The Alliance of the CORAZON

 早朝に目が覚めた。悪夢と現実の境は未だにローには見えなかった。冷たい風の吹き込まない船長室が、むしろあの宝箱を思い出させた。部屋に妹はいない。子どもの気を引くとすれば、と思い、毛布を片手に甲板に出ると、アリアンスが妹と話をしていた。妹は笑顔を見せ、アリアンスも微笑む。
「ねぇ、アリアンス様、お願いがあるの」
 内緒話をしたいのか、妹は小さな手を口に添える。アリアンスが耳を傾けて妹の声を聞く。ただ、意識はローの方にも向けられていることがローにもわかった。アリアンスの何でもない微笑が、全てをしったかのような嗤いを思い起こさせる。
「ROOM、シャンブルズ」
 アリアンスの隣に毛布がばさりと落ちる。ぼんやりもローを見上げる妹を後ろにやり、目の前で酷薄な笑みを浮かべる王の器と対峙する。
「怖い怖い。どうしたんだい、キャプテン」
 普段は気にならない大袈裟な言動もあの男に重なってしまう。常に余裕を湛え、それを許される才能。
「私は丸腰だよ」
 手元には大太刀はない。アリアンスは少女の手を引き立ち上がり、その背をそっと押すと、ローの眼を見た。平凡な色のどこの国にもある虹彩。
「斬ってみるかい?」
 挑発にしては酷薄で、本気にしては幕のように薄い声。人を従わせる声ではないのに関わらず、それはローの心をさらに狂わせる。冷たい風が吹き抜ける。まるで、かつての北の海のように。そして、ここは船こそ違えど、海賊船の上。
 海賊船の上に聳える王。
「能力は使わなくていいよ。その分を全てそれにかければいい」
 能力を使うより先に手が動いた。後悔はした。しかし、後悔よりも先に頭の中は混乱した。出るはずのものが出ない。
 血が一滴も出なかった。
 使われたのは間違いなく武装色の覇気だ。ただ、ローにはそれが見えなかった。単純な武装色の覇気ならば、アリアンスよりも僅かにローの方が勝る。しかし、アリアンスはローの攻撃を弾いた。
 歯が立たないという経験はローの過去にもあった。ローの過去を追うかのように、目の前のローの片腕とも呼べる存在は立ちはだかる。
「冷静になりなよ、キャプテン」
 覇王色の覇気はなかった。つまり、アリアンスは見聞色の覇気を上手く利用したことになる。ローには見えなかった。ただ、見えないほどに纏った覇気が細かったとすれば。
 アリアンスの最も未知数である覇気は見聞色だ。ローの剣戟を完全に予測して必要最小限の覇気を纏ったならば、妖刀に纏わせているローには十分勝算がある。
「僅差なら煽りに乗った方が負けなんだよ」
 その目は凪いでいた。ただ、それはローの行く遥かその先を射抜くような眼だった。そして、そのままアリアンスは歩いてローに近づき、ローの横を通って船内に戻っていった。余裕を湛えた緩やかな足取りで。



 その日、アリアンスは大型の銃を持ち、大太刀を背負い、完全に武装した状態で路地を一人で歩いていた。大太刀はすぐに抜く必要はない。
 銃が必要な相手を始末した後で良いのだ。
 アリアンスは、大型の銃如きならば武装色の覇気で簡単に防ぐことができるが、それを防ぎながら戦うのは厄介ではあるし、確実に始末はつけておきたいと思っていた。
 子どもの頃から声を聞くのは得意だった。さらに、アリアンスは理解できる物と理解できない物、アリアンスにとってのノイズの区別もできるようになっていた。ノイズのないアリアンスの覇気は、悪意や殺意の探知に極めて長けている。
 その「ノイズ」がそうではなくなることを当時のアリアンスは想像すらしていなかった。
「まあ、私の始末に来るよね。サイファーポールの誰かさん」
 射程範囲内で遠方にいるのは三人。武装色の覇気で弾丸を防ぐと、銃で迎撃する。衝撃はあるものの、普段から飛び上がって落ちるタイミングを読みながらハンドガンで敵を仕留めるアリアンスにとって、平地での射撃は大したことではない。
 アリアンスは脱包した銃を下ろすと大太刀を手に取った。
「悉く潰して差し上げたのがお気に召さなかったかな」
 そして、近距離にいるのは一人。この一人が一番の手練れであるとアリアンスの本能が告げる。その人間はアリアンスの目の前に現れた。
「ポートガス・D・アリアンス中将」
 その名を知っている者は、自分の除き一人のみ。それで情報が割れているということは、アリアンスが籍を置いていたしがない海軍駐屯地の情報を入手しているということである。
「そこまで知っていてこの戦力かい。私もなめられたものだな」
 覇王色が漏れ出さないように気を払いながら、アリアンスは大太刀に手をかける。
「人間といい、書類といい、よくもまあ、手間暇かけてくれて。そこまでして、フレバンスの生き残りを殺す暇があるのかい? 狙撃兵は全員、即死だよ」
 アリアンスは海兵時代から無駄な兵士の死を嫌っていた。兵士が多く死ぬくらいならば、アリアンスは撤退を選ぶ。アリアンスは最初から撤退戦の指揮を執ったことはなかったが、部下から指揮権を奪って撤退戦の指揮を執ったことはあった。戦略的撤退。それは、真に指揮官の能力が問われる戦いの一つである。
「見聞色の覇気にさらに注意を払うべきだったな」
 そうではない、とアリアンスは思う。ただ、それを正す気はない。
「付き合いも長いからな。始めるよ」
