比翼連理


御影玲王の把捉  





「ではまず先に個別の撮影から行いたいと思いますので、御影選手と凪選手は控え室でお待ちくださいね」

 スタッフの人にそう告げられ、控え室に案内された俺と凪は各々時間を潰している。相変わらず黙々とゲームをしている凪を横目にタブレットに指を滑らすと、いつも贔屓にしている世界経済のニュース画面が現れた。日々の情勢チェックは俺がサッカー選手になる前もなってからも変わらない日々のルーティン。お、最近話題の新生ファンドがまたでかいとこに出資してんじゃん。もう少ししっかり動向見とくか。なんてことを考えながら、フリードリンクとして置かれていたコーヒーに手を伸ばそうとした時、控え室の扉が控えめにノックされる。もう終わったのか?意外とはえーのな。どーぞ、と声を掛けると、ゆっくりと扉が開いたが、そこに姿を現したのは先程のスタッフではなかった。

「えっと、すみません……千切の控え室ってここであってますか?」

 恐る恐ると言ったように顔を覗かせたのはこれまでに数度顔を合わせたことのある女性──今日一緒に雑誌の取材を受けている日本の赤豹こと千切豹馬の嫁だった。

「あれ、ナマエちゃん?千切の控え室もここだけど、いま別室で個別撮影行っててさ。どした?アイツなんか忘れものでもしてる?」

 遠慮して部屋に入ってくる様子のない彼女に近付きながらそう尋ねると、彼女はそうなんです、と苦笑して手元に持っていた封筒を差し出してくる。

「これが机の上に置いたままになってて……記入してた時に今日使うやつだって言ってたので、無いと困ると思ってクラブに連絡したらここに直接持って行って欲しいって頼まれたんです」
「あー、それいるやつだわ」

 彼女の手元にあるの大判サイズのそれは俺と凪が渡されていたのと同じもの。撮影後に予定されているインタビューに使われる予定の一問一答形式のアンケートが入っていたものだ。そんな大事なもの忘れてくるなんて何やってんだよ、と内心突っ込んだところでハッとして凪を振り返る。するとその視線を感じたのか凪は横に放っていたリュックをごそごそと漁り、中から彼女の持っているものと同じ封筒を取り出した。忘れてないよ、と言いたげだがお前のそれはほぼ間違いなく奥さんが準備してくれたやつだよな。分かってんだからな。でもそれを突っ込まないでおいてやる俺は凪の良き理解者だ。

「あの、御影さん。申し訳ないんですけど、これを千切に渡して貰ってもいいですか?」
「それは別に構わねーけど、千切に会ってかなくていいの?」
「お仕事の邪魔するのは悪いので」
「待ってなよ」

 俺が封筒を受け取ると、ぺこりと頭を下げてその場を後にしようとした彼女を引き止めたのは意外にも凪だった。座ったままそう一言告げた凪にナマエちゃんは驚いたようにぱちりと一度瞬きをする。わかる、俺もまさか凪がそんなこと言うとは思ってなかったから。どう言う風の吹き回しだと言う視線を送ってみると、凪はその表情を変えることなく言い放つ。

「お嬢さん、帰したって言ったら絶対怒るよ。俺がその立場で封筒だけ受け取ったらなんで帰したのってなるし」

 ぐうの音も出ない正論だった。となるとやっぱりナマエちゃんには千切が戻ってくるまで残っててもらうのがマストだな。

「んじゃまあ、そう言う事で……アイツ戻ってくるまで待っててくれる?」

 俺たちが怒られないためにもさ。
 それでも遠慮しそうだからとそう一言付け加えると、図星だったらしい彼女は眉を下げながら、お邪魔します、と控えめに笑って部屋へ足を踏み入れた。





「ナマエちゃんなに飲む?」

 部屋の端に置かれているドリンクコーナーにはインスタントではあるが、それなりの種類が揃っている。その前に立って声を掛けると、慌てたような彼女がぶんぶんと首を横に振るとバッグから一本のボトルを取りだした。

「ありがとうございます。でもプリンスさんに頂いたものがあるから大丈夫です!」
「……千切が紅茶好きって言ってた気がするんだけど、味なんでもいける?」

 彼女が持つボトルを見た時に白い歯を見せるプリンスのラベルと目が合った気がするけど、俺は何も見てない聞いてないと言うように話を進める。プリンスはプレーも考え方も教え方も尊敬に値するとは思ってるけど、毎日見てると食傷気味にもなって当然だよな。うちにも山積みになっているプリンスウォーターの箱を思い出して、小さく溜め息を吐いた。

「すみません、お手数お掛けします……」
「いや、無理やり引き止めたのこっちだし」

 王宮御用達ブランドの中でもオーソドックスな茶葉を選んだカップをナマエちゃんの元に置くと、相変わらず恐縮しきりの彼女に苦笑してしまう。このままだと縮こまりすぎて消えてしまうんじゃないかと言う程だ。千切抜きでは初めてとは言え、何度か顔を合わせているんだからもっとフランクでいいのに。そう思ったところではたと気付く。

