Don't catch me if you can


誘われました  




「志帆さん、助けてくださーい」
 
 図書室に読みたかった本が入ったので、図書委員の特権とばかりに早速借りて来た昼休み。裏庭にあるお気に入りのベンチに座って読んでいれば、一章が終わるか終わらないかの内にそんな声が聞こえて来た。活字の世界から意識を浮上させて、声のする方へ視線を巡らせれば小走りで駆け寄ってくる後輩の姿が見える。先程の言葉と併せて何事かと、とりあえず少し横にずれればその空いたスペースに彼──真波くんは確認するように辺りを見回して座り込んだ。

 真波くんとは春先にこのベンチで会って以来、時々こうやってたまに会っては取り留めのない話をする仲になっている。その殆どは真波くんが坂を登って帰ってきた時だったから、今日みたいにあの真っ白くて綺麗な自転車を伴っていないのは珍しい。

「どうしたの?今日は坂帰りじゃないんだね」
「いやぁ、今日の昼休みにミーティングあるのすっかり忘れちゃってたんですよねぇ」

 たぶん今から行ったら怒られると思うんで隠れてようかと。
 私の問いかけに対して真波くんはへらりと笑ってそう返す。なるほど、それでさっきの助けての意味がわかった。でもここも人気は少ないとは言え裏庭で、隠れるのに適した場所ではない気はするけどな。まぁ真波くんの反応からみるに本当に困っているわけではなさそうだから、あの言葉に深い意味はないんだろうけど。そう言えば東堂くんもミーティングがあるとか言ってた気がするからそれだったのかもしれない。と言うことは真波くんの言う先輩は東堂くんの可能性が高いな。それなら──

「部活、あんまり遅刻しちゃだめだよ」

 喉乾いたので一口下さいと言われて差し出した麦茶のペットボトルに口付けた状態で、真波くんがその大きくて綺麗な目を丸くする。うん、ちょっと可愛い。

「志帆さんに言われたの初めて」

 うん、そうだよね。驚いた理由を素直に零した真波くんに心の中で相槌を打つ。私は今まで彼が授業に遅刻してようが部活に出ていなかろうが、それに対して別に何も言ったことはなかった。言わなかったのは私自身になにか迷惑が掛かってるわけでもないのに彼のやることに干渉する理由がなかったから。

「私としては別に真波くんが部活に出ても出なくても気にはしないんだけどね」
「わー、正直」
「今の私の隣の席、東堂くんなんだ」

 その一言に真波くんは、あー……と何かを察したように苦笑した。

 私と真波くんがたまにこうして話していることを知った東堂くんは何度か私に対して「真波に遅刻するなと伝えてくれ」とか「真波をあまり甘やかすな」とか言っていた。別に甘やかしてるつもりはないんだけどな。会った時に少し話してお菓子あげるくらいだし。そう言ったら餌付けだとかなんとか溜息を吐いてあの美形と呼ばれる顔を顰めていた。まぁ確かに真波くんの自由な感じはネコっぽいとは思うけど。でも私は彼のそんなふわふわした掴み所のない雰囲気を密かに気に入っているので、懐いてくれている現状を壊すことはしたくないから東堂くんには申し訳ないけどこれからもお菓子はあげるし、生活態度を指摘するのは今日が最初で最後だと思う。

「だからね、一応伝えたって言う事実は作っとこうかなって」
「志帆さん割といい性格してますよね」
「面倒くさいことに巻き込まれるのはなるべく避けたいだけだよ」

 避けれるかどうかは別なんだけど。
 そんな言葉を飲み込んで、その変わりに口から出たのは大きな溜息だった。どうやら本の続きは放課後までお預けらしい。真波くんの背中越しに見えた姿に、私は昼休み終了のチャイムが早く鳴ればいいのになんてことを初めて思った。

 


 
「やっぱり真波くんの言ってた先輩って東堂くんだったんだ」
「尽八はクライマーのまとめ役みたいなものだからな」

 あの後、私が伝える間もなく音も立てずに近付いて来た東堂くんによって真波くんは捕まってしまった。流石、スリーピングなんとかだ。あの口上、何回か聞いたけど覚えられないんだよね。きっと長いからだ。目の前で始まってしまった説教に、そっと席を外そうとしたのは何故か東堂くんについて来ていた新開くんに話しかけられたことによってタイミングを逃してしまった。なので仕方なく、東堂くんの目の前に立たされている真波くんの代わりに隣に腰を下ろした新開くんと話している。

「あ、そう言えばこの前のマフィン、ホントに美味しかった」
「メールで言って貰ったので十分だったのに」
「こう言うのはやっぱ直接言っとかないとって思ってさ」

 にこにこと告げる新開くんの笑顔が眩しい。本当にそんなに大したものじゃないのにそう言われて、なんだか私の方が申し訳なくなってくる。そんなに気に入ってたんだったらもっとたくさん渡せばよかったかな……

「でも真波のやつ、あんな美味しいものいつも貰ってるなんてずるい」
「ずるいって……」
 
 お菓子作りは一種のストレス発散みたいなものだし、大体は自分で食べるか御園さんにお裾分けしたり二人で話す時のお供にするくらいで、真波くんとは自分用にここで摘んでいる時に会ったら一緒に食べる程度なのだ。だからいつもと言うのは語弊があるし、まさかずるいなんて子どもみたいなことを言われるとは思っていなかったからどう返せばいいのか分からない。だからありのままを説明した──のだけど。

