比翼連理


千切豹馬の画策  






「素敵なとこだね、豹馬」

 ちょっと周りも見てくるね。
 そう言ってプールサイドにある南国にありそうな植物やベンチなどを一巡りして戻って来たナマエは、ニコニコと楽しそうにプールサイドにしゃがんでこっちを覗き込んでいる。濡れてもいいようにとアップスタイルにした髪型はもちろん俺がしたもので、身に付けている水着はナマエと一緒に買いに行った先で選んだもの。元々露出が多い系のタイプは選ばないナマエだからそんなに心配はしていなかったけれど、万が一のことも無くはないからとついて行ったのはつい数日前の話だった。

「ナマエ、ちょっと手貸して」
「一旦上がる?タオル持ってこようか――っ?!」

 バシャン。
 俺の言葉になんの迷いもなく手を伸ばしてきたナマエの手を掴んで自分の方へと引き寄せる。無防備な身体は簡単にぐらついて俺が居る水中へと落ちてくるから、しっかりと抱きとめてそのまま抱き上げる。

「っ、豹馬?!」
「ふは、びっくりした?」
「びっくりするよ……もう……」

 足つかないんだから、と俺の首に腕を回してしがみつく形になっているナマエがボヤく。俺の身長でギリギリ顔が出るくらいのこの深さは、こうしてナマエを堂々と抱き締めるための理由付けには丁度いい深さだった。

「それよりどう?気に入った?」
「うん、すっごく。でもいいの?キャンプから帰ったばっかりなのに」
「気にすんなって。またシーズン入ったら暫くはサッカー漬けで構ってやれなくなるし」
「それこそ気にしてないよ」

 サッカーしてる豹馬を見てるのも好きだから。
 そう言って本当になんでもないと言うように笑うナマエは相変わらず俺を喜ばせるのが上手い。それと同時にやっぱり無理矢理にでも連れて来て良かったと思った俺は、目の前に晒されている無防備なその唇に誘われるようにキスを落とした。貸切とは言えこんな場所だと本来なら抵抗するはずのナマエが、足がつかないせいか大人しくされるがままになっていることに気を良くした俺はそのまま口付けを深くしていく。耳や首筋を撫でてナマエが身体を跳ねさせるのに合わせて揺れる水面。これはヤバイな。普段とは違ったシチュエーションで行われるそれはなんだかとても背徳的でクセになりそう。なんてことを考えていた俺は、プールにいて冷えた俺のものとは違うそのぬくもりを奪い尽くすまで続けるのだった。



 ▽
 

 
『暑くなったら海かプール行きたいね』
『人が多くないとこならな』
 
 シーズンが終わった時にそう言っていたナマエに、他のやつに水着姿を見せたくないとか言う子どもじみた思いから適当にした返事。それから帰国やらシーズン前のキャンプやらでなんだかんだとしている内にあっという間に日にちは経ち、ナマエのその言葉を思い出した時には既にシーズン開幕が目前に迫っていた。
 ナマエ自身が何かをしたいと言うことが少ないわけじゃない。『あれ美味しそうだね』『ここ楽しそう』なんて街中やテレビを見ながら話していることはしょっちゅうだ。ただ、人の気持ちを汲み取りすぎるところがあるから、相手が乗り気じゃないと分かった時点でその主張はなりを潜めてしまう。そしてそれは余程のことがない限りそのまま無かったことにされてしまうのが常だった。
 
 今回は日本国内のニュースが流れて来た時に映ったプールの映像で思い出せたから良かったけど、シーズン前のこの時期に今更言っても絶対ナマエは遠慮するよな。まぁそれなら断られる前に先に場所を抑えとけばいい。もう予約したからと言えば悩むに悩んで結局頷く姿は想像に易かった。
 そうと決まれば後は場所。海水浴と言ってもこっちの海は日本よりだいぶ冷たいらしいし、そもそもあんな人の多いとこに水着のナマエを連れていくなんて選択肢は元から無い。かと言って前に乙夜が言ってたようなヴィラとやらを近場で探すのも手間だよな……となると後はプールか。そういや、前にチームの打ち上げに使ったホテルが確か屋内プール併設だったような。

「豹馬、洗濯物畳みにくいよ」
「んー」
「スマホ弄るならソファに居たらいいのに」
 
 ラグの上で洗濯物を畳んでいるナマエを後ろから抱きしめながら調べていると、そんな声が挙がるけど気にしない。元々はソファで膝の間に座らせてテレビでも見ようと思ってたのに、洗濯物を畳むからって抜け出したのはナマエだしな。そうしていれば離れる気のない俺を諦めたのか、ナマエはそのまま作業を再開させる。あー、ここだここ。あー、でもやっぱり会員制とは言え人は居るよな。流石に貸切とかは出来ねぇし……ん、いや待てよ。アイツなら――



