ありがたいことに、あの日は金曜日だった。私は週末を寝てすごし、月曜日には悪寒は勿論のこと、喉の痛みもなくなっていた。高校に行き、いつも通りの一日を過ごす。
「黒尾君とどうしたの」
友人は、帰り際にそう尋ねてきた。私のきょとんとした表情で、私が何もわかっていなかったことを悟ったのかもしれない。やや怪訝そうに表情を歪めた。
「男子たちが噂していたよ。黒尾君、怒っているって」
窓から風が入った。涼やかな風だ。息を吸う。胸の中に入ってきたのは妙な癖のある空気だった。
「黒尾君が怒るなんて珍しいね」
スマートフォンを見ると、「行く」という二文字がLINEに表示されていた。からんころんとスマートフォンが手から滑り落ちる。あっ、と小さな悲鳴が友人の口から漏れる。
「大丈夫だよ」
スマートフォンを手に取った。わずかに角が歪んでいたが、画面には問題はなかった。
「なまえはひとりでも大丈夫そうだよね」
友人が笑う。私は頷こうとしたが、その直前にその気が引っ込んだ。私は生暖かいスマートフォンを見やった。
「たしかにひとりも好きだけど」
常にひとりでやっていけるなどという過信はない。友人の意図が私にはわからなかった。
友人と別れた後、私はスマートフォンでLINEを立ち上げた。わかった、とLINEの入力欄に打ち込む。やり取りを遡れば、まるで業務連絡のようなやり取りが表示される。悪くはない、と私は思った。着飾ったところのないやり取りは気楽だった。このLINEに考え込んだ言葉を打ち込んだことなど私は一度もないし、黒尾君もきっとそうだろうと思った。
私はスマートフォンの電源ボタンを軽く押した。鮮やかな画面は、一瞬にして消えた。鞄の中に放り投げる。スマートフォンは鞄の奥底に沈んだ。スマートフォンが沈む鞄の中には、ごちゃごちゃとものが入っているようだったが、ジッパーのせいで中身が見えない。ただ、自分の鞄なのに関わらず、何が入っているのか思い付かなかった。
駅についたとき、そういえば鞄も金曜日のままだった、と私は思い出した。
鞄の中のスマートフォン
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