「聖が食ってるのも見たことあるよ。いつもすげー美味そうだから、前に聞いたことあるんだ。そしたら速水さんに貰ったって言ってたからさ」
 
 ……それは知らなかった。
 知らないところで自分の作った物の話題が出るのはなんだかとても恥ずかしい。ラッピングだって、一応自分なりにはちゃんとしているつもりだけど、それでもやっぱり売り物とは比べ物にならないし。

「なぁ、速水さん」
 
 どこか真剣な色を含んだ声で新開くんが私の名前を呼ぶから、思わず身構えてしまう。なんだろう。名前を呼ばれてつい良くなった姿勢のまま、次に続く言葉を待っていれば、少し緊張した面持ちの新開くんがゆっくりと口を開いた。

「今度からさ、お菓子作ったらオレにも分けて欲しい」
 
 どんな内容を言われるのかハラハラしながら待った末のその言葉に思わず、え、と声が漏れる。それを悪い方に受け取ったのか、新開くんはダメかな、とその身体に見合わない弱い声で呟いた。え、なにその捨てられた子犬みたいな顔。私の目の前に居るの、新開くんだよね?今までの私のイメージにない彼の表情に、戸惑いながらも慌てて言葉を返す。

「いや、えっと、ダメじゃない、けど……」
「!!」

 私の言葉に一瞬にして新開くんの顔が輝く。あ、これこの前見た。マフィン作るよって言った時と同じ表情。この表情を見てしまうと、お菓子作りだってすごい得意なわけじゃないよ、とか、大した量があるわけじゃないんだとかいろいろあった言いたかったことが全部すーっと引いて、まぁいいかと言う気持ちになるから不思議だ。

「またなにか作ったら連絡するようにするよ」
「ありがとな!楽しみだ」
「あんまり期待しないで待っててくれると助かるんだけど」
「ん、わかった。待ってる」

 ……たぶんそれわかってないね。
 そんなことを思ったけれど、もう今日はいろんなことを考えて疲れたのでとりあえずそのままにすることにした。

「えー、志帆さんオレにもくださいね!」
「おい真波!!オレの話を聞いていたんだろうな?!」
「あ、そうだ!志帆さん!」

 少し離れたところにいた真波くんが何かを思いついたように私の前に移動して来て、座っている私の手を握る。なんだろう?彼の後ろに話を無視されてすごい表情になっている東堂くんが見えた気がしたけど、それは気付かないことにして真波くんを見上げて首を傾げた。

「オレ、インターハイに出れることになったんだ!」
「え、ほんと?」

 それは今日一番のビッグニュースだ。一年生でインターハイ。大して部活動に興味のない私でも知ってる、全国でも有名なうちの自転車部でそれを成し遂げるなんて並大抵の事じゃないだろう。真波くん、本当にすごい子だったんだ……

「今年のインターハイは箱根だからさ、志帆さん見に来てよ!」
 
 そう言えば誰かが地元開催って言ってた気がする。確かに真波くんたちを応援したいし、見てみたい気もする。でも私、レースのルールとか全然知らないんだよね。すぐに答えを出せずに、思わず隣の新開くんに視線を向けてしまった。そうしたら存外に新開くんが微笑んでいて、不意打ちのそれに思わずどきりとする。

「真波に先越されちまったけど、オレも出るんだ。速水さんさえ良ければ、ぜひ見に来てくれないか?」
「でも、私ルールとか……」
「そんな難しく考えなくていいよ。要は一番最初にゴールした学校が優勝。な、簡単だろ?そしてもちろんオレたちは今年もそれを取りに行く」
 
 新開くんの最後の言葉はなんだかとても重みがあって、それに誘われるように気が付けば首をこくりと縦に振っていた。それに喜んでくれる真波くん。でもインターハイとか初めて見に行くし、やっぱり緊張するな。それが顔に出ていたのか、東堂くんが御園さんも行くから一緒に居ればいいと助言してくれた。こう言う気遣いがさりげなく出来るところは見習いたいと思う。

「もちろんオレも出るからな!その目に眠れる森の美形と呼ばれるオレの登りを焼き付けるといい!」
「別名、森の忍者でしたっけー」
「わー!その名は言うな!!かっこ悪いだろ!」
「えー、日本っぽくていいじゃないですかぁ」

 ……この騒がしささえなければ、だけど。
 真波くんとまたひと騒ぎ始めた東堂くんを少し遠い目で眺めていれば、新開くんがおかしそうに笑った。

「悪いな、騒がしくて。本読んでたんだろ」
「……随分今更だね?」
「はは、今その本が見えたんだ」
 
 ハードカバーの表紙を指さす新開くんに思わずため息を吐けば、でも、と言葉が続く。

「おめさんがインハイ見に来てくれるのホント嬉しいよ」
「……新開くんなら応援の子には困ってないんじゃないの?」
「そうでもないさ。それに、速水さんが見に来てくれるってのに意味があるから」
 
 その言葉と同時に昼休憩終了を告げるチャイムが鳴り響く。その音に弾かれるようにして解散した私たち。同じ教室に向かう東堂くんの一歩後ろを歩きながら浮かんでくる、新開くんの最後の言葉にどんな意味が含まれているのかと言う考えは頭を振って掻き消した。


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