比翼連理


千切豹馬の懸念  






「あ!豹馬、みて」

 デイゲームを終えた日の夜。食事も終えて寝るまでの間、読み掛けていた小説を読んでいた俺の腕をナマエが軽く叩く。本を読んでいる時にはあまり声を掛けてこないナマエにしては珍しいなと思ってテレビ画面に目を向けると、そこには田舎町の街角に寝そべっている黒猫の映像が映っていた。ナマエがよく見ている自然系のドキュメンタリーの特集がどうやら今日は猫らしい。

「ね、あの子に似てない?」
「似てる。あのふてぶてしい感じが特に」
「豹馬がそんなこと言うから引っ掻かれるんだよ」
「あんだけかりんとうまんじゅうやったのに全然懐かねーし」
「でも近付いても逃げたりはしないから豹馬のことわかってるんじゃない?」
「どうせかりんとうまんじゅう配達員くらいにしか思ってねーって」

 そうかなぁと苦笑するナマエを膝の上へと抱き上げて後ろから抱き締めると、俺と同じヘアオイルの香りがして、こういうのありきたりだけどいいよなと思う。顔にかかる髪はさらりとしていて艶やかだ。元々綺麗な髪だとは思うけど、俺が乾かして梳かした髪だから余計にそう感じるんだろうな。さすが俺。

「本読まなくていいの?」
「動機とトリックがわかり易過ぎて眠くなって飽きてたとこ」
「そっか」

 なら一緒に見よ!
 そう言ってまた視線を画面に戻すナマエに習って視線を向けると、そこには日向で欠伸をしている黒猫の姿。だらりと気だるそうに寝転がっている姿に凪がいつぞやの合宿中に見せた姿が重なる。いや、無いな。あっちは白くてでかくて瞳孔が開いてるし。こんな人畜無害そうな猫とは程遠い、今日の試合中の天才の姿を思い出して俺は自分の考えを秒で否定した。

「猫かわいいよね」
「なに、飼いたい?」
「うーん、居たら確かに可愛いだろうけど難しいかなって思う」
「なんで?」
「帰国する時とか連れていくにしても誰かに預けるにしてもストレスになっちゃうだろうし」
「まぁそれは確かにな」
 
 一年の大半をこっちで生活しているとはいえオフシーズンには日本へ帰ることも多い俺達に付き合わせることを考えるとナマエの判断は正しいんだろう。動物を飼うということはそれなりの責任が伴うことをナマエはちゃんと理解している。

「まぁ俺も飼わなくていいかなとは思ってる」
「うん」
「ナマエが猫ばっかり構ってたら張り合う自信しかない」
「そこ?」
「猫も負ける気ないけどな」
「そっかぁ」
「ナマエも想像してみろって。家にいる間、俺が猫ばっか可愛がってたらどーする?」

 俺のそんな馬鹿げた質問にもちゃんと考えてみせる辺りナマエは真面目すぎる。悪いやつに騙されないか心配になるんだけど、と思ったところでナマエは俺以外に対してはそれなりの警戒心はある方だし、なによりたぶんナマエの周りで一番悪い男は俺だしなと思い直した。そしてそんな悪い男に唆された真面目で素直な女の子は逡巡した後、小さな声で「……たぶんすごく寂しいと思う」と呟く。これだからもう絶対手放せねーんだよなぁ。上がる口角を隠すようにナマエの頬に唇を寄せると、くすぐったそうにナマエが腕の中で身を捩った。それを気にせず目元や耳元に触れるだけのキスを降らせていると、ナマエが宥めるように俺の髪へと優しく指を滑らす。

「豹馬、くすぐったいよ」
「嫌?」
「嫌じゃないけど……うちには構って欲しがりの豹馬さんがいるので、やっぱり猫はこうやってテレビで見るだけでいいかな」
「それがいと思いまーす。あぁ、今度猫カフェ行く?」
「行きたい!」

