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約束をしました  




「……なぁ、聖」
「なにかしら」

 本日最後の授業を終えた移動教室からの帰り道。廊下から見えた中庭の光景に思わず後ろを歩いていた聖を手招いた。

「あれってさ」
「速水さんね」
「だよなぁ」
 
 予想通りの返答に、視線の先に捉えた後ろ姿を間違えるはずは無いと思いつつも、浮かんでくるのは目の前の状況的に人違いであって欲しかったと言う矛盾。

「あと、オレの見間違いじゃなきゃ彼女と一緒に居るのは真波に見えるんだけど、おめさんにはどう見える?」
「そうね、尽八が可愛がってる貴方たちの後輩に見えるわ」
「だよなぁ」

 先刻と同じようなやり取りを繰り返すオレと聖の目の眼下にはニコニコと楽しそうにじゃれつく後輩と、それを別段嫌がるでもなく受け入れて優しく頭を撫でているオレの想い人。元々二人の仲が良いことは聞いていたし、なによりも速水さんにとって真波が恋愛対象となっているわけではなさそうだと言うことを本人の口から昨日聞いたばっかりだ。そう頭では分かっていても実際目の当たりにしてしまうと、そう割り切れるほど簡単な思考回路にはなっていないらしい。それになにより──
 
「……オレ、近くに寄っただけでまだ少し距離取られるんだけど」
「私は取られないわよ」

 ふふん、と自慢げに笑う聖に苦笑を返してもう一度二人へ目を向ければ、速水さんがポケットから取り出した何かを真波へ渡している所だった。なんだ?遠くてよく見えないが、それを貰った真波は嬉しそうに笑って去って行く。なんだったのか分からずもやもやしていると、そう言えば、とにんまり笑った聖が告げた。

「速水さん、今日の家庭科でマフィンを焼くって言ってたかしら」
「ありがとよ、聖。礼はまた今度尽八のレース日程教えるってことで!」
「ちょっと、私別に、」
 
 聞いてない!
 そんな声を背中に受けながら走り出す。時間はもう放課後。俺も真波も向かう先は一緒だから後は本人に直接、ってな。

 


 
 今日の予定をざっと確認したところでベンチにやる気なく座っている真波を見つけた。どうやら尽八と登坂練習で勝負する予定だったはずが、尽八に急遽顧問との打ち合わせが入ってお預け食らったことが不満らしい。その姿に苦笑しながら真波、と呼ぶと、なんですかー?と間延びした声が返ってくる。

「おめさんさっき速水さんからなに貰ってたんだ?」

 オレの言葉に、速水さん?と不思議そうに首を傾げた真波は数秒考えて思い当たったように声を上げた。

「あぁ、志帆さん!」

 驚いた、名前呼びか。見てたんですかー?と言う真波に、移動教室の帰りにたまたま見かけたんだと返せばそこを特に深く突っ込んでくることも無く、自分のロッカーを漁って小さな袋を取り出した。

「貰いましたよー、これです。マフィン」
「ヒュウ。美味そうだな、オレにもくれよ」
「えー、今日はこれ一個だけなんですよ。と言うか新開さんって志帆さんと仲良いんですっけ」
「あー、いや、別のクラスだよ。速水さんは尽八のクラスだからな。おめさんこそ、いつの間に仲良くなったんだ?」

 一年と三年。部活が一緒な訳でもない二人がどうやって知り合って、手作りのマフィンを貰うほどに仲良くなったのか気にならないわけがない。それに二人の間の共通点がなにかわかればオレが距離を縮めるのに役立つかもしれないしな。

「えっとですねー、秘密です」

 そんなオレの甘い考えを打ち壊すように返ってきたのはニッコリとした笑顔とそんな言葉。不敵ともとれるようなその表情からは真波の考えていることは読み取れない。参ったな、その言葉の真意はどこにあるんだ。まさか真波も彼女のこと──

