喧嘩別れした天パのいる町へ人事異動でUターンした社畜の話 | ナノ

記憶の海馬


「ちょっと銀さん!まだ回覧板回してなかったんですか?!これ昨日回ってきたやつですよね?!」
「朝っぱらから大きな声出すんじゃねえよ。こちとら読書中なんだからよぉ」
「もう11時50分!!昼です!!」

数時間前に新八が万事屋に出勤して来て、3人で朝飯を食った。今日は仕事が入っていない。俺は今週号のジャンプ片手に、いつもの定位置である社長椅子へ腰掛けている。神楽は定春を連れて公園へ行っている。新八は三角巾を頭に被って割烹着を身にまとい、忙しなく動いている。これは万事屋ではよくある光景だ。

「まだギリギリ午前中ですぅ〜」
「午前中いっぱいダラダラしっぱなしなんだから、回覧持って行って来て下さいよ」

そんな格好をした新八が、左手を腰に手を当て、右手に回覧板を持って騒いでる。これも、よく見る日常パターンの内の一つだ。

「え〜〜〜〜……新八ぃ、代わりに持ってって」
「嫌です」
「じゃあジャンケン。正々堂々。はい最初はグーッ!」
「え、ちょっ、いきなり?!」
「ジャンケンほいっ!」
「…………ったく、しょうがないなぁ。全く大人げないんだから」

仕方ないだろう、あそこへ行くのはとてつもなく勇気がいる事なのだから。
万事屋の裏隣に位置しているヘドロ御殿。あそこへ回覧板を持っていくのは、みんな避けたい事案なのだ。方法は様々だが、今日はたまたまジャンケンだったというだけで、大体いつも押し付け合っている。

「そういえば銀さん」

無事に地獄行きを回避したので、膝に伏せていたジャンプを再度読もうと視線を落とす。しかし、再度声をかけて来た新八を目の端だけでとらえる。

「今更なんですけど、ヘドロ御殿の前って何が建ってたんですか?全く思い出せないんですけど」

顔はこちらを向いているはずなのに、何故か視線が合わない。その先を辿っていくと、俺は椅子を半回転させることになった。

「アパートだよ、木造の。めちゃくちゃ年季入ったやつ」

新八の視線が向いていた窓、その格子の隙間からは、景観にそぐわない裏隣の不気味な建物。しかし俺の脳裏には数年前の景色が映し出され、二重にダブって見えているような気がした。

「そんなんありましたっけ?」

水面に一粒の雫が落ちて、記憶が小波を立てる。ずっと頭の隅に追いやっていたはずなのに、たった一滴で水底の小石にまで振動が伝わってしまう。

(……くそ、余計なこと思い出しちまった)

記憶というのは厄介なもので、ほんの一雫のカケラを足掛かりにして芋づる式に呼び起こされてしまう。見逃してしまいそうな程か細く、今にも切れてしまいそうな、そんな記憶の糸まで隅々からかき集めて全て絡め取って来るのだ。

「……まぁ関わりもねえし、覚えてなくても不思議じゃねえよ。お前が万事屋に入る前から空き家になってたからな」
「ずっと昔から空き家だったんですか?」
「いや、取り壊しが決まってからだな。もう古いから、って。たしか1年くらい前までは誰か住んでた」
「へぇ。じゃあ銀さんには馴染みのあるアパートだったんですね」
「……言っとくけど、“あ、懐かしっ!ちょっと裏隣行ってこようかな!”……なんて、ならねえからな?」
「ははっ、バレました?」
「とっとと行ってこいよ」
「はいはい」

三角巾を外し、割烹着を脱いだ新八。それを綺麗に畳んで、居間の備え付けの壁面収納の中へしまう。

「あ、そういえば」

パタン、と収納棚の扉を閉めると、首だけをこちらに向けてくる。

「銀さんには言うの忘れてたんですけど、お登勢さんが昼ご飯食べに来ないかって。12時過ぎくらいに」
「神楽には?」
「銀さんが今朝、厠に籠ってる合間に言いました。定春の散歩から帰ったら直接行くって。僕も回覧持ってったら直接下行くんで、先行っててください」
「あいよ」

