比翼連理


千切豹馬の激白  




※本編に塩様のサイト「07」で連載されている凪夫妻が出てきますが、許可を頂いた上で執筆・掲載させて頂いています





「ねぇ、お嬢さん」
「ん?」
「この空間落ち着かないんだけど」
「それは完全に同意」

 白やピンクを基調とした店内は、豪華な花で飾り付けられた入口の装飾に負けず劣らず女ウケしそうなアイテムで溢れ返っている。その甘い匂いに食べる前から酔いそうな俺と凪とは対象的に目を輝かせているのは、俺達が世界で一番大事にしている嫁達だ。そんな二人にテラス席でいいよな?と声を掛けると二つ返事で了承される。ケーキ選んでくるね、とは言っていたがショーケースまでの道中でフォトジェニックと呼ばれる類の装飾が満載の店内写真を撮るんだろうから、戻ってくるまでは暫くかかりそうだ。

「そーいや、凪の昨日試合のゴールやばかったじゃん」
「ありがと。アウェーに見に来てくれてるって思うといつもよりやる気出るよね。お嬢さんもそうでしょ」
「マジそれな」
「あのゴールパフォまだやってるの」
「当たり前。あれやめるつもりねーもん」
「かっこいー」

 凪の気持ちがこもってるんだかこもってないんだか分からない言葉を聴きながら店内を覗くと、ナマエと凪の奥さんはでかいウサギのオブジェの前で撮影会に興じていた。イースターが近いから卵やらウサギやらのモチーフが多いらしい。

 俺たちが居るのはロンドンの一角にあるカフェ。カップケーキが有名だと言うここは前からナマエが来たがっていた場所の一つだった。その話を凪の奥さんとの通話中にしたら、どうやら彼女も来たいと思っていたらしくあっという間に出掛ける予定の出来上がり。その話では俺と凪のチームがそれぞれロンドンで試合がある日の日中にナマエと奥さんが二人で来る予定になっていたが、ほぼ同時に俺と凪がそれを止めた。止める理由?んなもん、二人で出掛けてなんかあったらどーすんだってこと以外にあるわけが無い。凪も同じことを考えていて、スピーカーの向こうで「攫われたらどうするの。おれむりだよ、心配すぎて試合どころじゃない」といつものぶりっこを発揮していた。そしてその結果、試合後のロンドンに一泊することになり、翌日の今日四人でここを訪れている。

「こんなとこ、俺らだけじゃ一生来る機会ないっつーか来ようとも思わないよな」
「頭に浮かびすらしない」
「マジそれ。でもあいつに来たいって言われると、いーよって二つ返事で了承してる俺がいる」
「同じ。俺もあの子に言われたら断る選択肢無い」

 もちろん俺同伴でだけど。
 そう付け加える凪に完全な同意しか浮かばず思わず笑いが漏れた。こいつは奥さんに世界を滅ぼしてって言われても同じノリで了承してそうだな。

「奥さんがさ、ナマエと仲良くしてくれて助かってる」
「んえ。うちの奥さんも楽しそうだから俺としては問題ないよ」
「そ?ならいーけど」
「お嬢さんがそんなこと言うの珍しいね。なんかあった?」

 テーブルに伏せて話していた凪が視線だけ上げてこちらを見ている。なにかあったのかと言われると別段特別なことはない。今のチームでは監督の戦術との間にも大きなズレはないし、チームメイトとの関係も問題ない。毎日のケアを欠かしていないのが功を奏しているのか膝の調子も問題ない。それは実際に出場時間やゴール、アシスト数にも数値として現れているからそれなりの結果は残せていると言えるだろう。上を目指せばキリがないのでまだまだ満足はしていないが、充実感はあった。

「んー、別に俺自身には特に。試合にも出てある程度結果も出せてるしな。ただ本当にたまにだけど、ナマエにとってはどうなんだろうなって思うことがあるってだけ」

 移籍会見と言う公の場で外堀を埋めるように婚約発表をして、半ば攫うようにしてこっちに連れて来たのは紛うことなき俺の我儘。家族や友達、やりたいことだってあったかもしれないのにそれら全てを手放させたのは他の誰でも無い俺自身だ。

「それ、奥さんが何か言ったの」
「いや?あいつはそんなこと言わねーよ。ナマエは俺の選択を否定しないし、たぶんどんな我儘も受容してくれる。こっちに来たことに対して不満を言ったこともないな」

 移籍会見を聞いた時もナマエから出たのは不平でも不満でも不安でもなく「二年だけ待って欲しい」という言葉。そしてそれに頷くと、約束通りきっちり二年後に俺の元へとやって来た。待たせてごめんね、との謝罪付きで。本来なら謝るべきは俺の方だと言うにも関わらず、だ。
 泣き虫ではあるが決して弱虫ではない。
 ナマエとはそういう人間である。

