Be sure to catch you


避けられました  




 バサッ。

 あ、と思った時には手から滑り落ちていたハードカバーの推理小説が重力に従って床へとぶつかる。その拍子に開いた表紙の裏側、図書室の蔵書であることを示す印影が目に飛び込んできて無意識の内に溜息が漏れた。

 尽八のクラスで席替えがあった日の放課後に速水さんと会えなかったオレは、結局その日以降彼女と顔を合わせていない。何も理由が無いわけではなくて、珍しく速水さんから送られてきたあの日の夜のメールに書かれていたのは、前回の模試の結果があまり芳しく無かったから暫くウサ吉の世話とお菓子作りが出来そうにないと言う内容。元々ウサ吉の世話はオレが半ば無理やり頼み込んだものだったし、お菓子作りの方は彼女の趣味の範囲でやっているもののお裾分けを貰っている状態だったので、それを受け入れること自体に不満は無かった。

【オーケー。受験勉強大変だろうけど、頑張ろうな。まぁ、オレはまだインハイのことしか考えれてないんだけどさ】

 返信した内容は確かそんなものだったと思う。
 その時はまだ、オレも頑張らないとな程度にしか思っていなかった。おかしいと思ったのはそれから数日後、聖から渡されたこの推理小説がきっかけだった。

『隼人。はい、これ』
『ん?』

 あの時手渡されたのはこの本と一枚のメモ。それには来月入る予定の推理小説のタイトルが記されていて、それは最近だと速水さんとのメールのやり取りで教えて貰っていたものだった。

『おめさん、これは?』
『速水さんからあなたに渡すように頼まれたのだけれど』

 聞いてなかったの?
 眉を顰めるような聖の表情は速水さんにそれ以上は聞いていないと言うことを物語っていて、オレは忘れていたと言う反応で話を合わせることにしてこの本を受け取ったのだ。

 あれから昼休憩や放課後、何度か彼女のクラスに足を運んだけれど彼女の姿は見当たらなかった。尽八に聞いてみれば、昼食は友人と食べていることもある時もあるけど大体は授業が終わると直ぐに教室を出て行くことが多いらしい。それなら図書室で、と思って覗いてみても空振り続き。不思議に思って聖に聞いたところ、受験生になる今年は業務内容の引き継ぎが出来たこの時期からローテーションに入る回数が減っているんだと言っていた。

「オレとしてはそれなりに仲良くなれたと思ってたんだけどなぁ」

 元々クラスが違うし、接点だってそんなにあるわけじゃない。それでもこの数ヶ月で『尽八の隣の席』と言う大義名分が無くなっても普通に話が出来るくらいの位置には立てていると思っていた。でも現実はオレのインハイに向けての練習がよりハードになるタイミングも重なって、速水さんと最後に話してからもう一ヶ月くらいが経とうとしている。
その日数を考えると、どうしても頭に浮かんでくる一つの考え。認めたくはないけど、そうすればあの夜急に来たメールも、聖に渡されたこの本も、会話すら出来ていないここ最近の日々も全てに説明がつくんだよな。

「……避けられてる、か」

 そんな独り言が誰も居ないロッカールームに響いて消えた。だめだ、まずは練習しないと。こんなことで調子を落としていたら春先尽八に啖呵を切ったことが嘘になっちまう。




 
「これでいいでしょうか。……新開さん?」
「え、あぁ悪い。うん、そのメニューでいいと思うよ、よく考えてる」
「ありがとうございます。新開さん、お疲れですか?」

 泉田から自主トレメニューの確認をしている最中、視界の端に見える光景につい気を取られてしまっていた。気遣わしげな表情を見せる泉田に、大丈夫だと笑ってやればホッとしたように頷いてトレーニングルームへと戻っていく。そんな後輩の背中を見送って、先程まで気になっていた先へと振り向くと、丁度顔を上げたその元凶と目が合ってしまった。オレ、男と見つめ合う趣味ないんだけどな。この状態で逸らすのもおかしいだろうし、どうしたものかと思って動けずいたオレに対して相手は不思議そうに首を傾げた後、なにかに気付いたような顔をしてベンチから立ち上がるとこちらに駆け寄って来る。

