいのなら、殆どの選手は自分の希望通りではない場所での出場だったのだろう。御影が居たのはGKを除いて最後方。所謂DFと呼ばれるそれは動き方を始めとしてきっと多くの違いがあるだろうに、本職と遜色のない働きをしていたように見えた。もちろん私は素人だから細かいことまではわからないけれど。
 
 そもそも先発選手でなかった時点で御影があまり経験してこなかったであろう『選ばれない側 』に立たされていたことが分かる。これまでは『選ばれる側』もしくは『選ぶ』だった御影がそれでも折れずに、与えられた役割をこなしていた姿は私の興味を惹き付けるには十分過ぎていた。

「しかもどうやら御影の持ち味は『複写』らしいじゃないか」

 交代した御影の最初の見せ場。相手の13番を防いだプレーは2番のディフェンスを複写したような動きと解説されていた。そして危うく突き放されそうになったところを防ぎ、3-3になった同点ゴールが生まれる起点になったのも御影のプレーからだった。そしてそれはどうやら凪のスタイルの複写だったらしい。

 簡単に複写と言っても実際は簡単に出来ることではない。激しい動きの中で戦況を瞬時に見極めて、即座にどれを複写するか判断して実行するなんて元々の身体能力、観察眼、思考力、全てが高レベルでないと出来ないだろう。それを実現出来ていた御影は本当に万能型である。突出した能力が評価されやすい世界で、裏を返せば器用貧乏で終りかねないものを上手く昇華させようとしている姿は実に興味深かった。

「まるで虹色素胞を持つカメレオンだ。それにしてもまさか獅子ではなく避役の方だったとはね」

 近くにあった学術誌の表紙を飾る世界最小のカメレオンの写真を指で弾いていると、コンコンっと部屋の扉をノックする音が聞こえた。返事をすると開いた先に母親が顔を覗かせる。
 
「ナマエ、あの話なんだけど」
「あぁ、私もいま伝えに行こうと思ってたところだよ。その件なんだけど――」 

 
 ▽


 友人との買い物の休憩に使用していたカフェを出ようとした時、そのテラス席に見知った顔を見つけた。一緒に居のは確か先日の試合に一緒に出ていた選手たちだったように思う。私の視線に気付いた友人がどうしても行ってこいと聞かないので、仕方なく断りを入れて近付いて行くけれどその相手は私に背を向けているので気付かない。それがなんとなく面白くなって、なるべく足音を立てないように近付いた。

「やぁ、御影」
「!!ナマエ?!」

 いつもとは反対に、私の方から声を掛けると思った以上に驚いた顔の御影がこちらを勢いよく振り返る。そして周りの視線を受けた御影は私の手を取り、テラスの端まで引っ張った。

「そんなに驚くことだったかな」
「急に声掛けられたら誰でも驚くっつーの!つか珍しいな、お前が渋谷とか」
「友人に誘われてね」

 私の返答に、出掛ける友人とか居たんだなと返されるが別にそれはどうでもよかった。お互い相手も居ることだし、長話をするつもりは毛頭ない。

「この前の試合おつかれさま」
「っ!見て、たのか……?」
「見ていたよ。御影のプレーを見るのは初めてだったけれど、なかなかに興味深い試合だった」

 そう伝えると、御影は複雑そうな表情になる。それはきっとプロジェクトでいろいろな経験をして、まだ自分が納得のいく状態ではないことからくるものだったのだろう。少し前まで学校で試合を見に来いと自信満々に誘って来ていた御影の面影は無くなっていた。

「御影」
「……」
「プロジェクトに参加して悔しいことがあった?辛いことがあった?思い通りにいかないことがあった?」
「それ、は……」
「ふふ、いいじゃないか。悩むことはとても人間らしい。前に言っただろう?完璧は退屈だって。いろいろな経験や感情がキミをもっと変化させてくれる」

 今まで御影を観察していた私が保証しよう。
 そう言って笑うと、御影は一瞬呆気に取られた顔をした後、なんだそれ、とくしゃりと破顔した。

「観察は誰かさんの十八番だったな」
「複写にも必要な一工程だろう?」
「そーだな。まだ未完成な部分も多いからもっと高めていかねぇと。だからよく観察しとけよ、俺の進化を」
「御影が私を退屈させないでいてくれるならね」 

 因みに進化には退化も含まれるから気をつけて。あ?細かいことはいーんだよ。そんないつも通りの掛け合いに戻ったところで、そろそろ時間かと時計を見る。数字一つ分進んだ長針は丁度いい頃合だ。

「悪かったね、友人との時間を邪魔して」
「いや別に?ちょっと株とか投資の話をしてただけだから構わねーよ」
「相変わらず意識が高そうなことをしているね」
「高そうじゃなくて実際高いんだよ」
「それは失礼。じゃあそろそろ戻るよ」
 
 そう言う私の言葉を特に抵抗なく受け入れた御影は私の前を数歩分歩いたかと思うと、不意に立ち止まった。  

「なぁ、ナマエ」
「うん?」
「……カメレオンは、好きか?」

 残念ながら背を向けているので彼の顔がどんなものなのかは分からないけれど、なんとなく予想はついた。そして御影がどのような答えを欲しているかも想像がつく。けれどそれを素直に与えてあげるほど私がお人好しではないのもまた事実だった。
 
「御影。生き残るものがどんなものなのか知ってるかな?」
「は?質問してるものはこっちだって、」
「最も強いものでも、最も賢いものでもない。唯一生き残れるものは変化出来る者だよ」

 じゃあね、御影。
 そう残して私は店の外へと向かう扉へと足を進める。もう御影は何も言っては来なかった。



 ▽

 
「ナマエちゃん、もういいの?」
「言いたいことは言ったからね」
「ふぅん。あー、でもナマエちゃんがイギリスに行っちゃうの寂しいなぁ」

 はぁっと溜息を吐く友人の頭を撫でながら、私は今後のことを考える。
 以前から両親に対してイギリスの研究チームからオファーが来ており、今回それを受けるにあたって私はどうするかと聞かれていた。当初は私だけ日本に残る話もあったけれど、先日の御影の試合を見て決意を固めた。私も両親と共に渡英して将来的に同じ研究チームの一員となれるよう努力していこう、と。

「でも玲王くん驚くんじゃない?帰ってきてナマエちゃん居なくなってたら」
「どうかな。戻ってくる頃にはそれどころじゃなくなってるだろうさ」
「えー、結構執着強そうじゃない?」
「ふふ、それならそれもまた人間らしくていいじゃないか」

 そう口元を上げる私に、友人は呆れたように笑うのだった。
 

 


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