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キリエにもクレドにも、誰にも見られぬよう隠し続けていた、異形の右腕。
しかし見られては仕様が無いと、ネロは半ば開き直り男に突進して行った。

「やってやる…!」

青白い腕が伸び、男の頭を掴む。男が少々驚いたような顔をした。

「…Catch This!!」

ぐしゃり、床に叩きつける。
ネロが素早く距離をとると、男は何でも無いように跳ね起きたので舌打ちした。怪我を負った様子も無い。

「Hum…中々だな?」

「うるせえっ、」

ネロは再び右腕をダンテに伸ばす。

「おっ、と」

「うぉ!?」

男を掴む、しかし男が途中で身を捩ったため、ネロの右手からすっぽ抜ける形で男の身体は長椅子に投げ飛ばされた。衝撃で長椅子が数個巻き込まれ滑る。男は仰け反った体を元に戻すと、片足で胡座をかくようにして大剣を床に突き立てた。

「…まだやるかい?お嬢ちゃん」

男は余裕綽々といった体で長椅子に深くもたれ、長い脚を大きく組んだ。

「いいぜ…、遊んでやるよ」

「チッ、…タフだな…」

カリバーンを肩に担ぎ、ネロは男に背を向けた。

「…っらあ!!」

そのまま勢い良く振り向きざまに長椅子を蹴った。
かなりのスピードで滑る長椅子を跳び避け、同じく跳び上がったネロと空中で剣をぶつける。

そのまますれ違い、着地した男の後ろで、ガシャンと音がした。
振り向くと、ネロがゆらゆらと不安定に積み上がった長椅子のてっぺんに脚を組んで座り、カリバーンを肩に担いで、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。

「だったら…徹底的に叩くまでだ」

男は肩を竦め苦笑した。

「…そりゃ楽しみだ」

ネロが長椅子の搭から飛び降り、ブルーローズの引き金を引く。
男はそれらを全て剣で弾くと、ネロに肉薄した。

「!」

ネロが咄嗟にカリバーンを盾にしようとする、が、それを下ろした。
男の姿が消えたのだ。

「……?」

怪訝な顔でカリバーンを構え直した、その時。


「………きゃああっ!!??」


「お、何だ。可愛い声も出せるじゃねえか」

ネロは不覚にも悲鳴を上げた。

いつの間にか背後に回っていた男が、ネロの腰に腕を回し耳に息を吹き掛けた為だった。

「な、な、な、」

真っ赤な顔で飛び退いたネロは口をぱくぱくとさせ、『何しやがるこの野郎!』の一言が言えずにいる。

「勝負の最中は背後にも気を配るんだな…勉強になっただろ?」

などとウインクしながらのたまう男に、ネロはカリバーンのクラッチレバーを、壊れてしまうのではないかと言う程思いきり捻った。

「こっの…、死ね!××××野郎が!!」

「おいおい、女の子がそんな言葉使うもんじゃない」

「黙ってろ!あたしは男女差別とセクハラオヤジが大ッ嫌いなんだよ!!」

叫びながら男に突っ込む。
限りなく乱暴に振り降ろされたカリバーンの刃は男の剣とぶつかり、火花が散った。
我を忘れたネロは、避けていた筈の男との鍔迫り合いをしているが、力は均衡状態にある。

「…さっきより、力入ってるな。ウブな所も可愛いぜ?」

「ぶっ殺す…!!」

ネロは不意に柄から右手を離し、男が気付いた時には既に遅し。

「Die!!」

男の身体を悪魔の腕で掴み、床に叩きつける。
ネロは、間髪入れずに床に沈んだ男の上に馬乗りになった。そうでもしなければ、この男を抑えつける事など不可能だ。
全体重を男の身体に掛け、左手で男の喉を抑えつけて右手を振り上げる。

「(駄目だ、…躊躇ったら、あたしが殺される)」

一瞬の逡巡を押し殺し、ネロは握り締めた右手を男の顔面に振り降ろした。
浅く短い呼吸を繰返しながら、何度も何度も何度も。

男の、頬の、鼻の、骨が砕ける感触がした。
拳がめり込む度に、自分が自分で無くなるような感覚にネロは怯え、歯を食い縛った。

まるで殴られる寸前のような顔で自分を殴り続ける少女を、男は、可哀想だと思いつつただ一切を彼女に任せていた。

「ら──…ぁっ!!」

ひとしきり男を殴ったネロは、男の頭を掴み、石像に向かい投げ付けた。その勢いを利用して足元にある男の大剣を掴み、男を追うように投げ付けた。
壁面に叩きつけられた男の胸に、剣が突き刺さる。