「新開さん、これクラスの子から貰ったんですよ〜」

 へらりといつもの笑みでその相手──真波は持っていた可愛らしい模様の入ったラッピング袋を顔の横へと掲げた。

「そっか、おめさん人気者だな」
「新開さん程じゃないですって」

 笑って最後の一枚を口に放り込む真波を見ながら、貰った相手が彼女じゃないと言う事実に安堵する。

「そう言えば真波、最近速水さんから貰ったりした?」

 そう聞いたのは自分なのに、その答えにもしイエスと返ってきたらどうしようかと聞いた後で後悔が押し寄せる。オレだけ貰ってなかったら、それはやっぱり先程の自分の考えが確定的なものになってしまうんじゃないのか。そんな思いを悟られないように平静を装うオレの気持ちを知ってか知らずか、真波はキョトンとした顔で、志帆さん?と親密さを窺わせるような羨ましいその呼び方で彼女の名前を口にした。

「貰ってないですけど……そういえば最近あんまり会ってないんですよね〜」

 三年生ってやっぱり勉強とか忙しいんですかね。
 空になった袋をカサカサと弄りながら言う真波の声色は興味があるのか無いのかいまいち判り難い。

「一応オレや尽八たちも三年だよ」

 まぁオレは毎日自転車漬けで普通の受験生とはまた違うんだろうけど、と苦笑しながら真波を真似るようにパワーバーを齧る。そんなオレに真波はいつものように笑って、そうでした、と頭を掻いた。インハイメンバーに選ばれてもこのマイペース具合は変わらないな。でも速水さんに会っていないのがオレだけじゃないと言うことが分かって少し安心したのも事実。これは本当に忙しいだけかもしれないな。なんてことを考えていた時だった。

「なんで志帆さんなんですか?」

 耳に届いた言葉に思わず咥えていたパワーバーを落としそうになる。え?と真波を見れば先程までの緩んだ笑みは消えていて、その空の青さを閉じ込めたような青い双眸が射抜くようにオレを見ていた。

「新開さんってモテますよね。東堂さんより本気になってる女の子多いって聞きましたよ」
「……真波?」
「女の子、選びたい放題なんじゃないですか?」
「待て、話が見えな」
「オレ、志帆さんとの時間結構気に入ってるんで。本気じゃないならやめてくださいね」

 先輩に向かってそれはどうなんだ、とか、お前になんでそんなことを、なんて言えるような空気ではなかった。真波の彼女に対する思いが恋愛感情なのか、それとも慕っているだけなのかはわからないが、彼女に対してただの先輩以上の気持ちを持っていることはわかっている。普段の緩いものとは違う、どこか好戦的にも見える表情はそうだ、インハイのメンバー選考の時に見せたものに近い。そこからも真波の気持ちの強さは伝わってきた。

「あ、オレ東堂さんに呼ばれてるんだった!そろそろ行かなきゃ」

 新開さん、失礼しまーす。
 先程までの表情はどこへやら、いつものようにへらりと笑った真波は思い出したように踵を返す。このまま何も言わなくていいのか?いや、言われっぱなしでいいわけがない。今のオレが言えること、言わなきゃいけないことは一つだけ。

「真波!」
「なんですかー?」
「オレは本気だよ」

 本気に決まってる。じゃなければこんなに悩んでないし、後輩の呼び方一つに嫉妬したりなんかしない。振り返った真波へ投げ掛けた一言はまるで宣戦布告。しっかり間違いなく伝わるように言い切ったオレの言葉を受けた真波は、へぇ、と不敵な笑みを浮かべて、そのまま部室のドアに向かって走って行った。
 
 まいったな、どうやらオレの好きな子には可愛らしい笑顔の裏にとんでもない牙を隠した番犬が懐いているらしい。まぁそれでも諦める気はさらさらないんだけどな。


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