 アリアンスは相手を生きて返す気はなかった。ただ、勝負はなかなか決することはなかった。相手のパラミシア系の能力はアリアンスと相性が悪かった。アリアンスはそもそも遠距離での戦いに向いていない。完全に狙撃に集中しているならばともかく、一対一の戦いに対しては強くはない。さらに、相手は六式をある程度習得しているため、距離をすぐに取られてしまう。
 失血を感じながら、アリアンスは頭を冷静に回し続ける。
______刀の間合いに入らずとも。
 間合いの中にいない。それでも、斬ることができるような気がした。脳で理解するのは踏み込みだけ。あとは脊髄の声を聞く。それはいつもと同じこと。
 剣を黒く染めるのは本能で可能だ。
 斬撃は間合い以上に飛んだ。首を落とすと同時に、アリアンスはその場に力なく座り込む。
「これだから、パラミシア系能力者は嫌いなんだ」
 覇気については高いセンスを持つアリアンスは、マリンフォード時代も、ロギア系能力者の海兵に苦戦したことはほとんどない。ゾオン系能力者は厄介だが、ある程度攻撃のパターンのイメージがつく上、アリアンスの育ての親はゾオン系の能力者であり、見慣れているためそれほど苦戦しない。
 しかし、極められたパラミシア系は違う。ローの能力など見慣れたアリアンスですら、厄介に感じる。攻撃のバリエーションも多い上、わかりづらいため苦戦する。そして、防ぐ物のない町中で覇王色の覇気を使うほど、アリアンスは愚かではない。
 アリアンスの覇王色の覇気は本人の精神の幼さから考えられないほど強いが、コントロールがきかない。
 何とか仕留めたものの、予想できなかった手法の攻撃に対応が間に合わず、腕からは血が流れ落ちる。死ぬほどではないが、措置をしなければ失血死する。
 怠い体で止血処理だけすると、アリアンスは土埃をかぶった壁にもたれかかった。
「ねぇ、兄様。私もキャプテンに見放されたのかな」
 アリアンスは滅多に怪我をしない。次の攻撃がわかってしまうからだ。ただ、それでも対処法がわからず、このように体が追いつけないまま怪我をしてしまうことがないわけではなかった。
「俺はお前の死を許した記憶はねぇ」
 白鉛病の少年。フレバンスの生き残り。アリアンスの兄が命をかけた存在。



 少女はローの腕を引いた。
「どうした」
 困ったような顔をする男は実に少女に優しかった。ねだると甘い物を少しだけ多くしてくれたり、夜眠るまで見守ってくれたりした。それには一切の穢れもなく、少女はその幸せを享受することも選べた。
 少女はこの男が好きだった。心惹かれる彼の人の特別が好きだった。だから、彼の人の特別が悪夢を見るような目をして地を這いずり回る姿に耐えられなかった。
 それ以前に全ては限界を迎えていた。ただ、少女に選ばせたのはこの男と彼の人だった。少女がこの世界で唯一愛した二人。世界の全て。
「私にはお兄様がいないけれど、アリアンス様にはお兄様がいるんだって」
 少女はアリアンスの真似をする。似てないと思いながら、アリアンスの特別さを実感しながら。
「ろしなんて」
 ローは目を丸くした。アリアンスから教えてもらった合図。少女を解放し、ローが悪夢から目覚めさせる。アリアンスはそう言った。
「そう言えば多分わかるって言われたの」
______アリアンス様、悪い夢から覚めるための合図はしました。
「アリアンスはどこだ」
 ローは立ち上がった。悔しそうに歯を食いしばる。その姿を見て、格好良い人だと少女は初めて思った。少女にとっても、おそらく目の前の男にとっても、アリアンスは及ばない存在。ただ、この男は必死に食らいつこうとしている。
「ついてきて」
______わたしに優しくしてくれたあなたは、あの人を一人ぼっちにしないで、悪い夢から目覚めて。悪い夢を見るのはわたしだけでいい。



 名前がないと言った。アリアンスは、最初の名前のないクルーの話をした。しかし、少女は浮かない顔をしている。アリアンスは少女の心に耳をすませる。そして、そういうことかと納得した。アリアンスも、誰もがこの少女を甘く見ていた。
「海の生き物は嫌かい?」
 少女はアリアンスの表情をうかがってから、頷いた。
「陸の生き物の名前にしようか」
「でも」
 アリアンスは少女の言葉を遮る。
「もういなくなった生き物だよ」
 そして、その名前を囁いた。もう今は亡き動物の名前を。
「死にたがりの君らしい」
 この少女の世界は悲惨だった。少女は強く死を望んでいた。それは、アリアンスが手を伸ばしても届かないほどの強い希死念慮。精神科領域においても深い知識を持つアリアンスは、それが既に手の施しようもないことを知っていた。
 死に至る「頭」の病。
 それでもこの少女は真面目だった。
「奴ら相手によく隠し通したね。君は「兄様」よりもずっと出来が良いようだ」
 己の役割を、唯一のフレバンスの生き残りトラファルガー・ローを殺すということを理解していた。サイファーポールを欺き、正気ではないたはいえトラファルガー・ローを欺いた。ただ、殺すことはできなかった。
 そのように作られていた。人間なんて簡単に仕立てられるものではない。彼女の中では様々な役割がぶつかり合い、身動きなどとれなくなっていた。それでも、味方も敵も欺いた彼女は間違いなく天才だった。
「褒めてもらったの初めて」
 彼女は目を丸くして、少し俯いてはにかんだような笑顔を薄らと浮かべた。
