Be sure to catch you


送っていきました  




 突然降り出した通り雨に部員が愚痴を零しながらずぶ濡れの身体をタオルで拭っていく中、オレは無言で過去最速だと思えるスピードで拭いていく。ジャージを着替える時間すらも惜しくて、そのままロッカーに置きっぱなしにしていた新しいタオルをビニール袋に突っ込んだ。

「泉田」

 一緒のグループで走っていた泉田を見つけて名前を呼ぶと、はい!と真面目な声が返される。

「今日は戻ってきたグループから解散だからこれで終わりだけど、オレたちは全員問題なく戻ってきたって尽八に伝えてくれないか?もうすぐクライマーのやつらも戻ってくると思うからさ」
「はい、それは構いませんが……」
「悪い、頼むよ」
「あの、新開さんはどちらへ?」

 着替えもせずに部室を出ようとするオレを見て、泉田が不思議そうに首を傾げた。まぁ、そうだよな。それは本来ならリーダーのオレの仕事だし。でも悪い、今は一刻を争う事態なんだ。

「ん、ちょっと人助け」

 え、と長いまつ毛に縁取られた目をぱちりと瞬かせる後輩を後目に部室を飛び出す。雨足はさっきまでよりは弱まっていた。急いで愛車に跨って来たコースを戻っていく。雨のせいか普段のこの時間より少し薄暗くなっている風景。レースの時のような必死さでペダルを回しながら、一瞬見えた姿を思い出す。山道の傍らにある少休憩が出来るような小さな屋根付きのベンチ。そこに座っていたのは間違いなく速水さんだった。見えたのは通り過ぎる一瞬だったけど、見間違いじゃないと言う確信はある。問題は彼女の姿がオレたちみたいにずぶ濡れだったこと。
 普段から雨天のレースとかにも出ているオレたちとは違うんだから風邪引いちまうだろとか、傘はどうしたのかとか、そもそも寮生の彼女がなんであんなところにいるのかとか色々思うところはある。だけどもしかしたら、動けないような怪我とかしてるんじゃないのか。そんな悪い予感まで浮かんでくるから、そんな思考を振り切るように一層強くペダルを踏み込んだ。

 


 
 見えた。
 感覚的にはとてつもなく長い道のりに思えた道のりも、実際にはなんてことはない。ロードバイクを飛ばせば数分でつく距離だった。さっき通り過ぎた時と変わらない姿が見えたことに、見間違いじゃなかった安心感と何かあるんじゃないかという不安が過ぎる。あと少しで着くという時だった。おもむろに立ち上がった彼女が一歩踏み出そうとしてなにかに気付いたようにオレの方を向く。その瞬間、交わる視線。

「速水さん!」

 彼女の名前を呼んだのはほぼ反射に近かった。
 急に呼ばれたせいか肩を跳ねさせた速水さんの目の前に自転車を止めれば、どうしたの?と尋ねられる。

「それはこっちのセリフだって!おめさんこんなところで一人なにしてんだ、しかもそんなにずぶ濡れで!」

 オレがここに来るまでどんだけ焦ったと思ってるんだ。
 その言葉は何とか飲みこんだけど、つい声を荒らげてしまう。そんなオレに速水さんはおずおずといった様子で、この先のコンビニに行っていたら雨に降られて雨宿りしていたと答えてくれた。重ねて怪我はしてないんだな?と問えば、彼女が小さく首を縦に振ったのでそこでやっと本当に安心出来る。同時に安堵の溜め息が漏れたオレを、速水さんは怪訝な表情で見つめていた。

「それならいいんだけど……とりあえずこれ、タオル使って」
「え……」

 ビニール袋に入れていたタオルを手渡せば、タオルとオレを交互に見る速水さん。使ってないやつだと付け加えれば、どうやらタオル自体の問題じゃなくてオレの行動が理解出来ていないようだった。

