父は断るようには言わなかった。ただ、俺は同席するように言われた。妹は何も言われず、妹も同席をのぞんではいないようだった。仙台市街地を横切る必要があるせいか、家までは三十分程度はかかるようで、とりあえず俺たちは夕食を済ませた。胃が縮んでいるような感覚がした。当然何か食べるような気にはなれなかったが、それを口に出すような雰囲気でもなかった。誰一人口を開かず、食事の時間はいつもよりも短いはずなのに、ひどく長く感じた。

「ねぇ、徹」
「何さ」

 一度部屋に戻ろうとした時、妹に声をかけられた。薄暗い廊下は静かで、妹の囁きのような声はよく響いた。

「なまえちゃんは天才なんだよ。徹の嫌いな、天才」

 俺は食卓で飛雄の話はしたことはなかったが、中学の頃から牛若の話はよくしていた。この、喧嘩は多いが気の合う妹くらいには、飛雄の話もしたことがあったかもしれない。
 食卓でのなまえの姿の記憶はない。何を思っていたのかもわからない。

「なまえはそれがわかっていたから、俺に何も言わなかったの」

 天才。その言葉が俺の中で消化不良を起こしていた。

 なまえは天才だ。工業高校にいながら、独学で学力は進学校の上位の生徒のレベルだ。部活もやっている。妹に勉強も教えている。飛雄や牛若と同じだ。決して、努力だけでは勝てないところにいる。もし、なまえが天才でないなら、毎日進学校で凌ぎを削り、高いお金を払って塾に通う人間なんて存在しない。そう考えると、バレーボールで彼らに勝とうとする己が馬鹿馬鹿しく思えた。ただ、そんな感情は俺にとって大したものではなかった。

 俺の知っているなまえが、なまえではなかったことに比べれば。

「わからない。ただ、なまえちゃん、天才の自覚はないけど、徹よりも優れてはいけない、ってずっと思っていたみたい。何か意地悪したことあるの」
「一度だけ、覚えている」

 なまえが小学校一年生の頃、何かの賞をもらった。それが何だったのかは覚えていないけれど、叔父と一緒になってやっていたことは覚えている。叔父は喜び、両親もなまえだけを褒めた。当然のことだ。俺がベストセッター賞を取ったときも、なまえが褒められるわけではない。俺となまえは別々の人間なのだから。ただ、俺は許せなくて、めちゃくちゃにした。

 なまえだけが褒められることなんてなかったからだ。今なら、ひどく傲慢だったことがわかるが、当時の俺には何も見えてはいなかった。

 今日叔父の話が出てこなければ忘れていたであろう出来事。そういえば、幼稚園にいた頃はなまえと喧嘩したことがある気がした。その出来事以降だった。なまえの存在が薄くなっていき、そして別々の高校に通い始めて消失した。

 すぐ隣に「天才」はいた。飛雄のようにバカではなくて、牛若ほど堂々としていないなまえは、ずっと気配を殺していたんだろう。

 電気を点けずに部屋に入った。一人になった途端、ボロボロと涙が溢れてきた。なまえは家族で、好きとか嫌いとかそういう話ではなくて、存在して当たり前だった。家族であることは変わらないのだから、苦しい思いをしたとしても、ぶつかりたかった。関わり合いたかった。
 ただ、そう思っているのが自分だけだったのだ。なまえは俺と理解し合おうなんて、思っていなかった。最初から諦められていた。俺にとってのなまえは死ぬまで双子だっと思っていたけれど、なまえにとっての俺は他人だったのかもしれない。
 家族なんだから、好きなときも嫌いなときもある。
 だから、ただ単純に嫌われていて無視されていた方がずっとマシだった。二十年後は好きになれるかもしれないし、三十年後は嫌いになるかもしれない。そんな関係だと思っていた。
 ただ、彼女は俺のことを嫌ってすらいない。

 真っ暗な部屋の中、窓から漏れる街灯の光だけでベッドに倒れこんだ。それすら眩しくて、部屋の明かりを点ける気にはなれなかった。

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