木陰

日陰の向こうの日向


 初日の定期試験の帰り、久しぶりに化学科の中学からの友人と一緒になった。電車には同じ高校の人しか乗っていないせいか、ほとんど男しかいない。二人で話していると、おっ、と友人が小さく声を上げた。ちょうど今日の英語の試験について話していたときだった。

「及川、お前どうだった」

 友人の視線を辿ると、そこには同じ高校の女子生徒がいた。工業高校で女子生徒は珍しいため、顔ぐらいは知っていた。友人と同じ化学科であることも知っていた。女子生徒は扉の入口の手すりに指をからめて窓の外を見ていたが、友人の声でこちらに振り返った。

「ケアレスミスかないことを祈ってる」

 高くも低くもない、どちらかというと落ち着いた声だった。嫌味もなく謙遜もなく自慢でもなく、淡々とそう返す姿に、ああ、この子は頭がよいんだ、と俺は思った。身嗜みを見ても真面目そうではあった。どちらかというと長いスカートに、汚れ一つない制服のスカート。雰囲気の好い子だと思った。

「相変わらずだね」

 友人の方も嫌味もなく、笑いながら返した。

「英語は苦手じゃないからね」

 女子生徒は俺たちの前まで歩いてきた。俺に軽く会釈をした。先程まで、俺が友人と喋っていたところを聞いていたのだろう。俺は慌てて頭を下げた。
 彼女が少しだけ笑ったような気がした。

「明日、化学だろ。一緒に勉強しようぜ。お前、化学できるじゃん。こいつ、化学の赤点常連だからさ」
「ちょっと……確かにそうだけど」

 試験前の彼女の時間を奪うのは心苦しかった。ただ、そんな俺の気も知らないのか、友人は能天気に笑っていた。中学の頃はもう少し気を遣える人間だった気がしたが、俺の勘違いだったのだろうか。

「いいよ」

 目を細め口角を上げて、彼女はきれいに笑った。女の子がよく写真に写るときにするような、口だけで笑ったような笑顔ではなく、顔をいっぱいに使った自然な笑顔だった。

 その時お礼を言うべきだったことには、あとになって気づいた。

「こいつはカナメ。中学が一緒だった」
「及川といいます。よろしく」

 やや早口の自己紹介に、外向的な性格ではないのだろうと思った。
 及川は珍しくはないありふれた名字だった。だから、この時には気づかなかった。

「あっ、よろしくお願いします」

 声が上ずった。やってしまったと思いながら、横目で友人を見ると、嬉しそうに笑っていた。

 勉強は友人の家ですることになった。及川さんは友人の家を知らないので、俺が駅で待ち合わせて一緒に行くことになってしまった。

 及川さんが電車から降りた後、俺は友人に尋ねた。

「及川さんと付き合ってるの」

 友人の言動から俺はそう推測した。すると、友人は目を丸くした。

「まさか。同じクラスで付き合おうとか思わないから。ほら、ずっと同じクラスだろ。気まずくなるのも嫌だ。だから、みんな違うクラスのやつとか先輩とか他校のやつと付き合っているよ」

 友人はからからと笑った。学年に寄って雰囲気は違う。俺たちの学年は上の学年と比べても仲がよい学年だった。それは化学科も同様だった。女子がいるクラスでもそれは変わらないのだろうと俺は思った。

「といっても、三人しかいないんだけどな」
「ゼロよりはマシだと思うよ」

 俺の所属している電気科、同じ部活の鎌先が所属している機械科も俺の学年は女子がいない。確か、土木科も女子がいなかったはずである。工業高校は、女子のいないクラスが普通だった。

「まあ、普通科に比べたら女子らしい女子がいないけどな」

 友人の横顔を見ながら、きっと及川さんは誰かと付き合っているんだろう、と当然のように思った。

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