 ▽



「よぉ、お二人さん。楽しんでる?」
「御影さん!」

 そろそろもう一度、今度は本当にちゃんとプールを楽しむんだと意気込むナマエに続いて、休憩していたベンチから立ち上がろうとした所にタイミング良く掛かる声。笑顔で片手を上げながら歩いて来た声の主はこの屋内プール付きホテルの経営をしている御影グループの御曹司であり戦友でもある御影玲王だった。

「ナマエちゃん、久し振り。元気そうでなによりだわ」
「はい、御影さんもお元気そうで良かったです。いつもこんな贅沢をさせて頂きなんとお礼を言えばいいか……」
「はは、いいよそんな畏まらなくて。寧ろ今回は急だったから完全に貸切りに出来なくてごめんな」
「そんな……!半日でもこんな素敵なプールを独占させて頂けてもう本当に夢みたいで……」
「マジで気にしないでいいのに」
「そうそう、玲王もこう言ってんだし気にすんなって」
「お前にはナマエちゃんを指先ほどでもいいから見習って欲しいんだけど」
「は、なに差別すんの?」
「区別だっつーの」

 相変わらずお嬢やってんな。
 はぁ、とあからさまな溜息を吐いている玲王。まぁでも今回は確かに急だったしな。なにせこっちが持ち掛けたのは「一週間以内にプールを貸し切れるか」と言う内容だったのだから。

「助かった。サンキューな、玲王」
「おー。俺たちもシーズン前にここ泊まるかって話もしてたし丁度良かった」
「え!今日、御影さんの奥さんも来られてるんですか?」

 そんな玲王の言葉に反応したのはナマエ。そういや、玲王の奥さんに会ったことなかったんだっけ。研究系の博士課程にいて忙しいらしいのと、元々の性格上あんまり外に出たがらないと玲王が言っていた通り俺もほぼ話したことはねーけど。

「あぁ、来てるよ。プールは入らないって言ってたけど、ここの夕食はアイツも楽しみにしてるからさ。あ、良かったら一緒に食う?」
「いいんですか?!あ、でも折角二人きりの夕食お邪魔しちゃうのは……」
「んー、大丈夫じゃねーかな?ここに今日千切たちが来てるのは知ってるし。俺もアイツのことちゃんと紹介しときたいしな」
「豹馬、」
「玲王たちがいいなら俺は別に構わねーよ」

 俺を窺うように見上げてくるナマエからは、玲王の奥さんに会いたいという気持ちが珍しく前面に出ていて、それを却下する理由もないのでそう返せばナマエの表情がパッと輝いた。ナマエのこの顔が見れるなら何でもするんだから、普段からもっと我儘言えばいいのに。あぁでも海に行かない選択をしている時点で既に何でもはしてないか。

「一応アイツにも確認して後でまた時間とか連絡するな」
「はい、ありがとうございます」
「あぁそうだ。ここのウォータースライダー乗った?」
「まだなんです。休憩した後に行こうかなって」
「結構スピード出るからさ、楽しんでよ」

 じゃあ俺戻るわ。
 そう言って玲王はひらりと手を挙げて去っていく。その背中が扉の向こうに消えるまで見送ったナマエは俺に視線を向けると「奥さんに会えるといいね」と微笑んだ。

「そんなに気になる?」
「うん。こっちで博士号まで取りにいってるの凄いなって思ってたし、御影さんの奥さんってどんな人なんだろうって純粋な興味も少し……」
「少し?」
「う……半分、くらい?」

 意地悪く聞いた俺にナマエは少しバツが悪そうに目を逸らす。まぁあの玲王をもってしても一筋縄じゃいかない相手なんだとボヤいていたのを聞いたことがある気もするし、ナマエが気にするのもわからないでもない。それになにより――

「玲王のプロポーズ断ったって噂出てたのウケたよな」
「それ、御影さん気にしてそうだしあまり突っ込まない方がいい気がするけど……」
「俺としては酒が進みそうな気はしてる」
「もう。あ、そろそろウォータースライダー行く?」
「その前に飲み物だけ買ってくるわ」
「なら一緒に行こうかな」