「さっきここ通った時に誰か居るなと思ったらまさかの速水さんだろ?しかもずぶ濡れでさ。ほっといたら風邪引いちまうんじゃないかと思って」

 だからそう付け加えれば、完全には納得していなさそうな表情を見せつつも、やっとそのタオルを髪に当て始める。速水さんは人の好意を断れないタイプだろうな。あとは押しに弱い。滴るほど濡れていた髪の水分をタオルに吸い込ませている速水さんを見ながらそんなことを思っていれば、タオルの下から見上げるようにして速水さんにありがとうと言われる。その上目遣いは反則だぜ。

「実を言うと少し冷えてきたなって思ってたとこだったんだ」
「どういたしまして。でもオレが来なかったら小雨になったからって帰ろうとしてただろ」

 オレの指摘に黙り込む速水さん。どうやら図星だったらしい。

「おめさんやっぱり分かりやすいな」

 その言葉に何か言いたそうな目を向けつつも、黙ってタオルを当てる作業に戻る。あれだな、速水さんは目は口ほどに物を言うってやつを体現してる感じ。彼女の目を見れば大体何考えてるか分かるからオレとしては面白いし可愛いからいいんだけどさ。すると今度は勢いよく顔を上げたかと思うと、その顔には焦りの色が浮かんでいた。

「待って、新開くんも濡れてるよね?」

 あぁ、なるほどそう言うことか。

「大丈夫、雨の中レースだってやってるし。鍛えてるからそんなヤワじゃないさ。速水さんを送ったらすぐシャワー浴びるから気にしなくていいぜ」

 どうやらその考えは当たっていたらしく、閉口した速水さんはジト目でオレを見つめてくる。その目、結構好きなんだって言ったら引かれそうだよな。いや、確実に引かれる。でもその反応でさえも見たいと思っちまうから、恋ってやつは本当に厄介だ。そんな自分の思考回路に苦笑していると、速水さんの動きがまた止まる。そして小さな声で、送ってから……?と呟いた。あぁ、そこに気付いたんだな。

「もう暗くなってきたからね。ついでだし送ってくよ」
「いやいやいや、大丈夫!タオル借りただけでも十分すぎるから、先に戻って!もう雨もほぼ止んでるから!というか部活は?!」

 珍しい。普段どちらかと言えばダウナー気味の彼女が声を荒らげるのを見るのはおそらく初めてだ。しかもそれがオレを気遣って、って言うのがまたいいよな。新たな一面を見れたことで自然と緩んでくる口元を隠しはせずに、付けていたヘルメットを外す。心配してくれてるところ悪いけど、残念ながらその提案は受けれないな。言葉にせずともそれは伝わったようで、速水さんは納得いかないと言った視線を送ってきた。今日の彼女の表情はいつもより忙しそうで、それをオレがさせてると思うとなんとも言いようのない感情が湧き上がる。

「ほら、睨んでないでさ。部活はもうさっきので終わったから。な?速水さんも早くシャワー浴びたいだろ?」

 少し先で振り返ってそう言えば、速水さんはたっぷり十数秒ほど間を置いた後、諦めたように小さく溜め息を吐いてオレの横へと並んだ。

「新開くんって結構強引なんだね」
「そうすれば速水さんは折れてくれるからな」

 その言葉にまた睨んでくる姿を微笑ましく思っていれば、それが気に触ったのかふい、と視線を逸らされる。送ると言ったのは暗くなってるのも理由の一つではあったけど、それとは別にもう一つ。速水さんの着ている制服が理由だった。衣替えを終えた後の薄いそれは雨でぴったりと彼女の肌に張り付いている。本人が気付いているのかはわからないけど、好きな子をそんな姿で一人帰らせるなんて出来るはずがなかった。なんて言うかそこら辺の危機感薄そうなんだよな、速水さん。と言うかこれ、タオルだけじゃなくて羽織らせる用の上着も持ってくるべきだったな。

