Don't catch me if you can


約束をしました  




「おはよう速水さん。体調は崩していないか?」

 ホームルーム前に朝練から戻ってきたらしい東堂くんは、席に着いて私の顔を見るなりそんなことを言った。体調?別に何も無いけど。そう思わず首を傾げると、あぁ、と東堂くんは言葉を続けた。

「昨日ずぶ濡れで外に居たと聞いたのでな。元気そうならいいが、女子なのだからあまり身体を冷やしてはならんよ」
 
 隣の席になって分かったことは、東堂くんは意外と気遣いが出来る人だと言うことだ。ファンの子とか自転車部の友達とかと居なければ結構落ち着いて話せるし。もしかしたらそれも、騒がしいのが苦手だと私が態度に出しているから気を遣ってくれているのかもしれないけれど。

「あー……なんかごめんね」
「?」

 今度は東堂くんが首を傾げる番だ。あの時、私の前を通り過ぎた部員の中に東堂くんは居なかった。だからきっと新開くんに聞いたか、彼の行動を見た誰かに聞いたんだと思う。新開くんは部活は終わったからと言っていたけれど、レギュラーメンバーなら終わった後も何かあったのかもしれないし、本当に終わっていたとしても雨の中余計なことをさせてしまったことに変わりはない。だから迷惑掛けてごめんね。そんな内容を説明すれば、東堂くんは驚いたように少し目を丸くした後、どこか楽しそうに笑った。

「速水さんが謝る必要は無いぞ。昨日あいつがやることは本当に全部終わった後だったし、例え終わってなくとも困っている同級生を見捨てておくほどオレたちに余裕が無いわけじゃないからな」
「でも、」
「それより速水さんがうちの部を気にしてくれた方が嬉しいよ。隼人のこと苦手なのだろう?」

 東堂くんに言われた言葉に思わず閉口する。新開くんが苦手。それは間違ってない。イケメンで人当たりが良くて全国大会に出るような部活のレギュラーである彼は有名人だ。何かをするたびに黄色い声が聞こえるような華やかさと同時に、真偽は分からないいろいろな噂も飛び交っているような新開くんとは住む世界が違うんだと勝手に線引きをしている。だからあまり積極的な関わりを持たないようにしようとしたのに、どうやら彼の方はそれを良しとはしてくれないらしい。私のなにが新開くんの琴線に触れたのかはわからないけれど、東堂くんのところへ来ると必ずと言っていいほど話し掛けられるし、世話を頼まれた日以降、ウサ吉の写真と共に短いメールのやり取りも交わしていた。気付けば他のクラスなのに一日一回はなにかしらで接点が出来ている現状に、多少なりとも好意的に思われているんだろうなとは思う。私だってそこまで人の気持ちに鈍感ではない筈だ。とは言っても普段の新開くんの友達付き合いがわからないから、彼にとってはごく普通のことなのかもしれないけれど。

「速水さんが即答しないと言うことは少しその意識も薄れて来たと言うわけか」
「……どうかな」
 
 意外そうな東堂くんへはぐらかすようにそう返す。会話をしてみればイメージが変わりました、と言うことは珍しくない。現に私の目の前に居るクラスメイトがそうだ。

「……私、東堂くんのことも苦手だったよ」「過去形であればなんの問題もあるまい。まぁ、実際にオレと話してみればこのトーク力で誰もが」「あ、ごめんそれは少しうざいかも」「うざくはないな?!」
東堂くんにそう言えば、なにやら小言モードに入り始めたので聞き流す体制に入る。そろそろ先生来るかな。あ、そろそろ日直が回ってくる。ごく普通の日だと日誌に書くことなくて困るんだよねぇ。

「だからだな……って速水さん聞いてないだろう!」
「……」
「全く、あからさまに面倒臭そうな顔をするんじゃない。まぁいい。それ、隼人に返すんだろう?」
 
 はぁ、と大袈裟に溜息を吐いた東堂くんがそれ、と視線を投げたのは私の机に引っ掛けてある小さな紙袋。彼の指摘通り、中には昨日新開くんに借りたタオルが入っていたので素直にこくりと頷いた。あぁ、そうだ。この流れながらついでに聞いてしまおう。

「新開くんの好きなものってなにかな」
「隼人の?」
「うん。お礼になにか渡そうと思ったんだけど思いつかなくて」

 私の言葉になるほどな、と納得したように東堂くんが頷いた。

「食べ物なら基本的に喜ぶと思うが」
「……なるほど」
「でもそう言うことは本人に直接聞くのが一番だろうな」
 
 渡すついでに聞いたらいい。
 そう言われたところで担任が入ってきて、東堂くんとの話は一旦打ち切りになった。お礼なのに直接聞くのもどうなんだろう。でもどうせなら本人の好きな物の方がいいのか。なんでもいいって言われた時には東堂くんの言うようにお菓子の詰め合わせでも渡そう。そんなことを考えていたせいか、なんとなくその日の昼休憩までの時間は気持ちが落ち着かなかった。

