手紙は笹谷くんに部活終わりに鞄に入れてもらうようにお願いした。下駄箱ではなくていいのかと問われたけれど、せっかく友人と一緒に選んだ手紙が汚れてしまうのは嫌だった。

 翌日は朝から気もそぞろだった。高校受験のときですら、こんな気持ちにはならなかった。授業でも普段よりはずっとぼんやりしていて、音読する箇所を間違えてしまったり、当てられたことに気がつかなかったりした。

 昼休みになると、友人たちがいつものように席にお弁当を持ってきた。そして、席に着くなり一人が言った。

「落ち着きなよ、及川」

 明るく笑う二人を見ると、胸のざわつきがすこし緩んだような気がした。

 そのとき、私の名前を呼ぶ声から聞こえた。声の先はクラスメートだった。
 クラスメートは私の前の席までやってきた。

「今日、本当にぼんやりだったな。お前でもこんなことあるんだ」

 私も思ったの、と友人が同調した。私は何か言わないとと口を開いた。ただ、頭の中はまだ泥沼のようで、言葉は出てこなかった。

「あの、ね」
「わかってるよ。だから、大丈夫だ、及川。お前がどんな奴かってことは、わかってるから。だから、無理して喋らなくていい」

 それだけ言うと、クラスメートは、じゃあな、と言って席を離れた。その言葉に視界がぼんやりと歪んだ。

 そして、昼ご飯も食べ終わる頃、私はその肩を叩かれた。にやにやと笑う友人の顔の向こうには、茂庭くんがいた。

 立ち上がって近づくと、教室出ようか、と茂庭くんは少しだけ困ったように笑った。

「突然ごめんね。俺は手紙よりも直接話す方がまだマシな方で。俺、聞きたいことがあってさ」

 廊下に出るなり、茂庭くんはそう切り出した。

「付き合うってどういうことだと思ってる」

 その答えを私は持っていなかった。

「何よりも優先される関係ではないと思ってるよ」

 ただ、私は、青根くんのことも二口くんのことも、心の底から心配しているこの人を好きになった。私は茂庭くんの唯一の特別な人になりたいわけではないことだけはわかっていた。

「ただ、私もよくわからない」

 きっと私は変わりきれていないのだと思う。

「あの、だから」

 言葉が出てこない。頭の中に真っ白になる。わかっているはずなのに、何を言えばいいのかがわからない。私は、自分自身の口下手を呪いたくなった。
 ただ、あのクラスメートの言葉を思い出した。

 無理して喋らなくていい。

「一緒に考えよう」

 僅かにぼやけた視界に、歯に噛んだ笑顔。秋の陽光がきれいだった。きらきらと窓から光が差し込んでいた。私の全てはわからなくても、本当にわかってほしいとき、わかってほしいことを、わかってくれる優しさ。
 きっとこの優しさに、私は何度も救われることになるだろう。
 そうでありたいと願った。

「はい」

 だから、そのためには私はどんなことも厭わない。そして、私は茂庭くんがいれば勇気を出すことができるかもしれない。嘗て背を向けた「徹」に、向き合うことができるかもしれない。

 それからは二人で会うことも多くなった。茂庭くんの部活の話を聞いたり、私の友人や妹の話をしたりした。時折話に出てくる茂庭くんの家族は、とても楽しそうで、私はその話を聞くのも好きだった。茂庭くんは特に母親と仲が良いようで、母親の話がよく出てきた。

 茂庭くんがバレーをしているのは、社会人の男女混合バレーボールサークルに入っている母親の影響らしい。

 家族の仲は良く、話に出てこない家族はいなかった。少し口下手なお父さんと明るいお母さん、一番上のお兄さんは穏やかで優しくて、二番目のお兄さんは自由人だけど面倒見がいい。茂庭くんの話の中での印象はそうだった。誰も似ていないんだと茂庭くんは笑っていた。

「まだ及川さんのことは誰にも言っていないんだ。あっ、別に紹介できないんじゃなくて、俺が仲良くなれる前に紹介しちゃうと、母さんが俺より先に仲良くなってしまう気がしてさ」

 茂庭くんは私が何も言わなくてもそう言ってくれた。私は茂庭くんのことは妹にしか話をしていなかったし、妹にしか話す気になれなかった。

 私にとっての茂庭くんは、私の今までの生き様、家族と相反するものだったからかもしれない。




 その日が来るのは決まっていたのだと思う。それは、秋に受けた全国模試の結果が揃う日、ずっと前から決めていた日だった。決めていたのに関わらず、どこか気が重く、たまたま誰もいない家の中で、私は一人で勉強していた。

 喉が乾いて、水を飲みにリビングに降りると、誰もいないはずのリビングに徹と、同じくらいの年の女の子がいた。

「ただいま、なまえ。もう帰っていたんだ」

 優しげで、徹のことを好きになりそうな子だった。徹が女の子と付き合うのはこれが初めてではなかったけれど、私の知っている人とは違うから、前の彼女とは別れたのだろう。

「こんにちは」

 私は挨拶だけした。

「俺の双子のなまえ」

 私は手早くグラスに冷蔵庫の麦茶を注ぎ、飲み込んだ。一分足らずのその間に、徹の意識を感じながら、私は徹を見ないようにした。私に対して何の興味も示さない徹が、私に意識を向けることに違和感を持ちながら、その理由を知ることはできなかった。私は徹から逃げるように部屋から出た。

 ただひとつ、私にとって茂庭くんと、徹にとっての彼女の存在は違うこと以外は、徹のことがわからなかった。

 違うことはわかるが、何が違うのかはわからなかった。ただ、思い浮かんだ付き合うこととは何なのか、と漠然とした問いと一緒に、私はあの日の茂庭くんの笑顔を思い出した。あの秋の日のことを思い出すだけで、心にぶら下がった鉛が軽くなるような気がした。

 私は前に進んだ。その結果は悲惨なものだったが、そのときの私は信じていた。

 ただ、茂庭くんのことを思い浮かべたのは、信じている一方で深い絶望に落ちることをわかっていたからなのだろう。

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