「それは、君の周りの人々に見る目がないんだよ」
 アリアンスがそう答えると、少女は小首を傾げて笑った。愛らしい笑顔で。
「アリアンス様は?」
 その姿がアリアンスは嘗ての自分と重なった。
「君より少し年下だったけれど、バレバレだったよ。私も君には全然敵わないな」
 ただ、アリアンスは少女とは違った。明確に、その背に堂々と正義を掲げる人間とは違うことが、心なき人間であることを知られていた。今でこそ、普通に振舞うこともできるアリアンスだが、幼少期は違った。ただ、そうであったからこそ、この少女のようにはならなかった。
 ただそれだけのことだとアリアンスは思っていた。
「そんなことはないよ。アリアンス様は特別。わたし、アリアンス様にもっと早く会いたかった」
「私もだよ」
 二人は似ていた。ただ、少女は壊すものを持っていて、アリアンスは持っていなかった。その時のアリアンスはそう思っていた。



 コラソン、ドンキホーテ・ロシナンテ。少し考えればわかることだ。アリアンスは海軍本部で育っている。今までのアリアンスの海兵の情報の記憶能力から、海軍本部所属のロシナンテを知らないはずがないし、ロシナンテの性格から海軍本部をフラフラしている子どもに構わないはずがない。そして、アリアンスの養育に関わった人間はおそらく高官であり、それ故に機密情報にも詳しい。
 アリアンスはいつから気がついていたのか、そとそも、最初から知っていたのに考えなかったのかローにはわからなかった。アリアンスに自覚があるかどうかローにはわからないが、アリアンスは無意識に思考を制御してしまう癖がある。普通ならば一番先に思い出すべきことを、必要になってから思い出したり、考えついたりする。
 コラソン。彼は、ローの中で見た目や生まれや印象と全く中身が異なっていることの象徴だった。肩書きや血筋などよりも見るべきものを身をもって教えてくれた。
 アリアンスはロシナンテよりも遥かにわかりづらい。何しろ、本人が様々なことに無自覚なのだ。アリアンスは最初から少女が偽物であることも、ローが冷静ではないことも見抜いていたが、それを口にすることはなかった。アリアンスがそのような行動をとっていれば、認めたくはないがローとアリアンスの間の溝は決定的になっていただろう。
 アリアンスがどこまで意識していたのかはわからない。ただ、アリアンスは味方であり、ドフラミンゴとは違う。ローはドフラミンゴの考え方は理解できるが、アリアンスの考え方は理解できない。
 高みにいながら、アリアンスはドフラミンゴやローとは違う方向を見ている。
 アリアンスは見覚えのない大型の銃の傍にいた。大太刀を掴み、青白い顔でローを見上げた。血塗れだが、それは倒れている男の他にアリアンスの血も相当混じっているのだろう。最低限の止血は済ませあり、それはアリアンスが珍しく深傷を負っていることを示していた。
「ありがとう、キャプテン。助かったよ」
 アリアンスは微笑む。
「その悪魔の実は体に負担をかける。確実に知られていたね。君の体力を削るような事件が起きた。ハリボテの古い型式の軍艦に、山賊。シャチとペンギンに手伝ってもらったけれど」
 ローが悪夢を見ている間もハートの海賊団には何の被害もなかった。それは、ローが意識を失っていた頃と同じである。
「彼女と一緒にいてもらうには君に万全の状態でいてもらわなくてはならなかった。何せ狙いは君だったんだから」
 アリアンスは刺客である少女を殺し損ねたとき、何を思ったのかローの隣にいさせることにしたのだろう。ローはそれが気に食わなかった。ぼんやりとする頭の中でも、それはローの尊厳を傷つけるのに十分だった。
 ただ、騙されていたのはローのせいだ。アリアンスを責めることは間違っている。できることといえば奥歯を噛み締めることぐらいだった。
「キャプテンを連れてきてくれてありがとう」
 アリアンスはしゃがみこみ、少女の頭に手を乗せた。
「抱っこしてもらいな」
 うん、とアリアンスに背を向けたその一瞬だった。アリアンスの大太刀の間合いから抜けて、安心したのだろう。それはローも同じだった。空気が緩んだ次の瞬間。
 ローもアリアンスの「本気の」居合は何度か見たことがある。アリアンスの居合はほとんど刀は見えない。体が傾き、首が落ちるまでにアリアンスがその子どもの体を抱きとめる。その笑顔のまま、その目を静かに閉じさせて、アリアンスは空を見る。
 それは、おそらく彼女の神経伝達よりも速かった。痛みを感じることもなかっただろう。ボロボロの体でも衰えない剣技。
 資料はよくできていた。人体の冷凍保存。詳細で正しいトラファルガー・ラミの情報。それは、知識がある者ほど上手く騙すことができる。そんなことを知らないはずがない。
 ただ、冷静さを失わせるほどの恐怖があっただけ。それを与えたのはアリアンス。
「夢から覚めたみたいだね」
 少女を撫でながらアリアンスはローを見上げた。
「うちのキャプテンを出し抜いておいて、褒められたことがないなんて、周りの人間はどれだけ君を見る目がなかったのか。そして、そんな些細なことを君が望んでいただなんてねぇ。殺すには惜しかったけれど、死にたがっていた。死ぬしかなかった」
 アリアンスの眼は凪いでいたが、そのありきたりな虹彩に鋭い光が映る。ただ、それは酷く無機質だった。
「フレバンスのような例は多くある。ただ、生き残りにサイファーポールがここまで執着したのは、キャプテン、君が名を上げたからだ。だから、彼女は作られて、死んだ。殺したのは私だけどね」
 淡々とした声は鋭い言葉を紡ぎ、ローの体を貫いていく。この少女を手にかけたのはアリアンスだが、ローが船出をしなければこの少女は死ぬ必要はなかった。
「この子は賢い子だった。ただ、目的は果たせなかった。私よりも優れているところもあるけれど、サイファーポールが私の才能を欲しがるわけだ」
「お前はあったのか?」
「ああ、私がその子ならキャプテンは間違いなく殺していたよ。それが、必要なことであれば」
 ポートガス・D・アリアンスはその非凡さをまざまざと見せつけてくるのだ。選ばれた人間。その言動は無自覚ながら、自覚しているが故に言葉の節々にそれは出る。
 それは、まるでローが知る王のように。ただ、その畏れの意味は全く違う。この王の器の方が、高みで嗤いながら糸を紡ぐ王よりもずっと恐ろしい。心がないのに関わらず、人の心を惹きつける。
 ローはアリアンスが未だに海軍と繋がりを持っていることを知っている。
「弱ぇやつは、死に方すら選べねぇ」
 染み付いた言葉。嘗てローが目にした世界がローに視せたもの。ローには自覚はないが、ローはしっかりとドフラミンゴの系譜を引いている。それは彼がどこまでも否定しようと変わることがない。
 ローはロシナンテに心をもらったが、ドフラミンゴに残る唯一無二の、彼の根底にある心を引き継いだ。ただ、アリアンスは違う。
「それは違うよ」
 顔の側にアリアンスの空気が吐き出される。アリアンスの言葉とともに吐き出されたそれは暖かいなか白く変わる。
「違う」
 しかし、次の瞬間に空気の色は変わらない。喉が閉まる。有無は言わせない、そして許さない、そうとでも言うようだった。
「弱くたって選んだ人がいる」
 どうしてこうも惹かれるのかがローにはわからなかった。時折そうなのだ。心がないと言われるこの王の器は時折心があるような眼をする。ありふれた暖かな色の目が水面のように揺れることは最近増えている。
「この子も選んだ。私に殺されたい、と」
 ローは命を奪わずに戦う術を持つが、アリアンスは必要とあれば容赦なく人を殺す。
「俺は命令されるのが嫌いだ」
「そうだね」
 息を吸う。あの時と同じ冷たい空気がローの胸の中に入っていく。
「ただ、祭り上げられた独裁者にはなりたくねぇ」
 弱い立場であった人間だけを側に置くようなことはしない。それでは同じだ。不快で時折身の毛がよだつようなことをする。明確な仇との共通点を持ち、そして己にはない資質を持つ。
 ポートガス・D・アリアンスとはそういう人間だ。
「だから、お前はそのままでいい」
 初めの言葉でないはずだ。しかし、アリアンスは少し目を丸くして、そう、とだけ答えた。
 己がドンキホーテ・ドフラミンゴと同じようにならないために、ポートガス・D・アリアンスは必要なのだ。ドフラミンゴになる可能性があるのは、アリアンスだけではない。むしろ、ドフラミンゴに育てられた自身の方が可能性は高い。
 そして、過去の要らない感情から決別するためにも。もう、ローは一人ではない。そして、最強のカードを手に入れている。



 歩くことのできる状態ではあるが、苦しそうだったので肩を貸して無理のない範囲でのROOMで移動する。裂けてしまったコートをその場で捨てるように言い、自分のコートをかけてやった。風邪を引かれては仕事が増える。
「キャプテン、寒くない?」
「寒いに決まっているだろ」
 ローはスワロー島での生活は長いが、それでも冬島は寒い。体温が低いはずのアリアンスの体が暖かく感じる程度には。
「そう」
 ただ、アリアンスの言葉は素っ気ないものだった。
 アリアンスは普通の態度もとることができる。実際、人前では普通だ。ただ、この基本的に自分にも他人にもあまり興味のない態度が本来の性質で、普段のアリアンスは人の真似をしているだけ。
 それを全くしないのだから、アリアンスにしては相当余裕のない状態なのだろうとローは思った。そして、これが心なき王と言われる所以なのだろう。
「早く、海に出たい」
 アリアンスの声は綺麗だ。見えてきた海に惹かれるように歌うように言葉を紡いだ。
「海は静かだから、よく眠れる」
「音が煩いだろう」
 そう返す。ポーラータング号はうるさくはないが、エンジンの音が全くしないわけではない。当然、島の宿の方が、閑散とした日暮れの方が静かだ。
「ねぇ、キャプテン。私は見聞色の覇気を生まれ持っていた、と前に言ったけど、既に物心ついた頃には島中の心の声を拾うことができた」
 ローはアリアンスの天才の素質をよく理解している。しかし、アリアンスのこの言葉には驚きを隠せなかった。それはつまり、幼少期から善意にも悪意にも晒され続けていたということだ。
「いつかそれと同時に、別のさらに大きな声が聞こえるようになった。私はそれに従って行動するだけ。今回もそうだった。当然、聞かなかったことにすることもあるけれど」
「それがお前の出した最適解ということか?」
