喧嘩別れした天パのいる町へ人事異動でUターンした社畜の話 | ナノ

天邪鬼たち


……………………どうして?!


声が聞こえる。辺り一面、真っ暗な闇の中で。
人の気配も無ければ、声以外は全くの無音。全部が偽物で作り物みたいなその空間では息をするのも苦しい気がした。


………………もう良い!!


首を絞められたかのように、喉奥がつっかえている。それなのに先程から聞こえているのは、私自身の声だ。


…………銀さんなんか、大嫌い!!



「………ッ!!」

急に酸素の通り道が開けて勢いよく入って来たことにより、肺に圧迫感を感じる。

(……タイミングわる〜っ、)

夢を見ていた。
あれは、私が彼と最後に交わした会話だ。
ゆっくりと布団を捲りながら上半身を起こすと、背中がしっとり濡れて肌着が張り付いている。全て過去に実際起きた出来事というだけで、特に悪夢と言える内容ではなかったというのに。

(シャワー浴びた方が良いなこれ)

布団を畳んで押入へしまう。
事務所の奥に隔離されているこの部屋は、8畳ほどの和室だ。この和室以外にも、一般的な生活に必要なものは全て備え付けられている。つまりここは店舗兼事務所……兼、支店長のための住まい。24時間、プライベートでも会社と常に共存というわけだ。今まで数多の星を転々としてきたが、平社員だった私がこの事務所に住むのは今回が初めてだ。

(なんやかんや、和室が一番落ち着くな)

地球を出て以来、和室に寝泊まりすることは無かった。そのため約一か月前、初めてこの部屋に足を踏み入れた際は懐かしさでテンションが上がったのを覚えている。

(……あ、やばい。そろそろ準備しないと)

身支度を整えるために、足早に風呂場へ向かう。先ほど見た夢のことは半ば無理やり無かったことにして、ごまかすように鼻歌を歌いながら気分を上げる。なんせ今日は、待ちに待った懐かしい人についに会えるのだから。







――――――スナックお登勢。

格子状の引き戸を入ると、右手には木造の長板カウンターに、褐色の回転式チェア。左手には紫色のボックスソファ。その内装は昔から変わっておらず、よく出入りしていた若い頃の自分が憑依しそうになる。
暖簾も掛かっていない、看板に灯も入っていない。そんな時間に夜の店であるこのスナックを訪れたのは、ある人に会うためだ。

「お久しぶりですお登勢さん」

ボックスソファに腰かけながら話す私達。出口側の座る私には、目の前に座っているお登勢さんの背後の壁すら懐かしい。

「本当に……久しぶりだねぇ。ナマエ」

いつから貼っているんだろうという少し黄ばんだポスターとか、お客さんが気分良く歌ってたカラオケ機器とか。視線があちらこちら映りそうになるところをグッとこらえて、久しぶりに会ったお登勢さんに微笑みを浮かべる。

「電話やら手紙やら、やり取りしちゃあいたが……こうやって実際会うのとはやっぱりわけが違うよ。立派に顔つきになって帰ってきたみたいだねえ」
「ふふっ。そうですか?」

ソワソワしているのを悟られたくなくて、落ち着きのある大人の女を取り繕っているだけだ。本当は内心浮き足立っているけど、お登勢さんにそう言われると嬉しい。

「これ、ちょっと前に源外のとこで簡単に手入れだけしてもらったよ」

これ、と指差す先はテーブルの上。茶色く四角い箱にハンドルの付いているもの。私が地球に置いていったコーヒーミルだ。

「ありがとうございます。今度久しぶりに挨拶行って来ようかな」
「わざわざ行かなくても構いやしないよ。それよりもアンタ、会うべき奴がいるだろう」

その言葉に、コーヒーミルを自分の方に寄せる手がピクっと強張った。

「今まで何も聞かないでやってたが、もう時間切れさね。話してもらおうか、あんたらに何があったのか」
「……」

すーっとこちらにミルを自分側に引き寄せ、テーブルの左端に。目的を失った手は膝に戻すが、どう置くのが正解か。いまいち位置が定まらなくて、重なる左右の手のひらの上下を何度も入れ替えてみたりする。

「……銀さんから、何も聞いてませんか?」
「……いいや、何も」

私のことなんて、話題にすらも挙がったこともないんじゃないだろうか。
気にしているのは、私だけなのかもしれない。こちとら今日、夢にまで出て来て嫌な思いをしたというのに。きっとあの人は、あの日のことなんてもう忘れてるんだ。ほじくった鼻くそと一緒にその辺に捨てられてしまうような。記憶の片隅にも残らないし、残す価値がない。私との縁はその程度、という事なのかもしれない。

「あの人、来るもの拒まず去る者追わずって感じだし。何年も音沙汰無かった女のことなんて綺麗さっぱり忘れてそう」
「ナマエ」

低いハスキーボイスで私の名前を名前を呼び、ポンっと灰皿に灰を落とす。

「たしかに、あいつの口からアンタの話は何一つ出やしない」

一口すぅっと肺に入れた煙を、ゆっくり吐き出す。

「でもねぇ、アタシがあんたと連絡とってることは察してるよ、あいつは。だから何も言ってこないんだろう」
「…………」
「アタシが何も言わないことが、あいつにとってナマエの生存確認ってことさ」

私は言葉が見つからなくて、彼女が手元で燻らせている紫煙を眺める事しかできない。

「ナマエ」

煙たい向こうに見える彼女の瞳と、自分の視線を交える勇気がない。

「あんたコレ、本当は銀時に預けていくつもりだったんじゃないのかい」
「……今思えば、そんな事しなくて本当に正解でしたよ。ただのご近所さんのくせに」

左に視線を落とすと、当時このミルを使っていた時の記憶が脳裏に浮かぶ。

「足枷にしかならない、お互いに。私もそれが無かったから思うように動けた」
「そうさね。身軽すぎてこんなに何年も帰って来なかった。まったく親不孝な娘だよ」
「はは……すみません」

眉を顰めてこちらに鋭い視線を送る彼女と、今度は目を合わせることができた。

「他所で男でもこしらえたかい?」
「いやいや、そんな暇ありませんって……言ったでしょ?」

新しい星へ行くのは、いつも“出張”としてだった。
約1か月、長くても2か月。私は新規開拓地へ送り込まれる。新規営業の足掛かりとして、移動販売車を乗り回す。例えるなら、切り込み隊長のようなものだ。
宣伝業務を終えた後の営業やら契約やら、そこからは支店長の仕事だ。私は宣伝の役目を終えてまた別の星へ派遣される。支店長へ引き継ぎのタイミングの具合によっては、宣伝と営業を兼任することもあったけど、結局それも短期間の話。しかも接客も短時間。ごくごく稀に、土方さんのような物好きと仲良くなる機会もあった。しかし星を転々としていた私は、この数年の間、長期の人間関係を築くことなんて出来る環境ではなかった。
だからこそ、長年築いたお登勢さんとの縁。彼女へ定期的に行っていた近況報告は、私にとって本当に心の支えになった。

「本当にアンタって子は。こっちから連絡する手段が無いなんて、ひどいったらありゃしない」

お登勢さんとのやり取りはいつも電話。星を跨ぐ故に料金やら諸々の事情で私の会社ケータイからしか掛けられなかったし、手紙はこちらから土産の品と共に一方的に送り付けていた。返事は、どの住所にもらえば良いかわからなかったから。
出張の時は基本的に家具家電付きのウィークリーマンションに滞在する。しかし、一、二か月で本社に帰ってしまう。本社がある星では、社員寮に住んでいる。そこに帰ったら帰ったで、またすぐに出張に行かされる。一カ所に留まっている期間が短すぎる。
そんなバタバタした生活をしていたら時間が過ぎるのが恐ろしい程に早くて、気付いたら間に数年経ってしまっていた。

「おまけに、やっと帰ってくると思ったら『ひと月は顔出せない』なんて」
「はは……」

“帰って来たい”と思う反面、“まだ早い”という思いもあった。忙しさに目を回している内に、帰省という概念は頭からすっぽ抜けていた。
その上、このひと月は一人で業務を回すのが忙しくて連絡できないと踏んでいた。その事をあらかじめ伝えていたのだ。

「聞いてるよ。最近あちらこちらで車走らせてるコーヒー屋ってのはアンタのことなんだろう?」

お登勢さんには今まで仕事内容の話もしていたから、噂を聞いてすぐに私だとわかったと思う。

「やっとだね。やっと、江戸に帰ってきた」
「……はい」

帰ってきた。とは言えあくまで、まだ雇われの身で。今後どうなるかはわからないが、その事は今は言うタイミングではない。

「だからこそ、」

目を伏して、また一息。煙を吸い込むその刹那がとても長く感じた。
吐き出す紫煙に紛れてしまいたいのに、彼女は横を向いてそれを逃がしてしまう。

「もう江戸にいるからには、全く関わらないなんて到底無理な話なんだ。アンタ、まさかアタシんとこに顔出しに来ないつもりじゃないだろうねぇ。そんなの許しゃしないよ、親不孝はここらで終いにしておくれ」

あぁ、また目を合わせられなくなる。テーブルの木目の本数を数えたくなる。

「アンタたちは何も言わないし隠してるつもりかもしれないけどねぇ、大体の事情は把握してるつもりだよ。どうせアイツが余計なこと言ったんだろ?」

チラリ、と黒目だけ上に上げて彼女の表情を覗くと思っていたよりも優しい顔をしていた。

「ナマエ。アンタは昔、アタシみたいに店やりたいって言ったね」
「……はい」
「それはこのかぶき町で、目の届く範囲でやるもんだと思ってたんだよ。アタシらは」
「最終的にはそれが理想ですよ。でも、そのためには一度、この町を出た方が良いと思ってたんです」

この町には、私を守ってくれる人達がいる。娘のように可愛がってくれる人、親のように懐の中に暖かく迎え入れて人がいる。何かあるたびに、いつも背中に隠してくれる人がいる。いや、……いた。

「ここにいたら、皆に甘えてしまうから」
「……それでいきなり、『就職が決まった。宇宙の会社に。一週間後には地球を出る』って。いきなりそんな事言われて、一体どうしたもんかと思ったよ。誰にも相談しないで勝手に決めて。もしかしたら騙されたりしてんじゃないかって」
「相談したら、絶対に止められると思ったから」
「そうさねぇ……でもまぁ、キャバクラでバイトまでして金貯めてたのも計画的だったみたいだし」

過去に“すまいる”で働いた時のことだ。求人を見た時から、地球を出るための軍資金として貯めていた。いくらから交通費として会社からお金が出るとは言え、少しでも多く持っていた方が良い。一人で生きていく際に自分を守るために必要なのはまず第一にお金だから。

「だから、本気なんだって思ったよ。だから、アタシは何も言わなかった。代わりに、定期的に連絡を寄こせとは言ったがねぇ」

細めた瞳の奥に宿す光は寂しそうに見えて、少し申し訳ない気持ちになる。

「まぁ今思えば、周りがアンタを甘やかしたかっただけなのかもしれないね。かわいい子には旅をさせろっていうのは、アタシらみたいなお節介なやつに使う言葉なんだろうさ」

くつくつと堪えるように喉奥で笑うお登勢さん。

「……それで一番甘やかしてたかアイツが、余計なこと言ったんだろ。怒鳴り合いの喧嘩にまでなっちまった、違うかい?」
「あぁ……それ、知ってたんですね」
「あんな壁の薄いボロアパートで大声上げてたら外まで丸聞こえに決まってんだろ。町内中に響き渡ってたよ」
「えぇ……恥ずかしい」

お登勢さんに『宇宙へ行く』と告げた日の夜。私は銀さんにも同じことを伝えるはずだった。けど、それは私の思い描いていた形では叶わなかった。

「アタシに報告しに来た日の夜だ、馬鹿でかい怒鳴り声が聞こえてきたのは。おまけに、一週間後に出ていくって言ってたはずが、『チケットが安く取れたから3日早まった』なんて。しかも早朝の始発便で、見送りもさせちゃあくれなかった」
「……面目無いです」

そうだ。銀さんと顔を合わせたくなくて、ものすごい行動力を発揮した気がする。今思えば就職ハイになっていたのかもしれない。

「喧嘩したそのままの勢いで出てったのは良いけどねえ、……もし折れるならナマエ、アンタからじゃないと事態は収束しないよ」
「……啖呵切って喧嘩別れしてしまったのに、今更かける言葉も合わせる顔もありませんよ」

『大嫌い』なんて。まるで子供の喧嘩みたいなセリフを吐いてしまった。本物の子供ならその後ろに“絶交だ!”の言葉が続くだろう。私たちはその言葉もなしに、そうなってしまったようなものだ。

「あいつの肩持つってわけじゃあないが、気持ちが分からなくもないのさ。そりゃ一言、怒鳴ってやりたくもなるってね」

それは一人で全部決めてしまったことに対してだろう。でも私は間違いではなかっと思っている。結果的に、自分でも成長できたと思うし。さっきお登勢さんは自分のことを『お節介』なんて言ったけどそうじゃない。私が“親離れ”するのに必要なことだったと思う。

「でもねえ、あたしゃ安心したんだ」
「…え」

てっきりもう一言や二言、小言は愛情の裏返し、みたいな言葉が来るのかと思ったのに。その予想は外れた。

「あの日、馬鹿でかい男女の怒鳴り声が聞こえた。男の声のあとに聞こえた、女の……あんたの言い返す声の方が大きかったよ」

細めた目の隙間が、きらりと光ったように見えた。

「それを聞いて、もうアンタは大丈夫なんだ。そう思ったよ」
「お登勢さん……、」

いっぱい心配かけてごめんなさい。そう言おうとして開いた口は、中途半端に止めざるを得なくなった。


――――――ガラガラ、

後ろから聞こえたのは、格子戸をスライドさせる音。それと同時にコツコツと鳴らす足音は、誰かが店に入ってきたことを知らせる。
開店前のこの店に、不躾にも無言で勝手に入って来れる人間なんて限られている。
私は後ろを振り向くことも出来ず、ひたすらテーブルの木目に視線を集中させた。

「なあバアさーん……俺昨日ここにベルト忘れた気ぃすんだけど知らね?」
「……知りゃしないよそんなもん。厠じゃないのかい」
「えー…あぁ、じゃあアレだわ。あん時だわ……?ってアレ。なに、お客さん?」

テーブルの横に立ち止まっている足が見える。つま先はお登勢さんの方を向いているが、彼の顔はどの方向を見ているのか。私には確認することは出来ない。どうぞ見るなら私の後頭部を見て欲しい、そこならいくらでも見て良いから。

「この時間は来客があるから店くんなって……昨日散々言っただろーがァア!この腐れ天パァア!!」
「えーそうだっけ……飲みすぎて覚えて……あ、ヤベ気持ち悪くなってきちゃった。あ、やばいやばいマジやばい。お客さん、申し訳ないんだけどたぶん厠から雄叫びみたいなん聞こえてくるかも知んないけどきにしないで……うっぷ!」
「早く行けェエエ!!厠に!!」

のそりのそりと、背中を丸めながら苦しそうに足を引きずって進んでいく彼にお登勢さんが怒号を浴びせる。
何とか辿り着き、パタンと厠のドアを閉める音が聞こえたところでようやく顔を上げることができた。

「まったく、どうしようもない男だね」

ため息をつきながらこちらを向いたお登勢さんと目が合う。

「すまないねぇ。この時間には来ないように、昨日アイツにしこたま酒飲ませといたんだけど……完全に潰すにはちょっと足りなかったみたいだねぇ。這い上がってきちまった」

一応少し小声で話しているが、たぶん彼には聞こえていないだろう。なんせ、厠から聞きたくないバックミュージックが流れているから。

「相変わらずですね」

酒に弱いというわけではないけど、記憶が飛ぶまで飲んでしまうきらいがある。本当にタチが悪くて、おまけに二日酔いも酷いタイプ。厠から聞こえてくる声と音には初対面だったらとんでもなくドン引きする……いや、普通に引くんけどね?それでも私が何食わぬ顔で話しているのは、数年ブランクがあるとはいえやはり慣れてしまっているからだと思う。

「まぁ、タイミングが良い言うことで、そろそろ退散するとします」

持ってきた風呂敷をテーブルに広げ、コーヒーミルを手早く包む。

「ナマエ」

持ち手となる部分の結び目をキュッと縛り終えたところで、名前を呼ばれる。

「今日んとこは良いけどねぇ、ちゃんと考えんだよ?今後のこと。徐々にでも良いから」
「はーい。また来ますね、お登勢さん」

風呂敷に包んだそれを抱き上げて、私は店の格子戸に手を掛けた。

(これは本当に、今後のことを考えないと)

自ら追いかけたくはないが、逃げるわけにもいかない。こんなにも簡単に顔を合わせてしまうのだから。

(まぁでも、しばらくまた仕事で忙しいと思うし)

次会った時どうしよう。ではなくて、次会わないようにどうするか。そんな風に考えようとしてしまう時点で、私は逃げている。
臆病な自分に戻ってしまっているのは、いま腕に抱き上げている過去の象徴のせいかもしれない。




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