夏休みも近くなった暑い夏の日、模試が返ってきた。母は妹のものと勘違いしたらしく、妹の部屋にあったものを妹が持ってきた。模試はすでに復習済みで、どの程度の点数がを取っているのかはわかっていた。結果は一年生の頃からあまり変わらない。
 私は台所にいる母親に話しかけた。

「お母さん、私進学したいんだけど、お父さんに話……」

 途中まで言いかけた時に、わかってるから大丈夫だよ、と返された。聞こえているのだろうかという不安はあったけれど、何度目かになるそれを母親が知らないはずがないと思っていた。

 母には三者面談について来てもらうようにお願いしたが、仕事で来ることができないと断られた。



 中学二年生のときに、私は奈良県の高等専門学校に行きたいと思った。私は叔父の影響で理科が好きだったけれど、その中でも特に化学が好きだった。宮城県にも高等専門学校はあったが、化学系の学科はなかった。

 奈良県の高等専門学校に通うためには下宿をする必要はあったけれど、高等専門学校の学費は寮の利用費を合わせても私立高校の学費よりも安かった。徹は青葉城西高校に行きたいと言っていて、それが認められていたから、私も当然受け入れてもらえると思っていた。

 しかし、両親は反対した。工業高校と何が違うのかときかれた。そのときは、三年間と五年間の教育ではできることが違うことを話した気がする。

 それでも両親は反対した。

 父親は、私が化学を得意にしていないことを理由にした。父親は徹よりも理科の点数が低いと言った。母親は、私を家から出したくないと言った。奈良という見知らぬ土地で生活していけるのとかと私に問うた。

 思えば私は親に我が儘を言ったことがなかった。これが初めてだった。私は両親の剣幕を前に、頷くしかなかった。徹の理科の点数と私の進路は何一つ関係ないのは今なら言えるが、その時はただ心の中がもやもやとしただけだった。

 大学に行こうと決意したのは入学して一ヶ月経ったときだった。

 結果のわからない実験をしたかった。どんなに小さなことでも良いから一番最初の発見者になりたかった。

 化学工業科は、他の学科よりも大学進学者は多かった。ただ、それでも簡単に行けるところではなかった。

 先生に相談して、校外模試を受けに行った。参考書と問題集も買った。陸上部の練習の後の勉強は、体力的にきついはずなのに、それほど苦には思わなかった。中学の頃よりも、勉強が楽しくなっていた。高校の勉強は、一問に時間を使って考えないといけなかった。ただ、それが楽しくて仕方がなかった。

 ただ、親を納得させなければいけなかった。だから、少なくとも家から通うことのできる仙台の国立大学である必要があった。可能ならば、奨学金もほしかった。なんの運命だろう、該当する大学はひとつしかなく、その大学は、門戸開放を掲げて初めて女子の入学を認めた大学だった。

 普通科、進学校でも入るのが難しいといわれる大学。




 その日の夜、妹が部屋に来た。勉強でわからないところがあったのかと思ったけれど、そうではないらしい。

「なまえちゃん、模試の結果どうだった」
「前とあまり変わらないかな」

 マークシートと記述の結果を妹に見せる。

「結果、言わないの」
「継続して結果を取り続けないと、お父さん納得しないから。それにお母さんは進学したいっていうことはわかってるって言っていたから」

 そう、と妹は答えた。

 東北大学理学部化学科。高校の先生が言うには医学部と同程度の難易度らしい。私はまだ二年生。A判定以外を取ったことがなかった。

24
back next
list
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -