ミッション1捏造


ダンテは屋上からその少女を眺めていた。

短めの銀髪、雪の様に白い肌。
紺のコートに包まれたその体躯は、決して大きくない。
遠目でもそれと分かる美少女に、ダンテは人知れず口笛を吹いた。
数体の悪魔を相手に怯む事無く、華麗にそれらをなぎ倒して行く彼女の戦闘能力にも。

右腕は包帯が巻かれ吊ってあるが、左手だけで悪魔の鎌状の足を千切ったものを使い器用に悪魔を倒している。

大したものだ、とダンテは頷き、歌劇場へ向かい大きく跳躍した。




「ったく、…キリエの歌、終わっちゃうだろ、っ!」

苛々を隠しもせずネロは言いながら、最後のスケアクロウに刃を突き立てる。しかしあまり勢いが良いと体液が飛ぶので程々に。いつもなら不快ではあるが洗えば済むので気にしないところだ。が、今日は違う。この後直ぐにキリエと会うのだ。
不快な悲鳴と共にそれが消滅したのを見て、周りを見渡し、他に生き残りが居ないのを確認すると、スケアクロウの足を千切ったそれを路地裏に投げ捨てた。

「早くしないと…」

はっとなったネロは、歌劇場へ向かい駆け出した。
スケアクロウの足は黒い霧になって掻き消えた。


歌劇場の中へ駆け込むと、キリエが聖歌の終盤を歌っているところだった。

「(はあ…ギリギリセーフ、かな…)」

ネロはそっと息を吐いて、自分の席に座る。キリエが取っておいてくれた席だ。
安堵と疲労で、椅子にどかりと座り込む。隣の席の人に一瞬視線を向けられたが構うところではない。ネロはコートの下から小さな細長い箱を取り出すと、隣の空席──キリエの席に置いた。自分のこなす仕事上他より少なめな騎士団の給料を少しずつ貯めて買った、キリエへのプレゼントだ。
ほんの僅かな間奏の間、壇上のキリエの視線が若干不安げにさ迷う。それがやがてネロを捉えると、キリエは嬉しそうに小さく微笑んだので、ネロも口角を小さく上げ、いつもの悪戯っ子の様な笑みで返した。

ネロが席についてから少しして、キリエの歌は終わった。
拍手をしようとして、右手が塞がっているのに気付き、止めた。その代わり、席に戻って来たキリエに微笑みかけた。キリエがプレゼントの箱を手に取って嬉しそうな顔をしたのが見えて、ネロは何だかくすぐったい気分になって、首に掛けていたヘッドフォンを耳に当てた。
壇上では教皇が説教をしている。ネロは全く興味が無い為、紺のショートパンツから伸びる、黒いニーハイソックスに覆われたしなやかな脚を大きく組んだ。隣の人がまたネロに視線をやったが、彼女が睨むと、そそくさと壇上に視線を戻した。

「こら、駄目よ?ネロ」

小さな声でキリエが咎める。ネロは不貞腐れた子供の様な顔でそっぽを向いた。ヘッドフォンを手で抑え、聞こえない振りだ。
キリエは困ったように眉を下げ、もう、と小さく呟くと、自身も壇上の教皇の話に耳を傾けた。
ネロは本当はとても優しくていい子なのに、とキリエは心中で溢した。姉同然の立場であるキリエにとって、可愛い妹が周りから誤解され煙たがられているのは心苦しいのだ。
いつか、この子の良さを分かってくれる男性と結ばれてほしい、とキリエが常々思っているのをネロは知らない。

やがて教皇の説教は祈りへと移る。拳に手を当てたポーズを皆がとると、ネロは我慢の限界なのか立ち上がり出口に向かって歩き出した。キリエはそれに気付き慌てて後を追う。

「ネロ!どうしたの?」

「帰る。眠くなるだけだし」

「もう、駄目だって──」

キリエは立ち止まり、首を傾げた。

ネロが急に立ち止まった為だ。

「…ネロ?」

「──上だ!!」

振り返り、ネロが焦ったように声を張り上げ、それに会場にいた人々が何だ何だと顔を上げようとした、その瞬間。


ガシャアアァン!