「お嬢さんは優しいね」

 奥さんに何も言われないから逆に不安になった?
 そう淡々と告げる凪の大きな双眸に俺の姿が映る。
 俺と凪は割と似てるところがあると言うか、普段からなんとなく考えてることがわかることがあった。同類と言うか同じ穴の狢と言うか。だから柄にもなくこんなことを話してしまったのかもしれない。
 
「俺に優しいって言うのはナマエとお前と潔くらいだわ」
「結構いるし」
「俺も言いながら思った」

 そう言った俺に凪は「調子戻ってきたね」と表情筋が仕事を放棄した顔のまま返す。それが今は無性に面白くて、ぷは、と笑いが漏れると、同時に胸の中に溜まっていた何かが出ていったような気がした。

「まぁ、ナマエがこの生活が嫌だって言ったところで俺にサッカーを諦める選択肢は無いし」

 手元にあったメニュー表を適当に捲る。そこにはチョコレート天国やら赤のビロードやらを冠した名前が並び、その説明文を読むだけで口の中が甘ったるくなってきた。そしてその名前の横に視線を滑らすと、とてもカップケーキの値段とは思えない数字の羅列。

「かと言ってナマエを手放す選択肢もないからさ」

 俺はサッカーを優先するけれど、ナマエには俺を最優先して欲しい。
 言えば多くが呆れ、聞く人によってはぶん殴られそうなことを俺は本気で思っているし、そしてナマエはそれをなんの躊躇いもなく受け入れている。いつか誰かがナマエのことを『千切豹馬全肯定bot』などと称していたが、それはそれこそ俺が世界を滅ぼしたいと言えば「豹馬がそうしたいならいいんじゃないかな」と返すだろうと簡単に想像がつく程には徹底されている。 
 俺は今までナマエのある意味盲信とも言えるその考えに甘えてここまで来た。そしてこれからもずっとそうして生きていくんだろう。だからこそそんな彼女が望むことはなんでも叶えてやりたいと思う。例えば試合の翌日にこの甘ったるい空間に来ることも厭わずに、正直自分の中では見合わないような値段のそれをメニューの上から下まで全部与えてやりたいと、そう思うのだ。

「悩むならいっそ全部頼めばいいのにね。俺、あの子が全部欲しいって言ったら言うよ。ここからここまでくださいって」

 そしてどうやらそれは目の前の男も同じらしい。
 
「まぁでも絶対言わないのもわかってるし、そうしていいよって言っても困らせるだけなのもわかってるんだけどさ」
「それな」

 いっそナマエがもっと我儘で傲慢で欲深ければ楽なのにとすら思う。あれが欲しいこれが欲しいと言ってくれればそれらを与えることで免罪符に出来たかもしれないのに、なんて。

「あ。おかえり。買えた?」

 そう考えていると凪が先程までののんびりさはどうしたと言うレベルの俊敏さで顔を上げる。その視線の先に凪をそうさせることの出来る唯一の女の子がトレーを抱えて満面の笑みで立っていたからだ。

「見てたらどれも可愛いし美味しそうで決めるのに時間かかっちゃった。なぎごめんね、待ちくたびれたよね」
「だいじょーぶ。でも居なくてさみしかったから一緒にたべよ。たべさせて」

 凪のぶりっこは今日も絶好調だな。口を開けて雛鳥のように待つ大男に奥さんが一口運ぶ様子を見ると、昔テレビで見た自分より大きな雛に甲斐甲斐しく餌をやる親鳥の姿が過ったけれど気にしないことにしておいた。

「豹馬もごめんね。大変おまたせしました」
「おかえり。いいよ、楽しかった?」
「うん!装飾も可愛いし、ケーキもどれも素敵で二人ですごい頑張ったんだけど、どうしてもそれ以上絞りきれなくて二個買っちゃった」

 ナマエの言葉通り二人のトレーにはそれぞれ違うケーキが二つ鎮座している。その個数ですら申し訳なさそうにしている二人と、先程までショーケースの端から端までなんて話していた俺たちとの差があまりにもありすぎて思わず凪と顔を見合せ、俺は堪えれずに吹き出した。急に笑いだした俺に首を傾げるナマエ。凪は気にしないでいいよと言うように奥さんにまた一口ケーキをねだっている。
 
「なぁナマエ」

 ひとしきり笑った後に、ナマエの名前を呼ぶと飲んでいた紅茶のカップを置いて、ケーキを一口差し出してくる。
 
「お前の今一番の願いってなに?」

 差し出されたフォークをそのままに、そんな問いを投げかけた。それを聞いたナマエは目をぱちくりと瞬かせ、なんの迷いもなく言い切った。
 
「私の願いはあの時からずっと、豹馬が世界を熱狂させるのを傍で見届けられることだよ」 

 あぁ全く。
 その願いを叶えるためには今以上のパフォーマンスを見せなければならない。そのためにはサッカーに費やす時間を今以上に増やす可能性もあるのに、それも理解した上でそう言い切るのだから。

「やっぱり最高だわ」

 フォークを持つ手を掬ってナマエの手ごと、緩んで仕方の無い口元まで運ぶのだった。 


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