 ぱっと顔を綻ばせるナマエを見て素直に可愛いなと思った。確かロンドンにあるって玲王が言ってた気がするし、次のオフにでも行ってみるか。お返しとばかりにナマエの指通りのいい髪を弄りながらそんなことを考える。まぁでもとりあえずは猫より目の前のナマエを堪能するのが先ななんだけど。明日はオフだし。そう思って再びナマエへと唇を寄せると、何かを察したらしいナマエが「あのね」と声を上げた。

「明日行こうって言ってるパン屋さんなんだけどね」
「あー、こっからちょっと歩いたとこにできたって言うやつ」
「うん、テラス席もあってイートインできるんだって」
「いいじゃん、食おーぜ」
「混むらしいから早めに行こうね」
「んー」

 首を逸らして見上げてくるナマエの言いたいことはわかってる。わかってるからこそ曖昧な返答をした。だって嘘はよくねーじゃん。
 
「7時開店らしいよ」
「へー」
「だから家を、」
「わかったわかった」
「それぜったいわかってな、っあ……」

 ナマエをの抗議を無視しながらいい香りのする白い首元へ唇を落とす。同じものを使っているはずなのに特別甘く感じるのってなんでだろうな。これがフェロモンってやつ?なんて思いながら唇をつーっと滑らせると、肩を跳ねさせたナマエから思わず上がる抗議の声とは違うそれ。後ろから抱きしめているせいで大した抵抗を出来ないのをいいことに、そのままゆるゆるとやわい刺激を与えていると、徐々にナマエの身体から力が抜けていく。その反応に気を良くする俺とは反対に、漏れる嬌声を懸命に塞ごうとするナマエ。その必死さは可愛いけど、俺としては当然声を聞きたいわけで。

「口塞ぐなって」
「や、だって」
「いいじゃん、聞いてるの俺だけだし」

 声聞かせて。
 耳元で限りなく優しい声でそう言えばナマエが従ってくれるのをわかった上でそう囁く俺はやっぱり悪い男だよなと思う。そして案の定ゆっくりと手を下げるナマエの指をもう塞げないようにと自分のそれで絡めとって、そのままゆっくりとソファへと沈めていく。テレビを見るといつの間にか番組は変っていて「南米のヴァンパイアバットに迫る!」とか言う文字を横目に見ながら、少し強く吸うだけで簡単に痕の付く白く細い首筋に吸血鬼よろしく口付けるのだった。



 ▽



 浮上した意識にゆるりと瞼を開けると外はまだ暗く、ヘッドボードに置いてある時計は起床予定時刻より少しだけ早いことを告げていた。俺としてはもう少し寝たいけど、寝る前にパン屋に行くのを楽しみにしてたナマエの姿を思い出して二度寝の案は却下する。うるさいアラームは先に止めて、気持ちよさそうに眠るナマエの肩を優しく揺すればふるりと睫毛が揺れて瞼がゆっくりと持ち上がった。おはよ。そう言おうとした時。

「ひょーま……まだちが足りない……?」

 視点の定まらない目でナマエはそう呟くと「いーよ」と言って緩慢な動作で俺へと自分の指を差し出してくる。これ完全に寝ぼけてんな。寝起きは良い方なのに珍しい。つーかなんだよ、血が足りないって俺は吸血鬼かなんかなのか。そういやソファで楽しんでた時に横でそんな番組やってたっけ。ナマエに見てる余裕は無かったと思うけど、無意識の内に聞いたそれが夢に反映されてるとかそう言うのなんだろうか。よく知らねーけど、と思いながらどうしたもんかと思案する。まぁでもこのままノるのも面白そうだよな。普段こう言うの絶対恥ずかしいからやらねーだろうし、ハロウィンも過ぎた今理由付けになりそうなものもない。それに俺は誘われた側だし?なんて責任転嫁をしながら、指を差し出したままウトウトと眠りの世界へ戻っていきそうなナマエの指を掬って口元へ引き寄せる。

「ん、足りない」

 そう言いながらかぷりと指先へ軽く齧り付く。そのまま舐めたり吸ったり甘噛みしたりと続けていると、その刺激で意識が浮上したらしいナマエがゆっくりと、だけど今度はしっかり目を開く。そして何度か瞬きをした後に今度は目を大きく見開いた。