 そう言うと目的地の方へと俺の腕を引いていたのやめて向き直るナマエ。それを楽しみにしてたのも知っているから、先に1回滑っててと伝えると、少し悩んで「2回目は一緒に滑ろうね」と返ってきた。どうやら本気で楽しみにしていたらしい。行ってくるね、と嬉しそうに告げて小走りで向かうナマエの足取りは軽く、俺はもう一度玲王に感謝した。心の中でだけど。



 ▽


 
「豹馬!!」
「おー、どうだった?」
「すごかった!!速かった!」

 軽く喉を潤して戻ってきた俺にナマエは珍しく興奮したように報告をしてくる。今度は豹馬も一緒に行こう、と言われてスライダーまでの階段を登って行く最中にもナマエから出るワードがどうにも引っかかっていけない。

「俺の方が速い」
「ええ……そこで張り合うの……」

 速いは俺の代名詞だろ。
 そう言うと「それはそうだけどね」となんとも言えない表情で苦笑するナマエ。そうこうしている内にスタートラインに到着すると、ナマエがどっちが先に滑るかと聞いてくる。そんなん一択に決まってんのにな。

「え、と……」
「一緒に滑るんだろ?」
「それはこういう意味じゃ……」
「はいはい、滑るぞー」

 何か言いたげなナマエを後ろから抱え込む形で座り込んで、位置につく。一緒に来たのに別々に滑る選択肢なんてあるわけねーじゃん。それにちゃんと確認しとかないといけないこともあるしな。と言うわけで。
 
「俺とどっちが速いか確かめような?」

 耳元でそう囁いてナマエの肩が跳ねるのを合図に滑り出す。玲王が言うだけあって確かにスピードは出ていたように思う。着水した後、今度は横抱きにしたナマエの顔を覗き込みながら再度質問すると、目を逸らしたナマエが小さく呟いた。

「ドキドキしてそれどころじゃありませんでした……」

 はー、マジで可愛すぎなんだけど。貸切終了時刻まではまだあるけど、さっさと部屋戻るか。

「ドキドキしたのはどっちに?」

 そう聞いた俺にナマエが顔を手で覆って耳まで赤くするから、口角を上げた俺は部屋に帰ることを即決し、そこまでの道のりを最速で進むのだった。


 
 ▽



「いやまさかアイツとナマエちゃんが知り合いだったとは思わなかったわ」

 玲王との食事の後、ホテルの敷地内を散歩すると言った嫁二人の背中を眺めながら玲王がそう呟いた。
 少し時間を遅くしてもらった夕食の席。和食レストランだからとオプションで準備されていた浴衣に身を包んだ俺たちが案内された先。ここがイングランドだと忘れそうになるような純日本風の個室で待っていた玲王とその奥さんにナマエが顔を合わせた時のことだった。

『え……!』
『おや、キミは』

 驚いた表情のナマエと、猫のような瞳をパチリと瞬かせた玲王の奥さん。そしてそんな二人を見て疑問符を浮かべる俺と玲王と言う、よくわからない構図が出来上がっていた。どうやらナマエがこっちに留学中、たまたま構内を訪れていた玲王の奥さんと出会っていたらしい。

「そう言えば学生時代、迷ってた日本人の子を案内したって話は聞いたことある気がするな」
「俺も日本人の子に助けられたって珍しくアイツが嬉しそうに話してたのは覚えてっけど……」

 まさかそれが友人の恋人だなんてお互い思いもしないだろう。そこから思い出話に花を咲かせた二人は一気に距離を縮め、食事が終わった後でも足りないとばかりにこうして敷地内のナイトウォーキングをしているのだった。

「ま、でもナマエちゃんには感謝だな」

 そんなことを玲王が漏らすから、道案内をしたことかと思ったらどうやらそれだけではないらしい。 

「アイツ、最近研究研究で根詰めすぎてるとこあってあんま息抜きできてなさそうだったんだよ」

 だから今日久々に楽しそうにしてるの見て安心した。
 そう言って笑う玲王の言葉はきっと本音だろう。ただ、それだけじゃないこともその顔から読み取れたのが面白くて突っ込んでみる。玲王って境遇的に本音隠すの上手そうだし、事実メディアの取材とかではそういうの上手いのに、俺らと話す時は結構感情が顔に出るからわかりやすいんだよな。
 
「へぇ。それで御曹司さまは構って貰えなくて寂しいからこうして連れ出して来たってわけ」
「はぁ?別にそう言うわけじゃねぇから」
「はい嘘ー。あの子と話してる時の顔見たら説得力ゼロだろ」
「なっ……」
「なのにナマエとばっかり話してるのは面白くないよな?おーい、ナマエ!」
「おい、千切!」