 ローはアリアンスの思考や記憶の処理が独特であることを察している。覚えているが忘れていて、必要なときに無意識に思い出したり、普通ならば真っ先に理解するべきことを後回しにすることがある。しかし、今の話ならばそれも納得がいく。幼少期から凄まじい量の情報に晒され続けている上に、卓越した頭脳を持っているが、狂わない程度に無意識に思考に制限をかけているのだ。
 それこそが天性の才能であることは確かである。
「それがただの声なのか私自身が頭の中で無意識に計算した結果の最適解なのかどうかはわからないけれど。私はそれを世界の声と呼んでいる」
 卓越した頭脳と生まれ持った見聞色の覇気。ローはアリアンスの持つ希少な覇王色に気を取られていた。ただ、おそらくアリアンスがこのようになってしまった元々の原因は見聞色の覇気だ。
 他人の声が聞こえる。今のアリアンスは制御できているのだろうが、制御できなければ人の心を蝕むことは確実だ。人間不信になってもおかしくはない。そんな世界で生きて人間不信でなければそれは異常なことであり、その人間不信を取り繕えているだけ、アリアンスはまだ良い方だと考えるべきだろうとローは思った。
 海軍本部でまともな心がないことは奇跡だった。心があれば耐えられるものではない。
「トラファルガー・D・ワーテル・ロー」
 気がついたときには、ローはその名前を口にしていた。十年ほどは口にしていない名前。
「それが俺の本当の名前だ」
「ワーテル、ロー」
 アリアンスはDには言及せずに、忌み名と名前だけを反芻した。
「良い名前だね、ロー」
 その名前で呼ばれたのは何年ぶりなのかローにもわからなかった。スワロー島を出てから、ローの名前を呼ぶ人間はいなくなった。
「お前はDについて何か知っているのか?」
「教えてもらったような気がするけれど、覚えていない。思い出せないのかもしれない。私の養育に関わった人はほとんどDだったから、むしろ海軍本部でふらふらするようになるまで、それが普通だと思っていた」
 ローはアリアンスから情報を得ることを諦めた。たとえ知っていたとしても、アリアンスが無意識にそれが今ではないと判断をしているのならば、思い出すことはできないのだろう。
「コラさん、ロシナンテが言うには神の天敵」
 アリアンスは興味なさげに、神ねぇ、と呟いた。
「ロシナンテが重要な情報を知っているとは思えないけれど」
 アリアンスは言葉を切り、少し考え込んだ。ローがDの意味を知りたいことくらいは理解しているらしい。
「まあ、一番話してくれそうなのは、東の海にいた麦わらの一味、今はグランドラインにいるみたいだけど。西の海のオハラの最後の一人、ニコ・ロビンかな。このままの航路でいったらシャボンディ諸島で会える可能性はある。麦わらのルフィって知っているだろう」
 ローも名前くらいは聞いたことがあった。笑顔が印象的な海賊。まさかその海賊と切っても切れないような縁を繋ぐことになることを、その時のローは知らない。
 そして、ポートガス・D・アリアンスの行いのせいである程度の耐性ができていたことに、素直に感謝できないながらも、良かったと思うことができるなどとは思ってもいなかった。



 貧血で視界が歪んで見えた。それでも、貸してもらった肩は自分のものよりも立派なもので、アリアンスは素直にそれに頼ることにした。細身だといいながらも、どこまでも骨格が中性的なアリアンスとは異なり、ローのそれは男のものだ。
 処置室に着くなり、アリアンスは口を開いた。
「私はローに見限られると思った」
 尽くしたのは最善。ただ、アリアンスに人の心はわからない。読むことができるが、一番知りたいことはわからなかった。それは、アリアンスの見聞色の覇気のせいではない。
 アリアンス自身がわかっていないためである。
「見限らねぇよ」
「私は、大切な人を見限った人を知っている」
 ロシナンテとドフラミンゴ。つるは見限らなかった。ただ、ロシナンテはドフラミンゴの全てを否定していた。アリアンスは、つるのいうことが真実に近いと思っていた。
「怖ぇのか?」
「怖い?」
 アリアンスは恐怖を感じた記憶はない。ただ、恐怖という感情は知っている。そして、今回からそれに苛まれていたのはアリアンスではない。
「怖がりはローだろう?」
 怖がる心のない王の器はカラカラと笑う。
「うるせぇ、俺は怖がりじゃねぇ」
 消毒液をいきなり大量に噴射されて、アリアンスは呻き声を上げたが、またすぐに笑い出す。見上げると、ローが歯を食いしばって怒っている顔が見えた。
 アリアンスはドンキホーテ・ドフラミンゴを知らないが、自分と違うことだけは理解していた。ただ、似ているところもあることは知っていた。つるが比べる程度には、きっと似ていたのだろう、と。
「でも、私を見限らないでね、ロー」
「最初からその方向性では期待していないから安心しておけ」
 兄を、「アリアンスと同じ王の資質」を持つ兄を見限った人間をアリアンスは知っている。まるで罪滅ぼしをするかのようにアリアンスに尽くしてくれた海兵。何度も何度も懲りることなくアリアンスを叱ったが、それ以上に抱きしめる、アリアンスにとっての兄。今は亡き「兄様」。
______そういえば、兄様も死因は銃殺だった。
 おいおいと泣く育ての親と写真を前に、遺恨がある銃殺だね、と囁いたアリアンスはどこまでも冷徹だった。



 部屋に着くなり、アリアンスはソファーに横になった。何年も見慣れた光景だ。クルーの部屋のベッドも潜水艦の宿命として狭いが、別にソファーが広いわけではなく、むしろローとそれほど身長の変わらないアリアンスにとっては狭い。
 ただ、ロー同様にアリアンスは比較的小柄だった。この世界において決して大きくはない。ソファーで胎児のように丸くなるアリアンスを見て、ドフラミンゴとは全く違うとローは思う。アリアンスは時に威圧的だが、そもそもその形自体は威圧的な形状をとっていない。
 外科医であるローが見ても、男にも女にも見えず、そのどちらにも見える中性的な容姿。そして、穏やかな気質。
「ロー、私の面倒を見てくれた兄様の名前、ドンキホーテ・ロシナンテっていうんだ。君を救った人で、ずっと気にかけていた」
「そこまで、コラさんと一緒にいたのか?」
「育ての親が一緒だし、兄様が連絡を取っていたのはセンゴクだから。そして、兄様は私をドフラミンゴと重ねて見ていた」
 ローはロシナンテがアリアンスの話をしなかった理由を悟った。自分がそうであったように、類稀の才能を持ちながら、何かが欠けたこの王の器を、ロシナンテはドフラミンゴに重ねたのだ。それも、ロシナンテがアリアンスと会っていたのはおそらくローがまだフレバンスで穏やかで幸せな日々を送っていた頃。
 同い年のアリアンスも当然子どもだった。物心ついたときには人の心が見えてしまい、四歳で冷徹な王の器となった。
「お前はドフラミンゴとは違う」
 それだけは明白だった。
「兄様は同じだと言っていた」
 首を傾げるアリアンスはどこか幼い。それはアリアンスの中にある狂気を示唆しているかのようだった。生まれながらにして特別であり、天に近い才能を持ちながら、穢れのない不自然で不完全な人間。
「違ぇ。お前は確かに感情は希薄だ。ただ、悪じゃねぇ。お前は冷徹なだけで、それが結果として悪に見えることもあるだけだ。俺からしてみれば、ドフラミンゴともお前の兄とも似てねぇよ」
 幼い頃の自分の方が冷酷で狡猾だった、とローは思うこともある。アリアンスは違う。正義を語らぬところは同じだが、狡猾ではなく何処までも公平だ。ただ、冷徹なだけ。
「お前はヴェルゴを知っているか?」
「知っている。海軍に仇なすってわかっていたから忠告したのに、本当に、何でわからないんだろう。馬鹿なセンゴク。私の育ての親」
 センゴク。海軍の元帥。彼が育ての親であれば、それはアリアンスも自由奔放に育つだろうとローは思った。
 真実は違うのだが。
「育ての親がセンゴクということは、養父は誰だ」
「ガープ中将。海軍の英雄。時折帰ってきては訓練をつけていった」
 海軍元帥と海軍の英雄。その二人から手解きを受けたということはその強さにも納得がいく。海軍の英雄たちが育てた海兵。それが今や海賊をやっているのだから皮肉なものだとローは思った。
「お前の兄を殺したのはドフラミンゴ、きっかけは、俺とヴェルゴだ」
 アリアンス以外には自分のことなどローは出さなかっただろう。ローが自分のことを出したのは、もしアリアンスが同じ立場ならばヴェルゴを頼るような間違いは絶対に犯さないからだ。ローはどこかでアリアンスに責められることを望んでいた。ローの後悔をロー自身の代わりに糾弾してくれる相手を求めていた。
「兄様が殺されるのは時間の問題だった。だから、誰が関わっていようが関係はない」
 アリアンスは淡々とそう返した。それが慰めであればローは激昂しただろう。しかし、アリアンスはローを慰めるようなことはしない。ただ、ローが望む糾弾もしない。
 しかし、それが救いだった。下手に慰められるよりは、全てを見通すかのような王の器に明確に関係がないと言われる方が良かったのだとローは言われて初めて気がついた。
 しかし、そんなアリアンスでも疑問に思ったことがあったらしい。
「ところで、どうやって、フレバンスから逃げ出したのかい?」
 アリアンスが意味もなく他人に興味を持つのは珍しい。ローはそれだけではなく、その言葉がドフラミンゴの言葉と重なりながらも、アリアンスとドフラミンゴの姿が重ならないことに驚いた。
 悪夢は消えたのだ。
「死体の中に紛れ込んだ」
「だから、この世の全てを恨んだんだね」
 アリアンスは全てが腑に落ちた、という顔をしてそう言った。ローは驚いた。それは知るはずもないことだった。いくらアリアンスが海軍本部にいようとも、それを知っているのはドンキホーテファミリーだけであるはずだった。
「何故、それを知っている」
「兄様がセンゴクに言っていたから。ただ、君に肩入れして兄様は死んだわけではない。何れ死ぬ運命だっだ。時期が早まっただけ。それに、ローが生き延びたおかげで、海軍は思わぬ収穫もしているからなんともいえないんだ」
 アリアンスは痛みに顔を僅かに歪めて腕を上げ、その手を光源に翳した。
「糸を紡ぎ、張り巡らせるのがジョーカーだとすれば、その糸を切るのがフランベルジュの悪魔だ。北の海です手の届くところまでは切り尽くした。闇社会から海軍まで侵蝕している糸を切っていくのは至難の業でね」
 ローはアリアンスのフランベルジュに対しては知っているだけで留めていた。しかし、それが仇敵と繋がっていることはわからなかった。アリアンスもローと同じようにジョーカーと敵対していたのだ。
「ジョーカーが闇社会で糸を紡いだけれど、コラソンは私たちを繋げた」