「ナマエちゃんと俺らってダメだよな?」
「はい、豹馬と同い年でしたらそうですね」

 突然そんな質問する俺にナマエちゃんはこくりと頷いた。そうだよな、だって千切の移籍会見の席で同い年の幼馴染みと婚約したって発表したもんだから、メディアとSNSがすげー騒ぎになってたし。スポーツ選手の早い年齢での結婚自体は珍しいわけではないが、ブルーロック出身者の中でも女性人気の高い部類に居た千切が海外移籍と同時にしかも幼馴染みと、と言う辺りでメディアの食い付きが良かったんだろう。まぁ最も、その見た目とは正反対のらしさを知ってる俺らからすると「お嬢ならやりそう」と言う意見で一致していたけど。
 千切が移籍してから二年後に彼女がこっちに来てから何度か話したことはある俺たちだったけど、その度に持っていた違和感。
 
「もっとフランクに話してくれていいよ?しかも潔とか蜂楽はくん付けだけど、俺たちはさん付けだよな?」

 そう。引っ掛かっていたのは彼女の俺たちに対する対応。敬語とまではいかないが、いつも丁寧な彼女は同い年なんだからもっと砕けててもいいのにと思う。彼女の性格的なものもあるんだろうけど、以前集まった時に潔たちに対する呼び方は少し違っていたので気になった。

「あー……話し方自体はたぶん、癖もあるんだと思うんですけど、潔くんたちとは最初に話したのが高校生時代で御影さんや凪さんと話すようになったのは主にこっちに来てからなので……?」

 なるほど。学生時代と社会人になってからの違い言われるとその対応に差が出るのも頷ける。違和感は解消したとして、俺としては名前で呼ばれることの方が格段に多いからそっちで呼んでくれてもいいとだけ伝えると、ナマエちゃんはわかりました、と微笑んだ。

「お嬢さんの奥さんさ、玲王の呼び方変えない方がいいと思うよ」
「え?」
「なんでだよ、凪」
「だって奥さんが俺たちの中で名前で呼んでるのってお嬢さんのことだけでしょ」
「それがどうした、ってあー……」

 凪の言葉の意味を理解してしまって、先程の自分の言葉を撤回する他なくなる。確かに自分以外の男の名前呼んでるの聞いたら本気で機嫌悪くなりそうだし……つーか凪のやつ、千切のこと結構理解してんだよな。あれか?マイペース組だからなにか通じるところがあるのか?そんなことを考えていたら凪が俺の考えを読んだかのように口を開く。

「だって俺だって嫌だし」
「……なぁ、もしかしてお前がナマエちゃんの名前呼んでないのも?」
「うん。だってお嬢さんそう言うの嫌がりそう。俺も俺だけが奥さんの名前呼んでればいいのにって思う時ある」
「お、おう……」

 表情を変えずに淡々と話す凪から見え隠れする激重感情に、相変わらずだなとある意味感心した。名前ねぇ。俺は前述の通り名前で呼ばれることが殆どだし、ナマエちゃんたちみたいに名前で呼ぶことも多い。それに対してアイツもなにか思うことあったりすんのか……?研究室を兼ねた自室の窓際で優雅に学術誌を読みふけっているであろう人物の姿を思い浮かべ、そう考えた自分の考えを即座に否定した。そんなことを聞こうものなら、特別感が欲しいならまた名字呼びに戻そうか?なんてにんまり笑って言い放たれるのが目に見えているからだ。
 まぁ俺個人のことは置いといて、と先程までの考えを頭の隅に追いやって目の前で紅茶に表情を緩めているナマエちゃんへと視線を戻す。やっぱり御影のままで良いよと言うと、俺たちの会話から察したらしい彼女もそうします、と素直に頷いた。

 話題が一段落したせいで生まれる沈黙の時間。凪は自分から話す方ではないし、ナマエちゃんもこの状況で積極的に話題を振る性格ではないから千切が戻ってくるまでは俺が場を繋がねぇと。彼女が混ざれる話題と考えると行き着く先は必然的に千切とのことになる。

「ナマエちゃんは千切と喧嘩とかすんの?」

 我儘マイペースお嬢も嫁には甘い。
 それは周知の事実ではあるし、彼女自身が長い付き合いから来るものなのかは分からないけれどアイツのマイペースさを受け入れてる節があるから、あまり喧嘩するイメージは無いけどな。

「そうですね、大喧嘩……は殆ど無いですけど、豹馬が機嫌を損ねたりするのは結構あるかもですね」
「あー、想像に易いわ」
「この前もちょっとした事で豹馬が機嫌悪くしたんですけど、それで家中の蛇口を全部思い切り固く閉められて困ったり」
「うわ、それは地味にダルいやつ」

