現実という冷えた水面に一滴の温もりが着地し波紋を広げるが
光りを浴びようと両手を広げる勇気はまだない

ただ暖かな小さな光りに寄り添い
消えない様
消えない様――‐


なんでもないような話しだが底は尽きず
牛鍋屋に入ってどれくらいの時が経っただろうか

周りの席は何度も客が入れ代わり、
目の前の空になった鍋はすっかり冷たくなっていた


会計を済ませ政剛が立ち上がると同時に、暖かい時間の中で軽くなった心を重みがのしかかる様に締め付けた

「俺、今日家の事なんもしてない…」

帰ったら何を言われるかわからない

「なーんだよ大丈夫だって」


どことなく重い足取りで町を歩きついに家の前まで来た

政剛が勢いよく玄関の戸をあけたが、
いつもならそこで待ち構えている義理母はいなかった


逆にいつもより体に緊張感が走った

小言を言う気すらなくなったのか
それとも他に何か――

「政剛、帰って来てるんでしょう?お風呂すませちゃって頂戴な」

義理母はこちらに見向きもしなかった

部屋に戻り襖を閉めるといつもの暗さと静けさが体を包む


明日もまた、笑って過ごせるだろうか

そんな事を思いながら今日を振り返ると、なんだか暖かくなる気がした


政剛が風呂へ入った音と入れ替えに義理姉が階段をおりてくる音が聞こえ、様子を伺う様に自然と耳を澄ました

「ねぇ母さん、本気なの由太郎の話しぃ?」

「本気さ、養ってく余裕なんかないんだよ。事件か何かに見せ掛けちまえばいいんだ」

事件か何かに見せ掛ければーー

体から血の気がひいてく気がした

消えない様に
消えない様にと寄り添っていた光りを意図的にかき消す

何の話しをしているかはなんとなくわかった

聞きたくない

そう思うのとは逆に耳をふさぐ事はなくじっと澄まされたままだった


義理姉の足音が再び階段を駆け上がると静けさが戻る

真っ暗な中、何かに押し潰される様膝に顔を埋める

部屋に響く自分の呼吸が妙に耳障りだった


せめて朝がくれば少しは気が晴れるだろうか

寄り掛かる襖が背中をすりながらゆっくりと開けられたのに気付き振り向く


僅かにあけられた襖から政剛が「しー…」と人差し指を口にあてているのが見えた

「由太郎、明日の朝此処を出よう。いいか、俺は味方だからな?」


静かに襖が閉められると再び黒い静寂に包まれる



翌日陽がのぼってから家を出た


洋館の中に建つ先日の菓子屋の中、箱の兎に手を伸ばす

「兎好きなんかい?」

菓子屋の店主がそう声をかけてきた

「いや…別に好きじゃないけど…」


都合のつきそうな空き家を探してくるから何処かで時間をつぶしてろという政剛と別行動をしているのだが、

得に行く場所もないのでこの菓子屋に足を運んだ


この場所がなんとなく落ち着く気がするのは、
どこか薄暗いこの店の照明があの部屋に似ているからだろうか

どのくらいの時間が経ったのだろう
すぐに戻ると言っていたが政剛はまだ来ない

懐から懐中時計を取り出す
針は11時を僅かに過ぎた所をさしていた

行動を別にしてからすでに何時間もたっている

すぐ戻るという言葉の「すぐ」は
四時間も五時間も後のことなどささないだろう

もしかしたら何かあって政剛は家に戻っているかもしれない

時計をしまうと菓子屋をあとにした



「おや政剛はどうしたんだい」


そう声をかける義理母の横を過ぎ
避けるように部屋に入ると背後で襖をしめる

義理母の言葉からして政剛は家には戻って来いないのだろう

あのまま町のどこかにいるべきだったと後悔した

それにしても何故こんなにも戻ってくるのが遅いのだろう

なにがあったのだろうか
不安は募るばかりで息苦しい

政剛は昨晩の義理母達の会話を知って
家を探しに出ると言ってくれたらしいが
政剛はあの時、確かに風呂にいたはず


なのに何故政剛はあの話を知っているのだろう

何故政剛は戻って来ないのだろう

何故政剛は俺を一人残して行ったのだろう


必要のない考えが頭の中を駆け巡り息苦しさが増していく


もしかしたら政剛も自分を消そうとしているのではないか

味方だって言っていたのに

耐えられなくなり思わず部屋から飛び出し慣れない光りの下へ出る

ドウシテ


政剛の所へ行こうと廊下を走るが
義理母がつかみかかる


ドウシテ


必死でもがくも義理母の手ははずれなかった


ドウシテ
泣イテイルノ
義理母サン―――


周りの音が遠ざかって行く気がした

気付いたときには赤く染まっていて、床に拡がるぬるい赤の中に倒れていた

朦朧とする意識の中、
僅かに目を開ける

覚えているのは倒れる自分の横で
真っ赤な着物で包丁を手にした政剛の姿


ゆっくりと床にひろがる赤の中、
懐中時計が11時17分で針を止めた



「あたしが兎崎から聞いたのはそんだけ」

話し終えた里衣子がペットボトルのお茶を一気に飲む

「それで全部ですか?なんだか所々内容が抜けてるような所があって辻褄が合わないような気がするんですが…」

坊主の言葉に里衣子はペットボトルを置くと
「それが兎崎が覚えてない部分なんだよだからその部分を新聞か見つけた政剛から聞いて埋めんだ」
と言いながらわかったかと坊主とミキを指差した




静かに水の流れて行く音と虫の声が響く川の上流で
鏡の破片の最後の一枚を兎崎がはめると老婆は満足げに穏やかな笑顔を見せた

「ありがとねぇ本当は何かお礼が出来たらいいんだけど…」

何もないかしらねと眉をさげると老婆は完成した鏡を見ている兎崎を見た

「いいよお礼なんて。でもひとつだけ聞かせてもらえるなら、永坂政剛っていう男の霊を見かけなかった?」

老婆はしばらく思い出すよう考えると「悪いねぇわからないわねぇ…」と申し訳なさそうに肩を落とした


「お兄ちゃんはその人を探してるんかい?」

老婆の言葉に「そう」と笑顔で一言だけ答えると兎崎は川の方へむき老婆の立つ隣へ座り込んだ

「でも見付からなくてさ。もしかしたらもう"こっち"にはいないかもしれないんだけどね」

兎崎は眉をさげ笑うとため息をついた

「そんだけさがすって事は大事な人だったんだねぇ」

老婆の言葉に瞳をとじると兎崎は首を横に振る

そっと瞳をあけると膝を抱え何か考えるよう静かに川を見つめた

「何故かわからないけど思い出せない事がたくさんあるんだ。一体何が思い出せないのかもわからないんだよ」

そう言うと兎崎は抱え込む膝に額をつけた


「もう見つからないかもしれない…。」

弱気な小声でぼそりと呟く兎崎に老婆が「大丈夫よ」と微笑みかける

「お兄ちゃんには頼りになりそうなお連れさん達がいるんだもの」
しっかりなさいと老婆が肩をぽんと叩くと兎崎は膝から顔をあげ困ったように笑った

「本当はあんまり仲良くしたくないんだけどね」

あらまぁどうして嫌なのと老婆が驚いたように眉をあげると
兎崎は「あはは」と笑い老婆を見上げた

「違うよ。いずれお別れするときに、寂しいって思っても困るでしょ?」

そうねと笑うと老婆は再び兎崎の肩を叩き、
見付かるといいわねと静かに消えた


兎崎は立ち上がると土を払い
そのままぽんぽんとあちこち叩くように何かを探すが
ハッと思い出したように眉間をよせるとため息をついた

里衣子から破片は渡されたが駄菓子屋の鍵は渡されていなかった




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