 悪夢から目覚めるための言葉。心臓、ハート。心なき王と器との繋がりがコラソンとはローも思ってもいなかった。
「お前にとってもジョーカーは敵か」
「そもそも、仇敵の始末のために私は仲間になった」
 アリアンスは事実をそのまま述べた。コラソンの死をアリアンスはしかたがないものだと思っている。ドフラミンゴに対する恨みもない。ただ、アリアンスの最適解がドフラミンゴと敵対することであるだけだ。
「兄様が生きた意味はローと私が作ればいい。ジョーカーが紡ぐ糸よりも強力な何かを」
 アリアンスはそこまで言ってソファーからいきなり立ち上がった。手当てはしてあるとはいえ、腕を上げただけで苦痛なのだ。すぐに盛大な呻き声を上げる。アリアンスは時々そういった行動をとる。馬鹿か、と吐き捨てたが、アリアンスは何故か目を輝かせた。
 ローの本能が碌なことでないと告げている。
「そうだ、同盟だ」
 アリアンスはいつもは凪いだ目を目を煌々と輝かせていた。
「同盟?」
 あまりの突拍子のなさにローは思わず聞き返してしまった。
「私が船に乗った理由でもあるし、良いだろう。同盟」
「意味わかって言っているのか」
 アリアンスの言うことは間違っていない。しかし、ローはキャプテンでアリアンスはクルー。対等な関係ではない。ローが青筋を薄らと浮かべるのも仕方がないことだ。
「よくわからないけど、トモダチみたいなものだろう」
「てめぇ、友達すらよくわかっていないだろう」
 幼少期に友人がいたローとは異なり、アリアンスは友人を作る時間はなかったはずだ。そもそも、友達などという言葉から最も遠いクルーだ。
 苛つきが隠さないローを無視して、アリアンスは話を変えてきた。
「しかし、白鉛病の少年はロー。兄様は治療方法を探してオペオペの実までたどり着いた。そこまではすぐにわかった。ただ、ヴェルゴが噛んでいたのはわからなかったな」
「あいつは上手く潜り込んだ」
「そうだね。でも、海軍にもいる。孤立無援でヴェルゴと戦っている人が。勝てるかどうかはわからないけど。私、教えてあげたから」
 アリアンスはどこまでも公平だ。過去や生い立ち、立場に囚われず、ただ目の前にいる人間を見ている。それはドフラミンゴの人間らしさの対極に位置する。
 アリアンスは、冷徹な王の器はローの心がドフラミンゴと同じ場所にいかないよう、心臓の糸で引き留める存在である。そして、ローにとっては最強のカードであり、そして。
______同盟相手




 海軍本部監査局長は基地の私物化についての資料を取りまとめる。監査局は畏れられてはいるが、強力な力を持っているわけではない。基地の大佐と中佐の始末も、彼の手腕が大きい。監査局はマリンフォード本部、決裁書類を持ち、最後の部屋に向かう。
 彼が海兵になった年にやってきた、当時四歳の子どもは神の寵児の如き愛らしさだった。そのため、多くの海兵が見た目で騙された。その頭脳はよく斬れる鋭敏な刃物であり、その身体は手練れの海兵たちをすぐに翻弄するようになる。ただ、それでもどこか憎めない、不思議な魅力のある子どもだった。そして、その子どもは基本的にあまり人見知りをしないため、海軍本部の海兵たちに愛されて育った。海軍は腐り果てているが、海軍本部で遊び相手もいない幼な子を放置してお供養などはなかった。
「センゴクさん、海軍駐屯地破壊でハートの海賊団のアリアンスちゃんの懸賞金上がりますよ。監査局としては海軍の膿を出せてよかったのですが」
「聞いておる」
 書類で顔を隠すようにしているためか、表情は窺えない。
 残念ながら、その子どもは育ての親には似なかった。海兵にするには自由過ぎる性質。どちらかというと、あまり本部には戻ってこない養父に似ていた。ポートガス・D・アリアンス。同じようにDのつく名前を持つ養父と血縁関係ではないことは彼も知っていたが、無関係ではないような気がしていた。
「アリアンスちゃんの見聞色の覇気は凄まじいものです。監査局に欲しかったのですが」
 世界の声が聞こえる、とアリアンスは言っていた。世界の声は子どもが発したとは思えないほど、公平だった。身内を贔屓することもなく、悪人に対しても正当な評価を下す。まるで神のような言葉。
 心のない王の器と情け深い君臨する正義。
「アレは海軍本部には置けない」
 センゴクは肘をつき顔を落とした。
 アリアンスを遠い北の海に配属せざるを得なかった理由を彼は知っている。そして、センゴクのもう一人の子どものような存在が死んだのも北の海。本来であれば、その目が届くところに留めておきたかったのだろう。ただ、海軍本部は世界政府に近すぎず、東の海と南の海についてはアリアンスの出生に関わるために目不可能だった。
 彼は話を変えることにした。
「それにしても、アリアンスちゃんがクルーなんて、このトラファルガー・ローという男も大変ですね」
 手配書でしか見たことない男は、確かに凶悪そうであるともとれる。しかし、海賊の手配書を並べてみると、どこか真面目そうな印象を受ける。アリアンスは人見知りをしない子どもだったが、決して悪人には懐かない子どもだったため、この男はきっと海賊という罪人であっても、悪人ではないのだろう、と彼は思っていた。それは、アリアンスが最初に彼に連絡を横した件、つまり、手配書が大々的に配られた人身売買の一件でもわかる。