新八が廊下に出て、ガラガラと引き戸を開け閉めする音がした。気配が遠ざかっていくことを確認したところで、小さく口を開く。

「……馴染み、ね」

あのアパートの、とある6畳一間の一室。土壁に、少し日焼けした畳。そんな古びた内装には到底似合わない、香ばしく優しい匂い。まるで喫茶店のような、深みのある香りが常に漂っていた。焙煎した豆をミルで砕くと、部屋中が一気にコーヒーの香りに包まれる。粉状になったそれにお湯を注ぐと、立ち上がる湯気が芳醇な香りを連れて来て、鼻から脳へと抜けていく。嗅覚というのは、そうやって記憶の引き出しに入り込む。そして何年も、下手をすれば何十年、一生涯、そこに居座り続けるのだ。

「……今、あんま婆さんに会う気分じゃねえんだけどな」

静まり返った万事屋で、社長椅子に座ったままくるりと一周回る。ポツリと呟いた言葉は、椅子の軋む音に掻き消された。





「遅いヨ銀ちゃん〜」

新八に言われた通り下に降りると、既に神楽が山盛りの茶碗を片手にカウンター席で飯を食い始めていた。定春はもう一瞬で食い終わったのか、店の隅で体を丸めて寝ている。新八は神楽の右横に座り、何やらババアの所の余り物らしいおかずに手を付けている。俺もそれに習い、新八の右隣に座った。座るや否や新八に、「今日もヘドロさんが怖かった」とぐちぐち文句を言われながら、出された茶碗とおかずに手を伸ばして三人並んで飯を食い始めた。

「――――――そういえば、」

新八がそう切り出したのは、神楽が7杯目の白飯を茶碗に盛ったところだった。
今日の新八はやたらと、そういえば、そういえば、とうるさい気がする。何?ストーリーテラー気取りですか?自分がいないとシナリオが進まない的な?お前なんてせいぜいRPGの特定のワードしか喋らねえ“村人8”くらいがお似合いなんだよ。

「最近話題になってるコーヒーの移動販売、知ってますか?」

(よりによって……)

今日の新八は、やけに痛い所ばかりを突いて来て嫌になる。

「移動販売ってどんなんアルか?」
「ほら、たまに公園とか広い歩道とかに停まってるワゴン車見たことない?そこでクレープとかお弁当とか売ってたりするやつ」
「それならさっき見たアル!焼き芋屋のおっさん!」
「何かちょっと違う気もするけど……まぁ良いや」
「それの何が話題なわけ?普通のコーヒー屋じゃねえの?」

少し話が逸れていきそうだったので、軌道修正してやる。本当はそのまま流してしまえば良かったのに。今日はもう、古い記憶をほじくり返されてしまう、この嫌な感じの流れから脱することは出来ないような気がしたから。

「主にオフィス街付近で販売してるみたいなんです。時間は朝の6時から8時の2時間だけ。しかも現れる場所はランダムで、リピートしたくても簡単にできないみたいなんです」
「何だよソレ、売る気ナイダロ?」

腕を偉そうに組みながら眉間に皺を寄せて言うキャサリン。ちなみに、たまは買い出しに行っていて留守だ。

「いや、その逆だって。オフィス街を狙ってるってことは、朝から活動してたり、会社勤めしてるような人間がターゲット層ってことなんだろ?」
「はい。そもそもこの噂っていうの、僕は姉上から聞いて。いま姉上の職場でよく聞く話題みたいなんですよ」

あのキャバクラに来る客ってのは、もちろん平社員レベルの人間もいるだろうが、それなりに稼ぎや地位のある人間も常連にいるはず。そんな店で“客の間で話題になっている”という事は、その店の営業方法が成功しているという事。

「噂が回るのを狙ってんだ、要するに口コミ。美味いのに買えないってなると、互いに情報共有もするだろうしな。そして、普段歩きで通勤しないような層にも噂が広がっていく事を期待してる」
「社長アルか!?この前ドラマで見たヨ!長ーい車で運転手付きネ!」
「そういうこと。そもそも移動販売は販促が目的で、あくまで宣伝用。本当は定期購入とか大口の客狙ってんだと思うぜ?」
「デモ、リピートしたくなるくらい美味いからっテ、そんな簡単に噂って広がるモンですカ?」