 俺の言葉を否定する玲王を無視してナマエの名前を呼べば、少し前を歩いていたナマエたちが振り返る。ちょっと来て、と言う意味で手招きすると、下駄を履いているので不安定な足元なのに精一杯急いでこっちに来るナマエ。その頼りない姿は庇護欲を掻き立てられるなと思った。

「豹馬、なにかあった?」
「玲王がナマエに奥さん取られて寂しいって。俺らもそろそろ部屋戻ろーぜ」

 そう返すと一瞬キョトンとした後、ぱちりと一つ瞬きをする。そして慌てた様子で玲王に謝るナマエと、取り繕うように口を開く玲王。そんな玲王を見てにんまりと目を細めて面白そうに笑う玲王の奥さんを含めた三人を傍から眺める俺という構図はめっちゃ面白い。いいなこれ、今度潔とかと会った時の話のネタにしよ。




 ▽



「今日はプールにも入れたし、美味しいご飯も浴衣も、御影さんたちにも会えてとっても楽しかった。ありがとね、豹馬」

 二人と別れて部屋に戻った後、備え付けのポットでいれたお茶を俺の前に湯呑みを置いたナマエはソファに座る俺の横に腰を下ろして微笑んだ。日本人や日本好きな外国人向けのホテルだけあってミニバーには日本茶も飲めるようになっているのは俺的に高評価だと思う。   
 
「ん、どーいたしまして。これで夏にやり残したことは無さそう?」
「花火も蜂楽くんと潔くんが来た時にやったもんね」
「急に鹿児島まで来て何すんのかと思ったら花火とかウケるよな」

 いま鹿児島空港!と言うメッセージに既読をつけたと同時に掛かってきた着信。ブルーロックに居た時のやつらの地元を回っていると言う蜂楽と、それに付き合わされている潔を家に迎えてナマエも加えた四人で突発的に開催された花火大会はなかなかにカオスで面白かった。予想通り手持ち花火を振り回す蜂楽とか、同時に跳ね回るネズミ花火から逃げるのにメタビジョンを使って失敗する潔とか。

「線香花火も俺が一番長かったし」
「それ、潔くんも蜂楽くんも同じこと言ってたよ」
「いやいや俺だって」
「ならそう言うことにしとこうかな」

 そう言って苦笑するナマエが湯呑みをテーブルに置いたのを横目で確認して、ずっと気になっていたことを確かめるために口を開く。

「ナマエさ、なんで夕方から俺の方見ねーの?」

 その言葉にギクリと効果音が聴こえるんじゃないかと思うほどナマエが固まった。そして下手くそな笑顔でそんな事ないよと笑うから、それならばと両手で頬を挟んで実力行使に出ることにする。

「誰がそんなことないって?」
「う……」
「ほら、さっさと吐いた方が楽になると思うけど?」

 面白い程泳ぐ視線にジワジワと赤くなる頬。これは落ちるまであとひと押しってとこだな。

「ナマエ」
「……豹馬の、浴衣が似合いすぎるのが悪いんですっ」

 これでもかというくらい甘い声で名前を呼べば、ギュッと目を瞑ったナマエが観念したようにそう吐き出した。チラチラ見てはパッと顔を逸らしてたから、そうだろうなとは思ってたけど、やっぱり本人から言われるとクるものがある。
 浴衣姿と上目遣いで羞恥心から潤んだ瞳。浴衣に併せてアップにしてるから露になっている、誘っているかのような白いうなじ。
 加えて手を出しても何も問題のないこの状況で我慢出来るヤツが居たら教えて欲しい。死ぬほど煽ってやるから。

「わ、豹馬っ?!」
「俺だってナマエを玲王の奥さんに取られて寂しかったんよな」
「う、嘘だ!」
「ホントだって」
「だって笑ってる、んっ……」

 抗議の声を上げる口は塞いでしまえばいい。
 
「ナマエが可愛すぎるのが悪いんですー」

 静かになった隙に抱き上げて、先程の言葉をそのまま返しながら綺麗にベッドメイクされたベッドへとゆっくりとナマエを降ろす。シャワーがどうとか言ってるけど、どうせ後からまた入ることになるんだし、と無視を決め込んだ。

「ナマエが好きな浴衣の俺、いくらでも見せてやるからナマエのことも俺の好きなようにしていいよな?」
  



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