 アリアンスは別に悪い子どもではなかったし、大人になった今でもそうではないのだが、悪戯とやんちゃには海軍本部の凄腕の海兵たちも手を焼いていた。
 彼の経験上、真面目ではあればあるほど、アリアンスに好かれ、振り回される。
「ハートの海賊団、トラファルガー・ロー、か」
 センゴクが資料を下ろした。表情からは何も読み取ることができない。
「ハートの海賊団、何か気になることでもありましたか?」
 ただ、その言動の僅かな差異で機微を感じる程度には彼とセンゴクの付き合いは長かった。
「お前ならいいだろう」
 センゴクは溜息をつくと、そう切り出した。
「オペオペの実とロシナンテを覚えているか」
 彼にとっては懐かしい名前だった。ただ、前者はともかく、後者はアリアンスと切っても切れない関係にある。生前はアリアンスを一番可愛がっていた海兵。アリアンスを誰よりもよく叱り、誰よりも愛していた。
 そして、その二つが交わった事件を彼が忘れられないはずもない。センゴクとアリアンスの間で大きな溝ができてしまった事件。彼の知る限りでは彼のみがそれを知っている。それをきっかけに、センゴクは表向きではアリアンスを戦闘員としての海兵にする道を諦めたという。ただ、研ぎ澄まされた刃は、軍医としては収まらなかった。
______トラファルガー・ローとポートガス・D・アリアンスはロシナンテによって繋がっているのか。
 ハートの海賊団。ロシナンテ。医者。運命のようだと彼は思った。
 ただ、彼にとってはアリアンスのその時期の話としては、さらに印象深いものがあった。
 その一年ほど前のこと、センゴクの部屋から出てきた黒いサングラスの海兵を追うように出てきたアリアンスと彼は出会した。
「あの人、なんていうの」
「ヴェルゴ。一年目にしては実力があるらしいよ」
 アリアンスはその海兵、ヴェルゴの背を指さして尋ねた。その当時、彼の知っている情報はその程度だった。そう答えると、アリアンスはその小さな手で彼の指を掴み、踵を返した。手を引かれるようにしてヴェルゴから遠ざかる。アリアンスは周囲を確認するかのように目を瞑り、そして口を開いた。
「あの人、敵だ」
 アリアンスのそれは初めてではなかった。時折、彼の仕事を知ってからはその強い見聞色の覇気で、彼にそれを知らせてくれた。合っているかわからないことはあるが、間違っていたことはない。
「でも、センゴクとかガープよりは弱いけれど、すごく強いと思うから秘密だよ」
______アリアンスちゃん、鬼竹のヴェルゴは強敵だ。
 何かがあることは彼も勘付いていたが、その尻尾は掴めずにいた。それゆえ、彼は目の前のセンゴクにすらそれを言えずにいた。



 ローとアリアンスが船に近づいてきた時点で、ラッコは全てが片付いたことを悟った。その日は日中も起きていたため、ラッコは眠い目を擦り、アリアンスが船長室から出てきた機を見計らって話しかけた。アリアンスと誰もいない甲板に出る。
「アリアンス様、お片付け遅すぎです」
「悪いね。常に見聞色の覇気ははっておきたかったから、夜の番をお願いして。おかげさまで無事に片付いたよ。ありがとう、ラッコ」
 ラッコを救い出してくれたラッコが傅くべき人は、誰よりも先に、唯一、真相の全てをラッコに打ち明けていた。そのため、ラッコは日中に睡眠をとって、アリアンスの眠る夜間に起きる生活を続けていた。そして、この日は、アリアンスが戦闘に集中するために起きていた。
______本当にキャプテンに甘いんですから
 すぐにでも殺してよかったのだ。ただ、アリアンスはローのためではない最適解を選んだと言った。その理由をラッコは知らないし、アリアンスが説明しないということは、ラッコ自身が知る必要はないことだと思っていた。ただ、アリアンスがローに甘いことだけは確かなことだった。
「私は世界の声が聞こえる」
 いつか言われた言葉が蘇る。酷く鮮明に。
 夜風で揺れる髪もその目の色もあまりにも平凡なのに、どこからどこまでも美しい、ラッコの傅くべき王。ラッコはアリアンスを信じて、従う。



 アリアンスは夜の甲板に立つ。
______君の望みは聞いたよ。世界もそう叫んでいる。
 世界はアリアンスを生かした。ただ、アリアンスの中にある世界は叫び続ける。
 この衝動が何処から来るものなのかをアリアンスは知らない。あの少女が、あの少女に己の何を重ねたのかもわからない。
______夢なんて見たことがないの、アリアンス様は?
______私もないね。忘れてしまったのかもしれないけれど。
 心なき王は知らない。ただ、それは緩やかにそれは形作られる。ハートの海賊団の綴る物語は、静かにアリアンスを変えていく。たとえ、この海賊団を率いるローが許そうとも、初期のクルーたちがアリアンスを笑って受け入れようとも、ハートの海賊団が許さない。
 ただの「心なき王」を許さない。だから、アリアンスの故郷とも言えるその島、マリンフォードで待ち受けるその戦争は、あくまでもきっかけに過ぎない。既に銃弾は装填され、トリガーには指がかけられている。
 それをアリアンスは知らない。自由を得たアリアンスは海を見る。船は刻々とシャボンディ諸島、その向こうに聳えるマリンフォード、心なき王の始まりの地の目前を目指していた。

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