キャサリンがそういう気持ちも分からないでもない。ただ美味いだけ、なら日常会話として流れて行ってしまう可能性も高い。だからこそ“もう一度行く”というモチベーションを上げるための要素が必要となってくる。

「新八、その店員……女だろ?」
「そうみたいです。しかもそこの店員さん、一切顔は見せてくれないらしいんですよ。会話は出来るんですけど、商品のやり取りは車の窓から手だけが出て来るみたいで。だから何回目かで顔見せしてくれるんじゃないか、なんて噂もあるみたいです」
「よくある手口だ。攻略できた達成感とか、自分しか知らない優越感とか。そういうところに漬け込む」
「すごい、姉上と全く同じこと言ってますね」
「キャバ嬢も似たような手法の営業職じゃねえか。気持ちがよくわかるんじゃねぇの?」
「……あぁ、だから姉上、」

新八は自分の顎に指を添えて少し俯き、何か思い返すように呟いた。

「姉御がどうかしたアルか?」
「うん、実は姉上ね、そのコーヒー屋さんに会いに行ったんだ」
「会えたアルか?」
「そうみたい。どうやって場所突き止めたのかは教えてくれなかったんだけどね」
「ソモソモ、何しに会いに行ったんデスカ?」
「さぁ?何か、『win‐winだから』って言ってましたけど」

おそらく、お互いに“噂”を利用するためだろう。お妙は話題の“噂”の主と繋がりを持つことで話の主導権を握る事が出来る。店での接客に利用できる。コーヒー屋は流れる噂を内容を操作できる手段を得る。お互いに利益が上がる可能性を秘めており、互いに利用価値がある。それがお妙の言うwin-winなら、何らかの交渉を持ち掛けに行ったのかもしれない。まぁ、話もややこしくなるし、そこまで言ってやるつもりはないが。それに……今は正直、そんな気分じゃない。

「しかも姉上、顔も見たって。美人だって言ってたんですよ。あの姉上が」
「女の言う美人ナンてあてになりませんネ」
「そうアル。私が直接見て確かめてやるヨ。今度連れてくヨロシ」
「でも神楽ちゃん、そこブラックコーヒーしか売ってないみたいだよ?飲めるの?」
「うげ〜、私ブラック苦手ヨ。コーヒー牛乳の方が良いネ」
「お子ちゃまだなぁ」
「何だヨ〜、銀ちゃんなんてコーヒー牛乳も飲まないくせにィ」
「まぁ、確かに銀さんには言われたくないよね」
「どういう意味だコラ」
「銀さんコーヒーなんて飲まないじゃないですか。子供舌なんだから」
「バカ言ってんじゃねえよ、お前ぇらと一緒にすんな。銀さん大人だから。……出されたら飲むって」
「それ本当は飲みたくないって言ってるのと一緒ですよ」

神楽と新八から呆れたような視線を向けられている中、くつくつと喉の奥で忍び笑う声が聞こえた。その声の主はカウンターの内側に立ち、煙管を燻らせながらこちらを見下ろしてくる。

「意外とこいつはコーヒーに関して舌が肥えてる方だよ」

今の今まで静観していたというのに、急に口を開いたと思ったらこれだ。

「どういう事アルか?バァさん」
「僕たち銀さんがコーヒー飲んでるの下手したら一度も見たことないかもしれないですよ?」
「久しぶりにあの子の入れた一杯が飲みたくなるねぇ、銀時」
「……俺に振んなって」

今日はもう、この話題から逃げられないと気がしていた。それもこれも、新八が会話のあちらこちらにフラグを散りばめて来やがったせいだと思う。

「あの子って誰アル?」
「コーヒー淹れるのがうまい子がね、昔近所に住んでたのさ。なぁ?銀時」

(……だから、俺に振んなっつーの)

頬杖をつき、入り口の引き戸の方へ顔を背ける。

「銀さんも知ってる人なんですか?」

こちらに集中しているであろう視線が、左肩に刺さっている。それを感じながら鼻から深く息を吐き、目を伏せる。

「……誰だっけ?」
「裏隣にね、前までアパートがあったろ。あそこに住んでたのさ」
「裏隣のアパートって、さっき銀さんが話してたやつですね」
「私聞いてないヨ」

左隣で「あのヘドロ御殿の前ってね、」と新八が神楽に説明する声が聞こえる。しかし今、俺の頭は過去の映像に支配されていて、それらの会話が全然入ってこない。

(何年経ったっけ……?)

