ねぇ、バレーしようよ、と母はまるで子どものように俺を誘った。俺は物心ついた頃にはバレーボールを持っていた。そんなに小さな頃からバレーボールを触っていたわりには、なんだかぱっとしない思われるのはわかっているから人に言ったことはないけれど。
 俺は母と一緒にいる時間が長かった。
 父や兄二人も同じように誘っていたようだけど、父と一番上の兄は壊滅的に球技が苦手で、母に付き合うことはほとんどなかった。二番目の兄はそれなりだったらしいけれど、バレーよりもカードゲームのほうが好きだったから、母とバレーボールで遊ぶのは俺だけだった。

 母は俺たちにバレーをさせたいわけではなく、ただ、自分の楽しいことを人と共有したいだけだったから。
 だから、逃げ道はいくらでもあったのに、俺はバレーをするようになった。

 母と及川さんの父親との間で決着がつくのには時間はかからなかった。及川さんの言うとおり、及川さんが叔父に似ているから疎んでいるのだろうかはわからなかった。どうでもいい、なんていう言葉を使いたくはなかったが、及川さんに対してそれに近い感情を抱いていたのは確かな気がした。

「最低限必要なものを持って行かせていただきますね」

 母のその言葉に及川さんの父親が了解して、俺たちは荷物の運び出し作業に入った。教科書や参考書は俺と及川徹で詰めて運び出し、衣類は及川さんのお母さんと俺の母親で紙袋に詰めて運び出した。及川さんのお母さんと俺の母親は色々と話をしながら荷物を詰めていたが、俺たちは静かに作業を進めていた。

 お互いに行ったり来たりする上、教科書や参考書は整理されていて特に問題なく作業が進むせいで、話をする必要はなかった。
 ただ、俺は荷物の全てが運び込まれる前に話しかけた。向こうは俺のことを知らないだろうけれど、俺は知っているし、同じセッターだ。仲良くなれるなんては思っていないけれど、話しかけないのも何かおかしな気がした。

「あの」
「何」

 ただ、知っているのは俺だけだからだろうか、素っ気なく返された。早くもめげそうになったが、及川さんの兄弟だから、と思いもその気持ちを抑え込む。

「よろしく」
「何が」

 整った顔立ちに浮かぶ表情は凄みがあった。理由はわからないけれど、絶対嫌われている、と俺は確信し、俺の心は折れた。身に覚えはないし、そもそも及川徹が俺のことを知っているとは思えない。及川さんと及川徹の仲が悪いのか、それとも仲がよいのかはわからなかったが、きっと及川徹にとって俺が及川さんと付き合っているから嫌いなんだろう。
 何がと問われても続ける言葉はなくて、途方にくれた。
 ただ、ちょうどよいところに助け舟が出される。

「あなたが徹くん」

 一瞬で空気が変わった。
 及川徹は慌てて母親の方を見た。声をかけた俺の母親は、笑みを湛えながら近づいてきた。

「セッターをしていると聞いて」
「バレーをされているんですか」

 どこか気が抜けたような声で、及川徹は尋ねた。及川さんの父親との攻防戦を見た後だからだろう。背も体格も及川徹の方が圧倒的に大きいのに関わらず、母には言葉で言い表せない強さがある。

「ええ。ポジションはライト」

 ライトはライトでも、母はセッター対角のライトだ。オポジット。バックアタックが得意なレフティのスーパーエース。こうやって人の目を引く。コートでもどこでも。どこが俺と似ているのか全くわからない、俺の母親。
 荷物をすべて運び入れて車に乗り込むと、母は少し冷たくなった車のエンジンをかけた。

「徹くんだっけ。綺麗な顔しているよね」

 及川徹が人の目を引く理由はよくわかる。バレーは上手いし、イケメンだから。

「まぁ、それでも有名だから」

 ふーん、と興味があるのかないのかわからないような答えを返してくる。

「及川さんはバレーやってないの」
「クラスマッチではセッターやっていたけど、クラブとかに入っていたわけではないと思う」

 ただ、センスがないわけではないことはわかる。バレーのセンスがなければ、素人でセッターなんてできないし、センスがない人のバレーというものを俺は父親と一番上の兄のせいでよく知っている。
 へぇ、セッターねぇ、なんていう母親は何を考えているのか。

「ブロックとんでくれないかな」

 何も考えていなかった。
 及川さんは母の練習に巻き込まれている社会人のクラブチームの面々じゃない。伊達の鉄壁なんて言われる伊達工業高校のバレー部に一応所属している俺から見ても、クラブチームの人たちはブロックが上手い。ふとしたときそれを口にして、母のせいだと即答されたことを俺は忘れない。

「ねぇ母さん俺の話聞いてた」
「背高いから、いいよね」

______質問の答えになっていないんだけど。
 口に出しても無駄な呟きを胸の中にしまう。
 クラスマッチのときの及川さんを思い出す。及川さんがバレーボールが嫌いだとは思えなかった。ただ、セットアップの印象が強くて、ブロックをしている姿は思い出せなかった。大体ブロックというと一年生の青根と二口、白鳥沢にいる二年の天童覚とか、曲者の印象が強くて、及川さんとのイメージとは真逆だった。

「及川さんも及川くんも変わると思うよ」
「何が」
「色々」

 車は近所の中学校の前の交差点に差し掛かっていた。母はブレーキを踏み、ウィンカーを上げた。

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