けたたましい音と共に、歌劇場のステンドグラスが砕け散る。
ステンドグラスは、天井にしか無い。

──天井をぶち破り、男が降って来たのだ。

全てがスローモーションに見えた。教皇の目前に着地した男。

翻る真っ赤なレザーコート。

静まり返った歌劇場に、乾いた破裂音が響いた。

「──…」

どさり、何かが床に落ちる音。赤い男がこちらを振り返る。


顔にべとりと付着した、赤い、血。


「────Your Holiness!!」


クレドの叫びを皮切りに、歌劇場は未曾有の大パニックに陥った。

出口には悲鳴を上げながら人々が殺到し、とても今すぐには出られない。それでもネロはキリエの手を握り、出口へ引っ張ろうとした。
弾みでキリエが箱を落とす。しかしネロにはさして問題では無かった。プレゼントはまた買えば良いだけで、キリエがこんな危険な場所に居る事の方がよっぽど問題だ。
赤の男には騎士団員が剣を抜き斬りかかる。が、ネロは呆然とした。まるで相手にならないのだ。
数十対一、普通に考えれば絶望的なこの状況下において、圧倒的優勢を誇っていたのは赤の男であった。

「…嘘だろ」

思わず呟いたネロの手は、緩んでしまっていた。

「…兄さん!!」

ネロがはっとした時には遅く、キリエは手を振りほどき、教皇を抱き抱えるクレドの元へと走り出してしまった。

「キリエ!!」

ネロが慌てて追いかける。

「きゃっ、」

運悪く、キリエは赤の男が斬り伏せた騎士が倒れるのに突き飛ばされる形でその場に倒れ込んだ。
顔に付いた教皇の返り血を拭いながら、男がキリエに一歩一歩近付く。ネロは駆け出していた。

「キリエにっ…、近付くなぁっ!!」

走った勢いで足を揃えて跳び、ブーツの底を男の顔面に叩き付ける。虹を描くような見事な軌跡で決まったドロップキックの後に、間髪入れずコートの下へ手を入れると素早く撃鉄を起こし、ネロは男に向かって発砲した。

ネロが改造したハンドガン、ブルーローズから放たれた二発の弾丸を大剣で弾くと、男はスパーダを模した巨大な石像の肩に着地した。
ネロはそれを追って走る。

蹴りは男の顔面に直撃した筈だが、よく見ると、男が怪我を負った様子は無い。
確かに鼻をへし折った感触はあったのに、だ。

「どうなってんだ…!」

石像に飛び乗り、腕を伝いながら男に向かって引き金を引いた。当たらない。ネロは愕然とした。
距離にして僅か4、5メートル。こんな近さでは狙いも何もあったものではない、そもそも外す訳が無い。

それが何故か当たらない。

男は僅かなズレもない完璧なタイミングでネロの射撃を避けるのだ。しかし到底有り得ない事だ。ネロは舌打ちした。
男は大きく跳躍し、反対側の肩へ着地し、それと同じタイミングで腕を登っていたネロが肩へ辿り着く。

ネロが男に銃を向ける。同様に、男もネロにふたつの銃口を向けた。
白と黒の銃を、腕を交差させた、一見ただの格好付けのような構え方で構える男にネロは眉をひそめた。

「(…ふざけてんのか?)」

「ネロ!」

眼下でキリエが悲鳴を上げた。ネロは男を睨み付けたまま声を張り上げた。

「キリエ!クレドと一緒に逃げろ!!」

ネロの視界の端で、クレドがキリエを庇うように立ち上がったのが見えた。

「直ぐに応援を呼ぶ!死ぬなよ!お前は不利だ!」

クレドが叫び、キリエの手を無理矢理引っ張り歌劇場から出た。

「…分かってるっつーの」

鬱陶しそうに首を振ってヘッドフォンを振り落とす。
男が小さく口の端を吊り上げた。

ネロはブルーローズの引き金を引く。やはり当たらず、それどころか男がこちらに向かって跳躍して来たのだ。

「なっ、!?」

思わず石像から飛び降り、その途中で発砲する。やはり当たらない。
ネロを追う様に飛び降りた男と、空中で銃撃戦を繰り広げる。
ごく至近距離からのネロの弾丸は当たらず、男も発砲して来る。が、どう考えてもネロの避けるタイミングは若干遅い。しかしネロにも弾丸は当たらない──