 つい本音が出た俺にナマエちゃんは本日何度目かの苦笑を見せる。つーか蛇口固く閉めるってどんな嫌がらせだ。いや待てよ?なんかそんな話ついこの前聞いたような……あ。記憶の海を辿って行き着いた視線の先は斜め前。ゲームに興じているその男は確か自宅の瓶の蓋を全て固く閉めて奥さんを困らせていた。あー、これはほぼ間違いなくそこからの着想だな。多分困っているナマエちゃんを楽しそうに眺めて、最後は頼って来られるの待ちだったんだろう。足組んで頬杖ついて口角上げて後ろから眺めてる千切の姿が違和感なくイメージ出来るってのがまたなんとも。

「なんつーかさ、ナマエちゃん凄いよな。あの千切の気分屋に付き合えるってか、受け止めれるのがさ」

 あの婚約発表だってナマエちゃんにすらサプライズだったらしいじゃん。
 そう言うと彼女は当時を思い出して、あれは流石に驚きましたけどね、と言いつつもその表情は懐かしそうに微笑んでいる。
 
「私は豹馬の選ぶ道を応援するって決めてるんです。豹馬の活躍を一番近くで見とけと言われて、それを見届けると決めたあの日から」

 なので私にとって正解は豹馬が選んだ道なんですよ。私は豹馬の決めたことを絶対に否定しないし、彼が望むことで私が出来ることなら何でもしてあげたい。私だけならこんな遠い地に来るなんて考える事すら無かったと思います。それでも私がここに居る理由はただ一つ、豹馬が来て欲しいって言ったから。それが最大であり唯一の理由なんですよ。

 そう言って綺麗に笑う彼女に先程までのか弱さや控え目さは感じられない。そこに居るのはただ自分の愛する男の選択を正しいと信じ、それを最後まで見届けると言う信念を持った強かな一人の女性。それが愚直とするか実直とするかはきっとこの際どうでもいい。

「はー、なるほどそれがナマエちゃんのエゴなのな」
「そうかもしれませんね」

 それに私は豹馬が居ないと生きていけないと思うので。
 自嘲気味に笑う彼女だが、きっと本当は言う程弱い子ではないんだと言うことも分かっている。そうじゃなきゃ二年も待たず千切が移籍した時に一緒に来ていたはずだ。二年の間に彼女は元々決まっていた大学に通いながら卒業に必要な単位の取得と英語の勉強をし、認定留学制度でこっちに来たあとはオンラインのゼミとかに参加しつつ卒論まで書き上げてしっかり卒業するなんて、教授が理解のある人だったとは言っていたけれど並大抵の覚悟じゃ出来ないことだろう。千切の選択を尊重しつつ、だからと言って全てを投げ出してくる訳でもない彼女にはやはり弱さは感じなかった。
 余談だが、卒論発表から卒業式までナマエちゃんが暫く帰国している間の千切はいつにも増して我儘だったし横暴だったと付け加えておく。

「いっそ四年待たせばもっと楽に卒業出来たのにって思わない? 」
「確かにしんどいって思う時もありましたけど、海外で結果だけが全ての世界に身を置いている豹馬に比べたらまだまだだなって。単に豹馬に置いていかれないように必死だっただけとも言えますけど、やっぱり少しでも早く豹馬の傍に来たかったので」

 そう言って彼女が目を伏せた時にガチャリと扉が開く。ノックくらいしろよなと思いつつも、現れたのは俺らの待ち人であったので何も言わないことにする。入ってきた千切は目ざとくナマエちゃんを見付けると、俺たちには一言もないままに彼女の元に向った。

「ナマエ?なんで居んの?」
「誰かさんがテーブルに置きっぱなしだった封筒をお届けに来ました」
「あー、マジか。悪いな、助かった」

 そう言われてくしゃりと頭を撫でられるナマエちゃんの顔には先程までとは違った自然な笑みが浮かんでいる。それが対千切専用の表情ってわけね。

「結構待った?」
「ううん、そんなに。御影さんたちが話してくれてたから大丈夫だったよ」
「へぇ」
「お嬢さんがどんだけ愛されてるかって話ししてた」
「凪さん?!」

 凪からのキラーパスは想定外だったのか、思わず声を上げるナマエちゃん。そんな様子に千切は、ふーん、と大した反応を示さずに彼女の隣へと腰を下ろす。なんだ意外と反応薄いのな。ナマエちゃんほど慌てるとは思ってねーけどと思いつつそう言うと、別に今更だろ、とあっさり返される。
 
「俺はこいつに世界で一番愛されてるし、俺はこいつを世界で一番愛してるから」

 うん、お前はそう言うやつだった。ホント顔に似合わず漢らしいんだわ。知ってたけど。あー、もう早く俺の個別インタビュー始まんねぇかな??
 
 


 


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