Don't catch me if you can


一緒に帰りました  




「雨、止まないなぁ」

 バシャバシャと地面に当たって跳ね返る激しい音を聞きながら独りごちて溜息を吐き出した。恨みがましく空を見上げても、急に降り出した雨は弱くなるどころか先程より激しくなっている気さえする。
 今日は委員会の当番が無かった。珍しくどの授業でも明日までの課題が出なかった。そうなれば部活に入っていない私には短くない時間が出来るわけで。折角ならと最近発売した新しいお菓子を求めて、最寄りではない少し距離のあるコンビニまで散歩がてら足を伸ばした結果がこれだ。お目当てのものを手に入れて気分よく戻っていれば、数分もしない内に落ちてきた雨。今朝の天気予報では降る予定もなかったし、小降り程度なら急いで帰れば大丈夫だろうとそのまま歩いていれば、それは時間を経たずしてバケツを引っくり返したと言う言葉がぴったりな程の土砂降りになっていた。

 そんな中でまだ十分以上ある道のりを歩くのは流石に無謀だと、近くに見つけた屋根のあるベンチに座って雨が落ち着くのを待っている。古くはなっているけれど、この雨を凌げるならありだろう。気温がそんなに低くない時期でよかった。水分を吸って張り付く制服は気持ちが悪いけれど、凍えるほどではない。髪の毛から滴る水をハンカチで拭けばあっという間に絞れる程になった。ハンカチとしての機能は望めないそれを脇に置けば、手が当たったコンビニの袋がガサリと鳴って中から可愛らしいキャラクターが描かれたパッケージが顔を覗かせる。期間限定キャラクターの楽しそうな顔が今は無性に恨めしくてピンと指で弾くと、雨足を弱める気配のない空に向かってまたひとつ溜息を零した。
 そんなことをしていれば、雨の音に混ざってシャーっと言うタイヤの音が聞こえてくる。こんな雨の中よく走るなと思って音のする方へ顔を向ければ、それがうちの自転車競技部のものだと分かった。遠くに見えていたはずの見覚えのあるジャージの群れは物凄いスピードで私が座るベンチとの距離を縮めてくる。

「あ、」

 そして目の前を通り過ぎる瞬間。
 先頭を走るのが新開くんだとわかった。一瞬のことだったけど、多分合っている。そして勘違いでなければ彼と目が合った──ような気がした。向こうが私と認識したかどうかは分からないけれど、その時の新開くんは驚いたような表情をしていたと思う、まぁこんな雨の中、一応ベンチとは言えずぶ濡れで自校の女子生徒が座ってたら驚くよね。もし今度会った時に私と気付いていたなら、私だって好きで座ってたわけじゃないんだと一応弁解しよう。そう言えば東堂くんや真波くんはあの中に見えなかったな。と言うか私、あの二人が自転車乗ってるの見たことないや。真波くんが坂から戻る前後にはよく遭遇するけれど、その時にはもう彼はあの白い綺麗な自転車を押していた。そしてそんな私が新開くんの自転車に乗っている姿を見たのももちろんさっきが初めてで。

「ロードバイクってあんなに速いんだ……」

 素人の私にはそんな在り来りなものしか浮かんでこなかった。

 


 
 それから程なくして、雨足は少し落ち着いた。やっぱり通り雨で一時的なものだったんだろう。まだ完全に止んではいないけれど既に濡れているこの状態では小雨の中歩いて帰っても大して変わらないと思う。
そう結論付けで立ち上がった時、また自転車のタイヤの音が聞こえてきた。今度は先程とは反対の学校側から。そう言えば、雨の中もレースはあるから練習するんだ、と東堂くんが言っていたっけ。強豪校は大変なんだなぁと他人事のように思っていれば、見えた姿に今度は私が驚く番だった。

「速水さん!」

 名前を呼ばれて一台の自転車が私の前で止まる。そこに乗っていたのは先程先頭を走っていたはずの新開くんだった。

「え、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだって!おめさんこんなところで一人なにしてんだ、しかもそんなにずぶ濡れで!」
「えっと……この先のコンビニから帰る途中にあの雨に降られたから雨宿り……?」

 普段穏やかな新開くんが声を荒らげているのに驚いて、自分の行動なのに思わず疑問形になってしまった。私のその説明に「怪我してるとかじゃないんだな?」と質問を重ねられたので、それを肯定するように頷けば、大きな溜息を吐かれる。なんで。

「それならいいんだけど……とりあえずこれ、タオル使って」
「え……」
「あぁ、それ使ってないやつだから」

 ガサガサと細いそのフォルムに不似合いにぶら下げられたビニール袋から取り出されたのは一枚の真っ白なタオル。手渡されたそれに驚いていれば、受け取ったまま動かない私を勘違いしたのか新開くんはそう付け加えた。

「いや、それはいいんだけど……なんで?」
「なんでって、さっきここ通った時に誰か居るなと思ったらまさかの速水さんだろ?しかもずぶ濡れでさ。ほっといたら風邪引いちまうんじゃないかと思って」

 だから部室に帰ってから引き返してきた。
 なんともないような風に言う新開くんだけれど、その行動は全然なんともないものではないだろう。部活後で疲れてる筈なのにわざわざタオルを届けるために来てくれたのか。人が良いにも程があると思うよ。とかいろいろ思うところはあったけれど、折角の気持ちを無碍にするわけにもいかないので有り難くタオルで髪を拭かせてもらうことにした。

「わざわざありがとう。実を言うと少し冷えてきたなって思ってたとこだったんだ」
「どういたしまして。でもオレが来なかったら小雨になったからって帰ろうとしてただろ」
「……」
「おめさんやっぱり分かりやすいな」