「コンビニでなに買ったんだ?」

 少し視線をずらせば視界に入る、健全な高校生には刺激が強いその姿から意識を逸らすようにそんな質問を投げかける。すると速水さんは、新しく出たグミだと言ってビニール袋から一つ摘んで取り出した。

「この前真波くんと話してたんだけど、学校近くのだと売ってないから」

 彼女が見せてくれたパッケージには見覚えがある。確か有名なキャラクターとコラボしたとCMで見かけたやつだ。その記憶をそのまま伝えると、味は変わらないんだと教えてくれた。なんだそうなのか。でもオレにはそれより気になるワードが聞こえていた。

「おめさん、真波とホント仲良いんだな」

 彼女とうちの新入部員である真波の仲が良いのは何度か二人が一緒にいる所を見かけて知っていた。一年生と三年生、部活も委員会も違う二人がどこで知り合ったのかは知らないけれど。そんな、以前から気になっていたことを彼女の口から真波の名前が出たのを好機とばかりに振ってみる。

「うーん、お昼にたまたま会う時がある程度だよ。でも可愛いから癒されてるんだけどね」

 ふぅん。可愛い、ね。オレたちからしてみたら、実力はありそうだけど遅刻癖に手を焼くような、靖友曰く『不思議チャン』の真波も、確かに女子ウケしそうな見た目はしている。あの尽八がキャラ被りを心配してるくらいだし。でも言うほど被ってるように思えないんだけどな。

「まぁあいつの顔は可愛い系と言えばそうかもしれないけど、真波みたいなのがタイプ?」

 自分で聞いておいて、彼女が肯定した時のことを考えてなかった。これでそうだって言われたらオレどうすれば良いんだろうな。

「あー、見た目がってわけじゃなくて。なんて言うか……雰囲気?ふわふわしてて、動物みたいで可愛いの。気まぐれなところも含めて」

 どうやらオレの心配は杞憂だったらしい。速水さんの口ぶりからすると、真波に対して恋愛感情的なものは無さそうだ。内心ホッとしているなんて後輩に対して余裕ないな、オレ。

「ならもし部活をサボってる時に会ったら来るように言ってやってくれないか?」

 そんな本音を隠すようにそう言えば、彼女は気乗りがしないと言った声を上げる。彼女の言葉によると、真波の素行自体に口出しはしたくないらしい。

「まぁそう言わずにさ。頼むよ、尽八がいつも手を焼いてるんだ」

 そう言ったついでに尽八と真波が同じクライマーだと補足すれば、速水さんは興味があるのかないのか分からない反応をした後で少し考える素振りを見せて、前向きに検討すると呟いた。そりゃおめさんやらないやつのセリフだぜ。

 そんなやり取りをしている内に、気付けば女子寮の前で来ていた。

「今日はありがとう。タオルは洗って返すね」
「いや、部室の洗濯物と一緒に頼むからいいよ」
「それはだめ。部活に関係ないところで私が借りたものなんだから、ちゃんと私がやるよ」

 律儀な彼女らしく、そこは譲れないらしい。ここで押し問答したところでオレたちが風邪を引く確率を上げるだと、そこは大人しく彼女の申し出に甘えることにした。

「じゃあまた。しっかりあったまれよ」
「うん。新開くんも」

 そんな些細なやり取りですら嬉しく感じつつ、ロードに跨って帰ろうとした時。待って、と引き止められた。なにかあったのかと振り返ったら、近付いてきた速水さんがオレの腰ポケットになにかを詰め込んでくるから思わず、え?と声が漏れた。背中越しだと見えづらいんだよな。

「お礼。良かったら食べて」

 彼女の言葉で詰め込まれたのが先程のグミの袋だと気付く。でもそれは。

「いいのか?真波と約束してたんだろ?」
「大丈夫。もう一つあるから」

 そう言った速水さんは優しそうに微笑んでいて、今まであまり見せてくれなかったその表情に思わず見惚れてしまった。おめさん、その笑顔は反則だろ。


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