家に辿り着くと、なぜか外着のままの二番目の兄と、部屋着に着替えた父と一番上の兄と及川さんが席についていた。テーブルの上には、ところどころ薄茶色になった皿があって、四人でリンゴを食べたことがわかった。一番上の兄は上機嫌そうで、二番目の兄はどこか疲れた顔をしていた。及川さんは少し困ったように笑っていた。少し落ち着いたのかもしれないなんて勝手にそんなことを思って、少しだけほっとした。
「あれ、兄ちゃん、なんで一番に帰って来たのに風呂入ってないの」
あんなに風呂の順番のこと言っていたのに、と。
だから、俺もいつもどおり、部屋に入るなり気になったことを尋ねた。
「オマエ、あのさァ」
二番目の兄が椅子を引き、呆れているのか怒っているのかよくわからない顔で立ち上がり、ゆっくりと俺の方に近づいてきた。
年が近いこともあり、二番目の兄とはよくケンカになる。怒らせてしまったかな、と視線をそらすが、その必要はなかった。二番目の兄の意識は一気に別のところに持っていかれたからだ。
「風呂入ってないの。じゃあ、アンタは外で手伝って。他はみんな湯冷めするといけないから、バケツリレー方式で。とりあえず座敷に全部入れるよ」
「問答無用かよ」
いや、何か言えば変わるかもしれないよ、と俺は思ったが黙っていた。積み込んだものを下ろす人間は三人くらいはほしい。あーはいはい、と言いながらすぐに暖かいリビングを出て行く二番目の兄は、何かあるとすぐに手が出るし、喧嘩も多かったけれど、一番よく俺の面倒を見てくれていた。
「あの、私」
「及川さん、しばらく家から通ってもらうことになったから」
慌てて立ち上がる及川さんに、母はそう言い、すぐに外に出て行ってしまった。俺も外組だから、ついていかないといけない。ただ、状況がわかるはずもない及川さんを置いておくこともできなくて、ただ気の利いた言葉なんてものも思い浮かばなかった。
「及川さんはちょっと落ち着いて、しばらく自分探しかな、って」
自分でもよくわからないなと思いながらも、それだけ言って、じゃあね、とその場を後にしようとしたが、そうはいなかった。
「お父さんは」
声が震えていた。俺はそれになぜか少しだけ安心してしまった。
「お母さんがなんとかしちゃった。俺は及川さんのお母さんと雑談していただけ」
すごいね、と。及川さんの表情は少しだけ緩んだか、すぐに不安そうな表情に戻った。
「私のお母さん、どうだった」
「ちょっと落ち込んでいたかな。でも、最後はちょっと笑ってくれた」
及川さんは家族の中でも、お母さんとの関係はそんなに悪くなかったのだろうと俺は思っていた。少し流されやすそうだとは思ったけれど、及川さんとの関係も後悔していて、近いうちに分かり合える日がくると思った。
「ありがとう。茂庭くんでよかった」
「俺何もしていないよ」
まだ少し表情は強張っていたけれど、きれいな笑みを浮かべてそう言われて、俺は慌ててしまって、お母さんと喋ってただけだから、と無駄に言葉を重ねた。
「そんなことは、絶対にないから」
普段の及川さんの声は決して大きくはなくて、静かに話をする。ただ、及川さんの声質は本来よく通るものだ、とこうやって時々彼女が普通の人と同じくらいの大きさの声を発したとき、そう思う。及川さんはおとなしいけれど、気弱なわけではない。
及川さんの印象は少しずつ変わっていく。俺が及川さんを知っていくのもあると思うけれど、きっと及川さんも少しずつ変わっているのだと思う。
ただ、どんなに変わろうとも、俺は及川さんが嘘をつかないことは知っている。
「ありがとう、及川さん」
だから、俺も素直にお礼を言える。それが心地よかった。
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