「ひょうま……?え?なに……?」
「なにって、ナマエが血が足りないなら噛んでいいよって俺に差し出してくれたから無下にするのも悪いと思って?」
「血?噛んで……?え?」

 意味がわからないとでも言うようなナマエにそう説明すれば、まだ起ききっていない頭で必死に状況を飲み込んだらしい。

「そう言えば夢で豹馬が実は吸血鬼だったんだ、とか言ってた気がする……」
「で、ナマエはそんな俺に血を差し出したと」
「だって豹馬が足りないって言うから……」
「ふーん」

 確かにそういう世界線があったとして、俺がそう言えばナマエはなんの躊躇いもなくそうするんだろうなと思った。同時に、同じシチュエーションで俺以外がそう言ってもなんだかんだでナマエは同じことをするんだろうな、とも思う。優しくて、真面目で、危ないとは分かりつつも困っている人を目の前にして見捨てる選択肢が取れるほど非情にはなれない――ミョウジナマエがそう言う人物なのは俺が一番知っている。

「えっと、豹馬……?」
「なに」
「あ、えっと……その、変なこと言ってごめんね」

 そんなことを考えていれば思わず低い声が出たのを勘違いしたらしいナマエ。申し訳なさそうに小さい身体をさらに縮こませるナマエに慌てて謝ると、小さく首を傾げられる。そんなナマエを抱き寄せて、額をこつんと合わせて思っていたことを正直に吐露した。

「困ってたらナマエは誰にでも指差し出しそうだなって」
「そんなことないよ、相手が豹馬だったからだもん」
「そ?」
「そうだよ」
「ん、そっか。そーだよな。悪い」
「ううん。私も寝惚けててごめんね」
「いや?それは可愛かったし」
「ええ……」
「舌っ足らずな感じも、ぼーっとしてるのもすげー可愛いと思った。まぁいつでも可愛いんだけど」
「……豹馬もいつでもかっこいいよ」

 頭を少し下げながら小さな声でそう言うナマエの顔が暗くて見えないのは残念だけど、たぶん顔だけじゃなくて耳まで赤いと思う。結婚してしばらく経つのにこういうところは慣れてねーんだよな。俺としては喜ばしい限りなんだけど。そしてそんなナマエの反応に、ついもっと可愛い姿が見たいと思ってしまうのもまた至って普通のことだろう。

「ナマエ」
「?っ、あ……」

 ソファからベッドに場所を変えて熱を重ねたまま何も身につけていないナマエの腰をそっと撫でると、昨夜の続きのような声が聞こえて内心ほくそ笑む。そのままゆるゆると口付けながら手を柔らかなカーブに沿って滑らせていくと、慌てたようにナマエが静止の声を上げた。どうやらそのまま流されてはくれなかったらしい。

「まって豹馬、パン屋さん……」
「パン屋は後でも行けるけど、俺はナマエとこうしてたい」
「で、でも昨日もした、ぁん、やぁ、」
「昨日は昨日、今日は今日な」
「そんなっ、んっ……やっ」
「いや?」
「っ……ひょ、ま、ずるい……」
「そ、俺はずるいんだよ」

 そんな俺は嫌い?
 答えなんてわかりきってるのに、そうやって聞く俺はやっぱりずるくて悪い男だ。太腿を優しく撫でると、固く閉じられていた足から徐々に力が抜けていってその奥が緩やかに開かれる。それを見逃さずに指で入口を優しく触れると、暖かいぬかるみが指を濡らすのと同時にナマエがより一層可愛らしい声をあげた。数時間前の名残も手伝って簡単に沈む指。指を埋めたまま動かさずにいると、ナカがきゅうっともどかしそうに震えて、漏れ聞こえる声が孕む熱も次第にその温度を増していく。ナマエに残る最後の理性がぐずぐずにとろけてなくなるまであと少し。沈めた指を少し折り曲げて内側をそっとなぞるように動かすだけで、ナマエの身体がびくりと跳ねて更に指が締め付けられた。

