喧嘩別れした天パのいる町へ人事異動でUターンした社畜の話 | ナノ

プロローグ


『私もいつか………さんみたいに自分のお店を持ちたいな』

そういって江戸……いや、地球を飛び出したのは確かまだハタチとかそこらだったろうか。空に向かって高く、まっすぐ聳え立つ鉄の塔。いつも景色としてぼんやりと見ているだけで、足を踏み入れるのも初めてだった。

――――これから自分にはどんな未来が待っているのだろう。

そんな期待と不安、大きな気持ちを胸に抱えながら宇宙へと旅立った……はずだった。

若い頃は全てに目新しさを感じ、何事も大袈裟に見えたのかもしれない。初めての宇宙でも、他の星でも、実際行ってみれば案外たいした事はなかった。そんな冷めた感想が出てくるのは、自分の20代半ばという年齢がそうさせるのだろうか。

私が宇宙に行ってまで何をしていたのかというと、至って普通の会社員をしていた。それなりにキラキラとした夢や希望を持って来ていたはずなのに、今の私はすっかりただのサラリーマンと化してしまった。会社からの指示に身を任せるしか無い。そんな普通の一社員。
この度、辞令が下った。初の地球支店を開く運びとなったらしいのだが、私はそこの支店長を任されることになった。つまり、人事異動によるUターンが決まったのだ。
志願したわけでもなく、上司から告げられた時は驚いた。しかし、願ったり叶ったりだ。地球に帰れる口実が出来たのだから。

――――今日がその出立日。チェックインを済ませて、待合のソファーに座っている。自分の膝には手持ち用のハンドバッグ。あと今は手元に無いが、さっき預けた大きなキャリーケース。家具付きの社員寮に住んでたから荷物はこれだけで全部だ。

出航時刻までまだ少し余裕がある。私はハンドバッグから携帯電話を取り出し、数少ない連絡先の中からとある店の番号をコールした。
プルル、プルル、と数コール。出るだろうか、と不安に思ったが、ガチャリと受話器を取る音がして安堵した。

『ハイ、スナックお登勢デス』
「営業時間前に申し訳ありません。私、お登勢さんの知人のミョウジナマエと申します。お手数ですが、お登勢さんにお取り継ぎ願えますか?」
『お登勢サン、何カミョウジっテイウ女からデス』
『あぁ、代わりな』

すぐ真横にいたらしく、よく知った声が聞こえてきた。木造のスナックの店内、カウンターの中に立って仕込みをしているのだろう。数年行っていなくとも容易に脳裏に浮かんでくる。それほどに馴染みのある場所なのだ、あそこは。

「もしもし、お登勢さん?」
『そろそろ掛けてくる頃だと思ってたよ。もう出発かい?』
「はい。もうすぐ出航時間です」
『そうかいそうかい……ちなみに、アイツには言ったのかい?アンタが帰ってくるってこと』
「まさか、そんな仲じゃありませんから」
『……そうかい。んじゃ、年寄りはお節介しないことにするよ』
「ありがとうございます」

年の功、ということなのかはわからないが、何も言わなくても察してくれる。そんな彼女の態度につい甘えてしまうのは昔からだ。私は、彼女に何も伝えていないのに。

(ごめんなさい、お登勢さん)

お登勢さんの次くらいにお世話になった、と言っても過言では無い人物。私は彼には何も言わず、黙って目の前から消えた……逃げるように


――――――ピンポンパンポン……


思考を遮るようにアナウンスを知らせる音が鳴った。その音に続き、出航を知らせる女性の声が聞こえる。

「……あ、そろそろ時間みたいです」
『はいよ。気をつけて帰って来るんだよ』
「はい。落ち着いたらご挨拶に行きますね」
『あぁ、待ってるさね』
「では」

通話を終了し、ハンドバッグに携帯電話をしまう。持ち手をぎゅっと握りなおして、搭乗口へ向かった。

宇宙船に乗るまでに、長い一本の通路を通る。私のように仕事の都合で一人で乗る人間も多いが、連れ立って談笑している家族や男女も多い。上に長い銀の塔、その中心部分に向かって伸びた通路の先に船が付けてある。

「すごいね母ちゃん!」
「アンタくる時も乗ってただろ」
「だって何回乗ってもすっげえよ!」

目の前を歩く家族連れ。子供が、今から乗る船を目の前にして楽しそうにしている。通路を渡って船に乗ってからも、視線を左右だけではなく上下にもキョロキョロ。首がいろんな方向に勢い良く動いていて、少年らしい好奇心が溢れ出ているのがなんとも微笑ましい。
その家族連れが席に着いた所で、私はその横を通り過ぎて更に奥の方へ進む。彼らから少し離れた後ろの方の席で、もう声はあまり聞こえない。

(14の窓際……あった)

いつも通り、窓際の席のチケットを予約したのでそこへ座る。一度も帰省しなかったとは言え、宇宙船に乗るのはこれが二度目なんて事は全くない。出張で何度も乗っており、目新しさは皆無だ。先程の子供のように、今から見るであろう燦然と輝く宇宙の星々のように、貴重な体験にキラキラと目を輝かせる、なんて事はもう二度と無い。そんな経験はたった一度だけ。

広い宇宙に初めて出た時、全てがちっぽけなものに思えた。何万光年、何億光年、厳密な距離は知らないが惑星間を跨ぐ果てしなく遠い物理的な距離。心の距離と言わんばかりに、それこそ宇宙の彼方へ全ての過去を葬った。

(……そう、思ってたんだけど)

窓の外を見ると、まだ発進してなくて先ほど通った通路が見える。無機質な機械の壁を窓越しにぼんやり視界に入れる。何度も見た光景なのに、なんだか今日は気持ちが落ち着かない。

(今から……地球に、)

そう実感した途端、心の奥底で冷え固まっていた物が熱に溶かされるような感覚。声も、顔も、体温も。あなたの息遣いさえも、呼び起こされてしまう。過去は葬ったと思ったのに、寧ろその過去へ逆行しているような。そんな気持ち悪さが込み上げてきて、慌ててさっき買ったペットボトルのコーヒーをカバンから取り出す。

(苦……やっぱ自分で入れた方が美味しいや)

いつも飲む珈琲よりも苦くて、雑味が強い。ちびりちびりと口へ流し込み、溢れて来そうな何かと一緒に飲み込んだ。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -