カランコロン



 秋も終わりかけているのだろう。朝、家を出るときに昨日よりも寒いとは思ったが、コートを出しに行くのが手間でそのままの姿で出て行くことにした。試験期間で部活は休みらしい。黒尾鉄朗と一緒に図書館で勉強し、帰る頃には日が暮れていた。玄関を出た時点で、コートを持ってこなかったことを後悔したが、歩いていれはまだ耐えられた。いつもよりも足は早足になる。私の早足に対し、黒尾鉄朗は普段と変わらないゆっくりとした足取りでじゅうぶんのようだった。ジャージの上に着ていた薄いウィンドブレーカーを脱ぎながら、彼はいつものように私の歩く速さに合わせていた。

 駅に着き、ホームのベンチ座ると、体がゆっくりと冷えて行った。電車はちょうど通り過ぎたところで、次の電車まで十分ほどある。黒尾鉄朗はベンチに座る前に、自動販売機に立ち寄り、何かを買っていた。

「寒くないか」

 そう言いながら、私の隣に腰掛ける。手元にはホットココアがあった。見た目に似合わず素朴な飲み物が好きなのだと思うと、寒さで固くなっていた表情が少し緩んだ。

「大丈夫」

 そう答えると、そうかい、とだけ答えてホットココアをそのまま私の前に差し出した。あっけにとられたが手に取ると、ホットココアはじんわりと温かく、冷たい指先に血がめぐる感覚がした。

「あったかいだろ」
「あったかい。ありがとう」

 そのままココアを返そうと、黒尾鉄朗の前にココアを差し出した。ただ、彼は受け取ろうとはしない。顔を見上げる。

「寒かったんだろ、飲めよ」

 表情は読めない。ただ、同じ年齢とは思えないほど大きな手が手首を掴み、そのままゆっくりと腕を動かす。

「大丈夫だから」

 ただ暖かい手首に添えられたままで、腕が動かせるはずがない。体を静止したまま、もう一度顔を見上げる。表情が変わる。今まで抑え込んでいたのだろう、何の感情もない顔に浮かんだのは、ニヤニヤとした笑みだった。

「まぁ、飲みなさいよ。ワタクシオススメのココアデスヨ」

 食えない人だと、何かを誤魔化すように心の中で呟く。ココアの缶は緩やかに冷めていくはずなのに、骨にまで染みていた寒さが、和らいだ気がした。

「ありがとう」

 じっとしているだけで体は冷えていく。すぐにでも口をつけたかった。ただ、少しだけ間をおいて缶を開け、口をつける。熱くて甘いココアが口を食道を、胃に流れていく。胃に達したココアは体をじんわりと温めていく。強張っていた体の力が少しだけ抜ける。
 隣を見上げると、ニヤニヤとした笑みを浮かべたままこちらを見下ろしている。最初から全てお見通しでした、とでも言わんばかりだった。

「本当は寒かったんだろ」

 ココアは甘い。見上げても表情は変わらない。

「ちょっとね」
「そして、今もまだ寒いんだろ」

 もう大丈夫、と答えようとした時だった。視界が黒くなったかと思うと、肩の上に冷たいも何かがかけられる。黒い、バレーボール部のウィンドブレーカー。道すがら脱いでいたのを思い出す。あのときにはすでに彼は気かついていたのだろう。私の早足は、彼が暑くなってウィンドブレーカーを脱ぐような速度ではないのだから。
 歩いていたときなら全て断ることができていただろう。時間を確認して、電車を乗り逃さないようにしていただろう。だから、きっと私の受け答えも全て想定通り。ずいぶんと愉しかっただろう。

「寒くないの」

 私は、「一応」聞いてみた。

「鍛え方が違いますカラ」

 用意していました、とでもいうような答え方、ここまでくれば私もわかる。ココアに口をつける。少しだけ温くなったココアは甘い。

「ありがとう」

 ココアのように甘いのは、はたして彼だけなのだろうか。

「黒尾くんは優しいね」
「僕はかわいい彼女にはいつも優しいのです」

 思ってもいないことを言っています、とでもいうようなわざとらしい言い方に笑ってしまう。ガタンゴトンと電車がやってくる頃には、ココアは飲み終わっていて、私はココアの空き缶をゴミ箱に入れた。カランコロンと音がした。

カランコロン
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