三年……、では収まらないはずだ。新八に言われた通り、馴染みのあったアパート、馴染みのあった住人。関わって来た日々以上に、会っていない時間を重ねてしまったかもしれない……“アイツ”と。

「アンタが出されたら飲むってんならちょうど良い。良い物があるから出してきてやるよ、待ってな」

――――――婆さんの声で現実に引き戻される。

そう言って奥の部屋に入っていく背中を見送りながら、嫌な予感がした。きっとこれは勘でも何でもなく、確信だ。何故なら俺は、彼女の言う“良いもの”に心当たりがあって、見当が付いてしまっている。

(あぁあ……だから婆さんとこ来る気分じゃなかったんだよ、ったく)

「新八」
「なんですか?」
「ちなみにそのコーヒー屋って何て名前?」

絶対にアイツとは関係なんてないだろう。わかりきっているはずなのに、そんな質問をしてしまう自分に嫌気がさす。

「たしか……えっと、真四角?いや、違うな……あ!“ホシカク”です」
「ホシカク?」
「カタカナの“ホ”を四角で囲って、上に星マークのついたロゴです」
「ダサくね?チェーン店か?」
「そうみたいですよ。姉上も『ホシカクさん』って呼んでて、店員さんの名前とかはわかんないんですけど」
「ふーん」

(アホらし。何聞いてんだ俺は)

アイツを探そうとでもしているのか、今更。
そんな事しなくても、婆さんに聞けば居場所がわかる。それを知っているのに、そうしようとしなかった、ずっと。記憶の底に追いやって、なかったことにした。婆さんも、そんな俺だからアイツの居場所を言ってこないし、話題に出してくることもなかった。

(なのに、何で)

――――今日はやっぱり、おかしい。
どうにも、居たたまれなくて。これ以上この場にいると、引き出しから溢れ出してきそうで。がたり、と音を立ててカウンター席から重い腰を上げた。

「銀ちゃん?」
「銀さん?どこ行くんですか?」

きょとん、とした顔で見上げて来るガキ二人とは違い、神妙な顔で黙って煙草を吹かせているキャサリンには何かしら悟られているかもしれない。

「イチゴ牛乳飲みたくなったから先に上帰ってる。婆さんにも言っといてくれ」

ガラガラ、と引戸を開けて外に出た。この店の前の景色はあの時とは何も変わっていない。変わったのは、裏隣だけ。俺の中でのアイツの存在も、何も変わっていない。

「……はぁ、」

ため息を付いてから、階段を一段上った。だから、俺は知らない。その時店でどんな会話が繰り広げられていたのか――――――、

「おや、銀時はどうしたんだぃ」
「イチゴ牛乳飲みたいとか言って帰ったアル」
「すみません、ホント。お昼ご馳走になったっていうのに勝手に帰っちゃって」
「良いんだ、放っておきな。どうせいじけたんだろ」
「……?ところでお登勢さん、それなんですか?」
「あぁ、コーヒーミルだよ」
「それがさっき言ってた“良い物”アルか?」
「そうさ、たまにはコーヒーでも入れてやろうと思ってね」
「結構年期入ってますね。お登勢さんって実はコーヒー好きなんですか?」
「いや、これは預かりものさ。
 ……近い内にこれの持ち主が取りに来るから、出してあったんだ」

――――――俺は、何も聞いていなくて、何も知らなくて。

アイツが俺の前に現れる事は、もうないと思ってる。二度と会えないし、会わない。
それなのに、込み上げて来そうになる何かを全部飲み込んでしまいたくて。冷蔵庫を開けて、イチゴ牛乳を取り出した。コップにも注がずパックから直に喉へと流し込んだ。




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