「っ、ん……ひょうま……」

 蕩けるような声で名前を呼ばれてナマエの方から口付けられる。それはナマエが俺を求める時の合図。

「挿れていい?」
「ん、」
すゆっくりと腰を沈めていくと離さないとでも言うように絡み付いてくる中に、ぞわりと快感が込み上げた。先程までのゆるやかさを忘れたかのように激しく動けば、ナマエの口からはもう喘ぎ声と俺の名前しか出てこない。
 
「ナマエ」
「ん、あっ、あっ……」
「好き。すげー好き。ナマエは?俺のこと好き?」
「っ、ん、わたし、も!すっ、んんっ……!!」

 答えを全て聞き終える前に深く深くキスをする。
 ずるい男でごめんな。でも嫌だと言われても手放すのは無理だから。そう言えばナマエはきっと当たり前のように「ずっと豹馬の隣に居るよ」と言うのだろう。俺が手放さない限りナマエは離れない。だけど、万が一、億が一の可能性をゼロには出来ない以上、俺はありとあらゆる手練手管を使ってナマエを自分の元へと繋ぎ止めたいと思う。あぁもういっそ吸血鬼のように不老不死になって永遠に一緒に居れたらいいのに。なんて馬鹿げた思考が過ぎるんだから、無意識の内にあの番組に感化されていたのは俺の方かもしれないなと自嘲した。



 ▽
 
 
 
「悪かったって」

 毛布にくるまって籠城を決め込んでいるナマエに本日何度目か分からない謝罪を口にする。
 あの後結局タガが外れた俺の気が済むまで付き合わせてしまった結果、現在の時刻は開店どころかモーニングが終わろうとする時間になっていた。

「モーニングはまた埋め合わせするから。次のオフはパン屋でモーニングして、猫カフェも行こうぜ」
「……ほんと?」

 毛布の塊がごそりと動いて、ナマエが少し顔を覗かせる。外の様子を伺う猫みてーだなと思う。普段のナマエはどちらかと言えば犬タイプな気もするけど。

「ほんと。アフタヌーンティーセットもつける。もう予約もしたし。ほら」
「え……ってここ、アリスの!」
「ナマエが好きそうだなって思ったんだけど、どう?」
「し、仕方ないから許してあげようかな」
「はは、さんきゅ。あと他にして欲しいことある?今日はなんでも聞くけど」
「うーん……豹馬がいれてくれた美味しい紅茶とプリン食べたい」
「了解。起きれそ?リビング行ける?」
「たぶん……」
「いーよ、無理しなくて。連れてく」
「っ、わ?!」

 毛布ごと掬い上げるようにナマエを横抱きにしてリビングのソファの上へと運んでいく。落ちないようにと慌てて首に回る腕。ぎゅっと縋りついてくるその姿が無性に愛おしくて、ソファへ下ろすのがどうしようもなく名残惜しい。それでも謝罪の意を込めて約束した以上それを反故にするわけにはいかなくて。そっと下ろしたナマエに毛布をかけ直す時一緒に被った毛布の下でキスを一つ。軽いそれだけでは足りず、角度を変えて唾液も吐息も零さないようにと貪るように何度も口付けた。そしてそれは酸素を求めてナマエが俺の胸を叩くまで続くのだった。

「っは、悪い。紅茶いれるって言ったのになんかいま無性に離したくなくなってる」
「私はずっと豹馬の傍に居るよ」

 本音を伝えた俺にナマエから返ってくるのは明け方予想していた通りの答え。毛布を被っていたせいで汗ばんだ俺の髪を優しく梳いているナマエは俺の全てを受け入れて許してくれる。予想していたとは言え、実際言われるとやっぱり嬉しいし安心する。けど――

「……はー、ナマエは俺を甘やかしすぎ。それに甘えてんのは俺だけど、たまにマジで心配になる。俺だけだよな?」
「うん、豹馬にだけ」
「ならいいけど。じゃあ俺みたいな悪い男に捕まったのも諦めてもらうしかないってことで」
「それなら私もこうして豹馬が甘えてくれて嬉しいって思うようなずるい女だからおあいこだね」
「ふは、なにそれ最高」
 
 悪戯っぽく笑う世界で一番大好きな女の子に、これは一生敵わないかもしれないなと柄にもなくそう思うのだった。



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