男の身体がぐったりと力を無くし、さながら磔刑の死神の様にすら見えた。

「っ、」

男と剣を振り回した勢いを殺す事が出来ずに、ネロは崩れ落ちるように前方に倒れ込んだ。
床に手を付き、よろよろと上半身を起こしたネロは、男を見て目を見開き息を呑んだ。
男の胸から流れた血は、既に床まで達そうとしている。

「ぁ…、あ、」

震える呼吸を忙しなく繰返し、動く事ができなかった。背中を冷や汗が伝い、瞬きすら上手くいかない。

目眩がした。

あれを、全て自分がやったのだと思うと。
右手が震えていた。

男を殴った時の感触が、鮮明にフラッシュバックして、ネロは左手で額を抑えかぶりを振った。

悪魔に取り憑かれた人間を殺した事は、何度もある。
それがネロの主な仕事だからだ。
しかし、あの男は、悪魔に憑かれて等いない。生身の人間を、殺したのだ。
ネロの脳が現実逃避を要求している。しかし、そんな彼女を現実に引き戻したのは、男の声だった。


「…やるね」


ネロは顔を上げた。

幻聴か、と思った。
自分が殺した、その事実が受け入れられないばかりに聴こえた幻聴かと、客観的に自分を見ている自分が推測した。
が、違う。

「ちょっと、甘く、見てたらしい」

これは現実なのだ。

顔面を何度も殴られ、壁に叩きつけられ、胸に剣を突き立てられた男が。自分が殺した筈の男が。

「な…、に」

喋って、床に降り立って、胸に刺さった剣を抜こうとしているのだ。
ずぶり、嫌な音を立てて剣が引き抜かれた。鮮血が飛び散る。
思わず目を逸らしたネロは、下を向いたまま震える唇を開いた。

「…人間、じゃ、ないのか」

「それはお互い様だろ…」

完全に男の胸から剣が抜けた。
ネロは咄嗟に右腕を体の後ろに隠した。

「違う、あたしは…あたしは、人間だ!」

「そうか?…まあ、お前はそこの奴等とは違うみたいだけどな」

背後を指差され、振り向く。そこには、教団騎士──ではなく、その格好をした悪魔が、何体も何体も転がっていた。

「これ、は……」

ネロは目を見開く。男の靴音がした。

「さて、と。俺もそろそろ行かないとな」

「おい、待てっ、…」

ネロは立ち上がり振り向くと、思わず固まった。
男が思いの外近くに居たからだ。
ネロとの距離はもはや10cm程しかない。ネロは半歩後退りして吠えた。

「うわ、っ…な、なんだよ!」

「いや?中々楽しかったぜ、」


ちゅ。


何をされたか理解するのに3秒程要し、4秒目には跳び上がった男に向かって引き金を引いていた。
虚しくも弾丸は天井のステンドグラスを砕くだけに終わり、ネロがそこを睨むと男は天井の縁から顔を覗かせた。

「アバヨ、お嬢ちゃん」

「〜〜〜〜〜〜っ、」

男が完全にそこから居なくなる。
ネロは額を左手で執拗に擦りながら、青い空目掛けて叫んだ。

「ンのっ、クソッタレ!!」

大きく溜め息を吐いたところで、複数名の足音がしてネロは慌てた。
急いで右の袖を伸ばし、ポケットの中の手袋をはめ、丁度その時クレド達が歌劇場の中へ入って来た。
中の惨状に目を丸くするクレドに、ネロは伏し目がちに言った。

「ごめん…逃げられた」





「…ネロ」

「なに」

キリエが引き摺って来たレッドクイーンのトランクを開け、ネロは修理が終わったばかりの愛剣を組み立て始めた。
そんなネロの姿を横目に、クレドは密かに首を傾げた。
ネロの表情、声色、すべてが、とてつもなく機嫌の悪い時のそれなのだ。
男を取り逃がしたのがそんなに悔しかったのか、と考えてクレドは心中で唸った。
果たしてそこまでだろうか。
妹同然である少女の様子を気にしつつ、クレドは口を開いた。

