車では駅から家まではすぐだ。部屋の明かりは消えている。一番上の兄と父はまだ帰ってきていないらしい。母は車から降りるなり、車の鍵を投げてきた。宙を舞う鍵は俺の手元に落ちてくる。

 俺は及川さんが車から降りるのを確認してから車の鍵をかけ、玄関に向かった。
 及川さんが俺の顔を見る。まだ体は震えていて、でも気の利いた言葉は思いつかない。

「とりあえず、入ろうか」

 そう言うと、彼女は小さく頷いた。

「お邪魔します」
「どうぞどうぞ。及川なまえちゃんだっけ。今はそれだけでいいよ」

 電子レンジの音がなる。電子レンジからはマグカップが二つ出てくる。母は一つを兄の前に置くと俺たちの方へやってきた。

「とりあえず、風呂に入る」

 さぁさぁ、と及川さんを風呂場に押し込む。

「風呂入れるの」

 兄の言葉に、母は即答した。

「だって沸いてるし」
「沸かしたの俺ですけど」
「アンタ先に入りたかったの。でも、ココア飲んでいるでしょ」

 そういう問題じゃねぇ、とツッコミを入れる兄にため息をつきながら、俺は脱衣所の方を見た。脱衣所は扉を開けっ放し、及川さんは母と兄のやり取りを見ながら呆然としている。顔はぐしゃぐしゃに濡れていて、パーカー一枚の体はまだ震えている。
 母親のタンスを勝手に開け、寝まき用、なるべく新しそうなスウェットとトレーナーを取り出し、脱衣所に向かう。サイズは合うはずだった。母も及川さんも俺より少し背が低いだけで同じくらいの身長。それも母の方が体格が良いから入らないことはまずない。

「タオルはここで、あー」

 母は男兄弟だからという理由なのかわからないが、世間一般的には知られないことも隠そうとしない。タオルの入っている籠の下のプラスチックのタンスの中身のことは、家族全員が知っていた。

「衛生用品はそこに入っているから、勝手に使って」

 及川さんは少しだけ目を丸くして頷いた。俺は隠れるようにドアを締めてため息をついた。いつもそうだ。俺が言うようなことではないのに、言ってしまう。ただ、及川さんが困る方が俺は嫌だった。
 それに、及川さんを連れてきたのは母でも兄でもなくて俺だから。



 目の前にはカフェオレ。テーブルの向こうには母と二番目の兄が座っている。母は上機嫌そうで、兄はどこか腑に落ちない、といった顔をしていた。

「さぁ、要。知っていることを話しなさい」

 事情聴取だ。こんな時間に、何の前触れもなく彼女を連れ込んだのだ。仕方がないことだった。家族に話すと面倒だからと及川さんと付き合い始めた日も何食わぬ顔で帰ったけれど、こんなことになるのだったら前もってしっかりと言っておくべきだと俺は後悔した。ただ、いつかは言わなくてはいけないのだから、いい機会にはなったのかもしれない。

 俺は、付き合うことになった経緯、化学が好きなこと、家族構成と妹と双子の兄のことを話した。

「びっくりするくらい何もわかっていないな」
「俺も話していて思った」

 兄の感想に同意する。俺は彼女についてあまりよくわかっていない。

「本当に素直に言うこと聞くよね。普段もおとなしいんだよね」
「おとなしいよ。あんまり喋らないし、喋るの得意じゃないって思っているみたい」

 母の言葉にそう答える。及川さんは話をすることが苦手だとよく言う。最初は何も思わなかったけれど、次第に及川さん自身が家族のような身近な人にそれを言われているのではないかと思うようになった。
 彼女の双子の及川徹は、体育館で見かけるだけなのに、明るく話好きなのはわかる。

「とりあえず風呂から出てきてご飯食べさせて落ち着いてきたらお家に電話かな。今日はうちにお泊りだね」

 未成年だからねぇ、と母親はあっさりと言ったあと、何かを思い出したかのように口を開いた。

「要さぁ」

 俺はぬるくなったカフェオレを飲み切ろうと、マグカップを口に運んでいた。

「及川さんと結婚する気でいるの」

 咽せた。水でも嫌なのに、気管にカフェオレが入るなんて最悪だ。

「け……ケッコン」

 一頻り咽せたあと、言葉を絞り出す。ただ、俺の反応をさらりと受け流し、母はいけしゃあしゃあと続ける。

「いや、まぁ、結婚しなくてもいいんだけど、及川さんとずっと一緒にいることができるかってこと」

 ほぼ同じじゃん、と二番目の兄。いつも言いたいことを代わりに言ってくれる兄にはよく感謝をしている。

「まぁ、いいや。あとでもう一度聞くからね」

 あとでもう一回この質問が前触れもなくくるのかと思うと、気分が重かった。俺だけの言葉を言っていいのだろうかと思ってしまう。及川さんとそんな話は一度もしたことはなかった。
 ただ、母はきっと、とりあえずの俺だけの答えを聞きたいのだ。とりあえずというには重い内容だったとしても。
 ただ、その母の言葉に感謝することになるなんて思ってもいなかった。

 及川さんのことなんてまだほとんど知らない。ただ、及川家に行ったとき気がついた。母はこのとき、すでに戦うことを想定していたのだということを。

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