転がるように着地して、ネロは男を睨んだ。食い縛った歯がギリギリ音を立てている。

そんなネロの心中を知ってか知らずか、男はニヤリと笑うと腰を低くして手を叩いた。

──バカにされている。

先程の発砲と、犬に対するそれを彷彿とさせる男の行動にネロの怒りは爆発した。

「ふざけんじゃねぇっ!!」

端整な顔を怒りに歪め、ブルーローズを何度も発砲した。
が、怒れば怒る程冷静さを欠き、狙いも滅茶苦茶になって来る。
弾丸は床を砕き、椅子を粉砕し、瓦礫を増やす。

そんなネロに、男は肩を竦めやれやれと手を上げ、銃を構えた。

「──っ!?」

ネロは咄嗟に横に転がり、我が目と耳を疑った。

男が持っているのは二丁の拳銃。
しかし今、自分が聞いた音は何だ?

ネロは信じられないものを見る目で男を見た。
明らかにマシンガンを思わせるスピードの発砲だったのだ。

「(冗談じゃない、)」

恐怖が、怒り狂っていたネロの心に落ち着きを取り戻した。

あんなのを一度でも喰らえば死んでしまう。

ネロは転がりながら射撃を敢行するも、やはりかすりもしない。
そうしている内に、弾切れを起こしたようで引き金を引いても弾が出なくなってしまった。

袖口に仕込んだ弾丸を放り、ブルーローズを構えると同時に弾を収める。
しかし男は居ない。
ネロの背後だ。

「…やっぱ銃だけじゃ駄目か」

ネロは振り返りもせず言うと、足元に転がっていた、男に倒された騎士のものとおぼしき機械剣カリバーンを蹴り上げキャッチした。
それを床に突き立て、柄を捻る。エグゾーストノートを轟かせ、ネロは男を見た。

「来いよ…その剣、飾りじゃねぇんだろ?」

すると男は自分の大剣を見やり、床に突き立てるとネロを真似てその柄を捻ってみせた。勿論何も起こらない。

「…ムカつく」

ネロは苦い顔をし、男に斬りかかった。

クレドの言う通り、ネロは圧倒的に不利だ。
相手は長身に鍛え上げられた身体を持つ体格の良い男。まず体躯と腕力の差がありすぎる為、鍔迫り合いなど自殺行為も良いところである。
それから、男の見た目から推測した年齢や戦い方からして、経験の差は致命的なまでにあるだろう。

さらに悪い事には、ネロは右腕を吊っているのだ。

無論、ネロは女性ながら騎士団に所属しているだけあり、身体能力は周りの団員にひけを取らない。若干人間離れしてさえいる。
しかし、この男はそれ以上だ。

「不利にもっ、程があるだろ!くっ…」

どんなに剣を打ち込んでも阻まれてしまう。
鍔迫り合いに持ち込まれない為にも、一度弾かれたら退くしかない。
ネロが唯一勝っているものと言えば、素早さ位しか無い。

が、やはりそれだけではどうしようも無かった。

「うわっ!?」

遂に、ネロの手からカリバーンが弾き飛ばされた。
素早く剣を持ち直した男が、突きを繰り出す。

「…っ、」

ネロは硬く目を瞑り、思わず右腕を盾にする様に突き出していた。

凄まじい勢いで繰り出された突きの威力に、包帯とギプスが引き千切られる。

「…どうなってんだ?」

首を傾げながら、男が始めて口を開いた。

男の剣は、ネロの腕を貫く事無く、赤い、青白い光の走る異形の腕に阻まれていた。

「喋れるのかよ…」

ネロは呟き、力任せに剣を押し離す。同時に自分は後ろへ飛び退く。
ネロは右手の手袋を口で引っ張り、その右手から現れた巨大な手のオーラと表現すべきか、そのようなものを使って、スパーダ像が持っていた巨大な剣を持ち上げる。
そのままそれを男に投げ付ける。男は頭を動かしそれを避け、ネロをまじまじと見た。

「…まさか、お前もか?」

「はぁ?」

ネロは口にくわえていた手袋をショートパンツのポケットに突っ込み、右手を握り男を睨んだ。

「アンタと議論してる暇なんか無ぇんだよ、…人が来る前に終わらせてやる!」

男は、小さく笑った。







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