比翼連理


ティータイム狂想曲  




「はい。いつもの」
「わぁ、ありがとう!」

 目の前に置かれた小さな衝撃でもふるりと揺れる黄と黒茶色。そして添えられたカップからはふわりとお気に入りの香りが漂ってきて、自然と口元が緩くなる。いただきます、とこちらに来ても抜けることのない挨拶を口にして早速スプーンを差し込むと、相変わらず私の好みにぴったりの固さが余計に心を躍らせた。

「アンタ、いつも思うけど本当に美味しそうに食べるわね」

 運んで来たトレーを抱えたまま近くのスツールに腰掛けて、呆れたように私を見つめるのはこのカフェの一人娘であり私の留学先での学友だ。ペア学習で組んだのをきっかけに、世話焼きな彼女には慣れない学校生活でだいぶ助けられていた。紅茶が好きだと言う私に、実家が代々続くカフェだと連れてきてもらってからは、このカフェの雰囲気も味も全てが私のお気に入りになっている。余談だけれど、日本で一般的なプリンがこちらではクレームカラメルと呼ばれていることも彼女が教えてくれた。
 
「だってすごく美味しいんだもん。私、ここのプリン大好き」
「それは当たり前ね。お父様の作るスイーツはどれも一級品だもの」

 ふふん、と自信たっぷりの彼女は学校が休みの日はこうしてカフェの手伝いをしている。どうやら今から休憩らしく、いつの間にか自分用の紅茶とスコーンもちゃっかり用意していた。

「今日レッドパンサーは?」
「昨日アウェーの試合だったから、もうちょっとしたら帰ってくると思うけど」
「そ。じゃあ二つ持ち帰り用に置いておくから持って帰りなさい」
「いつもありがとう。豹馬もここのプリンは好きだから喜ぶよ」

 彼女は豹馬のことをレッドパンサーと呼ぶ。こちらの学友には豹馬とのことは伝えてなかったけれど、仲良くしてくれている彼女を紹介したくて豹馬と一緒に来た時は彼女よりお父さんであるマスターさんの方が興奮していて驚いた。彼女から常々家訓は『常に余裕を持ち優雅であれ』と聞かされていたし、カフェで見ていたマスターさんはそれを彼女よりも体現していたからだ。

「お父様がレッドパンサーに食べて欲しいって言ってるから気にしないで。昨日の勝利の立役者だからって」
「マスターさん、豹馬のチームのサポーターだもんね」
「昔から熱狂的なのよね……」

 苦笑する彼女に豹馬とこのカフェに初めて一緒に来た時のことを思い出す。カウベルを鳴らしてドアを潜り、一緒に来ること伝えていた彼女を探していた時。カウンターの奥から「レッドパンサー?!」と驚く声がして振り返ると、いつも優雅な所作で紅茶を淹れてくれていたマスターさんが思い切り目を見開いていた。そう、いま正しく目の前で慣れたようにカップを口元へと運ぶ彼女のように……あれ?
 気付けばドアの方を見て固まっている彼女。その手元はプルプルと震え、カップの中で紅茶が零れそうなほど揺れている。いつも声高らかに宣言している家訓はどうしたのかと首を傾げながら彼女の視線の先を追って驚いた。豹馬よりも大きいその身体は綺麗に逆立られた髪で更にその高さが増している。特徴的な剃り込みとその鋭い眼光。話したことは無いけれど、豹馬と同じプロジェクト出身であり日本代表としても活躍する彼を私は知っていた。

「ばろ、」
「キングバロウ?!?!」

 私の声を遮ったのはこれまでに聞いた事のないような大声とガシャンとカップがソーサーに叩きつけられた音。席から立ち上がっている彼女からは余裕や優雅さの欠片も感じられなかった。

「やっぱり馬狼さんだよね」
「な、な、な、なんで彼がうちの店の前に?!待って、待って、どうしたらいいの?!」
「……ねぇ、もしかして馬狼さんのこと?」
「そーよ!!私は彼の大ファンなの!!あの逞しいフィジカルからのゴールはもちろん、その大きさをものともせずに鋭角に切り込むドリブルやフェイントまで出来る器用さを併せ持つのよ?!しかもあの味方にさえも自分の覇道の邪魔はさせないと言うエゴイスト……」

 まさにKing of heelに相応しいわ!!
 彼の二つ名をとても綺麗なブリティッシュイングリッシュで力説してくれた彼女に圧倒される。豹馬に会った時も大して何も言わなかったし、興奮するマスターさんを諌める側だったからあまりサッカーにが無いんだとばかり思っていたけれど、それは間違いだったらしい。純粋に彼女の興味の対象がイングランド所属ではなかったと言うだけのことだった。