 少し呆れを含んだ声で言われたけれど、私が分かりやすいんじゃなくて新開くんが目敏いだけだと思うよ。そう思ったけれど、わざわざ心配してくれた人に言うことではないので心の中だけに留めておいた。そしてそこで気付く。私にタオルを渡してくれた新開くんは先程まで練習で外を走っていて、学校に戻ってすぐここに来てくれたと言っていた。私が雨宿りしていた時に目の前を通ったということは、つまり──

「待って、新開くんも濡れてるよね?」

 そうだ、なんで気付かなかったのか。あの雨の中練習していた彼だってあの土砂降りにあっているのだ。それならこんなところで私を気遣っている場合じゃない。早く帰ってシャワーを浴びないと。箱根学園自転車部のレギュラーがこんなことで体調を崩してしまうなんてあってはならない筈だ。

「大丈夫、雨の中レースだってやってるし。鍛えてるからそんなヤワじゃないさ。速水さんを送ったらすぐシャワー浴びるから気にしなくていいぜ」

 そう言ってパチンとウインクを寄越す彼は本当に私の心が読めてるんじゃないのかと疑ってしまう。そしてまた気付く。彼はなんと言った。

「送ってから……?」
「もう暗くなってきたからね。ついでだし送ってくよ」
「いやいやいや、大丈夫!タオル借りただけでも十分すぎるから、先に戻って!もう雨もほぼ止んでるから!というか部活は?!」

 流石にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。幸い本当に雨もほぼ上がって、確かにあたりは薄暗いけれど十分も歩けば寮に着く。新開くんのロードバイクならほんの数分で帰れるだろう。早く帰って早くシャワー浴びて。珍しく大きくなった声でそう伝えた筈なのに、新開くんは自転車に跨るどころか被っていたヘルメットを外してハンドルに引っ掛けている。

「……」
「ほら、睨んでないでさ。部活はもうさっきので終わったから。な?速水さんも早くシャワー浴びたいだろ?」
「っ……」

 数歩先で振り返ってそう言う新開くんには何も言い返すことが出来ない。きっと私がなにを言っても新開くんが自転車で一人先に帰ることはないんだろう。それなら頑張って寮まで早歩きで帰ろう。小さく溜息を吐いて後を追うように踏み出せば、新開くんは満足そうに微笑んだ。

「新開くんって結構強引なんだね」
「そうすれば速水さんは折れてくれるからな」

 サラリと言われて思わず言葉に詰まる。それは暗に私が押しに弱いと言われているようで、思わずまた彼を睨んでしまった。それでもそんな私の視線を気にすること無く、寧ろ楽しそうに笑う新開くん。なんだか見透かされているようで面白くなくて、ふいっと視線を逸らした。

「コンビニでなに買ったんだ?」

 カチャカチャと新開くんの靴に付いている金具の音が響く中、そんな質問が聞こえてくる。逸らした視線を彼の方へと戻せば、新開くんの視線は私の持つコンビニの袋に向けられていた。

「新しく出たグミだよ。この前真波くんと話してたんだけど、学校近くのだと売ってないから」

 コンビニの袋から一つ取り出して彼に見せる。テレビでよく見かけるそのキャラクターが描かれたパッケージは期間限定のもので、数日前に真波くんと話をしていた時に話題に上ったものだ。

「あぁ、そう言えばCMで見た気がする」
「味は同じなんだけどね」
「はは、そうなのか。にしてもおめさん、真波とホント仲良いんだな」
「うーん、お昼にたまたま会う時がある程度だよ。でも可愛いから癒されてるんだけどね」

 私がそう言えば、新開くんは苦笑する。

「まぁあいつの顔は可愛い系と言えばそうかもしれないけど、真波みたいなのがタイプ?」
「あー、見た目がってわけじゃなくて……」

 新開くんの言葉を否定した私に今度は彼が首を傾げた。確かに真波くんは見た目も良いとは思うんだけど、私が可愛いと思ってるところはそこじゃなくて。

「なんて言うか……雰囲気?ふわふわしてて、動物みたいで可愛いの。気まぐれなところも含めて」

 裏庭で会うのだって約束しているわけじゃない。私が居る時にふらっと彼が現れたら、話したりお菓子を食べているだけなのだ。それを話せば、なるほどね、と納得してくれた。

「ならもし部活をサボってる時に会ったら来るように言ってやってくれないか?」
「ええ……あんまり彼の素行に口出ししたくないんだけど」
「まぁそう言わずにさ。頼むよ、尽八がいつも手を焼いてるんだ」

 新開くんによれば東堂くんと真波くんは同じクライマーと言う山登りが得意な選手らしい。なるほど、坂が大好きな真波くんにはぴったりだ。そう言えば東堂くんもなんか自分で言ってたな。登れる上になんとかって。あれ、山の事だったんだ。

「……前向きに検討しとく」
「そりゃおめさんやらないやつのセリフだぜ」

 そんなことを言っていれば寮の前まで着いていた。新開くんにもう一度お礼を言って、タオルは洗って返すと伝える。部室の洗い物と一緒にするからいいと言われたけれど、流石にこれだけはと丁重にお断りさせて貰った。

「じゃあまた。しっかりあったまれよ」
「うん。新開くんも。……あ、待って」

 自転車に跨った新開くんを引き止めて、不思議そうな顔の彼の腰元のポケットにコンビニの袋から取り出したものを詰め込む。ちょうどキャラクターの顔がポケットから半分覗いて可愛らしいことになっていた。

「え、」
「お礼。良かったら食べて」
「いいのか?真波と約束してたんだろ?」
「大丈夫。もう一つあるから」

 そんな私の言葉に新開くんは少し目を丸くした後、くしゃりと破顔した。あ、今の顔少しだけ可愛かったかも。


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