遠出した。とはいえ、仙台市内ではある。普段通ることのない道を歩く。変わり映えのない家屋が並ぶ。春先の仙台の空気はまだ冷たいが、日差しは幾分か暖かくなっていた。その中で、公園から聞き慣れた音が聞こえた。規則正しいボールの音だ。バレーボール特有の音。思わず公園に視線をやると、そこには幼馴染そっくりの女がいた。
 彼女は岩泉の家の近くに住んでいた。

「おい、なまえ」

 オーバーハンドで高く上がっていたボールが降りてきて、その手がバレーボールを掴む。振り返ったその姿を見たとき、岩泉は息を呑んだ。

「どうしたの、岩泉くん」

 双子に似て華やかな容姿をしていたが、彼女は常にどこか影のあった。姿勢は綺麗だったが、その立ち方や歩き方のせいだろうか、気配があまりなかった。及川徹が光だとするならば、及川なまえは影だった。
 最後に彼女を見たのは決して昔の話ではない。
 華やかな容姿に運動していた人間特有の爽やかな笑顔を浮かべ、バレーボールを掴んだまま岩泉に向ける眼は力強い。それだけだと、及川徹のようだが、そうではなく、どちらかというとあの烏野のキャプテンのような真っ直ぐな雰囲気。
 別人だった。むしろ、光は彼女のようだった。

「家出したって本当か?」

 はみかんだような笑顔を浮かべて彼女は頷いた。こんな笑顔を見せる子を前にすれば、部員の多くが、顔が及川そっくりでさえなければ落ちていただろうな、などと岩泉は冷静に思った。

「それも、伊達工のセッターの家に」

 概要は及川徹から聞いていた。伊達工業高校に通う彼女はよりにもよって及川徹と同じバレー部のセッターに恋をしたらしい。そして、あっという間に家出をしてしまった。岩泉としては、彼女と伊達工業高校のセッターについて話を聞きたかったのだが、肝心の及川徹はなぜかセッターの母親の話を出した。そのため、岩泉はとりあえず強そうな未来の義理の母親がいるというどうでもいい情報は知っていたが、彼女のことはわからなかった。

「頼るところ、そこしかなかったから」

 なぜかちくりと胸の奥が痛んだ。恋人を頼るのは当然のことだが、その言い方が余所余所しかった。 
 なまえと岩泉は及川徹と同じように小学校からずっと一緒だった。一緒に遊んだり、夏休みの宿題をやったりしたこともあった。
 なまえは凪いだ眼を岩泉に向けていた。座ろうよ、とそう言って、なまえはベンチに腰掛けた。一人分の半分適度間を空けて、岩泉もベンチに座る。

「お前、バレーなんかやってなかっただろう」

 なまえは大事そうに汚れたバレーボールを抱えていた。

「最近、社会人の男女混合バレー始めた。茂庭くんのお母さんがやっていて」
「ポジションは?」
「センター。ただ、よくトスも上げないといけないから、念入りに練習しているんだ」

 岩泉はなまえらしいと思った。なまえは昔から堅実だった。そして、伊達工業高校の主将と付き合っているのならば、ブロックについて聞くことも可能だろう。

「いくらお前が身長高いからって」

 しかし、いくら伊達工業高校だったとしても高さが武器になるセンターに男女混合バレーで女性をセンターに配置することは少ない。女性にブロックを放棄させる戦術さえあるのだ。
 トスが安定しているのならば、女性セッターにしておく方が無難だ。

「うちはエースも女の人だけど、平気で男の人のブロック打ち抜くよ」

 なまえは、私もブロック飛ぶんだけど、怖いんだよね、と少し困ったように微笑む。体質は遺伝するというが、なまえは及川徹とよく似て手足は長い。しかし、伊達工業高校のセッターはそれほど身長が高くなかったはずだ。

「男が下手なのか?」
「そうではないはず。エースがレシーブ苦手だから、みんなレシーブ上手なんだ」

 私も苦手だから頑張らないと、と言ってなまえはバレーボールを空に向かって持ち上げた。その横顔は晴れやかで、柔らかい日差しは白い肌を照らしていた。

「外で、バレーボールの練習をするのは楽しい」
「そうか?」

 そう聞き返しながらも、温厚ななまえらしいと岩泉ら思った。なまえが及川徹と喧嘩しているところなど、岩泉は見たことはない。しかし、それはひとえになまえのおかげだと思っていた。及川徹がどんな我儘を言っても怒るのは岩泉で、なまえは宥め役に徹していた。

「通りかかる親子の会話とか、聞くのが好き」

 なまえはそう呟いた。なまえは時折変わったことを言うことがあった。ただ、問題はその先だった。

「私、誰かの一番になりたいわけではないんだと思う。欲しかったのは家族だから」

 岩泉はなまえの家族を知っている。だからこそ、頭に血が昇るのを感じた。何よりも、誰よりも長く共に過ごしたはずの人間のことを知っていた。

「及川や母さんも父さんも、姉ちゃんも。妹ちゃんだって仲良かっただろう!」

 なまえが家出をした後の及川徹は酷く落ち込んでいた。明るく振る舞うが、それでも岩泉はわかっていた。無理して笑うなと何度も怒っても、すぐにはぐらかされる。そして、練習は相変わらず余念がない。それが及川徹だとわかっていても、岩泉にとっては酷く痛々しく見えた。
 傷を負った片割れは家族ではなかったのだろうか。三人で遊んだ日をなまえはなかったことにしようとしているのだろうか。それほどまでに冷酷な人間だったのだろうか。

 しかし、なまえの顔が岩泉の方に向けられたとき、その怒りも一瞬で吹き飛んでしまった。影はあるが優しかった幼馴染。その澄んだ眼は酷く冷たかった。岩泉の知るなまえではなかった。その、及川徹によく似た大きな虹彩には岩泉以外のものも映っていた。

「岩泉くん、徹に何かあったとき、私の方に少しでも注意を向けることができる?」

 なまえは及川徹によく似た顔に、柔和な笑みを浮かべる。淡い色の眼と髪。ただ、その眼光は岩泉の内面を全て見通しているかのように鋭い。仙台の春先の冷たい空気を纏いながら、その口は緩やかに弧を描く。すぐ隣にいるのに、陽光で薄い硝子の向こうにいるように見えた。

 何故か、彼女が似ても似つかぬ黒髪の目つきの悪い後輩と重なった。

冷酷
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