「ナマエには悪いけど、ジャパンのエースは間違いなく彼よ!!」
「それはちょっと同意しかねます」

 日本のエースは豹馬。これだけは私の中では譲れないので、ちゃんとそこは伝えておく。それに対して彼女が何か言いかけたところで、カランとカウベルが涼しい音を鳴らした。あ、本当に入ってきたんだ。

「ああ、どうしようかしら!今日は化粧も服も平凡なのに!」
「いつも綺麗だから大丈夫だよ」
「それは当然だけど、そういう意味じゃないのよ!」

 女心は難しい。まぁでも好きな人に会う時は可愛く居たいと思う気持ちは理解出来る。私も豹馬に寝顔を見られるのはいつまで経っても恥ずかしい気がするし。対する豹馬は寝顔まで綺麗だからいつもずるいと思ってしまうのだけど。
 私たちがそんなやり取りをしている間に、ショーケースの前で馬狼さんと話をしていたマスターさんが何やら困ったような視線を私たちに向けてきた。すいません、うるさかったですよね。そう思って隣で未だに落ち着かない友人を宥めようとすると、マスターさんが馬狼さんに一言断りを入れて私たちの元へ向かってくる。

「ナマエちゃん、少し相談があるんだ」
「なんでしょう?」
「彼はうちのクレームカラメルを目当てにして尋ねてきてくれたらしいんだけど、今日の分がもうナマエちゃんとレッドパンサー用に残していた二つしかなくて……」

 そう、申し訳なさそうに眉を下げるマスターさん。それなら私の答えは決まっている。だっていつでも食べれる私たちと、イタリア在住だと思われる彼。それなら優先すべきはどう考えても一つだけ。

「私の分を彼に出してあげてください」



 ▽



「……うめぇな」

 隣のテーブルでプリンを一口食べた彼の感想に心の中で同意する。席はいくつもあるのに、隣のテーブルに通された理由は友人のせい。日本人同士だし、レッドパンサーと知り合いなら仲良くなれるわよね?!と近くにしておきながら自分はカウンターの奥に引っ込んでチラチラとこちらを覗いている。早く喋れ、とでも言いたそうな彼女の視線を浴びつつ溜息を紅茶を飲むことで誤魔化した。正直とても気まずい。
 そもそも豹馬と彼は知り合いだけれど、私に面識は無い。馬狼さんですよね?私、千切豹馬とお付き合いをさせて貰っているミョウジナマエと申します。なんて、彼からしたらそれが何だと迷惑にしかならないような挨拶が出来るはずもないし。それにオフの時間を邪魔するのも気が引ける。誰だってそうだと思うけど、一人時間を邪魔されるのは嫌な筈だ。彼女には申し訳ないけど、遠目から見れただけでも良しとして貰おうかな。そう思っていた時。

「……お前が譲ってくれたらしいな」

 そんな声がして反射的に隣を振り返る。すると、馬狼さんが真っ直ぐにこちらを見ていたので、慌てて首を横に振った。

「大丈夫ですよ。私はこの近くに住んでるのでいつでも食べられますし」

 だから気にしないでください。
 そう言うと彼はそうか、と言って短く感謝の言葉を続けた。なんだ、怖い見た目でキングとかヒールとか言われてるけど案外良い人そうだ。そう言えば豹馬も同じチームに居た時は洗濯物とか掃除とかお世話になってたみたいだし、人を見かけで判断しちゃダメだな。そう自戒を込めて思っているとグサグサと刺さる視線。チラリと彼女を見ると、もっと話しなさい!!と口パクで伝えられたので仕方ないと諦めて小さく頷いた。彼女には慣れない学校生活でたくさん助けられている恩がある。

「プリン、お好きなんですか?」
「あ?悪ぃかよ」
「す、すみません」

 ギロリと睨まれたので慌てて謝ると、馬狼さんは少し眉を顰めてなんとも言えない顔をした。あ、思わず怖がってしまったけれどもしかしたら彼にその気はなかったのかもしれない。それならとても失礼な反応をしてしまったことになる。プリンと紅茶好きに悪い人は居ないはず。豹馬の話しぶりからも悪い人ではないはずだし。そう勝手に決めつけて言葉を続ける。

