なまえには電話が繋がらなかったし、LINEも既読がつかなかった。LINEには未読の履歴だけが積み重なっていく。ただ、なまえが日が暮れてから家の外にいることは普通だったためか、両親はなまえの居場所には興味がないようだった。仙台駅にでも出たのだろう、と。妹もまだ帰ってきていなかったし、そもそもなまえ自身がその時間帯に家にいないことの方が多かった。

 しばらくして妹が帰ってくる音がした。妹はリビングに入らずに、二階にある部屋に直行する。

「なまえちゃんは」

 妹はリビングに入ると、何よりも先にすぐに尋ねた。なまえと妹では帰る時間が逆転することも多いが、この曜日のこの時間になまえがいないことは、どこかに行っているということに妹は気がついた。

「東北大学の理学部に行くって言って、お父さんに叱られて出て行っちゃった」

 母の言葉に、妹は、ああ、とだけ声を漏らし、表情一つ変えなかった。

「なんで叱ったの」

 妹は知っていたのだろう。いつも家族の前では表情をコロコロと変える妹は、無表情のまま父に尋ねる。

「嘘を吐いたからだ」
「どんな嘘吐いたの」
「模試の結果だ」

 妹は机の上に広がる模試を一瞥した。過去のいくつかは既に見たことがあったのかもしれない。

「まさか、本当に全く知らなかったの。なまえちゃん、参考書も隠していなかったし、夜遅くまで勉強もしていたよ」

 そうだとしても、と言いかけた父親の言葉を遮り、妹は続けた。父を上回る勢いで、未だ家族の誰よりも小さな体で。

「東北大学の理学部にA判定だよ。なまえちゃん、部活もして、私に勉強も教えて。高校のサポートもほとんどないのに、お小遣いで参考書買って、一人で模試を受けに行って、マークシートで九割以上の得点率だよ。お医者さんになれるかもしれないぐらい」

 進学校で塾に真面目に行っていていたとしても、「センス」がなければこの得点が取れないことは俺でもわかる。勉強だって、バレーボールと同じだ。俺は勉強でその世界が見えてはいないが、この年齢になればわかってくる。

「それでも相談くらいするでしょ」
「なまえちゃん、大学に行きたいってお母さんに言っていたよ」

 そういえば、と母が零す。最近しきりに何かを言っていたのかもしれない、と。母が忙しいことは知っている。ただ、それでも、この家で何も考えずに暮らしていた俺ですら、それはおかしいと思った。ただでさえ無茶苦茶になっていた胸の中がざわついた。

「お母さんもお父さんもなまえちゃん興味なさすぎる。高専に行きたいって言ったの、聞く耳も持たなかった。お母さんも、お父さんも、徹君だって、なまえちゃんのこと何も知らないでしよ」

 妹がこんなに物をはっきりと言うのは珍しかった。我儘を言うことはあっても、誰かを怒らせたり、不和にさせたりするようなことはしない器用な末っ子だった。父親はプライドが高く厳しいが、妹を叱るようなことはほとんどなかった。

「変なところばかりあいつに似たんだ」

 もし妹と同じことを姉が言っていれば、父は手がつけられなくなっていただろうが、可愛がっている妹相手にはそう吐きすてるのが限界のようだった。

 なまえが母親と話をしているところは見たことがあったが、父親と話をしているところはほとんど見たことがないことに俺は気がついた。父親は決して寡黙な方ではないし、少なくとも俺や妹には自ら話しかけてくることはあった。
 ただ、なまえにはかなった。
 父には、弟が一人いる。東京で大学教授をしていて、小さい頃は祖父母の家で毎年会っていた。叔父は気さくな人で、人見知りななまえも随分と懐いていた。公園に遊びに連れて行ってくれることもあったが、なまえは叔父にべったりだったし、叔父もなまえのことを気にかけていた。

 果たして、本当に気にかけていただけだろうか。

 今思えば、叔父はなまえのことを気に入っていた。一緒に自由研究をしていた。なまえも叔父の前では積極的だった。

 俺はそれが気に食わなかったのを覚えている。そして、きっと父親もそれが気に食わなかった。父はきっと、なまえの向こうに叔父を見ていたのだろう。

「なまえちゃん、茂庭くんの家に行っているといいんだけど」

 誰だ、と問う父親に、妹はなまえちゃんの彼氏、と短く答えた。

「俺は、顔くらいは知っているよ。伊達工のバレー部のセッター。名前は茂庭要」
「迎えに行くぞ」

 父親の強い口調。父は厳しく、娘が人様のお世話になるなんてことを許せるはずがなかった。

「家の場所は知らないよ。電話はかけてみるけれど」

 散々電話をかけた後だった。それを知っているのか知らないのか、妹は淡々とスマートフォンを操作した。そして、すぐに、だめだね、とだけ言った。

 しかし、すぐに家の電話が鳴り出した。母が出る。母の受け答えでそれが誰なのかはわかった。おそらくなまえではなく、茂庭要でもなく、彼の親のどちらかだろう。どちらかというと、母よりは先方の方がよく喋っているようで、母はほとんど受け答えをしていた。安心した母の表情が緩む。相手は少なくともコミュニケーション能力の低い方ではないのだろう。

「今からいらっしゃるっていうの。息子さんと一緒に」

 どんな人だったと問う妹に、明るくて良い人だと思う、と母は答えた。

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