Be sure to catch you


誘いました  





「おい、真波はどうした」

 昼休みの部室に尽八の不機嫌そうな声が響く。ちゃんと伝達したのかと聞かれた近くの一年が、慌てたように首を縦に振った。

 真波山岳。
 坂が好きだと豪語するだけあって、クライマーとしての実力は本物だ。それはつい先日、一年生ながら箱根学園自転車競技部のインターハイレギュラーの座を勝ち取ったことからも証明されている。まぁまだ靖友は認めてないみたいだけどな。実力は申し分ない真波だが、困ったことに遅刻とサボりの常習犯で、今回みたいにミーティングをすっぽかしたりすることはこれまでにも何度かあった。その度に副部長であり、クライマーのまとめ役的役割もしている尽八は手を焼いている。

「……ちょっと探してくる」
「あ、東堂さんオレが行きます!」
「いやいい。今日という今日は少し灸を据えてやらねばならんからな。お前たちはフクの話をしっかり聞いておくように」

 後輩の申し出を断り、寿一に一言二言なにか伝えた尽八が部室の出入口へと向かっていく。なんとなくだけど、真波の居そうな場所に心当たりのあったオレは、食べていたパワーバーの残りを口に放り込んで尽八の後を追った。

「……隼人、ミーティングは」
「オレは内容知ってるからね。それに真波が居そうな場所の検討ついてるぜ」
「なに?」

 真面目な尽八の言葉を軽く躱しつつそう伝えれば、ぴくりとその眉が反応する。どこだと訴えてきた視線に対してオレの予想した場所を告げてみた。予想と言うかオレの中ではほぼ確信レベルなんだけどな。すると口元に手をあてて思案していた尽八はふむ、とひとつ頷いて納得したように顔を上げる。

「……一理あるか」
「だろ?」
「ならお前に残れと言っても聞かんのだろうな」
「おめさんの理解が早くて助かるぜ。オレはそこに向かうから、尽八は一応一年の教室の方へ行ってみてよ。見つけたら連絡するから」

 笑顔でそう言うオレに尽八はなにか言いたそうな顔をしたけど、結局何も言わずに部室のドアに手を掛けた。これは勝手にしろってことだろうな。そう、三年目の付き合いになるチームメイトの意図を都合よく解釈してオレもそのドアの外へと足を進める。少し先で尽八が呆れたように溜め息を吐いたのは聞こえないふりをした。

 


 
 結論から言うとオレの予想は見事に的中した。
 校舎裏の大きな木の下にあるベンチ。
 そこでのんびりとサボりを決め込んでいた真波はオレの視線の先で連絡を受けて駆け付けた尽八から説教を受けている。あのモードに入った尽八の話は長いから大変だな。まぁでも真波の自業自得ではあるんだけど。

「やっぱり真波くんの言ってた先輩って東堂くんだったんだ」

 ベンチに座ったオレの隣から聞こえてくる声に、尽八はクライマーのまとめ役みたいなものだから、と返す。すると声の主は目の前の二人を眺めながら、ふぅんと納得したのか興味が無いのか分からないような相槌を打った。

「あ、そう言えばこの前のマフィン、ホントに美味しかった」

 会話が途切れないよう新しい話のネタを振ったオレに、隣の彼女──速水さんは少し驚いたような顔を見せる。尽八に無理言って来たのも、真波が速水さんとここに居るのが何度が目撃されていたのを知っていたから。今日もここだとは限らなかったけど、なんとなくそんな予感がしたから着いてきた。彼女と会える可能性が少しでもあるなら賭けたかったし、もし居なくてもその時は大人しくサボりの後輩捜索を続けるだけだったしな。そして見事その賭けに勝ったというわけだ。

「メールで言って貰ったので十分だったのに」
「こう言うのはやっぱ直接言っとかないとって思ってさ」

 彼女の言う通り、タオルのお礼にとマフィンを貰った日の夜すぐに感想とともに連絡はしていた。でもほら、携帯のメールじゃ今みたいな少し照れたような反応を直接見ることは出来なかったから、やっぱり言って正解だったと思う。オレの好みに合わせてくれたらしいバナナとチョコ味のそれは好きな子の手作りという欲目抜きに美味かった。そして同時に、彼女のお菓子をよく貰っていると言う真波に対してどうしようもなく羨ましいと感じる。

「真波のやつ、あんな美味しいものいつも貰ってるなんてずるい」

 まずいと思った時には後の祭りで、オレの口からするりと溢れ出たのは言うつもりのなかった言葉。

「ずるいって……」

 まるで子どもの我儘のように稚拙な発言に言われた速水さんも困惑した表情を浮かべる。そして彼女なりになにか返そうとした結果なのか、お菓子作りをするのはストレス発散なこと、調理器具を自由に使えてあまり厳しくないという理由で調理部に入っていること、聖と食べたり渡したりするのがメインで真波に渡す約束をいつもしているわけではないことなどを話してくれた。聖が食べているのを見かけて、それが速水さんの作ったものだと聞いたがあると伝えると、それは知らなかったようでまた少し照れたような表情を浮かべる彼女が可愛い。でもやっぱり、その二人を羨ましく思う気持ちだけは抑えきれそうにない。さっきああ言っちまったし、いっそ開き直るのもありだよな?

「なぁ、速水さん」

 ワントーン落とした声で名前を呼べば、その変化を察したらしい彼女がその顔を少し強ばらせてオレの言葉の続きを待っている。

「今度からさ、お菓子作ったらオレにも分けて欲しい」
「え?」

 どうやら彼女の予想に反した言葉だったらしく、強ばっていた表情は一転して虚をつかれたようなものになった。この反応ならきっと即答で却下されることは無いと思う。

「ダメかな」

 速水さんからの答えを待つ前に続けた声は弱々しいもので、思った以上に自分の中で断られることに対する不安が大きいんだなと苦笑した。

「いや、えっと、ダメじゃない、けど……」
「!!」

 ダメじゃないと言う言葉が嬉しすぎて彼女の言った、けど、の後に続く台詞を聞き終わる前に反応してしまった。でもその後に続いたのは、また作ったら連絡すると言うものだったので内心安堵の溜め息を吐く。

「ありがとな!楽しみだ」
「あんまり期待しないで待っててくれると助かるんだけど」
「ん、わかった。待ってる」

 期待するなって言う方が無理なんだけどな。
 その言葉は飲み込んで、彼女との約束に心を躍らせていれば忘れていた人物の声が割り込んで来た。

「えー、志帆さんオレにもくださいね!」
「おい真波!!オレの話を聞いていたんだろうな?!」

 耳聡く聞き付けて駆け寄ってきた真波に尽八が怒鳴り声を上げる。この様子だと尽八の会話はほぼほぼ頭に入ってないんだろうなと苦笑していれば、そうだ!となにか思い出したらしい真波は彼女の名前を呼んで唐突にその手を握った。おいおい、おめさんそれは天然かい?計算なのかそうじゃないのか分からない真波の行動に対して速水さんが別段嫌がる素振りを見せない辺り、普段の二人の関係性が透けて見えて嫉妬という感情より先に羨ましいと思ってしまう。

「オレ、インターハイに出れることになったんだ!」
「え、ほんと?」

 メンバー入りしたと言う真波の報告に、速水さんの声のトーンが一段階上がってその目が輝いた。それに気付いた真波も嬉しそうに笑って更に言葉を続けていく。

「今年のインターハイは箱根だからさ、志帆さん見に来てよ!」

 それはオレがどれだけ言いたくて、でも言い出せなかった一言。菅家生が違うとは言え、それをなんの躊躇もなく言えてしまう真波に思わずオレだけじゃなく後ろで聞いていた尽八も苦笑を隠せていない。もうここまで来てしまえば嫉妬や羨望を越えて尊敬の域に達している気がした。言われた当の速水さんはと言うと、驚きと喜びと戸惑いといろいろな感情を含んだ表情でオレの方へと視線を向けている。ここは素直に真波の言葉にオレも乗っかるべきだろう。

「真波に先越されちまったけど、オレも出るんだ。速水さんさえ良ければ、ぜひ見に来てくれないか?」
「でも、私ルールとか……」

 やっぱり引っかかっていたのはそこなんだな。ルールも知らないのに見に行っていいのかを気にしていたんだろう。だからオレは、そんなに難しく考えなくていいと返す。

「要は一番最初にゴールした学校が優勝。な、簡単だろ?そしてもちろんオレたちは今年もそれを取りに行く」

 最後の一言は速水さんだけじゃなくて、尽八や真波。そして自分自身にも言い聞かせるように強い意志を含んだ言葉で伝えた。それが伝わったのかどうかは分からないけれど、彼女はゆっくりとその首を縦に振ってくれる。それを見て喜ぶ真波だったけど、まだ少し速水さんの顔には緊張の色が残っていた。オレが掛ける言葉を探している間に、聖も行くから一緒に居ればいいと伝える尽八。そう言う気遣いがスマートに出来るのは尽八のいい所だよな。でも速水さんの緊張はオレの言葉で解きたかった気もする。

「もちろんオレも出るからな!その目に眠れる森の美形と呼ばれるオレの登りを焼き付けるといい!」
「別名、森の忍者でしたっけー」
「わー!その名は言うな!!かっこ悪いだろ!」
「えー、日本っぽくていいじゃないですかぁ」

 急にテンションを上げてきた尽八と、それを面白そうにからかう真波に速水さんは一気にその顔から表情を消した。わかるよ、尽八もこれさえなければ顔が良くで気が利いて坂も登れる完璧なやつなんだけどな。それにしても無表情のまま遠い目で二人を見つめる彼女が面白くて、つい吹き出してしまう。するとゆったりとした動作で速水さんがこちらを向いて、何か言いたげな視線を向けて来た。そしてそれと同時に彼女のランチバッグからハードカバーが覗いているのが視界の端に止まって、きっと彼女の昼休みの予定は大幅に変更されたんだろうなと思った。

「悪いな、騒がしくて。本読んでたんだろ」
「……随分今更だね?」
「はは、今その本が見えたんだ」

 そう言ってハードカバーの表紙を指指すオレに隠すことなく溜め息吐く彼女に、でも、と言葉を続ける。

「おめさんがインハイ見に来てくれるのホント嬉しいよ」

 ちゃんと伝えたかった本心。一番に誘うことは出来なかったけれど、過程はどうあれ望んでいた結果になったのだから喜ばしいことに変わりはない。

「……新開くんなら応援の子には困ってないんじゃないの?」

 その言葉にどんな意味が含まれてるんだろうな。言葉通りの意味なのか、それ以外の思いが少しでも含まれているのか。ここ最近、オレとしては結構好意を前面に出してきたつもりだから後者だといいけど。そんな期待には蓋をして、そうでもないと彼女の言葉は否定する。

「速水さんが見に来てくれるってのに意味があるから」

 オレが言い終わると同時にタイミングよく昼休みを終えるチャイムが鳴り響いた。その音に弾かれるように立ち上がって荷物をまとめる速水さん。教室に向かうその頬に少し赤みが刺していたのは、可能性がゼロじゃないって自惚れてもいいんだろうか。


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