「あの男だが──」

「とっ捕まえる、だろ」

相変わらず、クレドを見ようともしない。

そんなに悔しかったのだろうか、とクレドは顎に手を当てた。

確かにネロには若干ではあるが自信過剰のような部分がある(彼女の実力を考えれば過剰でもないような気もするが)。
しかし、あの男──ダンテとの実力の差くらいは自分で冷静に分析出来ていただろう。だからこそ今こうして此処に居られるのだ。
ダンテはもしかしたら本気では無かったのかも知れないが、それでもネロが見境無く突っ込んでいれば命の保証は無かっただろう。
その事はネロ自身が一番良く分かっている筈だ。

では何が?

しかし考えても仕方ないし、この状態のネロが教えてくれるとも思わない為、クレドはそのまま話を続けた。

「奴はフォルトゥナ城へ向かったらしい」

「はっ、殺人犯が観光か?」

茶化すようなネロの発言を咎めようとして、クレドは思わずそれを止めた。
正に苦虫を噛み潰したような顔をしていたからだ。

「…あの男を捕えろ、必ずだ」

「分かってる」

ネロは組み立て終わったレッドクイーンを肩に担ぎ、立ち上がった。

「(クッソ、あの野郎…絶対セクハラじゃねぇかあれ)」

「…?」

ネロがぼそりと吐いた悪態に、問題のある単語が聞こえた気がしてクレドは眉をひそめた。

「…いや、何でもない」

そう言うネロに、ダンテの捕縛を命じて良いものかと一瞬悩むと同時にダンテに対する殺意が湧いたものの、仕方がない為何も言わずにいた。
正直、妹が中年男に何をされたかと思うと兄としては気が気でないのだが。

ふとネロがキリエを見ると、彼女はネロからのプレゼントであるネックレスを掛けていた。クレドと話している間に拾ったのだろうか、羽根をモチーフにしたそれはキリエに良く合っており、安堵でネロは僅かに表情を緩ませた。

が、直ぐにネロの顔は強張った。
右腕が僅かに痛むのだ。ついでに発光しており、それは近くに悪魔が居る事を表していた。
割と厚手のコートの上からでも微かに分かるそれを隠しながら、ネロは出入口を睨んだ。
その時だった。

『た、た、助けっ…ぎゃあああ!!』

「!!」

外から聞こえた悲鳴。
キリエは身を竦め、ネロとクレドは顔を見合わせた。

「クレド!」

「…行くぞ!」


扉を乱暴に蹴り開けると、まさに地獄絵図が広がっていた。
逃げ惑う人々、それを次々に襲うスケアクロウの大群。
ネロは銃を構えたが、中々撃つ事が出来ない。下手をすれば住民に当たってしまうからだ。それ程に人々とスケアクロウの混ざり具合は酷かった。

「これも…アイツの仕業なのか…?」

ネロが呆然と問い掛けた。
クレドも唖然として首を振るばかりだ。

「分からん…何なんだこれは…」

しかし次の瞬間、クレドは剣を抜き飛び出していた。

「…兎に角!可能な限り住民を避難させる!」

その言葉に、ネロもレッドクイーンを構えた。

「こいつらはあたしが相手する!クレドはキリエと住民を避難させて!」

「ああ!…私は本部に居る、何かあったらお前も戻って来い!」

「了解っ!」

言いながら、ネロはスケアクロウを斬り伏せた。
小さく振り返ると、クレドとキリエが住民を避難させ終わったようで、本部の方へ走って行ったところだった。

人間は誰も居ない事を確認したネロは地面にレッドクイーンを突き立て、右手の手袋を外しポケットに突っ込んだ。
ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべ、悪魔の様相に変わり果てたその腕で、スケアクロウ達を挑発する様に中指を立てる。

「さあ…かかって来な!」

その言葉を引き金に飛び掛かって来たスケアクロウ達に、イクシードを全開にしたレッドクイーンを振り回し、ネロは笑った。


「Let's Rock!!」



→あとがき



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