「あ、新開さん!今ちょっとお時間大丈夫ですか?」
「ん?あぁ、いいよ。なに?」
「ここのメニューなんですが……」

 結局、泉田の相談に乗っていたりする間に気付けば真波にその続きを聞くタイミングを逃していた。話している最中に視界の端に捉えた真波は、どこか嬉しそうな表情で貰ったお菓子を食べていて、言いようのない気持ちが込み上げる。怒りとは違う、どちらかと言えば焦燥感。好きな子に自分より仲の良い異性が居る、しかも同じ部内の後輩ときた。今は彼女にその気は無いのかもしれないけど、今後どうなるかは分からないからな。真波も顔はいいし、年上に可愛がられるタイプだろう。そして彼女の前での態度とさっきの言い方を見れば、恋愛感情かどうかは別として好意的なのは間違いない。あの様子だと直接聞いてもきっとはぐらかしてくるんだろうけど。

 それなら仕方ない、後で速水さんに聞いてみるか。丁度部活の後、昨日のタオルを返したいからと速水さんに言われて会う予定になっている。今日、真波になにかを渡していた姿を見かけたからさ。そう言って、後輩に渡していたものが気になった、なんて別に何も不自然じゃないもんな。会った時に話すネタが一つ増えたことに口元が自然と緩む。そう都合よく解釈してしまえば、いつもはしんどいローラー練習もほんの少しだけ軽く感じた。

 


 
「お礼をしたいんだけど、何系が良いとか聞いてもいいかな」

 部活の後、ウサ吉小屋で待ち合わせをしていた速水さんから言われた言葉はタイムリーすぎて、思わず我慢出来なかった笑いが漏れた。昨日のタオルのお礼を考えていてくれたらしい彼女が頼ったのは隣の席の尽八だったらしい。でも尽八からは自分で聞いたらいいと言われたらしく、その言葉通りオレに直接聞いてきたというわけだ。そういうことなら尽八に感謝しねぇと。と言うか、お礼なんてなんでもいいのに本当に律儀だよな。

「速水さんそう言う率直なところいいと思う。そうだな、じゃあタオルのお礼に駅の近くに最近できたランチバイキングとかどう?」

 少し考えるフリをしてそんな提案をすれば速水さんから、え、と驚きの声が零れる。そして暫く間を空けてから、申し訳なさそうな声で拒否の言葉を返された。オレとしてもそう言われるのは予想済みだったので、すかさず同意を返す。

「ごめん、ちょっとからかった」

 そう言えば一転して信じられないとでも言うように睨まれた。やばいな、この目で見られるのやっぱりクセになってるかも。それが伝わると本気で怒らせそうなので、両手を軽く上げて謝罪の言葉を続ける。本当は怒った顔も見てみたくはあるけどな。それはまぁいつかってことで。

「あれだ、おめさんお菓子作れるんだろ?真波に今日作ってたみたいなやつ、オレも食べたいなって」

 丁度いい流れだったので今日見た話を振る。一瞬なんのことか分かっていなさそうな彼女は、どうやら心当たりに辿り着いたらしい。なぜオレが知ってるんだと言わんばかりの不思議そうな表情で、マフィン?と首を傾げた。

「それそれ。部室で食べてたんだけど、美味そうだったんだよな。一口くれって言ったのに断られてさ」

 速水さんはオレの説明に納得した様子で、少し悩んだ後に今度はちゃんと頷いてくれる。

「わかった、来週明けにマフィン作ってくるね」
「ん、楽しみにしてるな」
「何味が良い?」
「あー、チョコとかバナナとか好きなんだけど」
「じゃあその味で作るよ」
「ホントか?!」

 予想外の嬉しいオプションに思わず食い気味に返してしまえば、若干引き気味の速水さんが、あまり期待しないでね、と付け加えた。残念ながら期待しかないぜ。だって今日部室で見た真波の嬉しそうな顔見てたら分かる。あれは絶対美味いやつだ。
 
 そんな約束を取り付けたことに喜んでいたオレは、彼女と別れて寮に戻った時に忘れていたことを思い出す。真波と知り合った時のこと聞くんだった。まぁ今日が最後なわけじゃないし、また聞けばいいよな。それより彼女の手作りのものが食べれると言う事実が嬉しくて、それが顔に出ていたらしいオレは食堂で会った靖友にまた殴られることになるのだった。


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