「ここ、少し入り組んだ場所にあるので……」
「丁度こっちに来る予定があったから知り合いに美味いところあるかって聞いたら教えられた」

 やっぱり悪い人じゃなかった。
 ちゃんと会話が出来ることに安堵しながら紅茶を口に含む。じんわり広がる熱が緊張も一緒に溶かしてくれる気がした。

「そうなんですね。紅茶も美味しいですよね、私もお気に入りなんです」
「あぁ。アイツにしちゃいい店知ってたと思ってたところだ。俺は休みの日は部屋の隅々まで掃除してプリンと紅茶で締めるって決めてんだよ」

 それは出先でも変わらねぇ。
 その言葉にきっと泊まっていたホテルはゴミ一つ落ちてないんだろうなと漠然と思った。それと同時にきっと豹馬との生活は相性悪かったんだろうなとも思う。気分でその辺に服や物をポイポイ置いてしまう人だから。その節は豹馬がどうもお世話になりました。そう、心の中で苦笑しつつ頭を下げておく。

「よかったらもう一つ持って帰られますか?」
「あ?いや、今日はもうここを離れる予定だから無理だな。味が変わっちまうのはもったいねぇだろ」

 紅茶を飲みながらそう言う馬狼さんに思わず目を丸くした。そして頬が緩んでいくのがわかる。

「んだよ、変な顔しやがって」
「いえ、素敵な考えだなと」
「……ふん」

 食べ物を大事に出来る人は素敵な人だと思って言った私の返答に、馬狼さんは満更では無いような表情でティーポットに残っている紅茶をカップに注ぎ足す。ならこちらに来ることがあればまたぜひ。そーだな。そんな会話をして、カウンターの中で会話を聞きながらソワソワしている彼女に目配せをする。きっと彼はこちらに用事があれば本当にまた来てくれるんだろう。よかったね。

「おいおいキング、プリンが美味いって教えた記憶はあるけどうちの彼女と仲良くしていいとか言った記憶はねーんだけど?」

 奪うのは味方のゴールだけにしとけって。
 そう聞こえるが早いか首元に腕が回って、顔の横に見慣れた赤髪が揺れる。

「あ゛?」
「豹馬」

 私が豹馬の名前を呼ぶのと、馬狼さんがその眉を吊り上げたのはほぼ同時だった。

「テメェなんでここに……」
「俺の大事な彼女の迎えですけど?」
「は?お前が?」

 豹馬を睨んでいた視線が私に向く。先程よりも更に気まずい空気に思わず目を泳いでしまうのは許して欲しい。
 
「えっと……」
「つーか教えたの俺じゃん。実際美味かっただろ?感謝しろよな」
「クソが……」

 なるほど、どうやら彼が言っていた知り合いとは豹馬のことだったらしい。豹馬に煽られても美味しいことは否定しない彼にやっぱり良い人なんだろうなと変なところで感心した。

「つーか、お前そのマイペースお嬢の彼女やってんならもっとソイツ躾とけ!代表合宿で相部屋になる度に毎回毎回部屋散らかしやがって!」
「それはご迷惑を……」
「ナマエが謝る必要ないって。掃除とかやりたいヤツがやればいーじゃん」
「テメェは黙ってろ、このワガママお嬢が!」
「あ、俺のプリンは?」
「話聞けや!」

 怒る馬狼さんを綺麗に受け流して豹馬は私の横に座ってカウンターの奥にいる友人に声を掛ける。ここに来たら自分のプリンも用意してあるのが普通といった振る舞いに彼女が呆れたような表情を見せつつも、あるわよ!と運んでくる辺りそのマイペースっぷりを許されているのがなんとも豹馬らしいなと思った。

「はいどーぞ、レッドパンサー」
「サンキュー」
「そしてキングバロウ、良ければもうワンポットいかがです?ジャパンのエースに私からささやかなプレゼントをさせて頂きたいと思いますの」

 豹馬の前にプリンの飲み物を置いた彼女は、くるりと馬狼さんの方へ向き直り一刻前までの慌てようなんて存在しなかったとばかりに、恭しく彼女の家訓を実行している。
 
「え、なにあの子もしかしてキングのこと」

 プリンを一口放り込みながら面白いものを見つけたように笑う豹馬に邪魔しちゃダメだよと釘を刺しつつ、私は彼女の言葉を豹馬にだけ聞こえる声で訂正する。

「エースは豹馬だけどね」

 それを聞いた豹馬は満足そうに微笑んで、そのままの流れで私へと口付ける。それを見た馬狼さんが帰れ!と怒る声を聞きながら、プリン味のキスもいいなとこっそり思うのだった。
 


  


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