beautiful life

日陰の向こうの日向


 渡り廊下を秋風が吹き抜ける。青根と二人でクラスの模擬店を抜け出し、先輩方でも冷やかしに行こうか、と文化祭のしおりを捲りながら歩いていると、ちょんちょんと青根に突かれた。青根の視線の先には、先輩が一人で歩いていた。野暮ったい黒い癖毛に、平均よりは高い程度の身長、そのくせこの伊達工業高校で最近話題をさらうようになった有名人。

「茂庭さん、おひとりなんですか」

 後ろ姿に声をかけるとびくりと肩を震わせて振り返った。青根に二口までどうしたの、と。そんなに驚かなくても、と思うが。

「ああ、かわいいと噂の彼女のクラスに行くんですね」
「そういう噂あるの」

 あるもないも、その噂で持ちきりですよ、と言ってやる。
 ただでさえ女子生徒の少ない伊達工業高校。女の話となると必ず名前の出る及川なまえさん。女の趣味は様々だが、彼女の容姿が良いという点は概ね一致する。そうだといって彼女がとりわけモテるという話は聞いたことがない。文武両道で隙がないというのが評判で、高嶺の花のような存在だった。そんな彼女が付き合い始めた上に、その相手がこの冴えない茂庭要先輩なのだから噂話に花が咲く。それこそ下種なものまで様々。

「まぁ、かわいいけどね」
「惚気ないでくださいよ」

 あたふたする姿を期待したが、その表情は期待を裏切る得意げなもので、俺は舌打ちしてやった。なんだよ、と不服そうなことを言いながらも表情が柔らかく、それを見てからは一瞥さえやらずに、ただそのあとをついて歩いた。なんでついてくんだよ、とかぐちゃぐちゃ言っていたが無視した。

 茂庭さんについて、廊下の先にあるジュースカフェ、と書かれた入口をくぐる。白いテーブルに、色とりどりのジュースが並んでいた。店員と思われる人たちは皆白衣だ。いらっしゃいませよりも先に、よお、なんて言葉が飛び交うのは普通科の高校ではあり得ないだろう。

「茂庭くん、来てくれたんだ」

 その中で、その声は際立っていた。白衣姿の女子。茂庭さんに笑顔を向け、そして僅かに視線を逸らしながらも、俺と青根の方を見上げた。

「青根くんと二口くんですか。私、及川といいます。よくお話はうかがっています」

 及川なまえさんは、確かにきれいな人だった。
 すらりと伸びた長い手足。整った顔立ちに、淡い黒い髪。ファッションモデルをしていると言われても驚かない。かわいいというよりは美人系。噂を裏切らないお人だった。これで文武両道、つまり才色兼備なのだから、人生はさぞイージモードだったでしょうね、と言いたくなる。このときの俺は、彼女がその人生でバカを見続けてきたことも、そのせいで自信が持てないことも知らない。
 だから、その姿と相反した控えめな話し方が不自然だと思った。

 及川さんは茂庭さんから三人分の料金を受け取った。ジュースは茂庭さんの奢りらしい。彼女の前で良い姿でも見せてやろうという魂胆なのかと言ってやろうと思ったが、茂庭さんは普段から高校生の少ないお小遣いでよく奢ってくれるのでやめた。鎌先さん相手なら確実に言っていただろうが。

 ジュースは化学科らしく全て手作りのようだった。テーブルに着くと、顔も知らない先輩がジュースを運んできた。俺が黄色、茂庭さんと青根は赤色だ。ご馳走様ですと茂庭さんに一言言ってコップに口をつける。茂庭さんは、きれいな色だなあなんて言いながら、すぐには飲まなかった。
 だから、異変に気がついたのは、青根が何も言わずにぽろぽろと涙を流し始めたときだった。

「青根、大丈夫」
「やっぱり、機械科ってバカ」

 ゲラゲラ笑っているのは俺たちにジュースを運んできた人だった。顔を真っ赤にして立ち上がる青根。唐辛子でも入れていたのだろうか。なぜ、青根がこんな目に遭っているのか。水、水、と自分のことのように慌てふためくこの先輩は及川さんと付き合っていることで、クラスメートたちに恨まれているのではないだろうか。そうだとしたら青根はとばっちりもいいところだ。

「及川さん、青根に」

 俺に言われるよりも前に及川さんは動いていた。

「青根くん、牛乳、ゆっくり、飲んでね。ごめんね、ごめんね」

 決して低くはない身長でツンツンと背伸びして、顔を真っ赤にしている青根に牛乳を飲ませる。青根が落ち着いて牛乳を飲み始めたのを確認すると、青根にジュースを手渡したクラスメートに強い口調で何かを言っていた。茂庭さんにも謝られたが、勝手について行ったのは俺たちなので、困らせるのもそこそこにしてやった。

 彼女が戻ってきたのは数分後のことだった。彼女が作ったというジュースと、お詫び、といって別クラスのフランクフルトにお菓子を持って、青根に何回も謝っていた。青根は青根で、女子に話しかけられることなんて滅多にないものだから、困り果てて目を逸らし、必死に謝る彼女も人見知りなのかあまり目が合わない。それが面白かったので青根に唐辛子入りジュースを渡した件の輩は、機会があったら復讐することにしてやった。
 俺は、その馬鹿よりも四人掛けの席に座ったとばっちりの原因の人物の方が何となく気に食わなかった。

「こんな美人と付き合うなんて、茂庭さんも隅に置けないですね」

 それは茂庭さんではない。

「あ、あの」

 自分は美人じゃない、とか言うんだろうと思っていた。美しい姿の人間の謙遜なんて嫌悪感で顔が青ざめる。わざわざそれを引き出すような言葉を選ぶ己は捻くれている。

 息を吸う音が聞こえた。

「私が、私が茂庭くんにお願いしたんです」

 大きな黒い目が俺を見上げ、すぐに背けられた。それが最初の言葉であることも、勇気を振り絞って出した唯一の言葉であることも予想外のことで、腹の中に溜まっていた言葉は一気に消え失せた。

「及川さん、それだけじゃなくて勉強もできるし頑張っているし優しいし」

 何を勘違いをしているのか、彼女のフォローでもする気なのかと思った。ただ、茂庭さんの視界には彼女などなかった。俺が彼女のことを美人という一言で言い表したことがいけなかったなど、すぐに気がつくはずがない。気がついたときには体中の力をもぎ取られたような気分になった。話にならない。

「俺、茂庭さんはもうちょっと勉強頑張っても良いと思いますけどね」

 ただ、優しいところだけは一緒ですね、なんて言ってやれるはずがない。なぜ、人の羨む才能を持っていないのに他人を素直に褒められるんだろう。そして、なぜ才色兼備のこの人は茂庭さんを選んだのだろう。
 意地の悪いことの一つでも言ってやろうと思っていたけれど、そんな気にもなれなかった。俯き加減に手渡されたコップを握る手が強くなる。ただ、悪い気はしなかった。

企画 : Hauta

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