 

 

「速水さん!悪い、待たせたよな」
「ううん大丈夫。新開くんこそもういいの?」

 ウサ吉に癒されていれば背中からかかる声。振り返れば、急いできたのかその声の主である新開くんの息は切れている。それでなくても部活で疲れてるんだろうし、そんなに急がなくても良かったのに。そう伝えればへらりと笑って誤魔化された。

 当初の予定通り昼休憩に新開くんのクラスへ行った私がちょうど扉の近くにいた御園さんに新開くんの席を尋ねると、偶然にも前後の席だった。いいな、御薗さんと席が近くて。三年間のうち結局一回も同じクラスになれなかった友人の近くに居れる彼を少し羨んでいれば、不思議に思ったのか彼女が首を傾げたので慌ててここに来た目的を告げた。それなら呼びましょうか、と言ってくれた御園さんの言葉に甘えようとしたけれど、ここに来て新開くんを呼び出すと言うことの大きさに気付いて気後れしてしまったので、結局部活後にウサ吉の小屋の前で待ってると言う旨を託けたのだ。

「ごめんね、部活の後にわざわざ来てもらって。昨日のタオルを返すのに本当は昼休憩にクラスまで行ったんだけど……」
「いや、オレの方こそ気を遣わせてごめんな」
 
 先の言葉を濁した私の思いを汲んでくれたのか、新開くんが眉を下げたので慌てて首を横に振る。この場合、彼が謝る理由は全くもってないのだから。

「昨日はありがとう。おかげで風邪引かずに済んだよ」
「ん、そりゃよかった」
「あの、それでなにかお礼を渡そうと思ったんだけど、新開くんの好みとかよく知らなくて……東堂くんに聞いたんだけど、自分で聞けって言われちゃった」
 
 だからもし何系が良いとかあれば聞いてもいいかな。
 そう伝えれば、一度その大きな目をパチリと瞬かせた後、新開くんは何度か見たことあるように、ふはっと息を吐いて笑った。

「速水さんそう言う率直なところいいと思う。そうだな、じゃあタオルのお礼に駅の近くに最近できたランチバイキングとかどう?」
 
 新開くんの予想外の提案に思わず、え、と声が漏れる。それはもしかしなくても二人で出掛けるって言うことだろうか。流石にお礼とは言えそれは無理でしょう。新開くんと二人でとか同級生とかに見られたらどんな噂をたてられるかわかったもんじゃない。そもそも付き合ってるどころか、顔見知りに毛が生えたような関係でご飯とか間が持たないと思う。

「……ごめん、それはちょっと」
「だよな。ごめん、ちょっとからかった」
「……」
「悪いって、睨まないでくれよ。あれだ、おめさんお菓子作れるんだろ?真波にこの前やってたみたいなやつ、オレも食べたいなって」
 
 からかったと言う新開くんを信じられないと言うように睨めば、大袈裟なジェスチャーで両手を上げた新開くんが代替案を出して来た。真波くんにあげたと言われて一瞬悩んで、一つの候補に辿り着く。家庭科の授業で作ったそれは確かに調理室からの帰りに出会った真波くんにあげたけど、なんで新開くんが知ってるんだろう。

「マフィン?」
「それそれ。部室で食べてたんだけど、美味そうだったんだよな。一口くれって言ったのに断られてさ」

 なるほど、新開くんの説明で先程の疑問は解消された。部活の先輩に対しても彼の自由さは健在らしい。もちろんそれなりの信頼関係が築けているからなんだろうけども。でもマフィンなら何度か作ったこともあるし、たぶん失敗せずにそれなりの物が作れると思う。

「わかった、来週明けにマフィン作ってくるね」
「ん、楽しみにしてるな」
「何味が良い?」
「あー、チョコとかバナナとか好きなんだけど」
「じゃあその味で作るよ」
「ホントか?!」
 
 パッと目を輝かせてた新開くんに、そんなに期待しないでね、と言ったけれどどうやらあまり効果はないらしい。来週が楽しみだ、ともう一度言ったその表情はとても優しくて思わず心臓が跳ねた。なんとなく頬に熱が集まる感じを悟られないように、そろそろ帰るねと立ち上がる。はぁ、これだからイケメンは。


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